前編
故郷の小麦畑が好きだった。
突き抜けるような青い空の下、黄金の稲穂が一面に広がっている。
地平線の境目に、青と黄色の2色に分かれていた。
小麦の収穫が終わると、かがり火を焚いて、みんなで輪になって踊った。
この日ばかりは無礼講で、夜更かししてもお母さんに叱られることはない。
満点の星空の下、友達と一緒に、いつまでもおしゃべりをしていた。
お腹がすけば、自慢の小麦を使って、お母さんがパンを焼いてくれた。
もっちもちのパンは、ほっぺが落ちそうなくらい美味しくて、2つを一気に食べたら、お母さんに呆れられてしまった。
でも、やめられない。美味しいんだもの。こっそりもう1つ食べようとしたら、お父さんに見つかって大笑いされてしまった。バツが悪くて首をすくめながらも、私も笑ってしまった。
私は故郷の風景が、両親が、みんなが好きだった。
――だからこそ、故郷を砂地にした魔物が憎い。
お母さんを、お父さんを、友達を、おばちゃんをおじちゃんを、村のみんなを。
亡き者にした魔物が許せなかった。
あの黄金の日々を取り戻したかった。
***
二百年前に封印された魔物が蘇った。
封印が解けないよう定期的に補強魔法をかけていた神官が、仕事をやるフリをして、実際はやらなかったのだ。
封印は徐々に弱まり、魔物は復活してしまった。
魔物は四階建ての建物を飲み干せるほどの大きさ。
ヘドロまみれの体を引きずり、歩いた大地は汚染されて、草も生えない砂地になる。
触れると死に至る毒を撒き散らし、大きな1つ目に睨まれた者は石化した。
命を食べるほどに巨大化し、奪った命は体内で卵にかえ、アンデッドを産み落とす。
アンデッドは腐臭を撒き散らしながら徘徊し、言葉の通じない殺戮者となった。
放たれたら、最後。
手がつけられないほどの厄災を呼ぶ魔物だった。
その魔物はかつて、聖剣を持つ勇者が激戦の末に封印していた。
封印をしたときに、魔物に触れた勇者は呪われ、自ら命を絶ったと言われている。
彼が使った聖剣のみが、王宮に残されていた。
でも、二百年経っても、聖剣を握れたものは出てこなかった。
なぜ神官が封印を怠ったのか。
それは隣国が手引きしたとか憶測が飛び交ったが、何もかもが手遅れだ。
魔物の跋扈は始まってしまった。
そして、私の故郷は魔物に喰われた。
村が襲われたとき、私はたまたま、その場に居なかった。
隣の村の神父様に、回復魔法を教えてもらっていたのだ。
村には診療所がないから、隣の村の神父様の所にいかなければならない。
ささやかな魔力があった私は、神父様の弟子になった。
豊かな小麦畑を守る両親や、みんなの怪我を治せる人になりたかった。
私の夢だ。
でも、私が十二歳の時に、故郷はなくなった。
「みんな逃げろ! 魔物だ! 魔物がくる!!」
汗だくになりながら、男の人が診療所に駆け込んできた。
私は神父様の診療所を飛び出して、故郷の村の方を見上げる。
家が燃えているのか、空は血のように赤く染まっていた。
居場所を追われた鳥たちが、たくさん飛び立っている。
悲鳴のような鳴き声が、辺りに響き渡っていた。
「ぼーっとすんな! 足を動かせ! 走れ!!」
男の人の怒鳴り声に、女の人は子どもを抱きかかえて走り出す。
杖をついたおじいさんは、一緒に逃げようと言う孫娘の手を離し、優しく微笑んでいる。
「先に行きなさい。追いつくから」
孫娘は他の人に声をかけられ、おじいさんの名を呼びながらも、駆け出した。
男の人は鍬を持って魔物を待ち構え、子どもたちと女の人は反対側に走る。
「おとうさん、おかあさん……?」
私は走ることもできないまま、村の方へふらふらと足を動かした。
帰らなくては。
だって、お母さんがもちもちのパンを作ってくれると約束したんだ。
回復魔法を頑張った分だけ、パンを食べていいって言っていた。
だから早く、おうちに帰らなくては。
ヘドロまみれの体が大きな口を開けてバキリ、バキリと木を食べている音が近づいてくる。
つんざくような悲鳴が辺りに響き、私は逃げまどった誰かとぶつかって転んだ。
「ルナ!」
地面に手をついたままだった私を引き上げてくれたのは、神父様だ。振り返るとあれほどあった悲鳴が消えている。目に映るのは神父様と男の人だけ。
「あなたは生きのびなさい」
神父様が私を抱擁した。
なぜそんなことを言うのか理解できないまま、私は淡く優しい光に包まれてしまった。
「しんぷさま……?」
気がついたとき、私は煌びやかな外観の都市にいた。
豊かな水を吹き上げる噴水があって、空は澄みきっていて青く、買い物客で賑わっている。
さきほどまで見た光景とは全く違う。
平穏な空気が流れていた。
「……しんぷさま? おかあさん、おとうさん……どこ?」
自分の状況が分からず、辺りを見渡していると、女の人と子どもだけがいた。
男の人はいない。
一人の女性が赤ちゃんを抱きしめながら泣きだした。
その声は嘆きに満ちていて、甲高く、言葉になっていない。
悲痛な声を聞いてようやく。
みんなとはもう会えないことを、私は分かってしまった。
神父様は魔法を使って、村の人を転移させていた。
広場にはすぐに兵士がやってきて、村の人と共に私は教会の施療院で保護されることになった。
狭い部屋にぎゅうぎゅうにベッドが並び、日に二度の簡素なごはんを食べて、寝る。
その繰り返しに文句を言う人はいない。
大人は疲れきった顔をして、子どもは元気そうだった。
時折、聞こえる笑い声をぼんやり聞きながら、私はベッドの上で膝を抱えて、じっとしていた。
ふと、隣で寝ていた赤ちゃんがぐずりだした。
抱きしめていた母親ははっとした顔になり、子供をゆらす。
「……熱がでてる。……どうしよう……」
呟かれた言葉に、ぼんやりしていた頭が鮮明になる。私は女性に声をかけた。
「見習いですけど、回復魔法が使えます。診てもいいですか?」
女性は私の顔をじっと見た後、すがるような目になって頷いた。
私は赤ちゃんの前で両手を組んで、女神様に祈った。
ぽうと体があたたかくなる。
私の体から光がでて、その輝きは赤ちゃんを包み込んだ。
はふはふと息苦しそうにしていた赤ちゃんは、穏やかな表情になっていた。
なんとかできたみたい。
「……ありがとう。本当に、ありがとう……」
女性は涙まじりの声でいい、何度も頭を下げてきた。
私はゆるく首を横にふる。
「……あなた、神父様の所に通っていた女の子だね……」
背後で声をかけられ、振り返るとおばあさんが眩しいものでも見ているように目を細くしていた。
こくりとうなずくと、皺だらけの手が、私の手を握る。
「孫を助けてくれて、ありがとうね」
ありがとうの言葉は、私が聞きたかった言葉だ。
だけど、相手が違う。
おばあさんは村の人じゃない。
そう思ったら、口から言葉がこぼれていた。
「……お母さんの手が荒れていたの……」
私はおばあさんを見ながらも、故郷の人々を脳裏に描く。
「隣に住んでいるおじいさんは腰が悪くて、おばあさんは足が痛がっていたの……だから、私、元気になってほしくて……」
目からぽろりと涙が零れた。
おばあさんが涙を目にためて、私を抱きしめてくれる。
私はおばあさんのぬくもりを感じながら、もう二度と、会えない人を思う。
「……回復魔法を使えるようになったら、きっと、元気になるから……だから、わたし……」
夢、だったのだ。
回復魔法を使えるようになったら、平穏な日常が、もっと、ずっと続くと思っていた。
でも、夢で終わってしまった。
その現実にうちのめされて、私はおばあさんの腕の中で、すすり泣いた。
「優しい子。うんと、泣きなさい……今は泣きなさい」
おばあさんの手は優しくて、あたたかい。
失ったぬくもりが恋しくて、私はおばあさんにすがりついた。
私が回復魔法を使った数日後。
中央教会の神官がやってきて、施療院から出るように言われた。
白い礼服はまとっていたけど、その人は神父様と違った雰囲気だ。
短く刈り上げた髪に、無精ひげを生やしている。年齢は三十歳だそうだ。
強面でイライラしている男の人は、レイニーと名乗った。
「回復魔法を使えるそうだな。名前は?」
「ルナと言います……」
「ルナか……中央教会へ来い。聖女見習いとして勤めてもらう」
「……聖女見習い、ですか?」
「魔物の進行で、聖女不足なんだよ」
男の人は不遜な態度のまま、今の国の状況を教えてくれる。
「進行を止めようと防壁魔法を展開しているが、魔物がデカすぎる。数人でなんとかできるものじゃない。なのに、お偉いさん方は早々にしっぽ巻いて、逃げちまうしよ。ったく、なんの為のトップだってんだ」
神官とは思えない乱暴な言葉にびっくりした。
「指揮系統が乱れて、現場は大混乱。国外に出る者も後を絶たない。お前、国を脱出する気はないんだな?」
こくんと頷く。
「なら、聖女になって人民を助けろ。お前にはその才能がある」
助けろ――そのたった一言に、私は反射的に大きく頷いた。
強い口調は、私を導く言葉に感じた。
膝を抱えて泣いても、何も解決しない。
誰も、助けられない。
命が失われるのを呆然と見ているだけ。
だったら――
私は顔をあげて、神官に言った。
「私、聖女になります」
強面の神官は、ふっと口の端を持ち上げた。
「いい顔するじゃないか。期待してる」
強面の神官と共と中央教会へ向かう。
私は十三歳の年に聖女見習いとなった。
忙しい日々だった。
丸一日、女神像の前で祈ったり、毎日どこかの施療院に行き、掃除をしたり、炊き出しをしたり、風呂の介助をしたり。
汚染された土地に浄化魔法をかけたり。
一日中駆け回って、質素なスープを飲んで寝る。
その日々の繰り返しだ。
他の見習いは、お勤めが嫌になり、手の抜き方を覚えていた。
その子達は、私よりも回復魔法が上手だった。
「あなた、これ、やっといてね。わたしは回復魔法を使ってくるわ」
雑務は押し付けられたけど、私はあまり気にしなかった。
それをすると喜ぶ人がいたからだ。
掃除をするだけで、キレイになったねと嬉しそうに笑う子供がいる。
一人で風呂に入れない人の背中を流したら、気持ちいい、生き返ると言ってくれた。
汚水を飲水に変えたら、すごく喜ばれた。
その笑顔が好きだった。
ほっとした。
私にもできることがあるって思えた。
無力感に打ちのめされるのは、もう嫌だったから。
人の笑顔が、私にとっては何よりの救いだった。
二年の見習い期間を終えたとき、私の茶色い髪は腰まで伸びていた。
でも、どれだけ必死に修行しても、回復魔法はさほど伸びなかった。
他の聖女みたいに、素早く回復ができない。
大きな怪我も治療できない。
防御魔法も、お守りレベルで気休め程度。
浄化の魔法だけが飛び抜けて、速くできるようになってしまった。
聖女の称号をもらった私は、そのまま教会に勤めていた。
長くなった髪は三つ編みにした。稲穂みたいで、少しだけ口角が上がる。お気に入りだ。聖女となっても、変わらず目まぐるしい日々を過ごす。
人が集まった都市では、汚れが多く、浄化しても浄化しても、間に合わないほどだ。
「ルナちゃんは可愛い顔をしているんだから、少しお化粧しなさい」
浄化のお仕事をした後、依頼をしたおばちゃんにおしろいを貰ったこともあった。
「化粧をする暇はないですから……」
あいまいに微笑みながら、おしろいを返すと、おばちゃんは残念そうな顔をする。
「茶色い目は澄んだように綺麗だし、ルナちゃんは美人さんだよ。いいから、もっておきなさい」
ウインクされて、私は小さい声で礼をいいって、おしろいを貰った。
いつの間にか、細く棒きれみたいだった手足は伸びていて、故郷で着ていた服は入らなくなっていた。胸は平べったいままだったけど。
小さくなった服は捨てられなくて、畳んで持ち運んでいる。
私にとってはお守りみたいなもの。
故郷から持って帰ってこれたものは、これだけだ。
つながりを失いたくはなかった。
故郷は立ち入り禁止区域になっていて、近づけなくなっていた。
――おとうさん、おかあさん、おじいさん、おばあさん……神父様。
会えない人を瞼の裏に描いては、目を開いて魔法を使う。
みんなの笑顔を思い出したら、立ちすくんでしまう。
私はただ、目の前のことをするしかない。
と、思っていたとき、国境に呼び出された。
今の国境は魔物がこれないように防壁展開をしている最前線だ。
私を呼び出したのは、あの強面の神官だった。
彼は国境を守る聖騎士団長となっていた。
あの時よりもやつれた顔をしていたけど、眼光の鋭さは変わっていない。
「ルナ、久しぶりだな。前よりも、精悍になったじゃないか」
「レイニー閣下、お久しぶりです」
右手を左胸にあてて、腰をおる。
その体勢のままでいると、厳しい声が頭の上で響いた。
「聖女ルナに、国境浄化の任を与える」
「……浄化ですか?」
「あぁ、魔物に食い荒らされた土地を甦らせるんだ」
ひゅっと息を吸い込んだ。
「魔物を倒す方法が見つかったのですか?」
「いいや。雑魚の方だけだ」
「……アンデッドだけなのですね……」
「あぁ。まあ、そう残念がるな。口惜しいのは俺達も一緒だ」
その言葉に小さく頷く。
「ようやく障壁が完成したんだ。今度は奪われた土地を取り戻す」
「土地を……」
脳裏に故郷の風景が過ぎった。
風にのって、揺れる稲穂。実りを蓄えて、頭を下に下げる稲穂。
それを見ながら、目を細める人々の姿が。
「アンデッドは光魔法に弱いが、数が多いんだ。少しずつ倒して、奪われた領土を再生させる。その為にお前を呼んだんだ」
意識が閣下に戻り、私はぱちぱちと瞬きをする。
閣下は鋭く上がった眦をさげて、どこか誇らしげに言う。
「お前の浄化魔法は一級らしいな。汚染された土地を見事にキレイにしたという話じゃないか」
見習い期間に浄化はずいぶんしていた。
誰かが閣下に言ってくれたのだろうか。
「お前の浄化魔法を最大限に使って、土地を再生しろ。やれるか?」
「やります」
私は即座に答えた。
もしこの計画がうまくいくなら、故郷にも辿り着けるかもしれない。
もう誰もいないだろうけど、せめて、花ぐらい手向けたい。
故郷に帰りたい。
「前よりいい顔するじゃないか。期待している」
閣下は口の端を持ち上げて、あの時みたいにニヤリと笑った。
私が十六歳になった年、アンデッド討伐が始まった。
聖騎士たちが光魔法を駆使して、アンデッドたちを祓っていく。
アンデッドがいなくなった土地まで、防壁魔法を伸ばし、その中で大地に向かって浄化魔法をかける。
私の浄化魔法は効いた。
砂地だった土が水分を含んだ茶色になり、小さな芽が出たときは感動した。
ただ、アンデッドの数は多すぎて、殲滅戦は一進一退を繰り返していた。
閣下はイライラしながら、私によく愚痴をこぼしていた。
「くそが! うじゃうじゃと、うぜえ……」
閣下の口の悪さは拍車がかかっていたが、すっかり慣れた私は平然と聞いていた。
「やっぱり、聖剣がないとダメなんでしょうか」
勇者が持った聖なる剣。
どんな悪をも打ち払う伝説の剣があれば、アンデッドたちもなぎ払えるのだろうか。
「国王が必死こいて探しているが、勇者は見つかっていない。聖剣は人を選ぶ。俺が持ったときは、手が焼けた上に、重くて振り上げられなかったな……」
「……聖剣を持ったことがあるんですか?」
「悪いか」
「いいえ。閣下ならやると思いました」
「ちっ。生意気な口を聞くようになりやがって」
閣下のイライラは増したようで、こめかみを指でもんでいた。
「周辺諸国は魔物がこないように防壁展開をして自国を守っている。転移魔法で物資は送られてくるが、人は寄越さねえ。高名な魔術師や、屈強な男共をどんどん送り込んでこいってんだ」
「……それは、どうしてですか?」
「誰も死にたくねぇんだよ。厄災の魔物と対峙できるのは、命を張れるバカだけだ」
私が黙り込むと、閣下は嘆息した。
「隣国のバカが封印を解かなきゃ、こんなことにはならなかったのによ。ほんと、くそだ」
「隣国はどうなっているのでしょうか」
「あぁ、魔物を解いたのが一部のバカだって知れ渡って、抗議の声が殺到しているらしいな。内乱で荒れてるって話だ。バカ共は、とっくに粛清されただろ。はっ。ざまぁみろ。あれを解き放ったやつは、全員、呪われろ」
「聖騎士が呪いとか言ったら、罰せられますよ」
「今は、ルナしかいないだろ?」
平然と言われ、私は小さくため息を吐いた。
閣下の暴言は今に始まったことではないから、もちろん黙っておく。
この人がいないと困るのだ。
まとめる人がいなくなってしまう。
「……勇者はいねえ。周辺諸国もあてにならねえ。なら、もう俺らでなんとかするしかない。俺たちの国だからな」
閣下はそう言うと、アンデッド討伐に乗り出していった。
国境でアンデッド討伐を続けて、一年後。
異国からきた青年が、聖剣をあっさり抜いた――という知らせがきた。
聖剣を抜いた勇者は、黒い短い髪に黒い目の人だった。名前は、テオバルト。
彼はローブに身を包んだ小柄なおじいさんと一緒だった。
おじいさんの名前はウィズ。自らを賢者だと言っていた。
ふたりは聖剣を抜いたその足で国境まで来たそうだ。
自分たちの事情をテオバルト様は、ペラペラと話し出した。
「困っているようだから助けにきましたって言ったら、王様に聖剣を抜いて見ろって言われたんだ。片手で簡単に抜けたから、んじゃまあ、行ってきますって挨拶したらだ。なんでそんな簡単に抜けるんだって、目が血走った顔で王様に言われて、すごいびびった」
テオバルト様は自分の身を抱きしめ青ざめながら言う。
ウィズ様は、つるつるの頭をなでながら話しだす。
「聖剣を抜いてから、十日間も拘束されたわい」
やれやれといった様子で話され、私たちは困惑した。
閣下の額には、青筋が立っていた。
「こんなバカそうな奴が聖剣を抜いたのかよ……」
「言葉を慎みなさい」
ウィズ様が、こほんと咳払いをする。
「テオは、バカそうではない。正真正銘のバカじゃ」
「……あぁ、そうかよ」
「なあ、そこにいる美人は誰だ?」
不意にテオバルト様が私を指さした。私は右手を左胸にあてて腰をおる。
「聖女ルナでございます。勇者様がくるのを心待ちにしていました」
頭を下げていると、テオバルト様に顎をくいって持ち上げられた。
真剣さを帯びた黒い目と視線が合う。
「……好みのど真ん中の顔だ。惚れた」
「は?」
「ルナだったな。俺と一緒にパーティーを組もう」
真剣な眼差しで言われて困った。
「おい、ルナ。そいつぶん殴っていいぞ」と、閣下が顔をひきつらせながら言う。
「殴ってもバカは治らんわい」と、ウィズ様が朗らかに笑う。
私は困ってしまったが、勇者に賭けたい気持ちは大きかった。
「勇者様が私を望むなら、謹んでお受けします」
ぱあああと、音がでそうなほど、テオバルト様の表情が明るくなる。
「よかった。あ、俺のことはテオって呼んでほしい」
「……そういうわけには。テオバルト様と呼ばせて頂きます」
「様付けかぁぁ……」
がっくりと肩を落とすテオバルト様に、私はオロオロした。
俯いていたテオバルト様が、不意に背筋を伸ばした。
そして、にっこりと笑う。
「そのうち呼び捨てにしてほしいな。とりあえず、デートをしに行こう」
「え?」
「食事をして、パーティーとしての親睦を深めよう!」
「は?」
「おい、クソガキ! 調子に乗るな!」
閣下がテオバルト様を後頭部をグーで殴って、挨拶はおしまいになってしまった。
テオバルト様はチャラい人だったけど、剣の腕は確かだった。
砂地を徘徊していたアンデッドを聖剣で次々と切り捨てていく様に、私たちは息を飲んだ。
「バカだが、腕は本物だな」
「……そうですね。ウィズ様もすごいです。アンデッドをひとつに纏めて、一気に殲滅しています」
「格が違うな……」
二人の戦いぶりを閣下や他の聖騎士たちと見守る。
彼らの強さを見ていると。希望が胸にあふれた。
二人がいれば、魔物を倒していける。
――故郷に辿り着ける。
彼らはボロボロになりながらも、一日中、戦ってくれた。
「……たたた。少々、無茶したわい」
「ウィズ様、お疲れ様です」
腰を叩きながらやってきたウィズ様に駆け寄り、私は懐から小瓶を取り出した。
「癒しの水です。どうぞ」
「あぁ、ありがとう」
魔力が含まれた透明の水が入っていた。瓶を受け取ったウィズ様は、一気に飲みほした。
「おお、これは効くのお。実によい水じゃ」
「それはよかったです」
ほっと胸を撫で下ろしていると、そばにいた聖騎士が笑いながら言う。
「その水、ルナ様が作られたやつですよ」
「ルナが?」
ウィズ様がこっちを見て、私は首を竦めた。
「……私は回復魔法の才能がなくて……何かを変質する力には恵まれているんです」
大地を浄化させる力が強いのも、そのせいだ。
水を浄化して回復させる薬を作る方が、魔法を使うよりも何倍も効果があった。
でもそれは、聖女としては、いまいちな力だった。
砂の大地が続く国境では、水は貴重だから。
「……本当は直接、魔法で治せればいいのですが……」
ぼそりと呟くように言うと、テオバルト様がウィズ様との間に割って入ってきた。
「何を言っているんだよ! すごい才能じゃないか!」
「そうじゃ。これほどの回復、そうそうお目にかかれるものではない」
ふたりにそろって言われてしまい、私は頬が熱くなるのを感じた。
小さく体を丸めていると、テオバルト様が快活に笑う。
「やっぱり、ルナは最高の聖女だ! 俺の目にくるいはなかったな」
微笑まれ、私は返事に困ってしまう。
俯いていると、テオバルト様が急に真顔になった。
「ルナ。その顔は可愛すぎる」
「え……?」
「ルナがいてくれてよかった。 ルナがいれば、俺の士気が上がる」
「……そうですか……?」
「爆上がりだ!」
ぐっと力拳を作って言うテオバルト様に、私は恥ずかしくなる。
「そろそろ黙れ。他の聖女を任に付けるぞ」
閣下が横からテオバルト様をこづく。
テオバルト様はむっと顔をしかめた。
「ルナの代わりに他の聖女がきたら、俺はすぐにやけ酒を飲んで、二日酔いになった上に、部屋にひきこもって、床にのの字を書いて不貞腐れて、テンションがダダ下がりになる。底辺まで気分が落ちる」
テオバルト様はキリリと顔をひきしめた。
「こんなにアンデッドを倒せるのは、ルナのおかげだ。他の聖女だと、こうはいかない!」
ふんと鼻を鳴らしながら言われてしまい、閣下はこめかみをひくつかせて、私は苦笑いをこぼす。
「テオはのお。本物のバカなんじゃよ」
ウィズ様がしみじみと、生あたたかい笑顔で言った。
「あの……私、大地を浄化してきます……」
妙にいたたまれなくなり、私はそそくさと三人から離れた。
防壁魔法が展開され、安全となった砂の大地に両手をつけた。
私の体が光りだし、指の先から魔力が放たれる。
小さな光りは、大地に注がれ、砂の大地は茶色いものに変わっていく。
黒色に近い色にまで変わると、小さな緑が芽吹いた。
魔力を大量に消費してクラクラするけど、その小さな芽が愛しくて、私は目を細めた。
浄化の魔法が得意でよかったと思える瞬間だ。
しゃがんでいた腰を持ち上げ振り返ると、テオバルト様が赤面して口元をおさえていた。
「……くっ。そんなにキレイに微笑んで、どれだけ俺を惚れさせれば気が済むんだ! ちくしょう!」
とか、なんとか叫んで、全速力で駆け出してしまった。
ぽかんと後ろ姿を見送っていると、ウィズ様がうんうん頷きながら言う。
「テオは純情なんじゃ」
「ただのバカだろ」
閣下が頭痛をこらえるように眉と眉の間を指で揉む。
ふたりの様子を見た騎士がぷっとふきだした。
私もつられて、くすりと笑ってしまった。
テオバルト様とウィズ様のおかげで、大地の浄化がずいぶんと進んだ。
そして、一年後。
私は故郷の村に帰ってこれた。
そこには砂しかなかった。
家も、樹も、小麦畑もない。
誰もいない。骨ひとつ、見つからない。
砂しかない。
――ああ、そっか……
埋葬も、できないんだ。
お墓も立ててあげられない。
そう思ったら、ぐっと込み上げるものがあった。
叫びだしたい気持ちを無理やり飲み込んで、震える両手を大地に押し付ける。
故郷は生命力があふれる場所だった。
青い空と白い砂のコントラストではない。
晴天の下にあるべきものは、無情の砂粒ではないんだ。
ありったけの魔力を注いで、私はあの緑を取り戻す。
私の故郷は、ここだ。
お父さん、お母さん、おばあさん、おじいさん。
――生まれた時から一緒にいた幼なじみ。
ここに、みんながいたのよ。
手のひらから光が迸り、無情の砂が黒い土に変わってゆく。
肥沃な村の大地からは、良質な小麦がとれた。
美味しいパンが作れた。
収穫祭のときは、みんなでかがり火を焚いて、女神様にありがとうを言ったの。
星空の下で、歌って、踊って。
大声で笑い合っていた。
――ここは、私の故郷。
ずっと帰りたかった場所。
「……っ」
地面につけていた両手が土で汚れていく。
それが嬉しくて、切なくて。
手を握りしめ、取り戻した土を掻き抱いた。
「お母さん……お父さん……っ」
嗚咽を堪えながら、慕情が出てしまった。
帰ってきたのに、故郷は静かすぎた。
「……会いたい……よ……」
ひゅっと息を飲んで、口を引き結ぶ。
今、両親を恋しがったら、自分の流した涙の海に溺れて、窒息してしまう。
ベッドの上で膝を抱えるだけの無力な私に戻ってしまう。
二度と立ち上がれなくなってしまう。
それは嫌だ。
奥歯を噛み締めて泣くのを耐えていたら、背中からかき抱かれた。
「ルナ、我慢するな! 泣いたっていいんだ!」
テオバルト様の声が後ろから響く。
頼もしい体が力強く、私を支える。
私はイヤイヤと首をふった。
「……泣いたら……立てなくなります」
「その時は俺が支える! ルナを抱き上げて、行きたいところに連れてってやる!」
そう叫んで、テオバルト様は私の体を軽々と横抱きにした。
見上げたテオバルト様の黒い瞳は真っ赤だった。
「ほら。こうすれば、どこにだって行けるだろ?」
太陽を背にしたテオバルト様の顔は、いつもより輝いて見えた。
キレイで、頼もしくて。
この人が支えてくれるなら、私は子どもに戻ってもいいのかもしれない。
今だけは、泣いてもいいのかも。
私はテオバルト様の胸にしがみついた。
堰をきったように涙が溢れ出す。
わあわあ。子どもみたいに。
十二歳の私に戻ったみたいに。
声が枯れるまで、ぐしゃぐしゃに泣いた。
泣き止むと、蘇った大地を見つめながら、テオバルト様と並んでしゃがんだ。
故郷の話をした。たくさん、たくさんした。
時々、泣いてしまって、その度にテオバルト様が頭を抱き寄せてくれた。
普段はおしゃべりなテオバルト様が、黙ってうなずくだけだったから、ちょっぴり笑ってしまった。
「……故郷に花を手向けたいです」
「それじゃ、ライラックがいいだろうな」
私はぱちぱちと瞬きをする。
「……なんで、ライラックなのですか?」
「ん? ルナが好きな花じゃないのか?」
「そうですけど……わたし、好きな花の話をしましたか?」
「閣下に土下座して聞いた」
ぎょっとした。
テオバルト様はキリッとした顔になる。
「三日間、閣下のところに通いつめて土下座したら、教えてくれたんだ」
「そう……なんですか……」
「だから、厄災の魔物を倒したら、ライラックの花を植えに来よう」
テオバルト様が快活に笑う。
夢みたいなことを、明日のことのように言う。
その笑顔に惹かれて、私ははにかんだ。
「はい。植えに来たいです」
そう言うと、テオバルト様が顔を赤くして悶絶した。
「その笑顔、可愛すぎる! ……ダメだあ! 可愛すぎる!」
彼の言葉にとうとう耐えきれなくなって、私は声を出して笑ってしまった。
後は、厄災の魔物だけだ。
そこに辿りつくまでに、村を奪われてから七年の歳月が経っていた。