第四章 愛の妙薬③
もふもふを堪能するために――ではなく、テオドールを起こすために彼の寝室にやってきたレベッカは、カーテンを開けて布団を引き剥がしたところで絶望の声を上げてしまった。
「も、もふもふがない!」
その声にテオドールがうっすらと目を開けると、自分の姿に驚いて慌てて掛け布団を手繰り寄せる。寝ている間に人の姿に戻ったからだろう。
レベッカはテオドールの裸の上半身を見たことよりも、もふもふが消えてしまったことを嘆いた。
「テオドール様、人に戻られたんですね」
「……そのようですね。すみません、またこんな姿を見せてしまって」
「いえ、それはどっちでもいいのですが」
「……どっちでもいいんですね」
テオドールは裸を見られることを恥ずかしく思っているみたいだが、レベッカは特に気にしていなかった。
それよりも、もふもふだ。もふもふが足りない。あと一日ぐらいは堪能できると思っていたのに。
だが、テオドールもずっと銀狼の姿のままというわけにもいかないだろう。
掛け布団から這い出してきたテオドールは、魔法を使って着替えたのか、すっかりいつものローブ姿になっている。
「今日はお仕事ですか?」
「はい。昨日休んだ分、王宮に行かなければいけませんので」
「……そうなんですね」
「朝食はご一緒しますよ。食堂に行きましょうか」
前に食事は一緒に過ごすという約束をしてから、テオドールは時間が合わないとき以外は、一緒に食堂で過ごしてくれるようになった。
朝食はお茶だけだったり、変わらず偏食なのでクッキーやビスケットばかり食べているけれど、レベッカは食事の時間を寂しいとは思わなくなった。
「テオドール様、ひとつお願いがあります」
人の姿に戻ったら頼もうと思っていたことだ。
「はい、なんでしょうか?」
どこか緊張した面持ちのテオドールに、レベッカは伝える。
「エレノアと一緒に町に出かけたいので、許可してほしいです!」
◇◆◇
「ふふ、テオドール様はレベッカちゃんのことが大切なのね」
「うーん。やりすぎな気がするけど」
微笑むエレノアと違い、レベッカは困惑していた。
昨日、テオドールにお出かけしたいことを伝えると、最初こそ渋られたけれどレベッカのお願いによりすぐ折れてくれた。ある条件を理由に。
その条件とは、お守りを身に着けること。
レベッカの首からは、危険から身を守る《魔道具》のペンダントがかけられている。そのペンダントは身も守るだけではなく、何かがあった時にすぐにテオドールに連絡がいくようにもなっている。
そのうえ、高価すぎて貴族ですらあまり手が出せない通信用の《魔道具》まで渡されたのだ。
「こんなものを身に着けて、町の中にいられないよ~」
「そうよねぇ。貴族街ならともかく、いまから行くのは下町のほうだものね」
盗まれたら大変だわ、とエレノアが微笑ましいものを見るように笑う。
「ふふ、なるべく見えないように隠しておきましょう」
「そうする」
「それにしてもレベッカちゃんは、何を着ても似合うわねぇ」
「エレノアこそ」
今日はレベッカたちは下町――平民が多く住むところに向かっていた。
そのため、レベッカはもとよりエレノアも平民の娘が着るような装いをしている。
貴族令嬢のような格好で下町を歩いていたら物取りの格好の餌食だし、周りから浮いてしまう。
そのため、出かける前に服装について取り決めていたのだ。
「ベンジャミンに私の姿を見せたらね、目を丸くしていたのよ」
エレノアがベンジャミンについて話す時は、いつも愛しいものを思い出しているかのように目を細めている。
「そして心配されたわ。エレノア、家を出ていくの? ですって。レベッカちゃんと出かけることを話したら、ホッとしていたわよ」
エレノアは楽しそうに話しているけれど、ベンジャミンは気が気ではなかっただろう。
「そういえば、エレノアって、ベンジャミンさんと一緒に暮らしているの?」
「いいえ。まだよ。たまにベンジャミンの家の遊びに行くけどね、基本的に侯爵邸にいるわ。お父様とお母様はいつでも嫁に出せる準備をしているのだけれど、ベンジャミンがまだ渋っているのよ。俺の仕事が安定するまでは、とか言っているけれど、いつになるやら」
王宮魔法使いという地位だけでも十分高いけど、エレノアは侯爵令嬢だ。ベンジャミンはまだ迷っているのかもしれない。
だからこそエレノアも、愛の妙薬を求めているのかも。
「さて、そろそろ繁華街を抜けるわ。馬車を降りて歩きましょうか」
「うん」
「侯爵家の護衛もいるけれど、周りには十分注意するのよ」
エレノアは忠告してくれるけれど、ここで心配なのは彼女のほうだ。
レベッカは元平民。下町のことは、レベッカのほうがよくわかっている――はずだ。
(十歳までしかいなかったけど、たぶん大丈夫だよね)
◇
レベッカたちが下町までやってきたのには理由があった。
侯爵家の情報筋で、愛の妙薬を手に入れたという女性を見つけたのだ。
彼女によると、薬は下町にあるお店で買ったらしい。
エレノアと一緒に、ある建物を見上げる。
出入り口に掲げてある標識から察するに、どこにでもある雑貨店だ。
「本当にここにあるの?」
「どうかしらね。ずっと探していても見つからなかったのに、こんな普通の店に置いてあるなんて正直信じられないの」
それでもエレノアは、自分の目で確かめたかったという。
一人で来る予定だったが、レベッカが興味を示したので一緒に連れてきてくれた。
「さて、入りましょうか」
カランと来客を知らせるベルと共に、レベッカたちは店内に入る。
店の中を見渡すと、他に人の姿はなかった。店主すらいない。
店の棚という棚、机という机の上に、数々の雑貨が所狭しと並んでいる。
見たところ、普通の雑貨ってんのようにだった。
「いらっしゃい」
店の奥にいたのか、店主がのっそりと出てきた。
年老いた女性で、腰が曲がっている。杖を突いているが、足取りがふらついていて、見ているこっちがハラハラしてしまう。目が細いからか、どこか眠そうに見える。
早速エレノアが店主に近づいた。
「お訊ねしたいことがあるのですが、いまよろしいですか?」
「ああ、店の商品のことなら、いくらでもお聞きください」
「このお店に、愛の妙薬という商品はございますか?」
「あいのみょうやく?」
店主が首を傾げる。
もう一度同じ言葉を呟きながら、何かを思い出そうと空を見つめるが、また反対に首を傾げてしまった。
「いやあ、聞いたことがないねぇ」
「一か月ほど前に、ここで購入したとある女性から聞いたのですが」
「一か月前? はて、そんな薬あったかねぇ。……ああ、でも。一か月前に変わったものを買い取った気がするよ」
「変わったものですか?」
「ああ。花街の女性がどうしても買ってほしいというからね、買い取ったんだ。確か何かの果実の種だったよ。特別な効果があるとか言っていてね、でも実をならせるのが難しいらしいんだ」
「その種はどちらに?」
エレノアの声が固くなるのかわかった。
店主が話しているのは種だ。薬ではない。
求めていた情報ではなかったことに、落胆しているのかもしれない。
「それならその後に、店にやってきた別の客が買っていったよ」
「……そう、ですか。ありがとうございます」
「すまないねぇ。お嬢ちゃんが求めていたものではなかっただろう?」
「いえ、貴重な情報でしたわ」
店主にお礼を言うと、レベッカたちは店を出る。
馬車までの道を歩きながら、エレノアが静かに呟いた。
「もしかしたら愛の妙薬は、薬ではないかもしれないわね」




