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マリオネットとスティレット  作者: 北條カズマレ
第三章 闘技場反乱事件
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第二十二話 反乱の狼煙

 レカが控室から出てアリーナへ上がる頃、全く逆の通路では、テルがとぼとぼ歩いていた。レカとは別の方向へと連れて行かれることになってから、テルは心臓がどくどくなっているのを感じていた。手が汗ばむ。庶民が手に入れられない高価な素材のシャツの、胸元のところをぎゅっと掴む。そうやって手のひらを拭う。テルは深呼吸をした。指先が震えているのを感じる。普段なら決して選ばないような道を、今、彼は自分の意志で進もうとしていた。魔光灯の青白い光が不規則に明滅し、影が歪んで見える。ポケットの中の銃が歩くたびに肋骨にあたり、その決意の重みを思い出させる。

(レカ……)

 テルはその名を心の中で呼ぶが、もちろん答えはない。前は、一人アトリエで絵を描いている時でも、繋がりを感じられた。しかし今こうして逆の方向へ進むことで、つながりはいよいよ引きちぎられそうに感じていた。レカが進んだのがアリーナへ向かう登っていく道なら、テルが進むのは闘技場の敷地外へ向かう外へ出る道だ。

(アイロニカルだね……)

 運命そのものに嘲笑われている気がする。だからこそ、テルは決意したのだ……。

 テルは松明に照らされた地下通路を観察しながら歩く。

(闘技場の地下にここまでの施設があったなんて……)

 彼とて絵描きの端くれ、建築に関しても学院で学ぶ以上のことを屋敷の書斎で学んでいる。この地下の迷宮のような通路、そして先ほどの広大な空間の一部でしかないジャドワの酒場は、およそ彼が知っている貧民街の構造ではなかった。

(傭兵ギルドが掘り進めたものなのか?) 

 その事実は、彼らの隠された意図を……つまりこの街の他のギルドに把握されない資本投資を意味している。もし貴族たちの評議会にバレれば、即座に問題になるだろう。

(これを僕に見せていいっていうのか?)

 それがテルには解せない。おそらく、獣人傭兵部隊以外に知られるべきではない情報を……。

 前後には獣人の傭兵がぴったりくっついていて、前へ進む以外の行動を許してはくれない。やがて暗い前方から、ザッザと重々しい足音が響いてくる。獣人たちの整列した歩みの音。テルはすれ違う時に彼らの顔をチラッと確認する。肉食獣型の獣人傭兵。戦場で何人殺しているかわからない連中。しかしその歩みは完璧な訓練がなされていることを示している。傭兵としては一級品。ジャドワの軍律一新の成果だ。小柄なテルと比べると、彼らはまるで猛獣そのもの。彼はごくりと唾を飲み込み、それ以上目を向けないように下を向いて歩く。揃った足取りのブーツだけが映る。だがテルには、その規則正しさの中に、どこか不吉な意図が潜んでいるように思えた。テルは再び顔をあげる。周囲を確認し、額の汗を拭おうとした手が宙で止まる。松明に照らされた通路の向こうで、鉄格子が軋むような音を立てた。

(なにか……大変なことが起きそうな……) 

 銃を内ポケットに隠したまま、テルは獣人の警備に従うふりをして歩く。前と後ろを一人ずつに挟まれ、整然と外へと誘導されていく。今しがたすれ違った傭兵たち……その列は不自然なほど秩序だっていた。数も闘技場の警備には似つかわしくない。明らかに高揚と緊張が漂っていた。まるで嵐の前の静けさのように。

(絶対に何かある、レカ……っ!)

「あ」

 テルは立ち止まった。後ろにくっついていた警備が軽くぶつかり、テルは転びそうになる。体重が全く比較にならないのだ。

「おっと、どうした!? 気をつけろ!」

 乱暴に肩を掴まれた。強い力だった。力ずくでの抵抗は一切できそうにない。テルは首だけで無造作に振り返る。背後の獣人傭兵は灰色の毛皮に覆われた大柄な男で、傭兵用の真っ赤な布地の服を着ている。その瞳には人を睨みつけることに慣れた鋭さがあった。しかしその奥には、どこか深い疲れも潜んでいる。

「なんだ? どうした?」

 前を行く警備の獣人が気づいて振り返る。テルは両者をキョロキョロ見比べながら、申し訳なさそうな声色で言った。

「あの、ちょ、ちょっと待ってください。メモしたいことがあって……」

 そう言いながら、テルはコートの内側から折りたたんだ画用紙を取り出した。内ポケットの銃が、その動作で僅かに体に触れる。冷たい感触が、彼の決意を確かなものにした。

「はぁ?」

「ちっ」 

 獣人二人が舌打ちする。その声には、表向きの軽蔑と、その下に潜む複雑な感情が混ざっていた。彼らとて緊張しているのだ。ジャドワであれば一切気にしないだろうが、テルとてこの街の支配階級の一人。まだまだ10代とはいえ、ほかの人間のように無碍に扱っていいわけではない……貧民街の本当に何もわからない無教養なものたちと違って、傭兵ギルドの秩序の中にいる限り、そういう感覚が染み付いていた。

 二人はテルの金髪の頭越しにめんどくさそうに視線をやりとりする。一人が眉を顰めながらきく。

「なんなんだ、何を書いてる? 早くしろ。面倒な貴族様だな。お前らは時間が有り余ってるかもしれんが、俺たちは……」 

 その言葉を最後まで聞かずに、テルは床にかがみ込んだ。

「お、おい! そんなことしてる場合じゃ……」

 しかし止められるわけでもない。逃げるでもなくむしろ座り込む……。テルは目をやらずとも、明らかに、ふたりが困惑しているのが分かった。メモ帳にはさんで折り畳んでいた画用紙をできるだけ平らな石組みの床の上に広げる。そして、貴族の子息らしからぬ、まるで工房の徒弟のような素早い手つきで線を引き始める。木炭が石の床をこする音が、通路に響く。かりかりシャッシャという、その音だけが、不自然な静けさの中で存在を主張していた。

「なにを……」

 獣人が身を屈めて覗き込む。その瞬間、テルの手が滑るように動いた。紙の上に浮かび上がったのは、肖像画だった。まさしく覗き込んだ獣人の、生き生きしたスケッチ。描かれているのは、剣呑な表情の奥に潜む郷愁、毛皮の下の疲れた筋肉、そして何より、瞳の奥に秘められた諦めにも似た温かみ。それらが、わずかな数の線によって捉えられていた。

「こ、これは……」

「す、すげえじゃねえか!」

 獣人の声が震える。二人ともしゃがみ込んでテルの肩越しに画用紙を覗き込み、肩の力が抜け、睨みつけるような目つきが消えた。代わりに浮かんだのは、子供のような素直な驚きの表情。テルは手を止めることなく、晩餐会で挨拶をする時の笑顔を浮かべた。

「ええ。警備ご苦労様です。私、絵を描くのが好きで……獣人のかっこいい男性って、見るのが初めてだったので……」 

 テルは静かに語りかける。笑顔は作っていたが、いつもの社交的な表現とは違う、心からの共感を込めた言葉が出てきた。

「この街のみんなの表情を観察していると、誰もが何かを背負って生きているのがわかるんです。あなたの目は……何か悲しいものを見てきた人の目をしていますね。でも、その中にある優しさも」

 獣人傭兵は、詐欺師まがいの商人が天秤を扱う時に、イカサマをしていないかじーっと見定める時の目でテルを見た。木炭がサッサっと仕上げのために全体の陰影を描き出すと、テルは立ち上がり、画用紙を差し出す。

「差し上げます。ご家族に見せてあげてください。きっと、喜んでくれると思います」

「い、いや、俺に家族なんて……」

「受け取っておけよ、すげえもんだぞ。値段がつくかもしれねえ」

 銭勘定にうるさい傭兵らしく、二人は犬の鼻を突き合わせて絵を見定める。

「おい、坊主、おめえ、貴族なのにこんな……あっ!」

 そこには例の小柄な少年の姿はどこにもなかった。


「はあ、はあ、はあ」

 迷路のような通路を駆け抜けながら、テルは自分でも信じられない冷静さで状況を把握していた。普段の自分なら、こんな危険な真似はしない。しかし今は違う。レカの顔が、心の中で浮かんでは消える。

(父さん、危険なことをしてるけど、申し訳ありません。でも、でもレカのことを放っておけないんだ! そしてこの雰囲気……きっと……何か、ひどいことが起ころうとしているんです)

「あっ!」

 テルは転びそうになって壁に手をつく。石の角が掌を切り、温かい血が滲む。しかし止まるわけにはいかない。父の書斎で見た図面を思い出しながら、闘技場の構造を頭の中で組み立てていく。

「あいつのにおいが強くなったぞ!」

 追手の声が近づく。テルは咄嗟に壁の松明を床に投げ、煙を立てる。鼻や目の粘膜にツーンとくる煙は、少しは追っ手を遅らせるだろうとの判断だった。獣人の嗅覚を惑わすには煙しかない。学院での化学の講義で習った知識が、今ここで命綱になるとは。

 またテルは走った。闇雲ではなかった。闘技場の上部構造と、これまで見た内部構造から、ある程度通路の全体像が予想できた。要所要所で通路の松明をいくつか乱暴に落とし、煙を上げる。落とした後、分岐に戻って別な道を選ぶ撹乱もした。

 やがて、それらの小細工が身を結んだ。階段を登り切ると、パッと視界が開け、闘技場を照らす魔光灯が目に入った。

「レカ!」

「ウォワアアアアアアアア!」

 その声は何千という獣人たちの声でかき消えた。出てきた通路からできるだけ距離を取り、テルは観客席の下で息を潜めた。間一髪、さっき似顔絵を描いてあげた獣人傭兵たちが、上部の観客席、反対の外周へ向かっていった。

(ふう……鼻をくらます松明の小細工、意味あったか……)

 しかしほっとしてもいられない。観客席の下の通路は、誰にも気づかれない代わりに、アリーナの状況を確認することすらできない。テルは観客席とアリーナの間にある、次の試合の準備や資材のための、一段低くなった場所にいるのだ。誰からも気づかれない位置に出られたのはラッキーだったが、このままでは何もできない。

「くっ、レカ!」

 だが、その位置だからこそ気づくことができた。観客席からも貴賓席からも、そしてアリーナの上に人間からも見えないその場所で、何が起こるのか……。その時、周囲で何かが動く気配がした。いや、地面がゴトゴトと揺れるのを感じたのだ。振り返ると、戦闘服ではなく、上半身裸の格好の獣人たちが、布に覆われた何かを運び込んでいる。それは荷車のようにも見えたが……角が目立つ牛の獣人が6人がかりで推しているのだからそれよりずっと重いはずだ。テルは息を呑んだ。

(まさか、あれは……! なぜあんなものがこの闘技場に? いや、街中に!?)

 獣人たちの動きは手慣れていた。まるで何度も訓練したかのように、素早く器具を据え付けていく。

「昇降機! 上げ!」

 ジャドワの声だった。テルはいそいで周囲を見渡すと、梯子を見つけて取りついた。木製のそれを上がっていくと、観客席の間の通路に出た。

「人間……?」

「まだ残っていたのか?」

 困惑する観客席の獣人には目もくれず、テルは振り返った。アリーナには、ガズボと、いつもの暗殺ギルドの仕事用のボディスーツを身につけたレカが……。

「レカ! 大砲だあああ!!」

 テルの叫びは、果たしてレカに届いたのだろうか。


「さよなら、パパ」

 だれにも聞こえないジャドワの囁きは、かすかに微笑を帯びていた。


 ズドォォン——


 轟音が響き渡り、アリーナを斜めに突き上げる砲弾が巻き起こす砂煙が、テルの目を覆い隠した。

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