ガラクタ②
ツルの家に向かって走っていくと、子供の泣き声が聞こえてきた。姿は見えないが、聖海たちには座敷わらしの泣き声に聞こえ、駆ける速度が上がっていく。
主であるツルが亡くなり、座敷わらしは【家】を失った。元居た場所に戻ったとしても、主であるツルがいない以上、座敷わらしにとって、そこはもう知らない場所でしかない。彼女にとっての【家】とは、誰かが自分の帰りを待ってくれている場所。安心感を与えてくれる大好きな人がいる温かい場所なのだ。
ツルが住んでいたアパートの部屋の入口には【立ち入り禁止】と黒字で書かれた黄色のテープが貼られていた。おそらく、警察が入り、現場検証やツルのご遺体を動かした後なのだろう。だが、入口に面しているテープが破れている。何者かが中に侵入したあとか。その扉の先から泣き声がしている。
「座敷わらしちゃん!!」
「おねぇちゃん!! うわぁぁぁぁぁーん!!」
扉を開けた先で大泣きをしている座敷わらしがいた。
「おねぇちゃん、ここ、どこ? わかんない。何も見えない。まっちろで怖いよ……」
「え……真っ白?」
現場検証が行われたとはいえ、生活感が残ったままの部屋。新聞の折り込みチラシで作った紙風船がテーブルの上に転がっている。座敷わらしのためにツルが作ったものだろう。他にも座敷わらしのためにツルが買ったと思われるオモチャがあちこちに置かれていた。ここでツルと座敷わらしは生活していたはずなのだが……。座敷わらしの目には、真っ白な世界に見えているようだ。
「座敷わらしにとって、もうここは見えないんだ。自分の【家】じゃなくなったから」
「二人で生活していた痕跡がこんなにあるのに……。何も見えないなんて……」
「立花さん。悲しんでいる暇はないですよ。この先、鬼がいます。二体」
「たぶん、片方はツルさんだ」
風見の言葉に座敷わらしが反応した。
「え!? ツルちゃんいるの!? アタイ、会いに行く!! ツルちゃんに会う!!」
「うわっ!? 座敷わらしちゃん!?」
聖海の腕の中から、座敷わらしは飛び出した。だが、真っ白な世界にしか見えていない座敷わらしには障害物も当然見えない。ゴツン!と鈍い音を立てて、テーブルの角に勢いよく突っ込んでしまった。ダラダラと流れ出す血。額が切れてしまったようだ。それでも、座敷わらしは泣くこともなく、再び真っ白な世界を走り出す。ただ、ただ……ツルに会いたい、その一心で。
「危ない! よけて!」今度は柱に勢いよく激突し、瞼を強打した。青紫に変色し、みるみる腫れていく。「大丈夫? 座敷わらしちゃん!」座敷わらしに聖海たちの声は届いていないようだ。心配で駆け寄った聖海の姿も見えていないようだった。奥の部屋に行くにつれ、白い世界はどんどん深まっていく。怪我などお構いなしで、その中を無我夢中で座敷わらしは走っていく。
「ツルちゃん! ツルちゃん! どこにいるの!? ……ツル、ちゃん……?」
「……?」
和室の仏壇の前に佇んでいた鬼が振り返った。座敷わらしにもぼんやりとその姿が見えているのか、手探りで鬼がいる方へ近づいていく。困惑しているのか、その場から鬼は動かない。襲ってくる気配もない。ただ、そこに鬼がいる──それだけの状況。幾度として、鬼と対峙してきた風見と副部長はこの状況に驚きを隠せない。鬼は狂暴で、見境なしに襲ってくるものだ。好戦的で鬼同士で共喰いをするほど、常に飢えている。そういうものだったはずだ。それなのに、目の前にいる鬼はどうだ? 愛しいわが子を見つめているかのように、やさしい目をしている。初めて歩いたわが子を温かく見守っているように、ゆっくりと近づいてくる座敷わらしを見つめている。部長が悟っていたツルの気配とは、こういうことだったのか……。
「……ったく。龍ちゃんには参るよなぁ」
「……雷くんが攻撃できなかったのも頷けますね」
座敷わらしと鬼となってしまったツルの手が触れ合う。「ツルちゃん! ツルちゃんだ!」勢いよく、座敷わらしはツルの腕の中に飛び込んだ。しかし、座敷わらしにツルの姿は見えていない。触れた手の感触、抱きしめられている感覚、思い出の記憶からツルだと認識しているようだった。
「ツルちゃん、どこに行ってたの? アタイ、ずっと探してたんだよ! お家もなくなっちゃったし」
「……」
何かを言いたそうに鬼と化したツルは腕の中にいる座敷わらしを見つめている。鬼と化してしまったことにより、うまく言葉が出ないようだ。日を追うごとに鬼も人間だったころのように会話をすることができるようになるが、ツルはまだ鬼と化して日が浅い。自分の欲は口に出せても、それ以外の感情を言葉では、まだ伝えられない。
「ツルちゃん、おしゃべりできなくなっちゃったの? アタイもね、ツルちゃんのこと見えなくなっちゃったの。……そうだ! これ!」
「あ……これ……ずっと、探してた」
「ツルちゃん、探してたの? ごめんね。落ちてたから、アタイがずっと持ってたの」
座敷わらしが着物の袂から出したのは、暗赤色に色づいてしまった真っ白な折り紙で折られた鶴。
「なんだい、こんなガラクタを探してたっていうのかい? ハッ、汚い紙切れだこと」
どこからか聞こえてきた、女性らしき人のダミ声。と同時に、座敷わらしに向かって、細い矢のようなものが高速で複数飛んできた。
「危ないっ!!」
── カラン、カラン、カラン……
聖海が発した声と同時に小さな風が現れ、攻撃を弾いた。畳の上へ落下した、鉛筆ほどの細い円錐型をした金属。特殊な武器のようだ。風を起こして攻撃を防いだのは、空気の読めない男──風見だった。
攻撃を防がれ、「チッ」と舌打ちをしながら、天井に張り付いていた鬼が下りてきた。紫色のスパンコールが施されたワンピースを着た50~60代くらいの女性の鬼。売れていない田舎のホステスのような恰好と、つけまつげを何枚も重ね付けした派手なメイクをしている。トカゲに似た長い舌が口からだらんと垂れ、パーマがかったショートヘアのつむじあたりに一本、角が生えている。
「坊や、邪魔すんじゃないよ」
「お姉さんこそ、感動的なとこに水差さないでくれる? 空気、読もうよ。ね?」
「空気を読んだほうがいいのは、坊やのほうだろ。ほら、そこをどきな。死にぞこないに止めをさしてやる」
「……死にぞこない、って……」
風見が振り返ると、床に倒れている座敷わらしの姿があった。背中に金属が刺さり、横たわっている。その部分だけ、着物の色が赤黒く染まっている。副部長と聖海が彼女の治療に当たっている。
「座敷わらし!!」
「風見くん! こちらは私たちで何とかするから、その鬼をお願いします!」
「くそっ! 水守、座敷わらしを頼む! 立花!! もしもの時は、手を貸してくれ!」
「え、あ、はい!!」
座敷わらしの呼吸が浅くなっていく。このままではマズいと判断した副部長は、「水式結界 水泡」と唱え、座敷わらしを水で出来たカプセル型の結界の中に閉じ込めた。
「これじゃ、座敷わらしちゃんが溺れちゃう!!」
「立花さん、落ち着いて! 一時的に眠らせただけだから! この結界は、麻酔みたいなものなの。これから刺さった針を抜いて、回復術を施すから安心して!」
「……よかった」
聖海が安堵したのも、つかの間。今度は背後から、ザッと床を蹴る音がした。振り返った先にツルの姿はなく、聖海が正面に顔を戻した時には風見と交戦していた鬼とツルが取っ組み合いになっていた。
「私の……私の……許さない!!」
「なんだい? そんなに必死になって、あんなガラクタがそんなに大事かい?」
「許さない、許さない!!」
「捨てちまいなよ。あんなガラクタなんてさ。必要ないだろ? だって、アンタはもう──【こっち側】なんだからさ」
鬼の言葉にツルの動きが止まる。今、目の前にいる【人】ではない者。その者が口元を歪ませ、囁く。
「もうアンタは人間じゃないんだ。いい加減、受け入れなって。アンタは鬼に喰われて死んで、鬼として今生きてるんだからさ。どれだけ、この部屋で待ってたとしても、あの小娘が来ることはないんだよ。だって、アンタのことは、もう二度と見えることはないんだから」
「あ……あぁ……あぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあ!!!!!」
ツルの悲痛な叫び声は、妖研メンバーの胸を締め付けた。鬼になった自覚がないまま、ツルはこの部屋で座敷わらしが来るのを待っていたのだろうか。ツルの目から涙がこぼれ落ちていく。自分の目に座敷わらしは見えても、座敷わらしに自分は見えない。──絶望。真っ暗な奈落。魂の抜けた人形のように目から光が失われていく。
「いっそ楽になりな。アタシの力になってさ」鬼はツルの首元に噛みつき、肉を噛みちぎった。ツルの断末魔が耳の奥まで突き刺さる。どうにかしたい風見だが、ツルの背中が自分のほうを向いていて、動きようがない。攻撃したとしても、すべてツルに当たってしまう。今すぐに引き離したいのに、何もできない。為す術もなく、このまま傍観することしかできないのか。「くそっ」風見は苛立ちを床に吐き捨てた。
「ツルさん!! がんばれ!! ツルさん!! がんばって!!」
「……立花?」
ツルさんに向かって聖海はエールを送り始めた。今の自分に現状を変えるだけの力はない。今、どうにかできるとしたら、鬼の目の前にいるツルだけだ。座敷わらしも頑張っている。人でないとしても、鬼であったとしても、聖海にとってツルはツルでしかない。
「ツルさん!! 人とか鬼とか考えている場合じゃないですよ! 目の前にいる鬼を倒せるのは、ツルさんだけなんです! お願いします! ツルさん!! ──座敷わらしちゃんは、あなたにとって大切な宝物のはずです!! ガラクタなんかじゃない!! 二人で一緒に過ごした日々は、かけがえのない宝物のはずでしょ!!」




