前編
厄災の魔物の封印を解いた隣国の話がメインになります。恋愛色は薄め。語り手は、ルナではありません。途中で、三人称みたいな形になっています。多くの感想・オススメレビューをありがとうございました。この話が書けたのは、読んでくださった方々のおかげです。
私、サニーが住んでいる村には小さな学校がある。
前までは教会の外で授業をしていたけど、子供が増えたから、学校が建てられたそうだ。
教師は一人しかいない。
文字と、お金の計算と、国の歴史を教えるだけの授業だったけど、小さな村で暮らすには十分な知識だ。
今は、国の歴史の授業をしている。
棒きれみたいなガリガリの先生は、穏やかな声で私たちに話し出した。
「今日は、十二年前に消滅した厄災の魔物の話をしましょうか。厄災の魔物は二百年以上前に現れたと言われていますが、そもそも、魔物はどうして現れたのでしょうか? 知っている人はいますか?」
「しらなーい」
小さな子が声をだす。
他の生徒たちもそろって首を横にふっている。
先生はその様子を眺めると、指を一本立ててにこりと笑った。
「実は分かっていないのです」
「えー」
生徒たちが、その答えはないと、不満の声を出した。
がっかりする声を聞きながら先生は、はははと声を出して笑う。
「歴史を振り返ると、魔物は世界中で確認されています。しかし、なぜ存在するのかまでは、分かっていません。今も学者が研究を続けていますが、一説によると人間だったのではないかと言われています」
シン、と教室が静まり返った。
先生はにこやかに話を続ける。
「魔力が暴走して、体を変形させてしまったと言われています」
「えっ……じゃあ、ぼくたちも魔物になっちゃうの?」
男の子が不安そうな顔をした。
彼の隣に座っていた女の子がすぐに否定した。
「わたしたちは魔力がほとんどないじゃない。ウィズ様じゃないんだからー」
「そっかあ」
ほっとする声を聞いて、先生が目を細める。
「アンさんは、魔力のことをよく知っていますね」
褒められた女の子は、得意げに背筋を伸ばした。
「アンさんの言うとおり、魔力というものは、生まれたときに個人差があるものです。練習をたくさんすれば、伸ばせるものですが、それも頑張り次第になりますね。さて、魔物の話に戻しましょう」
先生は、生徒たち一人一人の顔をじっくり眺めた。
「魔力の暴走で、あのような恐ろしい魔物が生まれたというなら、きっかけは何だったと思いますか? 魔力はコントロールできるものと言われています。
なぜ、暴走してしまったのでしょう?」
先生の問いかけに、私は声を出そうとした。
でも、口をつぐんだ。
私の知っていることは、きっと今は言っちゃいけないことだから。
まごまごしているうちに、他の子が答えを言った。
「きっと、おなかがすいたのよー」
「ちょー、ムカつくことがあったんだよ!」
「えー、そんなことで魔物になるの? 僕は信じられないな。人が魔物になるなんて、おかしいよ」
「そうよ。そうよ。人は人じゃないの?」
生徒たちから、声があがっていく。
でも、多くの生徒は人が魔物になるという話を信じていないようだ。
先生は頷くだけで、否定も肯定もしない。
私たちが好き好きに話し合っているのが、楽しそうに見える。
そのうち、人は魔物になる、ならないで口論が始まってしまった。
そこで、やっと先生は話し出した。
「みなさんの考えはどれも間違いではありませんよ。実際、人が魔物になるのかどうかは、わかっていないのですから」
「なんだよ、それー! どっちなんだよー!!」
男の子がプリプリ怒る声を聞きながら、私はそっと手をあげた。
「先生は、どっちだと思いますか? 人は魔物になるのか、ならないのか」
私と目が合った先生はわずかに動揺しているようだった。
でも、それも一瞬だけ。
すぐに先生は優しい顔になる。
「どちらなんでしょうね。私には答えがわかりません」
教えてもらえなかった。
すごすごと手を下ろすと、さっき叫んでいた男の子が床を踏み鳴らした。
「結局、どっちなんだー! ちょー、気になるっ!」
「そうですね。だから、学者が一生懸命、調べているんですよ」
「なるほど」
男の子は目からウロコがとれたような顔をした。
それに微笑みを返し、先生は授業のおしまいを告げた。
授業が終わって荷物を鞄に詰めた私は、クラスメイトに挨拶をして、一足先に、教室を出た。
先生のいる部屋に向かう。
誰もいないことを確認してから、先生に話しかけた。
「先生」
「あぁ、サニーさん。どうしましたか?」
私の名前を呼ぶ声は、穏やかなものだ。
先生の顔を見たら、緊張してきた。
ドキドキと高鳴る心臓を感じながら、私は口を開いた。
「私、人は魔物になると思う。ウィズおじいちゃんが教えてくれたの。隣の国の王様は魔物になったんだって。人を洗脳して、人形に変える魔物になっちゃったんだってね」
それを言うと、先生の瞳が大きく開いた。
動揺する顔を見つめながら、私はウィズおじいちゃんから最近聞いた話を思い出していた。
先生は、厄災の魔物を放ったと言われている隣国から来た人だった。
ちょうど、私が生まれた日。
先生は隣国から単身、村にやってきた。
先生は不意にやってきたらしい。
ボロボロの聖職者の格好で、ふらりと現れた先生は、聖女ルナに会いに来たそうだ。
隣国の者です、と正直に打ち明けた先生を見た村の人は、憎しみを隠さなかった。
「帰っておくれ! 聖女様には、会わせないよ!」
先生に向かって、老婆が叫んだ。
「あんたに恨みはないけど、魔物を放った隣国をアタシは許せない! とっとと、どっかに行っておくれ!」
村の人は女性の声に大きく頷いて「帰れ、帰れ」と先生に言う。
それでも、先生は佇んだまま。
業を煮やした誰かが先生に向かって、石を投げた。
小さな石は先生の体にあたった。
それでも、先生は動かない。
体に石が当たっても、罵声を浴びせられても、先生は佇んだままだ。
亡霊のように立つ姿に、集まった人の憎悪は膨れあがる。
誰かが先生の額に向かって、大きな石を投げた。
先生はよろめき、頭から血を流す。
それでも先生は立ち上がり、聖女に会わせてほしいと、懇願した。
やがて、騒ぎをききつけた聖女ルナが、大きなお腹を片手で支えながら、やってきた。
彼女の横には夫である勇者テオバルトがいる。
テオバルトは驚いて、村の人と先生の間に割って入った。
「何、やってんだよ!」
テオバルトが石を素手でとって、先生を庇った。
男の人が唾を飛ばしながら、叫ぶ。
「勇者様、止めないでくだせえ! そいつは、隣国の奴ですぜ!」
ルナとテオバルトははっとした顔をして、先生を見た。
先生は二人を見て、俯いてしまった。
ルナが先生のそばに近づいて声をかける。
「……あなたは、隣の国から来たのですか……?」
「はい……神父をしていました……」
先生が顔をあげる。
その顔は悲痛に歪んでいた。
「厄災の魔物の封印をゆるめたのは、私の友人と上官たちです……申し訳……ありませんでした……」
先生の声にルナは目を開いて、口を引き結んだ。
小刻みに震えて、顔は真っ白になる。
はっ、と空気を求めて口を開くと、足がもつれ、ふらりとよろめいた彼女をテオバルトが肩を抱いて支えた。
「今更、謝罪なんていらないんだよ!」
何も言わない聖女の代わりに、老婆が涙まじりの声で叫ぶ。
その声に、村の人々は頷く。
「とっとと出ていっておくれ! 隣国の奴らは、この地を踏むんじゃないよ!」
また誰かが、先生に向かって石を投げた。
テオバルトは片手で石をとって、投げた人に向かって声を張った。
「やめろ! ルナにあたる!」
石を投げようとした人は、びくっと体を震わせて、悔しそうに顔を歪めた。
ルナは白い顔のまま、呟くように言う。
「……それをわざわざ言うために、来たのですか……?」
「……私の上官たちは過ちをおかしました。それを謝りたくて……」
「……そうですか」
あるなが静かに言うと、老婆が悲痛な声を出した。
「謝ったって! 許しはしないよ! あの魔物のせいで何人が犠牲になったと思っているんだい! アタシは! アタシは……! あんたたちを許さないよ!」
老婆が甲高い声で、喉をひきつらせながら叫んだ。
ルナはきゅっと唇を噛み締め、両足を踏ん張る。
涙をこらえて、テオバルトに向かってうなずくと、老婆の元に歩み寄った。
老婆は身につけていたエプロンで顔を隠して、泣いていた。
ルナは石を握りしめたままの人々に顔をむけた。
「あの方は謝りにきただけです。もう、石を投げるのはやめてください……」
「なんでさ!」
老婆は顔をあげた。
「あいつの国の奴らのせいで、魔物は放たれたんだ! そのせいで、あの子が……あの子はさぁ……っ」
石を握っていた人からもすすり泣く声が出始める。
「聖女様だって、アタシらと一緒だろう! 家族を亡くしているだろう!」
慟哭した老婆に、ルナはうつむき、大きなお腹を抱きしめる。
「……私も、魔物は許せません。いまだに憎いです」
「だったら!」
「……でも」
ルナはおなかを抱きしめ、愛おしく撫でた後、片方の瞳から涙を流した。
震える唇を持ち上げ、ぎこちなく微笑む。
「……この子に今の光景を見せたくないんです……人が争うところを……見せたくないんです……だからっ」
ルナが言葉につまって、口元をおさえた。
嗚咽を漏らさないように、必死になる姿を見て、老婆は痛ましそうな顔をする。
「聖女様は……優しすぎるよ……」
ルナは首を横に激しくふった。
はっと、息を吸い込んで、切なく微笑む。
「……私は矛盾、しているだけです……」
その言葉を聞いた女性は、しわしわの顔を歪めて泣き崩れた。
地面に膝をついて、むせび泣く女性の背中をルナがさする。
彼女の瞳からも、次から次へとこらえられなくなった涙が流れていた。
その光景を見た先生は、深く頭をさげて、地面に涙を落とした。
空は晴天だというのに、哀しい声だけが辺りに響く。
実り豊かな稲穂は、頭をさげて泣いているように見えた。
涙を流す聖女に寄り添って、テオバルトも悲痛な顔をする。
震える彼女の肩を抱き寄せていると、ルナが顔を歪めた。
「……痛い」
「えっ……?」
「お腹、痛い……です……」
「えっ!?」
苦しげに呻くルナを見て、全員の涙がひっこんだ。
「産まれるのか?!」
「さっきから痛い瞬間があって……その間隔が、どんどん短くなっています……」
「それは、産まれるだろう! 産婆さーん!!!」
「アタシだよ」
慟哭していた女性が、すくっと立ち上がる。
「ばーちゃん! 助けて!!!」
産婆は乱雑にエプロンで涙をぬぐって、オロオロする勇者に毅然と言う。
「あいよ。すぐにアタシの家に聖女様を連れてきな」
テオバルトはルナを抱きかかえ、産婆の家に行った。
村の人も産婆の家に集まる。
先生も引き寄せられるように、ふらりと足を進めた。
嫌な顔をされながらも、産婆の家の外で、先生は祈りだした。
「……どうか無事に産まれますように……」
それを見た誰かが「偽善だ」と、吐き捨てるように言った。
難産だった。
丸二日経っても、子供が産まれず、誰もがハラハラとしている。
ルナは痛みに顔をゆがめながら、うわ言を呟いていた。
「……元気に……丈夫に……産まれてきて……」
彼女のそばで眠らずに付き添っていたテオバルトが、その声に答える。
「大丈夫だ。ルナ。俺たちの子だ。絶対、元気に産まれてくるっ……! 俺、風邪、ひいたことないもん! 頑張れ……もうちょっとだからな! な!」
ルナの様子を見ていた賢者ウィズが、神妙な顔をした。
「……様子がおかしい。ルナの体がうっすら光っておる」
「え?……ウィズ。どういうことだ?」
「もしかしたらルナは……子供に自身の魔力を与えているのかもしれん……」
「えっ……」
「丈夫に生まれてくるように願いすぎておるのかもな……無意識だとは思うが……」
「……魔力を与えると、ルナはどうなるんだよ……?」
「……限度を超えて、魔力を与えつづけたら、ルナはまた昏睡するかもしれん。いや……最悪の場合……」
賢者は重い口を開いた。
「一度、魔力が神域に達したルナは、魂を削られておる。ルナの寿命は縮んでおるんじゃ……また、膨大な魔力を使ったら、命が危うい」
勇者の目が大きく開いた。
かっと、火がついたように激昂して、聖女に向かって叫ぶ。
「ルナ、やめろ。与えすぎんな! 俺の子だ! 絶対、頑丈だ。風邪ひとつしない!! しないから! だから! 頼むから!!」
テオバルトが悲痛な声で叫ぶ。
「俺たちみたいに、親を亡くした子供にするな!!!」
「頼む。頼むからさ……」と、弱々しく呟きながら、テオバルトはルナの手を握りしめた。
その瞬間。
薄く光っていた聖女が元に戻った。
「産まれるよ! ほら、力んで!!」
産婆が声をだす。
ルナがうめき声をあげながら、腹に力を込めた。
「いいよ! 上手だ! ほら、頭がでてきた。はい! 力んで!」
「ルナ! 頑張れ!!!」
そのわずか数分後。
元気な女の子の産声が部屋に響き渡った。
その子どもは、サニーと名付けられた。
「産まれた! 産まれたぞー!」
聖女の子どもの誕生に村の人から歓声があがった。
抱き合う人々。輪になってくるくる回る子供もいた。
二日間、その場を動かず祈っていた先生も、安堵の息をついて、もう一度、神に感謝の祈りを捧げた。
「……テオ……ウィズ様。心配をかけてごめんなさい」
目覚めた聖女は、自身が無意識にやっていたことを勇者と賢者に謝った。
産まれた娘にデレデレしていたテオバルトは、デレデレしたままだった。
「ルナが無事ならいいんだ! しっかし、可愛いな。すげー、可愛い。なあなあ、ウィズ。可愛いよな? 俺とルナの子、可愛いよな? 女の子なんだよ! 可愛いだろ? な? な? 可愛いだろ?」
おいおい泣いていたウィズの頭をバシバシ叩きながら、テオバルトはニコニコしている。
「……本当に可愛いのお。目元がテオにそっくりじゃ。でも、顔立ちはルナにそっくりじゃのお……よかった……よかったのお……ルナ、頑張ったのお……」
ぶわっと泣き出したウィズに、ルナは微笑みを返した。
「ルナ、ありがとう! 俺、家族が増えて、すげー、嬉しい!」
産婆はその様子に目を細め、まだ家の外にいた先生を見た。
「あんた、ずっとそこに居たんだって」
先生は頷くこともせずに、じっと産婆を見つめた。
抜け殻のような先生を見て、産婆は小さく息を漏らした。
「二日間も動かないなんてね……来な。風呂に入っておくれ」
先生は小さく息を飲み干した。
「……私を赦してくれるのですか……?」
「許しはしないよ。だけどね」
産婆は先生に背を向けた。
「子供のために祈る人に、悪いやつはいない。アタシの経験上の話だよ」
さっさと行ってしまう産婆に深々と頭をさげて、風呂とささやかな食事を頂いた後、先生は数名の村人の前で、自分の身の上を話し出した。
それは悪夢としか言えない話だった。
「私は、隣国――ハリストで、神官をしていました。厄災の魔物の封印は、争っていた自国とこの国が協力して成した平和の象徴であると子供たちにも教えていました……」
先生の話は、歴史を遡ると、この国と隣国の争いから始まっていた。
女神を信仰する2つの国は、聖典の解釈の違いが火種となって、対立した。
そこへ厄災の魔物が現れ、二国は、勇者を筆頭に結束したのだった。
「……でも、魔物の封印は解かれました。それを指示したのは、私の上官です。実行したのは、私の友人でした……久しぶりに再会した友人は、おかしな言動を繰り返していました」
――このままだと、私たちの国は滅びる。外は敵だらけだ。誰も信じるな。国を守るための聖戦をせよ。
「私は彼の言っていることが理解できませんでした。友人を諭したのですが、彼は聖戦と繰り返すばかりで、私を見てくれなかった……そのうち、私の行為は邪魔だったのか、上官から辺境の教会に勤務するように言われました」
それまでは、中央都市の勤務だった先生は、左遷されたのだ。
「この国の神官と共同でやってきたはずの強化魔法は、私の国の者がしないことで、綻びができ、厄災の魔物の封印は解かれてしまいました。友人らは大聖堂前の広場で、封印を解いたのは、この国に攻め込まれるせいだと声高に叫んでいたそうです……私は人づてにそれを聞いて、愕然としました」
先生の沈痛な声に、ウィズがはて、と声をかけた。
「ハリストとこの国は良好な関係を保てていたはずじゃ。確かに昔は争っておったかもしれんが、表面上では、険悪な雰囲気ではなかったわい」
「……私も同じように感じていました。いえ、多くの民衆がそう思ったはずです。厄災の魔物は、コントロールできる存在ではありません。私たちの国にも襲いかかってくる可能性だってあるのです」
「そうじゃのお……気が触れたとしか思えん所業じゃ」
「えぇ……演説を聞いた民衆からは不満の声が出ました。しかし、上官と友人たちは聞き入れずに、王国軍と手を組んで、意に添わない者たちを強制労働所行きにしました……」
「おや? それは変じゃのお。確か、隣国では防壁魔法が完成後は、内乱が起きたはずじゃ。封印を解いた者達は、粛清されたはずじゃが?」
「はい。それは確かです。厄災の魔物が私の国まで進行してきたことにより、王国軍が手のひらを返して、友人たちを処刑しました」
「なんともはや……きな臭い話じゃのぉ」
「……そうですね。確かに……」
「厄災の魔物を放ったことは、過ちだったと王は認めたわけじゃな?」
先生は首を横にふった。
「防壁魔法を展開して、国を守ると言っただけです」
「……ちょっと待ちなされ。そなたの国では、魔物の進行後、すぐに防壁魔法の展開をしなかったのかい?」
「私の国に魔物が来てからですから……封印が解かれてから、二年は経っていたと思います」
ウィズは仰天した。
「魔物の進行を想定できんかったということか? 自分の国は被害がでないとも思ったのか? 魔物は制御出来ないじゃろ? ――おかしな話じゃわい」
「そうですね……」
ウィズがつるつるの頭をなでる。
「――下っ端は、切り捨てたか。それも折り込み済みの話だったか……疑問はあるが話を続けておくれ。それで、防壁魔法を展開後は、どうなった?」
「厄災の魔物から国は守れましたが、封印を解いたことは他国にも知れ渡ってしまいました。
……徐々に他国と取引が難しくなり、商業を営む富裕層は次々と国を出ていき、失業者が増え、徐々に食べるものも減っていきました……一般市民は貧困に喘ぎました……」
「……苦しむのは、いつの時代も、ひたむきに生きてきた者たちか……」
賢者が憂いを口から吐き出し、先生も沈痛な顔をする。
「国がそんな状態では、不満は多かろう」
「はい。しかし、王は防壁魔法を展開できたのは、自らの力と言っていました。愚かな行為をしたものは処罰したと主張していました」
「はぁぁぁ?」
横から産婆が不満な声を出して、会話に割り込んだ。
「どこぞの偉い人なのか知らないけどね。そんな主張、主張になってないよ! まったく。最初から魔物は封印されてればよかったんだ。なんか、アタシたちの王様と違うねぇ……」
産婆が眉をひそめる。
「アタシらの王様は長いこと、勇者を見つけられなかったけど、探すのを諦めていなかったよ……いつもニコニコしていて、何を考えているんだか、イマイチ分かんない顔しているけど、今の平穏は最前で魔物と戦っている人がいるからって言っていたよ」
数人の村人が、彼女の言葉に同意して、こくこくと頷いた。
賢者がふむと声をだす。
「この国の王家は、先代の勇者と共に戦った王女の末裔だからのお。先代勇者の言葉を忘れてなかったのかもしれんな……」
どこか懐かしそうに不老の賢者ウィズは語った。
先生は暗い表情になる。
「……だから、そちらの国に聖剣は保管されていたのかもしれませんね……」
「そうかもな。それで? その無能王に反発はなかったのかい?」
「ありました。でも、王は軍を率いて粛清を続けました。国への不満を漏らすものは、誰であろうと強制労働所に送られ、時には見せしめのように処刑され……」
先生は唇を震わせ、一度、口を引き結んだ。
「ひどい話だな。王様は何を考えてんだよ! やっていることが、意味不明だ!」
勇者が憤って声をだす。
村の人々全員が、同調するように頷いた。
先生は瞳を真っ赤にして、涙を手の甲でぬぐう。
「……都市では弾圧が強かったのですが、私のいた辺境では、まだ日常を送れていました……でも、魔物が討伐されて、こちらの国への賞賛の声が高まり、弾圧の魔の手は国全体へ及びました。
私は田舎で神父をしていましたが、厄災の魔物は聖女と勇者によって倒された話をしたことが国を貶める行為と言われ、強制労働所に送られました」
「それは、意味不明だ! あんたは本当のことを話しただけじゃんか!」
テオバルトがかっかしながら叫ぶと、先生は自嘲の笑みを漏らした。
「真実を言うと罪になる。私の国は、そんな国なのです」
「意味わっかんねー!」
「テオ、落ち着きなさい。人の世の歴史では、たびたび繰り返される行為じゃ。それで? お主は、強制労働所から逃げ出してきたのかい?」
先生は首を横にふった。
「……私はささやかながら回復魔法が使えました。強制労働所で、労働者の診察をしていたのですが……ある日、魔法を使えなくなったのです」
「え? なんで?」
その場に居た全員がひゅっと、息を飲む中、テオバルトだけはこてんと首をひねる。
先生はいっそ清々しいほどの微笑みをたたえていた。
ウィズが唸るような低い声をだす。
「――お主、自傷行為を繰り返して、女神の加護を放棄したな」
「はい……」
「え? どういうこと?」
「私は、女神様を信じられなくなったのです……私が見たものは、暴虐の王と、底冷えした部屋で労働をする人々の暗い瞳。笑うことを忘れた子供の顔です」
シンと部屋が静まる中、テオバルトがなあなあと、ウィズの頭をなでる。
「俺にも分かるように説明してくれ」
ウィズは子供に話すように説明をした。
回復・浄化などの光属性の魔法は、女神の加護と呼ばれ、信仰が厚い者に力が発揮されると言われている。
人を守り、助ける魔法を使うものは、長く魔法を使えるように、自身の治癒力も高く、大病になりにくい。
女神から恩恵が与えられていると言われていた。
自傷行為は禁じられていた。
回復する者が自らを傷つけては、女神の意思に背く。
それを分かっていながらも、先生は表では人を回復し、裏では自らの手を切りつける行為を繰り返していたのだと語った。
「……私はおかしくなっていました。何が正しいのか分からなくなったのです……死にたかった……のかもしれませんね……」
魔法が使えなくなり、気が触れた先生は高笑いをした。
――女神様は、私を見捨てた。この世は悪夢だ。
そう狂ったように叫んで、強制労働所から、引っ張りだされたそうだ。
うっすら覚えているのは、先生を追い出した隻眼の男の声。
――ここには悪夢しかねえよ。酒飲んで忘れろ。
固いパンと度数の高い安酒を持たされ、国の外にほっぽりだされた。
その男の声が妙に耳に残り、パンを齧りながら彷徨い歩いて、気がついたらここに向かっていた。
ルナや村の人を見た瞬間、罪悪感が込み上げ、懺悔していたということだった。
「……私は……何もできなかった……友人を止めることも……何も……何ひとつ……できなかったのです……」
両手を組んで許しを乞う先生に、ルナが痛ましそうに見つめた。
「……あなたは謝りに来てくれたじゃないですか。何もできないなんてことはありません。私たちに話をしてくれたじゃないですか」
ルナがそう言うと、勇者も叫んだ。
「よく分からないけど! おっさんは、何か悪いことしたのか? 何も悪いことしてないじゃん! おっさんは悪くない! 悪くないったら、ない!!!」
テオバルトが鼻息荒く言うと、先生は顔をおおって、咽び泣いた。
テオバルトは腰に帯剣していた聖剣の柄を握りしめ、ルナに向かっていう。
「俺、ルナに一緒に子育てしたいって言ったけど!!! おっさんの国も助けたい! ルナ、いいか……?」
村人が動揺する中、ルナは涙ながらに微笑んで頭をさげた。
「……テオバルト様。行ってきてください。私たちの時のように……人のために聖剣を振るってください」
テオバルトはパアッと明るい顔になり「ありがとう!」と、快活に笑う。
そして、先生に向かって手を差し伸べた。
「おっさんを苦しめた奴らをぶっ飛ばしにいこう! 案内してくれないか?」
先生は呆然とテオバルトを見つめた。
「……しかし、私は厄災の魔物を放った国の者ですが……」
「ほほほ。テオは国には縛られん。縛られとったら、勇者なんてできんわい」
ウィズはそう笑い、足元に魔法陣を展開させる。
見送るルナに茶目っけたっぷりにウインクした。
「ちょいと行ってくるわい。そんなに心配せんでええぞ。ゆっくりお休み」
ルナは飄々とした物言いに、目を細め、頭をさげた。
ポカンとする先生の手をとって、テオバルトとウィズは隣国へと転移していった。