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番外編 ベンジャミンの最愛


 クレイン家の末娘と初めて会った時、彼女の金色の瞳に異様に惹かれたのを憶えている。彼女が口元をほころばせた時に胸がくすぐられるような喜びを感じて、自分の全身が彼女を《最愛》だと訴えているかのようだった。


 エレノア・クレイン。

 落ち着いた桜色の髪と、いつも楽しそうに笑う金色の瞳が特徴的な美しい娘で、ベンジャミンの《最愛》である。

 そんな彼女の趣味は、可愛らしい花や小動物を愛でることで、ベンジャミンもそれによく付き合わされていた。


 あの時もそうだった。

 テオドールやレベッカと一緒にお出かけをした時も、雑貨屋に入ったエレノアは奥にあったリスのフェルト製の置物に引き寄せられていた。彼女は常々、ベンジャミンに言い聞かせるように、一番好きな動物はリスだと口にしていた。リスの装飾品には目がなく、彼女の部屋はリスのもので溢れている。


 あの雑貨屋にはリスの置物の他にも、リスの柄の雑貨が多かった。


「見て、ベンジャミン。このリス、似てるわよね」


 多くの雑貨から取り出したのは、頬袋の中に一杯の気のみを詰め込んでいるのにもかかわらず、もうひとつ木の実を押し込もうとしている、リスのフェルト製の置物だ。


「に、似てるかな?」


 少なくとも、ベンジャミンは食事をするときに口の中に食べ物を詰め込んだりはしない。


「あら、似てるじゃない。この亜麻色の柔らかそうな毛並みに、それから掌に包み込んだときの大きさまで」

「ん、うおっほん」


 思わず咳ばらいをしてしまう。

 いまの言葉、聞かれていないよねと周囲を見渡した時に、ベンジャミンはやっと気づいた。

 いつの間にか雑貨屋の中にはエレノアとベンジャミン、それから店主だけしかいない。一緒に入ってきたはずのテオドールとレベッカの姿が消えているのだ。


「あれ、テオドール様?」


 呼びかけるが、いない人間が返事をするはずがない。


「エレノア。テオドール様たちが」


 ベンジャミンの言葉に、やっとエレノアも気づいたみたいだ。慌てて店主に代金を払って先程のリスの置物を買って大事そうにポシェットの中にしまうと、ベンジャミンの腕を引っ張る。


「きっとレベッカちゃんたちも、今頃、二人っきりの時間を過ごしているはずだわ。だからベンジャミン、他の店も見て回りましょう。もしかしたら、もっとたくさんのリスグッズが見つかるかもしれないわ」

「でも、何も言わずにいなくなるかなぁ」

「二人っきりの時間を邪魔したら悪いわよ。それに何かあっても、テオドール様がいるのだもの。きっと大丈夫よ」

「うーん。確かに師匠がいればねぇ」


 ベンジャミンも納得をして――というか、エレノアの押しに負ける形となって、その後もリスグッズ探索に付き合わされることになった。

 この間に、レベッカが爆発に巻き込まれてしまっているとは知らずに。



 レベッカが爆発に巻き込まれたと知った時のエレノアは珍く取り乱していた。


「私がレベッカちゃんを誘ったせいだわ」


 いつもは悪戯っぽい笑みでベンジャミンの旨をくすぐってくる彼女だけれど、いまの気の落ちようは心配になるほどだった。おそらく、テオドールが止めるのを聞かずにレベッカをお出かけに誘ったことに、負い目を感じているのだろう。

 

「私が、レベッカちゃんを連れ出さなければ……」

「そんなことないよ。レベッカちゃん、楽しそうだったよ」

「でも、ドレスを選ぶときは、少し疲れた顔をしていたわ」

「それは……」


(あんなにたくさんのドレスを着せられたらねぇ)


 出かかった言葉を飲み込む。

 それから、ベンジャミンは彼女を励ますためにできることを考えて、ある提案をした。


「それなら、レベッカちゃんのお見舞いに行かない?」

「お見舞い?」

「うん。直接レベッカちゃんに訊いてみたら、わかるかもしれないよ」

「……そうよね。迷惑をかけたのなら、お見舞いに行かないといけないわよね」


(迷惑はかけてないと思うんだけど)


 いつもはふんわりと微笑みながらもポジティブなエレノアだけれど、気落ちすると別人のようにネガティブになってしまう。

 そんなときは、ベンジャミンがあの姿(・・・)で励ますと元気を取り戻すのだけれど、そう簡単にできることではないので、今回はレベッカの手を借りた方が良さそうだと判断した。



「レベッカちゃん、心の底から謝るわ。私がお出かけに誘ったばかりに、まさかこんなことになってしまうなんて」


 レベッカが目を覚ましたという話を聞いた翌日。ベンジャミンはエレノアと一緒に彼女の病室を訪れていた。

 顔を合わせてすぐに頭を下げて謝罪をしたエレノアを見て、レベッカが目を見開いて、それから慌てる。


「エレノアのせいなんて思ってないよ。だから、顔を上げて」

「でも、本当は私とお出かけするのは、そこまで楽しくなかったのでしょう?」

「そんなことないよ。いつもとは違う経験ができて、綺麗なドレスやアクセサリーの試着をするのは楽しかったよ。着せ替えをするのは少し大変だったけど、それも含めてエレノアと一緒にお出かけできたことは、とてもとても楽しかったもん」


 心の底からそう思っているのだろう。レベッカが笑うと、エレノアの金色の瞳に光が戻ったように見えた。それから憑き物が落ちたかのように、エレノアはレベッカと談笑を続ける。

 それを眺めながら、ベンジャミンは胸を撫でおろすのだった。


 やっぱり、レベッカと会ってもらって、正解だったと。



    ◇



 ベンジャミンは、エレノアと初めて顔を合わせてその日に、彼女が自分の《最愛》であることに気づいた。

 だがエレノアは表向きはふんわりと笑っていたけれど、たいしてベンジャミンに興味がなさそうだった。

 最愛になってからたまにクレイン侯爵家を訪れていたけれど、会えるのは一カ月に一回かそれぐらいで、ベンジャミンはエレノアに嫌われているのだと思っていた。


 ベンジャミンは下級貴族の出だ。普通に暮らしていたら、侯爵家であるエレノアと顔を合わせて話すことすらできない身分。彼女の両親に嫌われることを覚悟していたものの、クレイン侯爵夫妻はベンジャミンの出自を気にすることなく接してくれた。

 その理由は、王宮魔法使いであり、テオドールの弟子であり、次期大魔法使いと称されているほど魔法の実力があるからだろう。――と言っても、テオドールの実力は天才の域を超えているため、ベンジャミンはその足元にも及ばないが。


 とにかくエレノアはあまりベンジャミンに会ってくれなかった。マナの浄化はギリギリ間に合っていたものの、それでもそろそろやばいぞ。というところで、侯爵家を訪れたベンジャミンは、エレノアと顔を合わせる前に獣化してしまった。


(この姿だけは、見られたくなかったのに)


 確か荷物にマナ過敏症を抑制する薬があったはず、と探ろうとしていると身体が宙に浮かんだ。誰かに持ち上げられたのだ。


「まあ、リスだわ」


 目を大きく見開いたエレノアが、自分の掌の上に獣化したベンジャミンを乗せる。

 その金色の瞳がやけにキラキラしているが気にかかったものの、ベンジャミンはすぐにでも逃げだしたかった。


 ベンジャミンは自分の獣化した姿があまり好きではない。だって、小さいし。リスは小さくってすばしっこいけれど、しょせんは大きな動物に襲われてしまう運命だ。

 魔法使いの獣化した姿は、魔法使いの性質による――ということもなく、様々だ。

 できればどうせ獣化するのなら、野生でも長生きできる肉食獣などの大きな生き物がいいと、魔法の勉強をしていた時はよく思っていた。

 だけどこの世は残酷で、願っているのと反対の姿になってしまった。


 きっとエレノアも、ベンジャミンのこの姿を見て、失望しているかもしれない。こんな小さな生き物が自分の《最愛》なんて、彼女も恥ずかしいだろう。


 そう思っていたのだけれど、「まあまあ」と口にしていたエレノアの笑みがどんどん深くなっていく。

 くすくす笑うと、彼女はそっとリスの身体を掌で包み込んで、うっとりとした顔で微笑んだ。


「可愛らしい姿でしたのね、ベンジャミン様」


 金色の瞳はやはり異様にキラキラとしている。

 リスになったベンジャミンは、本能からいますぐ逃げなくてはやばいと悟った。


 ――まあ、逃げられなかったのだけれど。


 それからも度々、エレノアはベンジャミンと会うのを拒むようになった。

 最初の方こそ、リスの姿に幻滅されたのか、と考えていたベンジャミンだったけれど、次第にそれは違うということを知っていくことになる。


 彼女の趣味趣向を。そして、悪癖を。


 彼女は、獣化したベンジャミンを愛でたいがために、マナを浄化する回数を減らしていたのだ。

 最初こそそれに対して文句言っていたベンジャミンだったけれど、彼女の押しには勝てなかった。


「ベンジャミン」


 愛おしそうに耳元で名前を呼ぶ、彼女の声が忘れられなかったからとか、そんなことはない。


 ベンジャミンはいまもたまに、一、二カ月に一度、リスの姿になって彼女と会っている。

 そんなとき、彼女はいつも以上に金色の瞳をきらめかせて、嬉しそうに口元を綻ばせるのだ。

 その笑みを見ると、ベンジャミンはくすぐったいように感じて、自然と彼女を許してしまうのだった。


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