第三章 愛されるもの⑨
ダビドと別れた後、レベッカは久しぶりに孤児院を訪れた。
シスター・グレースにダビドのことを話すと、「わかりました」と固い声で答えた後、そっと目尻に浮かんだ涙をハンカチで拭っていた。
「ダビド、どうかしたの?」
応接室から出たレベッカにソフィーが近寄ってくる。どうやら廊下でたまたまダビドの名前が聞こえてきたから、気になって待っていたようだった。
レベッカは迷った末、ダビドはしばらく遠くに行くと話しておいた。
ダビドの罪がどうなるかはわからないけれど、しばらく孤児院に顔を出すことはできなくなる。
ソフィーにダビドが魔道具に関わっていたことは話さなかったけれど、何か事情があると察したのだろうか。彼女は難しそうな顔をした後に頷いた。
「わかった。けど、大丈夫だよ?」
「え?」
深刻な顔をしていたレベッカを気遣ったのか、ソフィーが満面の笑みを浮かべる。
「レベッカお姉ちゃん。私たちは、離れていても家族なんでしょう?」
「家族?」
「うん。孤児院のみんなは家族だって、レベッカお姉ちゃんも言ってたじゃない。それに、グレース先生もベラ先生も、そう言ってたもん」
「……確かに、そうだよね」
離れていても家族。血が繋がっていなくても、それは間違いのないことだった。
「だからダビドもひとりにはならないよ。私たちがいるもん」
「っ、そうだよね!」
「うん。お姉ちゃんもだよ?」
「ありがとう、ソフィー」
思わず軽く抱擁をする。その温かさに、なぜか涙が出そうになった。
◇
孤児院を後にしたレベッカは、テオドールと一緒に馬車に揺られていた。
「ダビドは、これからどうなるのですか?」
「違法な魔道具の売買は王国では重罪です。いくら貴族といえども処罰を免れることはできないでしょう。それを知っていながら加担した場合も同じです」
「そう、ですよね」
言葉が重くなる。ダビドはまだ十二歳だ。親の愛情を欲する時期で、それを利用したリップス子爵夫婦を、レベッカはやはり許すことはできない。
「どうにか、ならないのですか?」
「それですが、ダビドさんがまだ幼いことと、リップス子爵夫婦から利用されていた点を踏まえると、恐らく労刑一年ぐらいで済むと思います。罰金を払えばそれすら不要になるでしょう」
「っ、それなら……」
続きを口にしようとして、レベッカははっとした。
テオドールにお願いすることは容易いかもしれない。彼ならレベッカの意思を尊重して力を貸してくれるだろう。
だけど、テオドールは非合法の魔道具に対して、並々ならぬ思いを持っているように思えた。
そんな彼がダビドを許してくれるのか、不安になったレベッカが見上げると、テオドールはいつもの穏やかな笑みを浮かべていた。
「レベッカさん。ダビドさんのことでしたら安心してください。彼には魔力を視る才能が有ります。つまり、魔法を使う才能――魔法使いとしての才能があるということです」
「ダビドに、魔法使いの才能が――?」
「はい。ですので、彼の身柄は魔塔の預かりとなるでしょう。彼が望めば、ですが」
「そうなんですね」
ほっと息を吐く。ダビドがこれからどんな道を進むのかはわからない。実の両親に捨てられて、養親には利用されて、犯罪に巻き込まれて――。
それでも居場所があるのなら、少しは救いになるのかもしれない。
(それに離れていても、孤児院のみんなは家族だからね)
ソフィーだって、シスター・グレースだって、どこかにいなくなってしまったシスター・ベラだって。それにレベッカもいる。ダビドはひとりではないだろう。
安心して緊張を解くと、レベッカは需要なことを思い出した。テオドールに伝えなければいけないことがあるのだ。
《魔道具》が爆発する前に、彼に言ってしてしまった酷い言葉。
それを謝罪する隙を、ずっとうかがっていた。
呼びかけようとして顔を上げると、彼はどこか寂しく思える双眸でレベッカのことを見ていた。
「レベッカさん。もしよろしければ、僕の話を聞いてもらえますか?」
「お話、ですか?」
「はい。僕の――家族のお話です」
少しして馬車が邸宅の前に着いた。
馬車の扉が開いたので外に出ると、もう日が沈むところだった。
「庭園に移動しましょうか」
テオドールの提案で、一緒に中庭に移動をする。石畳の道を踏みしめながらガゼボまでやってくると、無言のまま向かい合って座る。
「暗くなってきましたね。月明かりの下もいいですが……」
呟いて、テオドールが掌に淡い光を灯した。
月よりも輝いて見えるそれはいくつか宙に浮かぶと、レベッカたちの周りで停止した。
「今日は風が穏やかで、気持ちのいい夜ですね」
「そうですね」
「レベッカさん」
「はい」
「実は――僕は、家族というものがよくわからないんです」
「え? それは、どういう……」
「僕は五歳の頃から魔塔で過ごしてきました」
テオドールの話は、レベッカにとって衝撃なものだった。
五歳の頃から魔塔で過ごしていたテオドールは、一年に一回しか両親に会うことはできなかった。
「僕にとって家族とは、居ても居なくても変わらないものでした」
マクレイ公爵家の次男として産まれたテオドール。
レベッカは、勝手に彼の人物像を作ってしまっていたらしい。
貴族として産まれたから何不自由なく暮らしていて、両親がいるのなら当たり前のように愛情を受けているものだと、そう思ってしまっていた。
だからこそ、より残酷だった。あんなことを、言ってしまうなんて。
「僕には家族の絆というものがよくわかりません。だからダビドさんが養親から利用されていることを知り、彼のためだと思って、自分の境遇を知ってもらうためにあんなことを言ってしまいました。それが真実であれ、どうであれ、傷つける言葉だったのだと、いまはわかります。彼には、酷いことを言ってしまいました」
酷いことを言ってしまったのは、レベッカもだった。
『……テオドール様にはわからないですよ。家族がいない人の、気持ちなんて……』
あんなこと口にするべきではなかったのに、あの時ポロリと口からあの台詞が出たのは、それが自分の本心だったからなのだろうか。
「――テオドール様」
名前を呼ぶと、彼はレベッカを見て驚いたように目を見開いた。
「あの、あの時、家族のいない人の気持ちなんてわからないと、テオドール様に言ってしまって……ごめんなさい」
「いえ、あれは僕も悪かったので」
「でも、テオドール様の事情も知らなかったのに、私は勝手な決めつけで言ってしまったんです」
「それは僕も同じですよ」
なんだか目の前がぼやけてきた。涙越しに、テオドールが狼狽えているのがぼんやりと見える。
「でも――私は、テオドール様と家族になりたいんです」
レベッカにとって家族とは、孤児院のみんなだった。
テオドールの《最愛》になって、彼と家族になれるかもしれないと、そう浮かれていた自分もいる。
「それは、僕も同じですよ。レベッカさんの家族になれるのなら、これ以上の喜びはないと思います」
「じゃあ、私たち、ちゃんと家族になりましょう。家族というものがわからないのなら、私が教えますから。私も、よくわからないことがあるけど」
「それでは一緒にいろいろ知っていくとしましょうか。一緒に暮らしていれば、多分きっとわかりますよ」
「はい。だからテオドール様」
レベッカは涙を拭い、彼の銀色の瞳を見つめて言った。
「これから食事の時間は、一緒に過ごしてください」
「え? 食事ですか?」
何のことだろうと目を丸くするテオドール。
テオドールと一緒に暮らすようになってから、ずっと悩んでいた。一人の食事はどんなに温かいものでも、冷たく、寂しくなるものだ。だけどテオドールにわがままをいう勇気がなかった。
「家族なら、一緒にご飯を食べるのは当たり前だと思うんです。テオドール様がいない食事の時間、私はいつも寂しかったんですよ」
「家族なら一緒に食事を……そう、なんですね。レベッカさんの気持に気が付かなくてすみません。これからは一緒に食べるようにしましょう」
「絶対に、絶対ですからね!」
「もちろんです」
「テオドール様も、私にしてほしいことがあったら、なんでも言ってくださいね」
レベッカの言葉に、テオドールが頷き、それから少し気難しそうな顔をして口を開いた。
「その、レベッカさん。僕のことを、またテオと呼んでくれませんか?」
そういえばずっとテオドールと呼んでいたことにレベッカは気づいた。
「テオ様」
呼びかけると、彼はどこか安堵した晴れ晴れとした顔で微笑む。
「やっぱり、レベッカさんにそう呼ばれると、胸の奥がぽかぽかとして気分が良くなりますね」
浮かんでいた光の玉が色とりどりの光を灯す。それが、テオドールの心情を語っているようだった。




