幕間 タンザの日記
今日は薄暗かった。魔光灯はまた点けられなかった。俺の部屋は長屋の真ん中で、他の建物のせいで全然光が入ってこない。冬の今の時期だけ、すごく傾いた夕日が少しだけ入ってくる。でもそのことはあまり好きじゃない。赤い光でぼんやり明るくなった部屋の中を見ると、暗い気持ちになる。床はひびだらけで危ないし、天井からの雨漏りは止まらない。壁には気持ち悪い青黒いカビが生えてる。
俺の住んでる長屋は貧民街にある。ここはギルドの人たちにも見捨てられているみたいで、屋根が壊れそうになると、大きな石を乗せてごまかしてる。でも俺だけじゃない。この辺はみんな同じような家に住んでるんだ。家の中はいつも湿っぽい。空気がじっとりしてて、毛皮がべたつくし、干し草の敷物からは変な臭いがする。俺はあまり気にしないけど、キナは時々嫌そうな顔をする。エルフは本来はきれいずきなんだって、娼館の人が教えてくれた。玄関はない。家に入るとすぐ廊下だ。床がぼこぼこで、裸足で歩くと痛い。壁は手垢で黒く汚れている。獣人の俺でもちょっと汚いと思う。台所みたいな場所には、汚れた鍋がたくさんある。腐った野菜や獣肉の臭いが混ざって気持ち悪い。魔導結晶がひとつあるけど、小さすぎてあんまり役に立たない。包丁もまな板も、油でねっとりしている。一番嫌なのは便所だ。長屋の裏にある石の板で囲まれた穴で、たくさんの家族が使うから臭いがひどい。特に夏は耐えられない。夜になって布団に入るけど、いつもなかなか寝付けない。隣からは咳や泣き声がするし、魔法ネズミや小さな魔物が走り回る音が聞こえる。でも俺にはこれが家だ。ただ、生きるための場所。傭兵になったらもっといい場所に住めるかと思ったけど、闘技場であんなことがあったからね。もう無理そうだ。希望はあんまりないけど、時々レカ姉ちゃんが来てくれると、それだけで少し嬉しい。
最近の話題は明かりだ。長屋の古株の人が魔導線を引いてくれてるんだけど、何せ貧民街のは違法だから。忘れたころにへんなタイミングで切れちゃう。ランプの代わりの魔導結晶は消耗品なんだけど、川向こうの工房でしか作ってない、この街の特産品。そうそう毎回は手に入らないし、手に入ってもほとんど寿命は残ってない。一晩中明かりがないのもしょっちゅうだ。ランプの油の方が手に入りにくいしね。今日もキナは明かりがないのを怖がった。
「タンザにいちゃん、また明かりが消えちゃった」
って、俺の毛皮にしがみついて震えてる。
「大丈夫だよ。明日また拾ってくるから」
って言ったけど、本当は自信がない。最近は冒険者ギルドの警官に追い払われることが多いんだ。キナはまだ9歳。俺より三つ下だけど、俺たちは家族みたいに一緒に住んでる。去年、キナのお母さんが病気で死んでからずっと一緒だ。最初は俺の獣人の姿を怖がってたけど、今じゃ「私の毛布」だって言って離れない。
「今日は何か食べ物、ある?」
ってキナが聞く。
「ミーチャさんのパン屋の余りをもらってきたよ」
って言ったら、キナは嬉しそうに笑った。パン屋のおばさんは優しくて、いつも余ったパンをくれるんだ。二人でパンを食べてたら、キナが新しい服を見せてくれた。リリアさんがくれたって嬉しそうに言ってた。どう見ても古着だけど、キナには新品みたいに見えるらしい。
「似合ってるよ」
って言ったら、キナはちょっと恥ずかしそうに笑った。寝る時は、二人で一枚の布団を使う。冬は寒いからキナが俺にくっついて寝るんだ。今日は寝る前にキナが、
「明日、救貧院で読み書きを教えてもらうの。一緒に行こう?」
って言ってきた。本当は読み書きができても何も変わらない気がするけど、キナの夢を壊したくなくて、「いいよ」って答えた。
読み書き。読み書きか。人間なら書記になれるかもしれない。でも獣人やエルフはダメだ。俺だって、こうして日記を書けるくらいしか役に立ってない。テルさんには、すごくよく書けてるって、褒めてもらえるけど……。
眠る前、キナはいつも小さな声でエルフの歌を歌う。部屋が少しだけ優しい場所になる気がする。
「いつかここから出られるかな…」
って眠そうに呟いた。
「きっとね」
って答えたけど、本当はわからない。でも、キナが寝たあと、大時計塔の光を見ながら少しだけ夢を見た。明日も頑張ろう。キナが一緒なら、ここもちょっとだけ家だって思えるから。




