中編
「厄災の魔物……遠くから見てもデカイな……」
双眼鏡を覗き込んだまま、閣下が呟く。
私たちは、厄災の魔物が封印されていた洞窟で陣を張り、注意深く魔物を観察していた。
「体から紫色の瘴気が見える。毒を出しているな……ん?」
「どうかしましたか?」
「卵を産んだ。割れたが、中身がない……」
「えっ……?」
私と閣下が戸惑っていると、テオバルト様が飄々と言った。
「厄災の魔物っていうのは、命を食べて卵を産むんだったよな? 食うもんがなくなったんじゃないのか?」
その言葉に、閣下は顎に手をあてた。
「確かに、厄災の魔物は各国の障壁魔法で囲われているな」
防御の為に隣接する国々が、障壁魔法を展開しているおかげで、魔物はどこにも行けない状態だ。
ヘドロの体を引きずりながら、砂となった大地をのろのろと動いている。
障壁魔法に体当たりをしているけど、それ以上は進めていないみたい。これは――
「……二百年」
不意にウィズ様が呟く。
「厄災の魔物が封じられて二百年。その間に人が扱う魔法が進化したんじゃろうな……」
ウィズ様が感慨深げに言った。
「防御に徹したおかげで、魔物は檻に入れられているようなものじゃ」
「……知らずに各国と連携が取れていたってことかよ」
閣下が苦々しく言い、ウィズ様が頷く。
「好機かもしれん。発達した魔法を使い、武器や防具を揃え、戦略を練れば、封印ではなく消滅も夢ではない」
「……武器や防具か」
閣下が眉間に皺を寄せる。
「この国にそんな高度なものはない。あったら、とっくの昔に、俺が使っている」
「でも、世界中を探せば、どこかにあるだろ?」
テオバルト様の声に、閣下が苦々しい声をだす。
「世界中を探したら、何年かかるか分からん。それに、そんな高度な技術を各国が教えるとは思えねえな」
「そうか? なら、俺が説得する」
テオバルト様が胸を張った。
「ウィズの通信魔法で、魔力を持つ奴らに呼びかける。賛同が得られれば、武器や防具が届くはずだ」
テオバルト様の言葉にびっくりした。
「通信魔法? そんなものがあるのですか?」
「ある! ウィズはただのハゲたジジイじゃない。すごい魔法使いで、ハゲているだけだ!」
にっと笑ったテオバルト様にきょとんとする。
ウィズ様は照れくさそうにつるつるの頭を撫でていた。
「じゃあ、やってみせろ。弱腰な周辺諸国をその気にさせろ」
閣下が言うと、テオバルト様はわかったと返事をした。
ウィズ様が呪文を唱えると、彼の足元に大きな魔法陣が現れる。
その中にテオバルト様が立った。
彼が口を動かす。
声は聞こえなくて、少し遅れて頭の中で音が響いた。
「あー、聞こえるか?」
間延びした声に驚いて、こくこくうなずく。
テオバルト様は笑顔で演説を始めた。
「俺の名前はテオバルト。聖剣を引き抜いた勇者だ。アンデッドは俺たちが倒した。後は、厄災の魔物だけだ。奴を倒すために力をかしてほしい」
テオバルト様は息を吸い込み、キリリと表情を引き締めた。
「魔物を倒して、俺は、聖女ルナと、結婚したい!!!」
テオバルト様のシャウトが脳内で響いた。
「一緒に子育てがしたい!!!
ルナははにかむ笑顔が可愛いし、すぐ照れるところも可愛いし、豆のスープを目をキラキラさせて美味しそうに食べるところなんて小動物みたいで可愛いし、顔は俺の好みのど真ん中だし、年々魅力が増して俺はどうしていいか分からなくなっているんだ!!!」
「……………………」
「もっとルナの笑顔が見たいし、色々な所に連れ回したいし、隙あらば添い寝もしたいけど、今は魔物討伐が最優先だから我慢している。だけど、そろそろ限界だ。結婚したい。ルナにプロポーズをしたいから、厄災の魔物は必ずぶっ倒す! だから力を――べぶしっ!」
閣下がテオバルト様をおもいっきり蹴った。
「クソガキ、ちゃんとやれ」
テオバルト様がお腹に閣下の足跡を付けながら叫んだ。
「俺はいつだって、ルナに対しては本気だ!」
「知っているよ。お前じゃ交渉にならねえ。どいてろ」
閣下が魔法陣の中央に立った。
「バカが失礼した。スキタイ王国のレイニーだ。今、叫んでいたバカは聖剣を抜いた勇者だ。とんでもなくバカだが、彼は二万のアンデッドを一人で屠った実績がある。突き抜けたバカだが、彼は勇者だ。彼がこの国にこなければ、我々はアンデッドの脅威に今も怯えていたことだろう。彼は本物だ。命知らずのバカだ。やるといったら、やる男だ。
私たちは魔物を消滅させたい。奪われた平穏を、この手に取り戻したい。この声を聞いている方々よ。どうか、力をかしてほしい」
閣下は深々と頭を下げた。
顔をあげると、声をかけられる。
「ルナ。お前も世界中に呼びかけろ」
「えっ……?」
「お前だからこそ、伝えられる言葉があるはすだ」
閣下は手を引いて、私を魔法陣の中央に招いた。
何を言ったらいいのか。
私は考えて、考えて、はるか先にいる魔物を見た。
「……私は両親を……魔物に食べられました……私の村には、誰もいなくなりました……」
声が震えた。
かっと火がついたような怒りが、腹から込み上げてくる。
「……私は魔物が憎いです。消えてほしいと何度も思いました。……私は、あの魔物を消滅させたい……です」
息を吸い込む。
ふっと息を吐き出した瞬間、瞳から涙がつうと流れた。
「でも、私では魔物を倒せません。魔物に傷ひとつ付けられません。私は……無力です。倒されることを願うしかできません。悔しいです…… 」
震えた手を前で組んだ。
世界中の人々に向かって、懇願する。
「……お願いです。勇者様が魔物へ近づくための防具がありません。お願いです。助けてください。お願いです……」
声は震えて、最後の方はか細い訴えになってしまった。
鼻をすすると、テオバルト様が駆け寄ってきてくれた。
その足が止まって、彼は地面を見た。
目の前に、無数の魔法陣が現れる。
青白い光を纏って出てきたのは、肌も髪もバラバラな人々。
武器や防具、宝飾品、魔導書を持った人々が次々と、転移の魔法陣から出てきた。
私たちの訴えは届き、世界中の人々が集まってきてくれたのだ。
精悍な顔つきの男性が、声を張り上げた。
「君たちを支援したい!」
その言葉に呼応して、わっと声があがる。
こんなにたくさんの人が集まってくれた。
それにジンときていたけど、閣下はぼそりと呟いていた。
「来るのがおせえんだよ……勇者が現れた途端、手のひらを返しやがって……」
「閣下……」
私は閣下の服を引っ張って、静かにするように合図を送る。
閣下は舌打ちしそうな顔をした。
私たちがこそこそしていると、先程の精悍な顔の男性が、テオバルト様に歩み寄り握手を求めてきた。
「私はノルマー国の第二王子ライルだ。きみが勇者かい?」
「あぁ、そうだ。宜しく」
二人が握手を交わしていると、閣下が目を据わらせて呟いた。
「あー、いるよな。ロイヤルオーラを放ちながら、さも輪の中心のように、しゃしゃり出てくる奴」
「……閣下」
くいくいっと閣下の服を引っばる。
閣下は口の端を持ち上げた。
「ノルマー王国といえば、巨大国家だな。物資や金をしこたま援助してもらえそうか」
私はもう何も言わなかった。
小さくため息をついていると、ぽんっと頭に手を置かれた。
「いい演説だった。ルナの言葉が届いたな」
「……そうなんでしょうか……?」
「そうだよ。お前はいつもよくやっている」
私は目を丸くして閣下を見上げた。
「……閣下に初めて褒めてもらいました」
「あ? いつも褒めてんだろ」
「そうなんですか?」
閣下はムッとした顔をして、私の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
それをすると、閣下は転移してきた人々に向かって歩み始める。
「これから、厄災の魔物を倒すぞ」
その言葉に頷いて、私も輪の中にはいっていった。
厄災の魔物の討伐に各国から知識や武器、防具が集まったけど、猛毒に対抗できる防具はまだない。
毒に強い素材を持ってきた人が、別の国の人の職人に渡して、防具を作ることになった。
転移魔法陣で各国へ行ったり来たり。
大勢の人が厄災の魔物を倒すためには、どうすればいいか考えてくれた。
話し合いと研究が進む中、注目されたのは、私が使う浄化魔法だった。
それを切り出したのは、ウィズ様だった。
「先代の勇者は、厄災の魔物に対抗するために、封印魔法を使った。封印魔法の属性は、光。厄災の魔物が、アンデッドと同じく光魔法に弱いのは事実じゃろう」
討伐にむけての会議に、呼び出され、ウィズ様は私の魔法の特異性について、説明をしてくれた。
「ルナは、魔物によって荒れた大地を浄化させておったな?」
「はい」
「他の聖女が浄化しても、完全に大地を復活することができなかった。ルナの浄化魔法は、あの魔物と大変、相性が良い。魔物にとって脅威となる魔法じゃ」
ひゅっ、と息を飲む。
私の浄化魔法は、あの魔物を倒せる力があるの?
「ルナは浄化の魔法を使う時、大地に手を触れておるな?」
「……はい。そのものに触れないと魔法が使えません」
「ふむ。厄災の魔物に直接、触れるのはあまりに危険じゃ。呪いを受けるかもしれん」
先代の勇者様が受けたといわれる呪い。
――それを身にまとっても魔物を倒せるのなら、という考えが一瞬、頭を過ぎる。
私は深刻な顔をしてしまっていたのだろう。
ウィズ様に考えを見破られてしまった。
「……ルナ。馬鹿な考えは頭から追い出しなさい」
「えっ……?」
ウィズ様は孫を見るような優しい目になった。
「ルナは、遺された人の悲しみを知っておるじゃろ」
その言葉に、胸が締め付けられた。
口を引き結んで、こくんとうなずく。
「ルナの浄化魔法を遠方から最大出力で魔物に放つ。これが儂の考える厄災の魔物の消滅法じゃ」
ただ、とウィズ様は付け加えた。
「一人の少女だけに酷な運命を背負わせるのは、年長者として好かん。厄災の魔物を封印することも視野に入れて、動くようにしたい。以上じゃ」
シンと、会議の場が静まった。
と、思ったけど、テオバルト様がすぐに声を出した。
「ルナが死ぬことは絶対ダメだ!! 俺が絶対、そんなことはさせない!!」
「……バカが。落ち着け。全員で、生き残るための作戦を練っているんだよ」
閣下がテオバルト様の頭をはたいて、話し出した。
「ルナが遠方から浄化魔法を撃てるようになる為には、どうしたらいい? そういった類の宝飾品や武器はあるのか?」
「それなら……」
と、声を出したのは、南の国から来た女性の魔術師だ。
「わたしの国に清浄の杖と、呼ばれるものがあります。その杖は聖剣と同じような力を持っていますが、杖がある場所は未踏の地で――」
「――俺が杖を取りに行ってくる!! ウィズ! 行こう!!!」
テオバルト様はウィズ様を小脇に抱えて、走り出した。
ウィズ様はテオバルト様に荷物のように抱えられながらも、ほくほくと笑った。
「ルナが使う杖を取りに行ってくる。レイニー殿、留守は任せたぞい」
そう言うと、ウィズ様が呪文を唱える。転移の魔法だったらしく、ふたりはパッと消えてしまった。
「……行動がはええよ」
閣下がぼそりと呟く。
私はまだ状況が上手く飲み込めていない。
けど、分かるのは。
私の魔法で厄災の魔物が消滅できるかもしれないという事だった。
テオバルト様とウィズ様が杖を探している間、魔物を封印するための道具が揃えられたり、防具や武器作りが進められていた。
テオバルト様たちが旅立って、二週間後。
「ただいま! 杖、ゲットしてきた!」
近所でおつかいをしてきた子供みたいな顔をしてテオバルト様が現れたとき、全員が息を飲んだ。
――あの地を踏破したのか。
――嘘だろ。
という声が聞こえてきた。
動揺が広がる中、閣下だけが不敵に笑っていた。
「だから、言っただろ。あいつは本物のバカなんだよ」
テオバルト様が杖を持ってきてくれたことで、彼の力を信じる人が多くなったし、士気があがった。
周りを見ると、悲壮感は漂っていない。
誰もかれもが厄災の魔物を倒そうと懸命だ。
明るい雰囲気に背を押されて、私は手渡された浄化の杖を握りしめた。
これを使って、厄災の魔物を消滅させたい。
私にできることは、なんでもやりたい。
杖を使いこなす遠隔射撃の訓練が、その日から始まった。
討伐計画があがってから二年後。
防具や封印の魔道具が揃って準備が整った。
いよいよ明日は殲滅戦。
就寝前、連日の準備で疲れ果てた顔をした閣下に声をかけられた。
「歯を磨いて、とっとと寝ろ。眠れなかったら、誰かに熟睡魔法をかけてもらえ」
「はい、閣下」
閣下は乱れた頭をさらにぐしゃぐしゃにするように掻きむしった後、懐からタリスマンを差し出した。
「これは?」
「祈りを魔力に変えるお守りだ。東の国の祈祷師が持ってきた」
閣下はペンダントになっているタリスマンを私の首にかけた。
「この殲滅戦に関わった全員の祈りが、魔力となってタリスマンに注がれている。それだけじゃねえ。厄災の魔物を消滅させたい奴は、祈りにこいって呼びかけたら、小さな子供も、たくさん来ていたぞ」
「……そう、だったんですか……」
「ルナは遠隔射撃の練習に明け暮れていたからな。裏でやっていたんだよ」
タリスマンには、異国の女性が祈る姿が描かれていた。
女神様に、横顔が似ている。
多くの人の願いがこの中に込められているみたいだ。
「タリスマンに込められた魔力は膨大だ。どうしようもなくなったら使えよ」
私はタリスマンを握って、顔をあげる。
「はい。私、厄災の魔物を滅ぼします」
閣下は口の端を持ち上げた。
「今までで一番、いい顔、してんじゃねえか。最大限に無茶して、生き残れよ」
その言葉に、私は微笑んだ。
討伐する日、私は、改めて魔物を知覚した。
初めてこの魔物を見たとき、私は呆然とするだけで何もできなかった。
でも、九年経った今、私の足は震えていない。
恐怖よりも、倒したいという気持ちが強かった。
討伐作戦は、最大限まで障壁魔法を伸ばし、魔物を狭い場所で囲い込むことから始まった。
先発隊として、テオバルト様とウィズ様が魔物を攻撃する。
魔物の体力を削ったところで、私がトドメを作戦だ。
私が失敗した時は、閣下や他国の魔術師が封印の魔道具を使う手はずだ。
再度封印ができればいい。でも、私の本音は魔物を滅ぼしたい。
テオバルト様とウィズ様が障壁の外へと足を進める。
鼻が曲がりそうなほどの腐臭を撒き散らし、魔物は大きなひとつ目で、ぎょろりとテオバルト様たちを見る。
けれど、防具のおかげで、ふたりは石化はしない。
毒にもやられない。
「行くぜぇ!」
テオバルト様が魔物に向かっていく。
魔物が大きな口を開いた。無数の牙が顕になる。
でも怯むことなく、テオバルト様は聖剣を振り上げた。
ウィズ様も魔法で攻撃をする。
魔物は暴れて、咆哮する。
この世の悪意を全て集めて、煮詰めたようなおぞましい声が辺りに響く。
障壁がびりびりと揺れて、私は思わず目を瞑ってしまった。
でも、はっとしてすぐに目を開いた。
ふたりは突き進んで、戦ってくれている。
私が怯んでいてはいけない。
「頑張って。――頑張ってください!」
爪が食い込むほど手を握りしめ、ふたりの戦いを見守る。
今は祈ることしかできない。
それが歯がゆい。
だからこそ、私はふたりに向かって叫んでいた。
ふたりは魔物の爪で払い除けられ、咆哮で吹き飛び、歯で傷つけられる。
魔物はハエでも払っているように、軽々と、ふたりにダメージを負わせる。
徐々に追い詰められ、ぼろぼろになっていくふたり。
ふたりの体が吹き飛んだとき、私は絶叫していた。
「テオバルト様! ウィズ様!」
咄嗟に体が動いた。
回復魔法をかけてあげたい。
足が障壁をでようとした時。
「――来るなッ!!!」
テオバルト様が立ち上がって、私に背中を向けたまま叫んだ。
「俺にはルナの回復薬があるから大丈夫だ!」
魔物の攻撃をかわしながら、テオバルト様が私の作った癒しの水を飲み干す。
「必ず隙ができる! それまで待つんじゃ!」
ウィズ様はぎらついた瞳で魔物に向かって呟く。
「弟子の無念、晴らさせてもらうぞ」
ふたりは倒れても立ち上がり、地面に叩きつけられても、また立って。
半刻戦い抜いたとき、魔物の動きが止まった。
口を開いたまま、身動ぎもしない。
目は瞑ったままだ。
気絶したのだろうか。
「ルナ! 今じゃ!」
ウィズ様の声に呼ばれ、私は前に出た。
障壁の外に出ると、ズンっと肩に重さを感じた。
びりびりと体は痺れて、息が詰まる。
酸素が薄い。息苦しい。
恐怖なのか、高揚なのか。
よく分からない熱が私の中で渦巻いて、鳥肌が立った。
テオバルト様とウィズ様に守られながら、私は杖を構えた。
すっと息を飲み、集中する。
杖の先で光が満ちあふれ、巨大な玉となっていく。
あとは放つだけ。
衝撃に耐えるため、奥歯を噛んだとき。
魔物の目が開いた。
えっ……なに……これ……
血走った大きな目が、ぎょろりと私を見据えたかと思うと、魔物は分散した。
大きな的だったはずの魔物の体が、引きちぎられたように、小さな玉となって、飛び散る。
まるで、これは砲弾の雨だ。
私たちに黒い玉が襲いかかる。
予想外のことに、私の集中が一瞬、途切れた。
「ルナァァァ! 撃てぇぇぇ!!」
テオバルト様が黒い玉を聖剣でなぎ払いながら、私に向かって叫ぶ。
奥歯を噛みしめ、魔法を放つ。
私の最大限の魔力を込めた浄化魔法。
それは光の矢となって、魔物の体を貫いた。
でも、穴を開けただけだ。
魔物の体はまだ残っている。
「っ……」
失敗した。
なら、もう一度――!
タリスマンを使って……!
と、構える前に、無数の黒い玉が私に向かってきた。
ウィズ様が私の前に出て、両手を前にだす。
白く輝いた魔法陣が展開され、魔物の玉から私を守ってくれた。
防壁魔法に弾かれた玉は、魔物の本体に戻り、また玉となって、私たちに向かってくる。
まるで無限に砲弾を撃つ、戦闘機だ。
「ルナ! タリスマンに願うんじゃ! 杖を大地に突き立て、大地ごと浄化するんじゃ! お前さんならできる!」
「ルナァァァ! やれぇぇぇ!」
テオバルト様が黒い玉に当たって、傷つきながら、叫ぶ。
私は清浄の杖を振り上げた。
――お願いです。私に力をください。
私だけじゃダメなんです。
みなさんの力が必要なんです。
お願いです。
力をかしてください!
願いを込めて、私は砂の大地にむかって、杖を突き立てた。
杖の先から閃光が迸った。
タリスマンは輝き、大地は白き光に包まれていく。
膨大な魔力を放出して、立っていられない。
クラクラする。
意識が持っていかれる。
――ダメ。
まだ、魔物は消えていない。
私は立っていなくちゃ。
全身が煉獄に焼かれたように熱くなる。
体が痛い。泣きたい。叫び出したい。
……気を失ってしまいたい。
それを目を瞑って耐えていると、ふっと、耳に女の子の声がした。
――わたしが赤ちゃんのときに助けてくれた聖女様。頑張って。魔物をやっつけて!
女の人の声が聞こえる。
――施療院にいた頃、娘を助けてくれてありがとうございます。娘は、九歳になりました……ありがとう。いつも、あなたと共に祈っています。
耳に届いてくるのは、故郷を離れてから出会った人々の声。
ありがとうの言葉と共に、祈る声がタリスマンから聞こえてきた。
その中に、知らない人の声も聞こえた。
――俺はただの肉屋だけどよお。聖女様が悔しくて泣いているって話を聞いたんだ! 泣いたね。ボロ泣きだよ! 俺も悔しいよ! だからさ。俺のちっぽけな願いも持っていってくれよお!
そして、一緒に戦ってくれた人の声。
――ルナなら魔物を滅ぼせる。そなたは、儂が生きてきた中で、一番、優しく、強い聖女じゃ。
――ルナ。自分を誇れ。お前がここまでの道を作ったんだ。目を開けて、お前が魔物を滅ぼせ。木っ端微塵に吹き飛ばしてやれ!
――ルナはあああああ! 最高で最強の聖女だあああああ!
みんなの声に背中を押されて、目を開く。
閃光で目が焼けそうだ。
清浄の杖にヒビが走り、今にも折れそう。
私はぐっと杖を大地に押しこんだ。
「もう二度と、故郷には入れさせない。おまえは、ここでッ、滅びろ!」
白い閃光を出していた杖の先が、緑からあふれだした。
砂地が、水分をたっぷり含んだ大地に変わっていく。
さざ波のように、緩やかに。
黒い悪意を霧散させ、大地が呼吸を始める。
命を育て、生きていくものたちを支える土が、蘇っていく。
厄災の魔物が滅んでゆく。
跡形もなく。
緑に変わって、消えていった。
小さな緑が芽吹く大地を風が通っていった。
どこまでも、どこまでも、美しい風景が、私の目の前には広がっていた。
あぁ、これが見たかった。
この日が来るのを、私は夢みていた。
――パリン。と、杖が割れて、粉々になった。
耐えてくれた杖にありがとうと呟き、私はふらりと倒れた。
「ルナ!」「ルナ!」
ウィズ様が私を支えて、テオバルト様が抱きしめてくれる。
仰向けにされて見えたのは、ぼろぼろに傷つきながらも、私を心配するふたりの顔。
その背後には、雲ひとつない青空が広がっている。
キレイな空……
はっと息を吸うと、空気が美味しかった。
鼻をくすぐるのは、土の匂いだ。
それに微笑み、私は目を閉じる。
「……テオバルト様……花を植えに行けますね……」
――ありがとうございます。
ふたりに言おうとしたら、はふっという呼吸にしかならなかった。
すっと、目を開く。
頭の中は重くて、ずいぶんと眠っていたみたい。
ぼんやりしながら、体を起こすと、くらりと目眩がした。
朧気だった視界が、だんだんとクリアになっていく。
どうやら、ベッドに寝かされていたみたいだ。
辺りを見回して、ぎょっとした。
木製の床が女神像で埋められていた。
こんなにたくさんの女神様を見たことがない。
ぱちぱちと瞬きをしていると、部屋の扉がゆっくりと開いた。
入ってきたのは、テオバルト様だ……と、思う。
彼の頬はこけて、髪は伸び放題。
輝くような表情は影が落ちていて、黒い瞳は虚ろだった。
テオバルト様と目が合う。
光を取り戻すように、黒い瞳が大きく開いた。
持っていた女神像が、テオバルト様の手からすべり落ちて、ごとりと音を立てて床に転がった。
びっくりして、声をかけようと口を開いたら、ひゅーひゅーという音にしかならなかった。
喉が声を出すのを忘れてしまったかのよう。
私ははくはくと口を動かして、テオバルト様と、呼びかけた。
「……ルナ」
おぼつかない足取りで、テオバルト様が近づいてくる。
床に置いてあった女神像につまずいて、テオバルト様の体が傾く。
私は両手を広げて彼を支えようとしたけど、テオバルト様が重すぎて後ろに倒れ込んでしまった。
頭を抱え込まれ、ベッドの上にふたりで倒れる。
テオバルト様はすぐに、ベッドの上に手をついて、上半身を持ち上げた。
信じられないものを見ているような顔をされている。
「……ルナ……ルナ…………ルナ ……ルナっ」
震える手で顔を触られて、テオバルト様の顔がくしゃりと歪む。
存在を確かめるように抱きしめられ、涙まじりの声で、名前を呼ばれた。
泣かせてしまっている。
私の目頭も熱くなって、彼の背中に手を回した。
「テオ……バルト……さま……」
やっと声が出た。
もう一度、名前を言おうとしたとき、テオバルト様から慟哭が聞こえた。
いつか聞いた悲しい声じゃない。
あふれるばかりの喜びが音になっている。
それを感じたら、私の瞳から涙が流れていた。
テオバルト様が泣き止んだ頃、ウィズ様も部屋に来てくれた。
ウィズ様は私を見たとたん「よかった。……本当によかった……」と、言って泣き出してしまった。
それを見たテオバルト様が鼻水をすすりながら、また泣いてしまい、私も目頭にたまった涙を指でぬぐった。
ふたりが落ち着くと、私は魔物が消滅した後のことを聞いた。
私は二年間もこんこんと眠り続けていたらしい。
「……そんなに、長く……」
「恐らく……神域まで魔力を使ったせいじゃろう。体が耐えきれなくて、魂がすり減った」
そう説明してくれたのはウィズ様だ。
勇ましく戦っていたウィズ様が、今はずいぶん小さく見える。
「一人の少女に酷な運命を背負わせたくない。そう思っていたのにのお。結局、ルナに全部、背負わせてしまったわい……」
「……そんなこと。私だけの力じゃないです」
私はウィズ様の皺の入った手をそっと握る。
「ウィズ様たちが守って、声をかけてくださらなかったら、私はまた立ちすくんでしまうところでした……ありがとうございます」
やっと言えた感謝の言葉を口にすると、ウィズ様がぶわっと号泣した。
「なんていい子なんじゃッ!」
おいおい泣くウィズ様の背中を私はさすった。
号泣していたテオバルト様が涙を手の甲でぬぐって、笑顔を見せてくれた。
「ルナに見せたいものがあるんだ! 外に出よう!」
テオバルト様が私をひょいと横抱きにする。
こてんと首をひねると、ウィズ様が「これ」と、たしなめた。
「ルナは起きたばっかじゃぞ。まずはゆっくり栄養があるものでも食べて――」
「そうだな! ルナ! 何が食べたい? 豆入りのスープか? 人参も好きだって言っていたよな? 俺、作ってくる!!」
テオバルト様は私をベッドにそっと置いた後、走り出してしまった。
やれやれとウィズ様が肩で息をして、私はくすりと笑ってしまった。
「テオはのお。ルナが眠った直後、走り回っておったわい……あらゆる魔法の道具を集めては、ルナが目覚めないと、怒り狂っておった……」
――なんで、ルナは目覚めないんだ! ……なんでだよ……なあ、教えてくれよ?……ウィズ……どうすればルナは目を覚ますんだ……頼むから……教えてくれ……っ
「……テオのあんな顔、初めてみたわい……」
「そう、だったんですね……」
ずいぶんと、心配をかけてしまったみたい。
「……私、ありがとうを伝えなくてはいけませんね」
「いや、ほっとけばよい」
「えっ……?」
意外な答えに、きょとんとする。
ウィズ様はつるつるの頭を手でなでた。
「ルナが目覚めたとたん元気になりよった。充分じゃよ」
ウィズ様は立ち上がって、私に向かって微笑む。
「レイニー殿に伝えてくる。テオとゆっくりな」
そう言うとウィズ様は呪文を唱えて、パッと消えてしまった。
それから駆け込んできたテオバルト様と一緒にスープを飲んだ。
テオバルト様から話を聞くと、閣下は今、中央都市にいるみたいだ。
「くそったれしかいないから俺が阿呆をいなす。ルナが作り上げたものを、阿呆に荒らされてたまるか、って言ってたな」
「閣下がそんなことを……」
閣下はまだ、戦っているのだろうか。
「お礼を言わないと。閣下にはずいぶん、お世話になりました」
「そうだな。でも、それよりも先に、外にでよう!」
食べ終わったスープ皿を片付けもせずに、テオバルト様は私をひょいと横抱きにする。
足取り軽く、片手で私を抱えながらも、玄関の扉を開いた。
家は小高い丘の上にあった。
そこからだと外の風景が見渡せた。
見えた風景に、呼吸をすることを忘れた。
あぜ道をゆっくりと人が歩き、子供が声をあげながら走っていく。
ぽつり、ぽつりと木の家が見え、あとは小麦畑だ。
白い雲がゆっくりと流れる青空の下、稲穂が揺れている。
見渡す限り、黄金だ。
地平線まで、小麦畑は続いていた。
「……テオバルトさま……」
信じられない気持ちになりながら、彼を見上げる。
太陽のような笑顔で、彼は言った。
「ここは、ルナの故郷の村だよ」
エピローグがもう一話、続きます<(_ _)>