第五十五話 大時計塔(ザ・ノット)
機動飛行船内の操縦室では、
巨大な重力で拘束していたはずのザドワンが、
いとも容易く逃れたことで、
ロドヴィコが慌てていた。
「ぬうっ!? なぜアーティファクトの能力から逃れることができた!? 重力は最大出力でかかり続けていたぞ!? 茹で海老になる前に逃してしまうなぞ!」
隣で計器を見つつ操縦桿を握るのは、
ミルエラだ。
彼女が応答する。
「ご主人様、現実強度測定値を見るに、空間において極めて近接した位置に、リミナルダンジョンと関係が深い結節点が集まりすぎたせいかと」
ロドヴィコがハッとする。
赤い瞳の存在……。
それに対し、最も危惧していたことが起こったらしい。
「あまり多数で集まるのはタブーというのは、本当らしいな。しかも三人中二人はオーラ放出するほどに覚醒し、そのうち一人は完全に体内が空間異常と化している。たまたま今回はアーティファクトの魔法を無効化する程度で済んだ、ということか」
ミルエラは冷静に肯定する返答を返し、
さらに続ける。
「さらに物理法則改変空間の反応が……現実強度が下がってます。局所的には1を下回る瞬間もあり、近傍での物理定数改変の可能性を危惧します」
「ええい! 思ったより酷い状況だぞこれは!」
ロドヴィコは最悪の可能性を危惧し、
隔壁を叩いた。
テルは視線を眼下のレカから離さない。
ザドワンは、
レカを掴み、どうするつもりなのか……。
彼はまた二人の間で寝そべり、
ガラス窓から下の様子を見ながら、
テルはちんぷんかんぷんだった
科学冒険小説にせよ、
最近の科学知識にせよ、
テルはある程度自身があったが、
魔法科学の知識は各ギルドが厳重に漏洩を防ぎ、門外不出。
今の会話もトップシークレットを含んでいる。
だが、そんなことはどうでもいい。
ガバッと起き上がる。
「父さん! 下にいるレカが危ない! なんとかならない!?」
ロドヴィコは首を横に振る。
「無理だ。この船に武装はない。『重力法則』の機能はなかなか融通が……」
テルがロドヴィコの襟を掴んだ。
「なんとかしないと! レカが死ぬ!」
テルは後ろへと、吊り上げられるような感覚を得た。
視界が一回転する。
操縦室の狭い中で、床に叩きつけられた。
「かっは!?」
息にならない息が強制的に吐かされ、
あたまがくらくらした。
首を回すと、目の前に下方監視用のガラスがあり、つい覗き込む。
「幼馴染が気になりますか? 若様」
「ミルエラ! やりすぎだ! やめろ!」
テルを投げ飛ばして押さえ込んでいたミルエラが、
彼を離し、オレンジの長髪をまとめ直して計器に向き直った。
ロドヴィコは伸びてしまった襟を正した。
「だがまあ、テルーラインよ。吠えているだけではどうしようもないぞ。何か手がないか考えて、提案したまえ。少なくとも『重力法則』は不適格だ。あの化け物のような、ザドワンが動くことができないレベルで重力をかけたら、あのスティレットの女が保たん」
「そんな……」
ロドヴィコはニヤッと笑った。
「今すぐ飛び降りて恋人を助けるか?」
テルは歯軋りをした。
そう、この人にとっては、
レカはテルの持ち物であって、
自分から積極的に守ろうってことはないんだ。
テルはそう気づいた。
「くっ!」
レカなら……飛び降りて戦うことも可能だろう。
しかし、レカなら、か。
自分はどれほどレカに頼ってきたのだろう。
とくに、こういう荒事の時に……。
(情けない……!)
テルはふと、
この機動飛行船に引き上げられたときのことを思い出した。
サーチライトの白い魔光灯とは違う、
緑の引力の光……。
「ねえ、父さん。僕を引き上げたときの技術は使えないの?」
ロドヴィコは今朝カミソリを当てたっきりの顎に手をやり、
一瞬思案してから、
「ああ、アーティファクト『承受之軽』のアトラクタビームか……。だがあれは拘束力が弱い。お前がパニックを起こして暴れていれば、落っこちていただろうな。その程度の引力しか生じさせることができない。名前の通り、大して重いものは持ち上げられんぞ」
テルはしっかとロドヴィコを見た。
「考えがあるんだ」
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拘束されたレカは、
なんとかもがいて脱出しようとする。
ザドワンの毛むくじゃらの太い腕に関節技をかけようとするが、
びくともしない。
左腕は強い握力で完全に掴まれ、ぶら下がる形だ。
「テメッ! はーなーせっ!」
……こういう場合は切断して自由になる方法もあると、
タティオンから教わっていたが……。
腹に銃弾を喰らって、
冒険者ギルドんp本部と知らずに入り込み、
キナンに指示を受けながら自己治療したあの頃と比べると……。
自分の体を傷つけることへの恐怖が増した気がする。
それをレカは弱さと見るか、
成長と見るか……。
緊急時であっても、そんな考えが一瞬だけ、
レカの脳内を巡った。
ザドワンは笑みを見せ、牙が光る。
「ふふ、女暗殺者よ、我に折られた腕は、つながったようだな。それとも、ズルをしたのか?」
戦場で歩けなくなれば捨て置かれ、
わずかな傷の感染症で死ぬものがほとんどの戦場で生きてきた
ザドワンにとって、
金ばかりかかって大した命も救えない治癒魔法は、
「ズル」という言葉で唾棄するに相当するものだ。
自分を一度は敗北に追いやったものの一人が、
そんなものを使ったというのは、
あまり信じたくないらしい。
レカは言い返す。
「ッケ、あーしもあんたも、フッツーの人間からすれば、十分ズルだろ。こんなバカぢからと体の丈夫さを持って産まれてよお……」
ザドワンは、隙を見ては掴まれたまま蹴りを繰り出してくる
レカを、生意気な子犬のように愛おしそうに見ている。
「なあ、レカとやら。この赤い瞳の力……。本当に『持って生まれた』なんて言い方が正しいと思うか?」
「はあ? ……いぢぢっ」
レカがうめく。
掴まれている左腕がこのまま握りつぶされそうだ。
ザドワンは、もはやその精神性も、
もともとの反社会性からさらに進み、
魔王と呼べる存在にどんどん近づいている。
「我はもう……この世界の理にも縛られない存在。きっとこのままいけば……この世全てを呑み尽くすだろう」
レカは痛みの中、必死の形相で悪態をつく。
「テメーみてえな、憎しみだけのやつは、結局世の中に迷惑だけかけて消えっちまうんだよ……」
ザドワンは力を強める。
レカの前腕の骨が、ギリギリと軋んだ。
「ぐああ!」
レカが叫び声を上げる。
ザドワンは片方だけの赤い瞳を、
燃え上がるように見えるほど、
オーラで輝かせる。
「貴様、獣人が受けてきた負の歴史を……ハーフエルフがぁ……」
「ハーフ……エルフ……?」
レカは激痛の中で、
確かに目の前の敵が自分をそう呼ぶのを聞いた。
そういえば以前、闘技場でもこいつから、
エルフの血がどうとか言っていたような……。
「あ、あーしは……」
レカは体を渾身の力で捻る。
「あーしの親はタティオン・ヴォルヴィトゥールただ一人だ!!」
ゴキィ!?
骨の音がした。
しかしそれは、
レカの左腕ではなく……。
「ウグゥ!? な、なに!?」
レカの身体の回転は、
ザドワンの手首に伝わり、
それはゴキっと関節を外されてしまっている。
痛みもある。
細かい骨がイカれているのかもしれない。
ザドワンは足場の悪い河縁から飛び退き、
坂の登り口へ来る。
(ガキが! 妙な力の掛け方を……!)
コツン……。
ザドワンの頭に何かが当たった。
石畳の地面を見ると、
金属のスプーンだった。
上を見るザドワン。
「こんちくしょう! 街をめちゃくちゃにしやがって!」
「ザドワンか!? こいつ、この獣人!」
「前からいけすかなかったんだ! 人間じゃないのにこの街の英雄気取りやがって!」
「魔王だ! こいつが魔王だあ!」
わーっと、声が降ってきた。
大通りが坂になる両手の、
商人の建物兼住居から、
さまざまな物が降ってきた。
包丁、板っ切れ、石組みの破片、鍋、椅子、果てはベッドまで。
あらゆる物がザドワンへ、憎しみを込めて降り注ぐ。
その全てを、
彼は逃げもせず受け止めた。
今の彼の覚醒した防御力なら、
例え砲弾が降ってきても避ける必要などないのだ。
「そう、そうだ。思い出した。人間が我らに向ける感情とは、いつもこのような……」
そんな感慨を得た時、ザドワンの周囲が光った。
サーチライトの白ではなく、緑色だった。
ザドワンは不思議そうに自分の手を見た。
「なんだこれは……? んぐう!?」
その瞬間、体が完全に固まった。
河の中で重圧を受けている時よりも、
またさらに動気が制限され……。
まるで金属の壁の中に押し込められてしまったようだ。
(ろ、肋骨を膨らませることさえできん……!?)
彼が呼吸すると、
その吸気は体内からやってくる。
そして複雑な軌道を取り、
リミナルダンジョンのどこかにある彼の肺腑へと送られ、
血液に酸素が吸収され、さらにその血液が別の場所にある
脳や筋肉に送られ……。
この構造は、
彼はリミナルダンジョンとの次元跳躍的繋がりを意識してから、
少しずつ構築した物だ。
内観を発達させ、
血管や神経一本一本を細かく把握して……。
しかし、肋骨すら動かせないとなると、
そもそも息を吸うために胸を膨らませることすらできない。
水中でもリミナルダンジョン内の酸素で
呼吸に不自由しなかったのが、
今、完全に不可能になった。
機動飛行船がサーチライトも煌々とつけ、
限界まで駆動しているであろうエンジンの甲高い音を響かせて、
ザドワンの直上まできた。
緑の光が動く。
照射するための、
アーティファクト本体を納めた投光器が自動で動き、
それに沿ってザドワンが動く。
緑の光でまず捉え、
重力操作で宙に浮かせる。
アーテファクト同士の連携だった。
『さあ、ザドワン。年貢の納め時だ!』
ロドヴィコの声だった。
ザドワンは動けぬままに、
声も発せぬままに、悔しそうにたった一個の目を血走らせた。
ザドワンは、発射される。
『承受之軽』の操作で浮かされた体は、
『重力法則』の反重力で飛ばされて、
そのままの勢いで大時計塔にぶつかる。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
かかった圧力が、増していく。
大時計塔は破壊不能物体。
押し付ければ押し付けるほど、
ザドワンの体だけが潰れていく。
『ガガッ……さあ! つぶれよ! ザドワン!!』
「グアアアアアアアア!!」
その体は、リミナルダンジョンの内圧で拮抗しようとする。
しかし、ザドワンの体の、
リミナルダンジョンに「しまって」いない部分。
皮膚、骨格、筋肉、神経……。
そういったものは身体強化の魔法の効果を受けやすく、
覚醒したザドワンのそれはほぼ破壊不可能に近い。
先ほどレカが手首を外したのは、
彼女のタティオン譲りの人体構造理解によるものだ。
彼女でも、関節を外すことはできても、
二度と使い物にならないように破壊することはできない。
しかし……。
通常の重力の数兆倍まで再現可能な
『重力法則』が、
その実力の底を見せた。
ザドワンの全身の骨が、
ミシミシと悲鳴を上げ始めた。
「グガガガあああ!!」
たまらず叫び声を上げるザドワン。
通常では考えられない力で押さえつけられている大時計塔は、
全く微動だにしない。
古来より、この正体不明の構造物は、
初期の魔法科学ギルドと分かれる前の、
土着の有力者中心の冒険者ギルドに管理されていた。
彼らの数百年の試行錯誤によってすら、
これは破壊されることがなかったのだ。
いまさらちょっと強い力がかかった程度で、
どうにかなるわけもなかった。
なかったの……だが……。
ザドワンの体から漏れる赤いオーラは、
重力には全く関係がないようで、
ゆらゆら蠢いていたが、
それが、突然勢いを増した。
それを見て驚いたのは、
操縦室で計器類を見ていたミルエラである。
焦ってロドヴィコに報告する。
「現実強度、極低下!! 現実改変成立!! ドゥーム級アーティファクト『大時計塔』、異常反応!!」
「まずいぞ!」
有史以来、数えるほどしか反応を見せなかった
大時計塔が光り始めた。
それは紫と、赤と、緑と、青と……。
たくさんの光の煙が絡み合ったような、
不思議な光景だった。
河べりに避難していた人には、
丘の上に、はっきり見えた。
大時計塔が、七色に炎上しているのが。
この街は、もう終わり。
そんな認識が、避難した人たちに広がる。
ガックリと膝を折り、
項垂れる人々が、大半だった。
機動飛行船の高度を維持し、
『重力法則でザドワンを
抑えながら、ロドヴィコは対応を思案する。
とにかく、極めて危険な結節点であるザドワンと
大時計塔を接触させるのは軽率だったと後悔した。
「ぬうっ!! ……だが、ひとまずここは成り行きに任せるしかない……。ヨトゴォルが満足すれば……再びザドワンが取り込まれるだけで終わるだろう」
ミルエラが不安そうに、
「しかし、状況をアンコントローラブルなままには……」
と主張する。
ロドヴィコはそれを手のひらを向けて制止して、言った。
「待て、聞こえないか……? ヨトゴォルの、呼び声が……。我々の存在の結接点で聞き取るのではない。ほら、アーティファクト監視用の計器の反応で見てみろ……」
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「ッチ、シャルのやつ、どこへ行きやがった!」
レカは、坂になっている大時計塔への道は登らず、
体液の名残のあとと臭いだけを頼りに、
追跡している。
シャルトリューズも、
先ほどまで暴れに暴れていた触手だらけの敵も、
どちらもいない。
しかしこうして、痕跡だけは追うことができる。
(シャルのやつ、自分と同じ臭いとか言ってたな)
レカは触手族の体液の匂いを嗅ぎ分けた経験などないが、
ぷんぷん臭う媚薬粘液のにおいは、
言われてみれば確かにそうそう違わないような。
遠くに人の喧騒が聞こえる。
市民たちが、暴動を始めたのかもしれない。
無理もない。
みんなここまで酷い目にあったのだから。
(街の……再建ってレベルになるな。あーしはまだ気楽だぜ。街にこれから降りかかる過酷な運命を、それがじっさいどれだけ辛いか、全然予測できてねーんだから)
粘液のあとは、
ある路地に続いていた。
そこへと入っていくレカ。
果たして、奥に、
シャルトリューズはいた。
例の敵を、抱きしめながら。
「あ……レカちゃ……」
見ると、
今まで圧倒的な強さを見せていた、
触手のバケモノでしかなかったその存在は、
触手がほとんど抜け落ちて、
あたりに散らばっていて……。
その中心の、痩せこけた少女の姿が顕になっていた、
焦茶の髪に、空っぽの眼下、
乾いた唇に、服も着ていない身体は、
まだ肌寒い外気からシャルトリューズの触手で温められていた。
ひび割れた唇が動く。
「おっかあ、だよ……」
母親……?
レカにはそう聞こえた。
シャルトリューズは、
優しく少女を抱きしめた。
「えへへ……ね、ね……レカちゃ……なんだろう……ね……この子……」
「何してんだよオメー。今し方まであーしらを殺そうとしてきたやつを……」
レカは少女の姿になったそれを抱きしめるシャルトリューズに近寄る。
そして少女の額に手を当て、体温を確かめたり、
枯れ木のように細い手首で脈を測ったり……。
「状態としちゃあ、極度の栄養不足の……貧民街の孤児に似てるな」
よくわからない。
今まで元気いっぱいにとんでもない速度で飛び回っていた相手が?
シャルトリューズが言う。
「なんか、ね……? ウチの匂いが……気になったらしくて……ほんと……よくわかんない……んだけど……この触手……ぜったい……ウチの体から……生えた……やつで……」
「どういうことだ?」
ゴーン、ゴーン。
その時、大時計塔の鐘の音が聞こえた。
これにはレカもシャルトリューズも驚いた。
街の住人もみんなそうだったはずだ。
「なっ!? この時間に!? もう深夜だぞ! どういうことだ……?」
大時計塔の鐘の音は、
朝六時と夜六時の一日二回だけ。
その絶対のリズムに従って、
街は生きてきたのだ。
レカもシャルトリューズも、
たかが鐘だが、あまりの事態に硬直してしまう。
痩せこけた少女が、
シャルトリューズの触手を振り解いて立ち上がった。
再びその体を、グチュグチュと皮膚から生えてきた触手が覆う。
「うっ! テメエ、まだ動くか……」
レカが戦闘体勢を取るが、
少女は優しくレカを職種で包む。
「なっ!? はなせ……っ!」
レカは確かに、シャルトリューズと同じ匂いを感じた。
少女の口が動いた。
「ヨトゴォルさぁが……呼んでるだぁよ」
「何を言っ……なっ、うおおっ!?」
その触手の包み方は、
驚くほど優しかった。
……まるで姉妹を扱うような。
レカは抵抗する間も無く、
その名もまだ知らぬ、
ゼゴによって捕まれたまま、
路地を跳ね回るようにして上空まで連れて行かれ、
屋根を飛び越え、
空中を連行される。
レカは必死に抵抗しようとするが、
粘液と触手で包まれ、
ぬるぬるとつまみどころがなく、脱出できない、
相手の本体の体も、
浮かんだ肋骨の内側に、
あまりに弱々しい心臓の鼓動を感じ、
流石に……哀れみ?
そんな感情が湧き起こる。
なぜか、敵意を感じない。
(いったいどういう……)
やがて、坂を登り切り、大時計塔に到達する。
さほど離れていなかったからすぐだ。
近くに、サーチライトで目立つ機動飛行船が浮かんでいた。
(テル……)
それがレカの目に入り、
彼女はつい、幼馴染みの顔を思い浮かべた。
ゼゴは、レカを触手で抱きしめたまま、
大時計塔のどてっ腹に開いた新しいポータルから、
リミナルダンジョンへ入って行った。
そこからは七色のオーラが吹き出し……。
幻想的な色合いで魔光灯が消えた街を照らしている。
鐘だけが不気味に鳴り続けていた。
ゴーン、ゴーン……。




