1 地獄突き異嬢様~時国院月乃~
蒸し暑い夏の夜。
そんな気候とは正反対に、さわやかに着飾った若い男女がパーティ会場に集まっている。
今宵、兼持財閥の次期後継者である兼持金馬邸で開かれたパーティーは、普段とは雰囲気が違っていた。
いつもは社交辞令と主催者である金馬へのご機嫌取りに忙しい参加者たちも、今回だけはおしゃべりもほどほどに、壇上に立つ2人の様子をうかがっている。
壇上に立つのは、1人はこの館の主人である兼持金馬。もう1人は、彼の婚約者である時国院月乃だ。
月乃は美しい長髪をさらりとなびかせる。
参加者たちは思わず見とれてしまう。ただ、彼女には猛毒の棘が生えているのだ。
「今夜はパーティーにお招きありがとうございます。金馬さん」
月乃はドレスのスカートの両端をつまんで、カーテシーのあいさつをする。
「礼には及ばないよ、時国院さん」金馬は答えた。
「あら名字呼び?そんなよそよそしくしないで頂きたいわ。私と貴方は婚約者同士であるのは、周知のことじゃありませんか?」
それまでポーカーフェイスを保っていた金馬の表情は、はっきりと月乃をにらみつける。
「この雌豚っ!ぬけぬけとっ!
貴様は私とだけでなく、池輝子爵や参謀総長の息子、それだけではなく敵対している財閥の男とも付き合っているそうではないか!
不義の極み、許せんぞ!」
壇上に、SPたちがあがってくる。
彼らは全員、金馬の部下だ。SPたちは、月乃のまわりを取り囲む。
「よくやった、お前たち。セバス、レフリーをはやく呼び出せ」
この国では、重要な契約を破棄する際、レフリーと呼ばれる第三者の証人に立ち会ってもらう必要がある。
過去に文書の偽造があいついだため、レフリーの確認した口頭での通告のみが法的拘束力を持つ。
さしもの時国院月乃でも、屈強なSPに囲まれては、身動きがとれない。
レフリーがやってきて、金馬に月乃の目の前で通告するように伝える。
SPをはさんで、月乃と金馬は2メートルほど離れて向かい合う。
不義が明らかになったとはいえ、貴族の女性である。SPは周囲をとりかこむだけで拘束はしていない。
「貴女の不義によって信頼関係が崩れたことにより、わたし兼持金馬は、時国院月乃に対し……」金馬は婚約破棄の通告を読み上げていく。
金馬の視線が月乃から文書にうつった瞬間、月乃は左足を大きく踏み込み、彼との距離を縮める。
通告の際は、両者が向き合う必要があるため、真正面だけはSPはおらず、がら空きだ。
風よりはやい彼女の動きに、誰もが置いていかれる。
ただ、平均以上の体躯を持つ金馬に対し、月乃は華奢なお嬢様。パーティー会場では手荷物検査もあるため、武器は持っていない。
金馬の宣言をとめることは難しい。
「キエエエエエエ!!!」
月乃は、右手の指先をまっすぐ伸ばし、貫手をつくる。
目指すは、金馬ののどぼとけ。
無防備なのどぼとけに、月乃の地獄突きが入った。
「グエエエエ!!ゴホッ……ゴホッ……」
金馬は両手でのどぼとけをおさえて、床をのたうちまわる。
「通告者KOにより、婚約破棄不成立!」レフリーは月乃の右腕をあげて、宣言する。
この瞬間、金馬と月乃の婚約は法的に再確認されてしまった。
金馬は、口内に鉄の味が充満していくなか、意識を失った。
参加者たちの帰ったパーティー会場では、丸テーブルのひとつに、主治医に治療を受ける金馬と、彼の友人たちが座っている。
「勝負を焦ったな、金馬……」貴族風の格好をした友人の1人は言った。空調を効かせても蒸し暑さは残るほどなのに、彼は季節外れのマフラーをしている。
「池輝子爵、貴公はあの雌豚に不義をされて悔しくはないのか……」金馬は、のどぼとけをつぶされて、ガラガラ声で言った。
「悔しいさ。ただ私も命が惜しいのでな……」
子爵はマフラーを外す。彼ののどぼとけには彼の貴公子然とした容貌に似合わない、歴戦の武将のようなえぐり取られた傷あとがある。
「子爵……あなたも」
金馬は池輝子爵に、愚かなことを質問してしまったと後悔する。
テーブルの上に残っている炭酸水のボトルをあけて、そのまま飲む。戦いで乾いた身体を潤す前に、のどに激痛がはしる。
そんな痛みはどうでもよかった。彼女の地獄突きに比べれば、我慢できる。
やぶれかぶれになって炭酸水をあおる金馬を見ながら、子爵は彼をなぐさめるようにつぶやいた。
「彼女に婚約破棄を伝えようとする人間は、地獄突きのえじきだ。
しかし、あの強さはどこからきたのか……」
時国院月乃はもともと、裕福な貴族の生まれであった。
事業に成功し、勢いのあった時国院家は、名門貴族である池輝子爵家と政略結婚を行うことになった。
その時、池輝子爵の結婚相手として時国院家から選ばれたのは、長女の月乃である。まだ彼女は幼かったため、成人してから正式に結婚することになった。
それから歳月がたった。
月乃が20歳を迎えるひと月前、つまり婚約のひと月前に、事件は起こった。
「セバス、お父様とお母様はどこにいったのです?屋敷中さがしてもいないのです」月乃は言った。
「お嬢様、大変申し上げにくいのですが……ご当主様は昨日、全財産を賭けたドッチボールで負けてしまい、自国院家は破産いたしました」
「そんな……小学生向けの漫画みたいな展開」
「破産したのをお嬢様に知られるまいと、ご当主様と奥様は、ヒヨコのオスメス分けバイトに参加され、凶暴化したヒヨコに殺されてしまいました」
「ヒヨコに!?
そんな、どうすればいいの。時国院家が没落したと池輝様に知られたら、来月のパーティーで、婚約破棄されてしまいますわ。
婚約破棄さえ中止できれば、婚約者が困っているとゆすって、生活費くらいは池輝様から搾取できますのに。
セバス、なんとかなりませんの?」
「(心よごれてる……)あと1月で、破産した時国院家を立て直すなど無理です。なんともなりませんな」
セバスはあっさりと言った。早期退職も考えていた彼にとっては、時国院家の没落などはどうでもいい。
退職金をもらって、キャンピングカーでも買おうかなと考える。
「帳簿を確認してみると、予想以上に借金が多いです。このままじゃ、セバスの退職金もありませんわね」
「このクソガキっ!!ワシのライフプランがっ……
(私の年金支給期間開始まで、あと3年あります。そのぐらいは耐えられる手段を教えましょう)」
「セバス、思考と発言が逆になってますわよ」
「ここからずっと東にあるという、ファンタジー小説の中盤に突然出てくる東洋風国家に、私の知り合いがいます。話をつけておきます」
「怒られるわよ、セバス」
そうして、自国院月乃は、ファンタジー小説の中盤に突然出てくる東洋風国家に飛んだ。普通に国際線が出ていたのだ。
そこで1月の厳しい修行を終え帰国した月乃は、パーティーに参加する。
先輩異嬢様(談)
ここで逃げずにパーティーに参加した月乃を私は評価したい。
私も婚約破棄を告げられるのがわかって、パーティーに参加したことがあるが、それはもう辛かった。
お父様にも怒られるし、お家も追放されるし。これはこたえた。
異嬢様をしている限り、婚約破棄はつきものだ。チート持ちの異嬢様でも婚約破棄パーティーは避けられないのだから。
でも問題はそのあと、パーティーでどう立ち回るかだ。
その点、月乃は偉かった!
パーティー会場には、大勢の参加者が集まっている。
時国院家没落のうわさを聞いて、婚約破棄が行われるのではないかと皆、ソワソワしている。
「なんだ、この騒ぎは?
いつものとおり定例のパーティーを行うだけだぞ」
会場にやってきた池輝子爵は言った。
「婚約破棄を行うというのに、いつものとおりなのですか?
時国院家破産の正式発表はまだアナウンスされていません。いささか急ぎすぎではありませんか?」1人の参加者は言った。
「私の前で、真実を隠せると君は思っているのか?せっかくだ、実演してあげよう」
池輝子爵は指先から炎を出して、その参加者に向けて放つ。
「ぎゃ……服がっ」
彼の服だけが燃える。彼は素っ裸になった。
「すさまじい火炎魔法の威力だっ!」ある参加者は言った。
「それだけじゃない。服だけを焼くコントロールもだ」別の参加者は言った。
「そこのメイド。彼に替えの服を用意するように。
ふふふ……この焼けた服が、時国院月乃の運命さ。パーティー参加者諸君、婚約破棄の時間を楽しみにしていたまえ」
池輝子爵はそう言って立ち去った。
パーティーでは社交辞令が飛び交う。けれど、みな、うわの空だ。
いつもパーティーの最後におこなわれる池輝子爵のスピーチ。
きっとそこで婚約破棄が行われるはずだから。
壇上に登ってマイクを手にする池輝子爵。
「本日は、パーティーに参加してくれてありがとう。みなと楽しいひと時を過ごすことができた。
ただ最後に残念なお知らせがある。私の婚約者である時国院月乃は、時国院家が破産したことを隠蔽し続けている。これは貴族にあるまじき卑怯な行いだ。
そのため、私は彼女に対し、婚約破棄を行いたいと思う。
レフリー、来てくだい!」
壇上にレフリーと月乃は登った。
月乃と池輝子爵は向かい合う。その間にレフリーが立つ。
「池輝子爵が通告文書を読み終えた瞬間、婚約破棄が成立します。OK?」レフリーは言った。
「承知しましたわよ」月乃は答える。
「余裕だな、月乃。だが、その余裕もこれまでだ」
池輝子爵は、火炎魔法を発動し、子爵と月乃の間に炎の壁をつくりだす。
「反則じゃなくて?」
「ルールブックには、通告の最中に魔法をつかってはいけないとはありません」レフリーは答える。
月乃は炎の壁に向けてハンカチを投げる。
ハンカチは一瞬で燃えてしまった。
「この炎の内部は、1000度にも達する。貴女がいくら鍛えようともこの壁は突破できない」
池輝子爵は婚約破棄の文書を読み上げていく。
月乃は、苦しい修行の日々を思い出す。
「炎の熱が伝わるよりはやく、貫手を繰り出す!スピードが命」
覚悟を決め、右手の指先を伸ばし、貫手のかたちにする。
「キエエエエエ!!!」月乃は叫んだ。
炎の壁の向こう側でゆらめく、池輝子爵ののどぼとけ目掛け、貫手を繰り出す。
「婚約をはっ、うっウギャアアア……」
炎のなかから突然現れた貫手に、のどをつらぬかれた池輝子爵。血へどをはき、唸り声しかだすことができない。
婚約破棄の文章のつづきを読もうとしても、口から出てくるのは言葉ではなく血だ。
「婚約破棄、不成立!婚約継続につき、結婚支度金の給付義務継続!」レフリーは宣言した。
「これが貫手……お嬢様、いや、異嬢様の必須スキル……」
指先にべっとりついた池輝子爵の血、高速で炎の壁を出し入れしたため服すら燃えていない右腕をしげしげと月乃は眺める。
あまりにもあっさりと倒せてしまったことに、月乃は貫手の威力にただ関心するばかりであった。
話は現在に戻る。
自国院家の屋敷につづく国道を一台のセダンが駆け抜けていく。
「今日、兼持金馬をKOしたことで、13人との婚約を維持。徴収した今月の結婚支度金は3億2千万円です」
ハンドルを握るセバスは言った。
「弟たちとお父様の残した部下を食べさせていくためには、もっと稼がないといけませんわね」
「私のお賃金もお忘れなく」
「分かっていますわよ。
ただ本当に分かっていないといけないのは、異嬢様には強さ、逆境でも運命にたてつく優雅さが必要ってことかしらね?」
後部座席のガラスにうつる夜景を見ながら、月乃は言った。
これからも彼女の地獄突きは、あらゆる婚約破棄の場で見られるのだろう。