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第84話 荒谷村村民の惨劇

 峰一郎が教師に転じた後、伊之吉が遂に宮城上等裁判所への提訴に成功します。法律に基づく住民側主張は正当で、県側不利は免れません。県は直ちに対策を協議、山形県庁は警察権力行使と住民弾圧を決意しました。宇左衛門が村民を引き連れ郡役所に押しかけて圧力をかけると、役所は宇左衛門を住民から切り離し郡役所に拘束します。宇左衛門の身を案じる村民は役所へ再び押しかけますが、そこへ鬼塚警部の率いる山形警察本署精鋭部隊がいよいよ姿を現します。

 明治13年11月30日の夕刻、東村山郡役所前にて、山形警察本署鬼塚警部陣頭指揮による治安回復警察行動が遂に開始されました。


 いきなり背後から攻め立てられた村民たちは混乱します。群衆の後方には女性や年寄りが多く、前方で役人と対峙していた男衆が、この急な危機に駆けつけようとしても、混乱する人波に遮られ、思うように動けません。


 その間も、巡査の右手に構えた警棒が、老若男女を問わず、目の前にいる百姓の身体や顔面を容赦なく叩きのめします。


(ガン!)

(グワン!)

(バシ!)

(ボゴッ!)


「うわ~!」

「なんじゃあ!」

「ぎゃあ!」

「ぐえっ!」


 村人たちの絶叫が郡役所の前で響きます。抵抗を試みる男たちも何人かはいましたが、統率の取れた巡査隊を相手にするのに、連携も何もない個人個人の徒手空拳ではまったく抗せるものではありません。次々に巡査隊の警棒の餌食となっていきます。


(ビシッ!)

(バシッ!)

(バンッ!)

(ボゴッ!)


「たすけで〜!」

「あんたあ〜!」

「やめでけろ〜!」


 頭部を撲打されて額や頭から血を流す者、打撲した腕や足を抱え地面を転がり回る者、腹を抱えうずくまったまま動けぬ者、一方的な正視に耐えない暴力がそこで展開されました。


 勝敗は最初の5分もかからずに明白となりました。住民のおよそ半数の男衆は、あっという間に地面に倒れ伏し、残りの年寄や女たちも地面にひれ伏して泣きわめいています。


 状況の逆転に、役所前で及び腰になっていた天童分署の巡査十数名も、ここぞとばかりに勇躍し、警棒を振るって住民たちの中に躍り込みます。その様子に苦笑しつつも、鬼塚警部は満足気に眺めていました。


「いでぇ……いでえよぉ……。」

「あんたぁ、うっ……ううっ……。」

「なまんだぶ、なまんだぶ……。」


 天童分署の巡査を含めても、村人の半分にも満たない数の巡査隊でしたが、戦闘は一方的でした。いえ、もはや戦闘と言えるものではありません。一方的な暴力が、武器を持たぬ無力な百姓に対して行使されたのです。


 そして、その暴力の嵐が過ぎ去ったあとには、巡査隊の中で高らかに哄笑する鬼塚警部の姿が、まるで返り血を浴びたかのように、夕陽を浴びて真っ赤に浮き上がって見えるのでした。


「はっはっはっ!思い知ったか、百姓ども!おいどんらに逆らった報いがこのザマじゃっど!」


 郡役所前の広場に百人もの人々が倒れ伏す中、鬼塚警部の勝鬨が響き渡ります。


 こうして住民たちは抵抗らしい抵抗もできないまま、ほとんど全員、女や年寄までもが巡査隊に取り押さえられたのでした。


**********


 村形宇左衛門は、拘束されたままの室内で、これからどのようにして郡役所や警察の取り調べに対抗すべきか、何度も何度も考えをめぐらしました。


 もともと百姓で力仕事も苦にならない宇左衛門は、戸長ではあっても体力には自信がありました。どんな拷問であろうと、負けないだけの自信もありました。


 しかし、そんな時でした……


 突然、窓の外から騒ぎ声が聞こえてきました。どうやら、村民たちが自分が戻らないのを訝しんで、再び騒ぎ始めたようです。聞きなれた村人らしき声も、応対している巡査や郡書記の悲鳴に似た絶叫も聞こえます。


 宇左衛門は、村民の声に勇気をもらいながらも、一方で、ここまでの大事になってしまい、郡役所に女・年寄まで引き連れて来て良かったものか、若干の後悔もにじませていました。


 そんな時です、外から聞こえてくる声の色が急に激しくただごとならぬ色に変わってきました。その異変にすぐに気づいた宇左衛門ですが、身体は椅子に縛り付けられてどうにもなりません。


「なんだ!何が起ぎっだんだ!なしたんだ!誰が、出でこい!」


 気持ちだけがわけのわからぬ不安に急き立てられ、どす黒い手に心臓を鷲掴みにされたような得体の知れない恐怖に襲われる宇左衛門でした。


 その時、部屋の扉が開き、先刻の拜郷郡書記が現れました。拜郷は顔に笑みすら浮かべて、動揺する宇左衛門の姿を楽しげに見つめます。


「いかがした、宇左衛門。」


 それは、まるですべてを知っている上で、白々しく問いかけているようにしか、宇左衛門には見えませんでした。


「あの騒ぎはなんだ!俺の村の仲間さ、何しったんだ!」


 宇左衛門の聞き知った声の悲鳴や絶叫が聞こえてきます。聞き覚えのある声が泣いています。思わず耳を塞ぎたくなるような悲鳴・絶叫・涙声がとめどなく彼の耳に届いてきます。


「おなごや年寄りもおるだろうに。可哀想なことよの。しかし、すべてはおのれ自身が引き起こしたことよ。恨むなら自分を恨むことだ。」


「貴様!」


 それだけで宇左衛門にはすべてが理解できました。


 未来の子供たちのため、恥ずかしい行いだけはすまい、暴力では何も解決はしない、飽くまでも法律にのっとり、文明の民として堂々と主張しようぞ……、そう安達久右衛門や佐藤伊之吉と話し合い、進めてきた住民運動でした。


 しかし、今、宇左衛門の頭の中で、その構想がガラガラと音を立てて崩れました。


「権助……われっけな……こだなどごまでちぇで来て……文次……よぐ、がんばてけだ……うっ、……うっ……忠三郎……ずっと助けでけで……ありがどな……又左……初めでの息子ば抱いで、……頑張っべって言ってけだ……うううっ……。」


 椅子にくくりつけられたまま、宇左衛門は村人ひとりひとりの顔を思い浮かべつつ、うなだれて慟哭していました。


「おさよ……男勝りによぐやった、ありがど……うの……腹のややこ、だいじょぶが、……ちぇで来て、われっけ……すん……としょり抱えで苦労しったなさ、俺のせいだ……うっ、うううっ……。」


 宇左衛門は、うつむいたまま、ボロボロと大粒の涙を床に落とします。そして、ひとりひとりの村人の顔を思い浮かべながら、声をかけ、何度も何度も詫びの言葉を繰り返しました。


 いつの間にか、窓の外の喧騒は消え、静寂だけが流れていました。


**********


 この日、村人の多くに怪我人を出しましたが、幸いにも重症者は少なく済みました。しかし、警察に捕縛された荒谷村の村人たちは、深夜10時を過ぎても帰村を許されず、婦女子に至るまで郡役所講堂に留置されました。


「宇左衛門、貴様が強情を張った結果がこのザマだ。貴様もよく見ておくが良い。貴様が委任状を取り下げ納付金協力の念書に印判を押すまで、いつまでも取り調べは続く。」


 拝郷郡書記が愉快そうに宇左衛門に話し掛けます。身体を後ろ手に縛り上げられた宇左衛門の目の前では、鬼が人々を苛む地獄絵図さながらの情景が展開されていました。


 そこでは、巡査が警棒を振るい床を叩き鳴らしながら、延々と役所と警察による脅迫が、無防備で怪我を負った住民たちに続けられていたのです。


「うらぁ!決めらっだ通り金を納めんじゃ!生意気にお上に逆らいくさって、分がてんだが!」


「金がねぇなら家財道具も売っぱらえ!娘ば売ってでも納めろや!分がたが!」


「いいが、お前だは、お上の言う事だげ聞いでればしぇえなや!思い上がんな!口な出さねで金ば出せ!」


「委任状取り下げと納付金協力の紙さ、おどなしく印判したら、すぐにでも帰してやるべ。早ぐ書いで楽んなれ。」


 とても、郡民を慈しむ役所のありようからはかけ離れている有様が、郡役所の講堂の中で繰り広げられていました。官吏が堂々と郡民から金を絞り上げているのです。


 一番、近いところを無理に検索するなら、ヤクザの取り立てがもっとも近いかもしれません。いえ、この有様には、さすがのヤクザでさえも鼻白むでしょう。


「強情を張り通すならそれも良かろう。お誂え向きに天童分署も落成したことだし、戸長・村民、仲良く、新品の牢屋の使い心地を好きなだけ試してもらおうか。ハッハッハッ!」


 拝郷郡書記の高笑いの中、宇左衛門はがっくりと膝をつき、頭を床に突っ伏して涙を流しました。


(うっううっ……伊之吉……われな、……俺、ダメだがもすんね……。せっかぐ、頑張てけだなさ、うっうっ……すまね……。)


 自分が打擲を受けるならまだしも、村の女・子供・年寄りまで質に取られた宇左衛門には、もはや頑張り通す自信がなくなったのでした。


 この日、明治13年11月30日の東村山郡の運命の日は、こうして荒谷村村民の涙の中に終わろうとしていました。


**********


(史実解説)


 明治13年11月30日、この日、荒谷村戸長以下村民百余名が東村山郡役所に押しかけたことは記録に残っています。そして、深夜まで村民が役所内に拘束され脅迫を受けた事実も記録にあります。しかし、その間の経緯が記録では伺い知れません。役所側から言葉巧みに役所に連れ込まれた可能性も否定はできません。しかし、百名もの人々が脅されるのを承知ですんなり拘束されるのか、それにも疑問が残ります。そこで筆者としてはひとつの可能性として巡査による制圧という設定にしました。それが、その後の郡役所での脅迫的行為にも繋がるものとなったように思います。


 なお、それが筆者の創作ではないことを示す証左に、後に書かれた宇左衛門自身の証言をご紹介しましょう。当日は村民一同、戸主不在の者は婦女子に至るまで郡役所に召喚され、午後10時になっても帰村を許されず、「該金上納せざる内、たとえ幾日たるも天童郡役所へ留め置き、該上納金に重遇する若干の入費を費へやさしむべく、故に家財等売却するに至るも、上納を為さしめずんば決っして止まざる旨」脅迫されたと、役所側の具体的脅迫までをも記した生々しい証言が記録に残っています。

 警察権力が遂に住民に対して牙をむきました。武器を持たない住民が、警察権力による暴力の嵐にさらされたのでした。更にその後、警察により鎮圧された住民は、女や年寄りまで郡役所内に拘留され、一晩中、役人と警察からの責め苦を受けます。宇左衛門はその権力による暴力の前に、住民の無力をいやがうえにも思い知らされることとなったのでした。

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