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第92話 裁判準備

 裁判へ進む住民運動を、県側は弾圧で住民切崩しを図ります。12月、全戸長は負担金納付上申書提出を強要されて反対運動は事実上終焉を迎えます。一方、郡役所では新郡長が着任し、力による威圧政策を隠そうともしません。各戸長の責任で戸長代納までもが強要される事態となり、郡内各所には悲惨な状況があちこちにあらわれてきます。峰一郎は、自らの及ばぬ力を不甲斐なく思うとともに、天童の伊之吉や梅の無事を祈らずにはおれませんでした。

 山形県令執務室……。


 豪壮なゴシック風ヨーロピアン調の執務室の中には、三人の男たちが集まっています。中央の重厚な机に座る人物の前に、二人の人物が佇立して机の人物に向き合っています。


「閣下、ただ今、東村山郡役所の留守殿からの報告が届き、中山郡長直率のもと万事予定通りに上納金の納付は進捗中とのことです。郡内戸長ことごとく、閣下の威令に従わざる者は一人もございません。」


 執務机に座り見上げる三島通庸山形県令の前、直立不動で佇む高木秀明土木課長が報告しました。この日、留守秀永筆頭書記の命を受けた和田徹書記が、現地の状況報告に山形県庁を訪れたのでした。


「うむ。」


 満足そうに三島県令が頷きます。しかし、それに続く言葉を発した三島の瞳は冷たく光っていました。


「……いよいよ仕上げでごわすな、鬼塚どん。」


 三島が高木課長から目を移し、隣に控える鬼塚綱正警部に言葉を向けます。


「ははっ!」


 腰のサーベルをじゃらつかせて踵を揃えた鬼塚警部は、短く返答しつつ、三島に向けて慇懃に答礼叩頭しました。


「あとんこつは、おんしらにお任せしもんそ。きばってくいやんせ。」


 そう言った三島の口許が僅かに釣り上がり、満足の笑みを浮かべているように見えました。


**********


 東村山郡において久右衛門たちの運動が郡役所側からの弾圧により完全にその息の根を止められてしまい、県庁にも東村山郡役所からの状況報告が届いた頃、地元の状況を知らない佐藤伊之吉は、仙台で代言人の遠藤庸次と来たるべき裁判の準備に余念がありません。


「伊之吉さん、もう、十分ですよ。郡役所がいかに屁理屈をこねようと、法律上では住民側の優位は揺るぎません。……我々は必ず勝ちます。負ける筈がない。」


 遠藤庸次は代言人として当然ながら民権論に対する理解と共感を持っています。そして住民が集団で地方官の不正に反対を突きつけるという快挙に痛快な思いをもって、今回の仕事に携われることに名誉すら感じています。今の、裁判の勝利を確信して、自信たっぷりに伊之吉へ笑顔を向けています。


「裁判の事は心配していません。しかし、遠藤先生、先日、宇左衛門の使いで来た忠三郎の話しでは、役所が巡査を使って荒谷村の村人達にひどい暴力を振るったと聞きました。警察を使って人民を締め上げた上に、いざ裁判の開始となっても、裁判を無視して法廷に郡長が出てこなかったらいかがいたしましょう。」


 伊之吉の不安も無理からぬことでした。村形忠三郎の話しを聞いた限りでは、郡役所と警察の行った深谷村民に対する所行は、伊之吉の予想を遥かに超えた蛮行でした。


 しかし、代言人たる遠藤庸次は、被告の五條郡長が裁判に出てこないのではないかという伊之吉の心配には、まったく懸念はしていないようです。


「それはないでしょう。小野組事件で裁判を無視し続けた京都府は全面敗訴しましたし、その顛末は官民等しく知るところとなっています。今更、そのような愚かな方策を取るとは思えません。それに、裁判制度を無視しての住民弾圧の暴挙、そんな非道なやり口は自ら墓穴を掘ったようなものです。審理の過程で、その不法行為も余さず明らかにしてやりましょう。」


 そこで言葉を区切った遠藤は、居住まいを糺し、一度、瞑目して言葉を改めました。


「荒谷村の方々にはお気の毒ですが、むしろ我々には好都合で、役所側に対する裁判官の心証が悪くなるだけです。荒谷村住民の皆さんの仇は、我々がきっちり法廷でつけてあげましょう。」


 遠藤が口にした小野組事件とは、京都に本拠を置く政商小野組が、東京遷都を受けて本社の東京移転を届け出たところ、京都の衰退を危惧した京都府が移転を妨害したことに端を発し、裁判にまでもつれこんだ問題です。


 京都府は裁判を欠席して裁判制度そのものを無視する対応に出ましたが、最終的に京都府知事と大参事の両名に懲役罰金の実刑が課される有罪判決が下されました。更に、両名が判決に服さない態度を続けたため、東京出張に来た大参事の身柄を拘束して強制収監に至ります。こうして、司法省と政府の断固たる対応で、裁判制度における遵法精神が守られることとなりました。


 つまり、いかに薩長藩閥に連なる維新の功労者といえど、法律を恣意的に曲げるような勝手な行為は許されないということが、正式に裁判の判例として記録されたことになります。これは、いかな官であれ、裁判無視の態度は許されないという先例となりました。


「むしろ、心配なのは……。」


 遠藤は言いにくそうに言葉を詰まらせます。


「それは?」


 やや懸念を見せたその表情に、伊之吉は即座に反応します。


「それは、このまま役所の弾圧が郡内全域に及ばないかということです。」


 遠藤はそう言うと、伊之吉の反応を確かめつつ話しを続けます。


「もしそうなれば、追い込まれた住民が取るであろう方策は、わたしが考えるにふたつあります。ひとつは、力には力で対抗する……、つまり、武力蜂起、百姓一揆です。あなたからお聞きしている盟友の安達久右衛門さんなり、村形宇左衛門さんなりが中心となって立ち上がれば、あるいは?」


 そこで話しを切った遠藤の後を受けて、伊之吉が不吉な未来予想図を描き出します。


「その場合、郡役所を焼き討ちするぐらいならできるでしょう……、しかし、そうしたら鎮台が出てくるでしょう。巡査相手ならともかく、銃を構えた鎮台兵が来たら百姓にはとても叶いません。それに……。」


「それに?」


 今度は、伊之吉の含みを持たせた言葉に遠藤が反応します。


「久右衛門さんや宇左衛門と話し合い、みんなで誓ったんです。峰一郎や梅、この子供たちのためにも恥ずかしいことはすまい、正々堂々、法律に従って戦う、そう誓ったんです。だから、久右衛門さんたちも一揆なんかは絶対にやりません。百姓は、鋤や鍬を土を耕すためにしか使ってはならんのです。それを人をあやめる道具なんかにしてはならんのです。」


 伊之吉は、かりそめの許嫁を命じた時の、峰一郎と梅の姿を思い起こしました。使命感に震える峰一郎と、父に強い決意を示した梅の、ふたりの健気な姿が瞼に焼き付いて離れません。


 この可愛い子供たちの将来のため、伊之吉は言葉に力を込めて、ひたと遠藤の瞳を見つめて答えました。


 伊之吉の熱情溢れるその言葉に、遠藤もまた、我が意を得たりとした表情でほほえみます。


「伊之吉さんの自慢の娘婿ですね。頼もしい若者だ。……しかし、その言葉を聞いて私も安心しました。となると、心配なのはもうひとつだけです。」


「それは?」


 今度は伊之吉が尋ねる番でした。


「郡役所の弾圧により、盟約を離脱して委任状を取り下げる村人が続出しないかと言うことです。」


「確かに……。」


 その言葉に伊之吉は腕組みをして考えこんでしまいました。忠三郎からの連絡で深谷村の状況を知った時から、それについての不安が日増しに大きくなっていたのです。


「原告団が瓦解して原告不在となれば裁判は成立しません。」


 それが県側の狙いであるとは知る由もない伊之吉でしたが、その危険性には漠然としながらも察してはいました。しかし、遠藤のその言葉に伊之吉は決然と答えます。


「いや、たとえ私が最後の一人になったとしても、原告として裁判を戦い抜くつもりです。」


 遠藤もまた、伊之吉の決意に対しては、さもありなんという風で何度も頷きます。しかし、いかに思いだけが強くとも、事はそう簡単に進まないのも事実なのでした。


**********


(史実解説)


 小野組事件とは、小野組転籍事件として知られる、一連の裁判を軸とした民事事件を言います。元々、小野組は、江戸時代に、東北地方の特に陸羽地方南部藩(現在の岩手県)と京都を結ぶ交易で財をなした商人で、京都・江戸・盛岡を結んで木綿・生糸・油・酒などを取り扱い、明治初年度には三井組・島田組と並ぶ豪商に成長しました。


 小野組の東京への転籍を妨害したのは京都府知事長谷信篤と京都府権大参事槇村正直でした。長谷信篤は公卿出身の傀儡トップであり、実質的に京都府政を取り仕切っていたのは槇村大参事でした。槇村は長州藩出身ですが藩祐筆という事務官僚で、維新における事蹟には特に見るべきものもありません。しかし、当時の京都府政庁では長州閥が形成されており、京都裁判所も京都府の鼻息をうかがい、小野組からの訴訟を受理しながら裁判を進めようとはしませんでした。


 これに対し、当時の司法卿であった江藤新平は、担当裁判官を更迭して新たに北畠治房を派遣し、北畠は小野組戸籍の送付を京都府に命令しましたが、それでも京都府側は裁判所命令に服そうとはしませんでした。その後、征韓論政変で江藤新平が下野するにおよび、事態はますます膠着状態に陥ります。


 しかし、その法を無視した京都府の対応に、明治政府の内部から疑問の声が上がります。声を上げたのは同じ長州出身の文部卿木戸孝允であり、木戸は長谷知事への説得を始めます。これを受けて京都裁判所も、より厳しい態度で京都府に臨み、明治6年12月、知事に懲役百日もしくは贖罪金40円、大参事に対しては懲役百日もしくは贖罪金30円という命令を出します。そして、両者がこれを守らないと見るや、槇村大参事が東京に出た機に身柄を拘束し、遂に彼の収監に至ります。長谷知事は司法省のこの強硬措置に動揺し、木戸の説得を受け入れ、明治7年、ようやく送籍手続きがとられて小野組の希望は叶いました。


 明治6年当時、小野組は全国に支店四十余、大阪府の外二十八県と為替契約を結び、三井組を凌駕する大政商に成長します。しかし、明治7年、政府の為替方担保額の引上げ等の一方的な金融政策の急変により、小野組はたちまち破産閉店しました。小野組の急速な破綻は様々な疑惑と憶測がなされていますが真相は不明のまま、槇村大参事は第2代京都府知事となって復権を果たします。その後、元老院議官・貴族院議員を務め男爵位を授爵しました。長谷知事のその後は、貴族院議員・子爵授爵にて、明治35年、当時としては驚くべき長命で85歳の天寿を全うしました。


 ちなみに、現在のみずほ銀行は、小野組と三井組が渋沢栄一の仲介で共同設立した三井小野組合銀行です。三井小野組合銀行は、日本最古の銀行たる第一国立銀行の前身でありました。

 事態の順調な推移を受けて、三島県令はいよいよ最後の仕上げを下すべく、鬼塚警部に命令を下します。一方の仙台では、佐藤伊之吉が代言人の遠藤庸治と裁判の準備に余念がありません。裁判での勝利は確実のものと思われていましたが、故郷からもたらされた知らせで、残された住民達が郡役所の弾圧にさらされている現状を知るに及び、伊之吉にも不安が募ってきます。

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