第88話 留守永秀と安達久右衛門の会見
住民運動は裁判へ舞台を移すかに見えましたが、県側は裁判前に弾圧強行で裁判自体の不成立を狙います。荒谷村民の誓願を県警が力で鎮圧し拘留威圧せしめます。この惨劇を知った久右衛門は、戸長宇左衛門に仮処分申請策を授けますが、その手続きの最中、再び郡役所に郡民四百名が頓集し事態は急展開を見せます。しかし、荒谷村の惨劇を知る住民達は巡査隊が登場するや雲散霧消します。この時とばかりに郡役所の面々は警察力を背景に、様々な手練手管で住民達の切り崩しを図ります。
安達久右衛門の自宅、客間の上座に東村山郡筆頭郡書記の留守永秀が座り、それに向かい下座の久右衛門が畳に両手をついて口上を述べます。
「かようなむさ苦しきあばら家にまで、留守殿の御来所をいただくとは、恐れ入ります。急なことにて何のおもてなしもかなわず恐縮次第にございます。」
留守はにこやかに答えます。
「なに、公用のついでに、先だっての約束を果たしに足を運んで来たまで。」
留守が言う約束とは、10月の第1回上申での会話を指します。あの折、留守は小鶴沢川から高楯村に入る道のことをたずねました。もっとも、それは高楯村への訪問を企図してのことではなく、峰一郎ら少年たちの郡役人への狼藉事件への謎かけであったものでしたが。
「此度のことでは、いささか住民との意思の疎通が不十分であったようだ。いらぬ誤解や行き違いも多々あった。これからは郡の役所も変わらねばならんの。」
郡役所も変わらねばならんと自ら語る留守の言葉に、久右衛門は内心驚きを隠せません。役所の何を変えるべきだと言うのか、留守の真意はまだ分かりませんが、意外にも住民への理解を示す言葉でした。
しかし、その言葉を額面通りに受け止められるほどには久右衛門もお目出度くはありません。
「恐れ多いことで。百姓たちは生きることに必死なだけであります。お国のお考えも分からぬではありませんが、私共としては、ただただ我々の苦しき生活からする日々の思いを、郡長閣下にお汲み取り頂きたいだけでございまする。」
「うむ、もっともだ。我々もいたずらに人民を虐げるつもりはない。ただただ郷土の繁栄と国家の隆盛を目指すのみ。多少の労苦は甘受していただきたいが、今後はますます住民の協力を仰がねばならぬ。それもあって、近々、皆さんにお集まり願うことになるだろう。」
久右衛門はその言葉にピクリと反応を示しました。留守としてはそれだけで十分、久右衛門に意は伝わったものと理解できました。つまり、留守は今回の新道建設に関連して問題となっている負担金問題を最終的に解決するため、郡内全町村の戸長を郡役所に召集すると言っているのです。
「ついては、住民の考えを郡政に役立てさせるためにも、住民の主だった皆さん方を郡役所にお迎えして、新たにお力添えを賜らねばなりません。今日はその御挨拶に参ったものと思し召しくだされ。」
「ほう……」
久右衛門は留守の言葉に頭をひねりました。その言葉通りであれば、住民の意見を郡政に反映させるために、役所に住民の中の有力者を新たに新規の役人として採用するという意味に取れます。
しかし、今までの経緯を考えれば役所が住民の意見を取り入れてくれるなどと楽観的に考えることはとてもできません。ましてや、今までの行きがかり上、久右衛門に郡役所入りを求められたりしたら、住民の目からは変節と映りかねず、かえって信を失いかねません。では、挨拶と言うなら、なぜ、わざわざ久右衛門の家にまで足を運びに来たのか。
その時でした、玄関の引き戸をガラッと開けて、血相を変えた峰一郎が入ってきました。
「役人!何しに来た!」
思わず叫んだ峰一郎ですが、間髪を入れず久右衛門の大声が峰一郎を制します。
「控えよ、峰一郎!」
留守は峰一郎の突然の闖入にも動ぜず、笑顔を向けて話しを続けます。
「おお、連合会議員をしている安達久殿の御子息ですな。確か、歳若にもかかわらず山野辺学校の教師をしている優秀な若者と聞いております。」
「お恥ずかしき限りです。ついつい甘えさせてしまい、御場所柄もわきまえぬ不行き届き、なにとぞお許しくださいませ。」
留守は峰一郎をじっと見つめると、峰一郎もまた負けじと見つめ返します。
(うむ。良い眼をしているな。和田から聞いた通り、なかなかに頼もしき青年だ。)
留守は思いがけず、気に掛けていた噂の青年を直に見分したことで満足しました。これを汐に、留守は席を立ちあがります。
「つい長居をいたしました。そろそろおいとましましょう」
「これはこれは、なにもお構いできず、不調法をいたしました。」
すると、框を降りて靴を履いた留守が思い出したように久右衛門に言葉を掛けました。
「そうそう、言い忘れておりましたが、此度、郡長閣下が急に山形へ栄転することになり、当面、北郡の郡長が東郡の郡長を兼務することになりました。」
北郡の郡長が東郡の郡長を兼務する……、その言葉だけで久右衛門はすべてを察しました。久右衛門の顔色がサッと曇ります。
北郡の郡長は元水戸藩士、天狗党にも所属していたと噂される中山高明です。もちろん、三島県令の腹心で、熱烈な新道建設推進者でもあり、今回の事業では最右翼の激派と目されています。現職の栄転とは言いながら、これは事実上の更迭人事に他なりません。
この人事の意味するところは、住民上申と郡役所回答を繰り返す従来の説諭対応の方針は手ぬるいものとして破棄し、新道建設工事も負担金問題も現状のまま当初の予定通りに強行する意思表示に他なりません。
(なるほど、あの上申でのけんもほろろな応対や荒谷村への仕打ちの理由は、このようなわけであったか。)
久右衛門は、先日の4回目の上申の際のやりとりや、天童村の住人から聞き取りした荒谷村民の身の上に起きた惨劇の背景には、郡役所の方針転換があったことを知りました。しかし、真実はより切実で、政策方針を住民弾圧に確定したのは、郡役所ではなく山形県そのものだったのでした。
しかし、留守の言葉はそれだけに終わりませんでした。
「先ほども申しましたが、併せて郡においても地元の有力者を役所にお招きして人心を一新いたします。これからも何卒、東村山郡の郡政のため、一層のお力添えをお願いいたします。」
つまり、住民意思の尊重を建前としながら、実質的には、これは体の良い人質を意味しました。少なくとも久右衛門にはそのように受け止めざるを得ません。そして、続く留守の言葉に久右衛門は更に愕然とさせられたのでした。
「……確か、山野辺村の戸長は、久右衛門殿の父方のおじい様に当りますな。これまでも山野辺村において村民のためにご活躍して、齢70に近くなりながら未だにかくしゃくとしてお元気な御様子、祝着に存じます。私もあやかりたいものです。」
久右衛門は、今回の留守郡書記による突然の訪問の意図がようやくつかめました。
郡役所への上申運動を行った実質的な中心人物は高楯村の安達久右衛門と天童村の佐藤伊之吉です。久右衛門は、天童地区に比べ人口は少なりとはいえ天童地区と同じだけの広大さを有する山野辺地区を見事にまとめ上げました。留守もその久右衛門の手腕には舌を巻いています。数を押し出して訴訟に持ち込んだのは天童の伊之吉でしたが、共同歩調を取りつつ時に運動を主導していた久右衛門の手腕を、留守は見逃してはいませんでした。
だからこそ、現職の戸長をしている者を、強引にも採用という形式で郡役所に召喚しようというのでしょう。しかも、本人の召喚ではなしに、久右衛門にとっては直系尊属に当たる身内というところが、なかなかに嫌らしいやり口に感じられます。
そうなると、久右衛門にはもうひとりの顔も浮かんできます。伊之吉の実父で現職の天童村戸長をしている佐藤直正をもまた、同じように伊之吉の行動を掣肘するための人質にすることは間違いありません。そうすることで運動の中心人物の行動を抑えようというのでしょう。
というのも、これには前例がありました。つい昨年、明治12年のこと、伊之吉が三島県令を訴えた際に、それに賛同して委任状を出したとして、山野辺戸長に就任したばかりの祖父を逮捕拘留したのでした。何の犯罪も犯していなかった公職にある者を、県令の意に背く裁判に賛同したという理由で、山形警察署が逮捕したのです。その時、久右衛門は祖父の身を案じて、委任状取下げをはかったのでした。
「ありがたきお言葉、留守殿のお言葉に祖父も喜ぶでしょう。祖父に代わりお礼申し上げます。」
久右衛門は素知らぬ風で、留守に挨拶を返すのが精一杯でした。知らぬ間に久右衛門の背中には冷たいものが流れているのでした。
「いや、年寄の言うことはよくよく聞かねばなりませんからな。お大事にしてあげてくだされ。本日は、まずは失礼いたしました。」
そう言うと留守は従僕を従えて土間に歩を進めます。そして、峰一郎の横に立ち止まり、その面構えを一瞥しました。その間に従僕は玄関の引き戸を開けて留守を待ちます。
峰一郎は唇をぎゅっと引き結んだまま留守を睨んでいましたが、留守は峰一郎に向かってにっこり笑うと玄関の引き戸から外へと出ていきました。
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(史実解説)
安達久右衛門の父である先代久右衛門は、第45話本文でも申し上げましたように、山野辺村の地主渡辺家から婿入りしました。渡辺家は山野辺村のみならず、高楯地区にも農地を所有する地元の大地主でした。久右衛門の父方の実祖父は山野辺村の渡辺家の当主で、当時、まだ壮健にて山野辺村・東高楯村・西高楯村三村の戸長を兼任で勤めていました。本文にあります通り、その後、第12話で解説しましたように天童市立旧東村山郡役所資料館所蔵郡役所日誌中の明治十三年十二月「郡吏員姓名録」にその姓名が記されています。
その戸長の名前が渡辺庄右衛門です。この名前に読者の皆様方には記憶があるかもしれません。峰一郎たちが小鶴沢川で迎え撃った時の役人の名前です。当初、渡辺家の認識が薄かった筆者は、「郡吏員姓名録」に「渡辺庄右衛門」の名前を見つけた時、つい筆者の山辺中学時代に個性の立った同姓同名の教師に思い至り、これ幸いにと敵役として登場させてしまいました。しかし、調査を進めるにつれて渡辺庄右衛門の存在感の大きさが実感できるようになりました。そして、その「姓名録」を調べる中で、その中にもうひとり、東村山郡の重要人物が入っていることが判明しました。それが、佐藤伊之吉の父親であり天童村戸長である佐藤直正です。新道建設負担金反対上申書の代表者二名の実祖父と実父が、現職の戸長でありながら、同時に郡役所の下級郡書記に名前を並べている不自然さを感じた時、筆者の頭にひとつの仮説が浮かび上がりました。それが「上申代表者の尊属人質説」です。
以上の経緯から、物語序盤の内容については、後日、大幅な加筆訂正を予定しております。小鶴沢川の役人迎撃のくだりは人物を変えて訂正します。他にも、当初、久右衛門を戸長として記載した部分と、安達家本家に婿入りしたのが当代久右衛門ではなく先代久右衛門であった点など、細かな修正部位もありますので、お時間をいただきたいと存じます。読者の皆様方には不十分な小説を提供した筆者のお粗末さをお詫びするとともに、この小説創作がなければこのような仮説も発見できませんでしたので、併せてこの発見を読者の皆様方に感謝申し上げる次第です。まさに「小説は生き物である」と実感いたしました。
なお、明治12年に伊之吉が三島県令を訴えたのは、第31話で一部紹介した「地券證印税處分不服ノ訴訟」のことです。
高楯村の安達久右衛門宅には郡書記筆頭の留守永秀がわざわざ足を運んで来ました。しかし、留守は住民たちとの一切の妥協はしないことを暗に伝えるとともに、久右衛門の実祖父に当たる現職の山野辺村戸長の身柄を郡役所にあずかることをほのめかします。




