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第77話 天童警察分署落成式

 住民運動における峰一郎の活動は官吏の知る所となって学校教師に転じます。峰一郎は教育に生き甲斐を感じ始める一方、教育の実情には不条理さも感じていた折、学務員の高橋弥四郎の話しを受け、使命感を培い不断の努力を重ねる事が必ずや教育の普及に役立つ事を教わります。その間も住民の上申活動は続き、東西連携を失った住民達は運動を次の段階に進める事を覚悟します。そして、より困難が予想される伊之吉の今後を案じつつ、久右衛門は盟友の後姿を見送るのでした。

 10月25日に提出された三度目の住民側上申書に対する郡役所の回答は、意外に時間がかかり、11月17日にようやく『郡達庶務第647号』として公開されました。その内容は「若し縷述する如く該会たるや実に手続きを欠きたる者なりとせば、開会の期に先ち之を論ずべきものにして、既に評決済みの後に至り、固より囂嘯す可き理由之無く候」というものでした。


 つまり、村山四郡連合会が無効であると言うのであるならば、それは会議をする前に論ずるべきである、というものでした。


 しかし、この会議の通知は戸長に対してのみあったものであり、大多数の住民は会議の存在さえも知らされなかったものであり、役所側の反論自体が実はナンセンスでありました。


 役所としては、この再々上申書を論駁すべき根拠が見出だせず、なかば上申書の正当性を認めざるを得ないながらも、既成事実を盾に、居直るほかなかったのでした。会議無効を言うのならば会議の前に主張すべきで、決議してからでは取り上げられないと、あたかも会議の無効性を役所自らが認めるような反論しか出来なかったのです。


 回答までに、ひと月近くも要しながら、いかにも中身の薄い回答であったと言わざるをえませんでした。しかし、そこには郡役所側の理由の一端がありました。ちょうどその同じ日、天童村のある場所で、盛大な式典が催されていたのでした。


**********


 郡役所の回答書が公開されたのと同じ日の11月17日、天童警察分署の分署建物が天童村に落成しました。天童分署は、既に明治10年に山形警察署天童分署として東村山郡内の天童地区に開署していました。しかし、それまでは田鶴町にある元天童藩の建物に間借りしていたものでした。


 天童分署の落成式には、警察関係者のみならず、県庁からの来賓の他に、村山四郡役所関係者、地元の戸長・地主ら有力者たちも多くお祝いに駆けつけて、盛大に新分署のお披露目がされまたのでした。


 天童村戸長佐藤直正も、この式典に出席するため、縞の平袴と黒の紋付に白足袋を履き、紋付には純白の房付き羽織紐を付けて、見事な正装に身を包みんでいました。


 草鞋を穿き、玄関の式台から立ち上がった直正は、上り框に控える息子の伊之吉に声を掛けます。


「伊之吉、だば、出がげでくっからな。」


 伊之吉は、いつになく神妙に、その板の間に正座をして、父親の姿を見上げます。


「親爺、道中、無事でな。」


 その物言いに、直正は、つい笑顔になってしまいます。


「何、言ってっべ。分署な、目ど鼻の先のそごだべず。道中もないもんだべ。」


 そう言いながらも、直正は息子の真剣な眼差しを受け止めて言葉を続けます。


「お前も、……無理はすんな。嫁や子供が待ってっからな。」


 その言葉に、伊之吉はうなだれて板の間に手を付いて頭を下げました。言わず語らずの内に、お互いの胸の内が痛いほどに分かる親子の別離でした。


**********


 天童分署落成式には、県側から山形警察署のトップでもある鬼塚綱正一等警部と、三島県令の代理として高木秀明土木課長が出席、地元東村山郡の郡役所からは、五條為栄郡長と留守永秀郡書記、そして庶務担当の拜郷直郡書記が出席しました。


 また、東村山郡住民からもお祝いのために田津町や天童村を始めとする近隣村々の戸長がお祝いに駆けつけました。当然、天童村の佐藤直正戸長や山野辺村の渡辺庄右衛門戸長もその中にいました。


 そして、東村山郡と同じく天童分署の管轄区域となる西村山郡からも、西川耕作県議・松浦吉三郎県議らの議員団が出席し、更に遠く北村山郡から中山高明郡長の姿までもが見受けられました。


 関山新道開削を推進する県側に加え、反対運動を推進する地元住民、また、仲裁に暗躍する西村山郡議員団が、呉越同舟よろしく、同じ会場に一堂に会していたのでした。


「郡長閣下、あちらで天童分署長が閣下をお待ちかねです。どうぞ、こちらへ。」


 拜郷書記が五條郡長に近づいて声を掛けました。


「おぉ、そうですか。それはそれは、このように立派な警察署を開署していただき、これで郡内の治安はこれまで以上に安泰というものです。署長には今後とも一層励んでいただかねばなりませんからね。参りましょう。」


 拜郷書記の案内を受けた五條郡長が、いそいそと分署長のもとへと楽しそうに向かいます。


 関山新道工事に対する住民の反発により、鬱々として楽しむことのなかった五條郡長にとって、天童警察分署の落成式典は、久々に味わうハレの行事でありました。五條は、今日までの鬱屈したものを吹き払うかのように、足取りも軽く、まるで愛しい思い人のもとにでも向かうかのようです。


 すると、五條郡長が席を外したのを、まるで待ちかねたかのように、留守永秀書記が立ち上がり、郡長とは別の方向に歩き始めました。留守の向かった先は県庁からの来賓者のいる席でした。


「この度は、分署の落成にひとかたならぬご尽力をいただき、また、かように早期の竣工を見れるとは望外の至りです。」


 慇懃に留守が頭を下げた先には、来賓席に座る高木課長と鬼塚警部がいました。鬼塚警部が相好を崩して留守に答えます。


「いやぁ、こいで郡下に展開でくっ警官も大勢できもんそ。更に、いつでん山形から警察隊を増派しても分署と郡役所との受入があれば安心でごわす。」


 今までの派出所並みの人員から、一挙に、百名規模の警官の常駐が可能になったのです。山形からの増派が1~2時間で可能となれば、その装備から炊厨・宿泊までの受入体制が万全になったことで、一気に警察力の武威を郡下に示すことが可能になりました。


「今までお手数をお掛けして、郡としては心苦しいばかりでした。今後ともよろしくお願いいたします。」


 謙虚に頭を垂れる留守に対し、高木が声を添えます。


「いえ、今回の事態は予想されたことではありましたが、我々県庁の予測見込みが甘すぎました。留守殿にはいらぬ苦労をお掛けして、こちらこそ心苦しく思っております。」


 高木課長の労いの言葉に、留守書記は深い答礼で答えました。


「住民の状況はどげんでごわす。」


 次に掛けられた鬼塚警部の問いに、留守がよどみなく答えます。


「県令閣下の卓見には驚き入るばかりですが、いまや天童地区と山野辺地区との分断を果たす事がかないました。県令閣下の御指摘通り、今回の上申を最後に、東西呼応しての上申活動はもはや出来ません。恐らく、次は……。」


 留守に皆まで言わせることなく、高木が後を継ぎます。


「留守殿の見立て通りですね。単独で少数派の山野辺地区がこれから上申を続けようが何をしようが大勢に影響はありません。我々は全力で天童地区住民を抑えにかかります。連携を封じられた天童地区住民が打つであろう次の手は……。」


 高木の説明に、我が意を得たりとばかりに留守が頷き返し、その結論を申し添えます。周りにはそれとさとられぬ程の小さな声で。


「今後の最大の目的は、彼奴らの裁判所への提訴を絶対に阻止すべき事です。」


 目を光らせた鬼塚警部が、凄味のある笑みを浮かべつつ低い声でそれに答えます。


「任せてたもんせ。最上川・須川・馬見ヶ崎川の全域に網ば張り、水も漏らさぬ態勢で山形に入る奴ばらに目を光らせもんそ。不貞のやからのただ一人も山形には入らせるもんではなか。」


 それは現在の感覚からはかけ離れた権力側からする警察力の濫用でした。しかし、治安維持を目的とする警察組織にあっては、為政者の施策に不服を申し立てる不逞の徒を取り締まる行為は、れっきとした正当な職務の行使であると理解されていたのです。たとえそれが司法への訴えであるとしても、お上に不平を抱き、社会治安を乱し、民衆を扇動する不逞の輩なのです。


**********


(史実解説)


 住民上申に対する郡役所の回答が公表されたのは、明治13年11月17日でした。第1回目の上申に対する回答は6日目、第2回目の上申に対する回答は7日目になされていました。しかし、第3回目の上申に対する回答は、なぜか23日間も時間がかかっています。しかも、これだけの時間をかけた回答にしては、あまりにも内容的には貧弱な反論しかなされていませんでした。この期間の長さの中に、官側の何らかの思惑が隠されていたのではないかとも考えられます。


 まず、第一に考えられるのが、第64話で紹介した処の西村山郡県会議員団による仲裁活動の動きです。この仲裁活動が、関山新道工事推進派である西村山郡住民の自発的仲裁活動などではなく、何らかの官側との連携もしくは密約のもとに使嗾された活動であるのではないか?そのように筆者が思考した理由のひとつが、この不自然な回答までの時間の長さにあります。


 第二に考えられるのが、県庁・郡役所および山形警察署の官側による住民運動の弾圧準備のために、回答期間を遅らせたのではないかという事です。郡長人事や警官隊派遣準備、そして、最前線拠点たる天童分署の竣工がそれです。残念ながら天童分署の落成式日付については確定する資料に出会う事ができませんでした。東村山郡役所の記録に、明治13年11月に天童分署完成とあるのみです。そこで勝手ながら筆者の推論に合わせて、天童分署落成式を郡役所回答と同じ17日といたしました。しかしながら、今後、新たな資料に出会うことがあれば、本文の改訂を行いたいと思います。


 他にも、郡役所の回答が遅かったことの理由があるかもしれません。今後も、資料発掘の過程で新たに考えられる事実の可能性が出て来た場合、喜んで本文改訂に携わりたいものと考えております。

 3回目の上申に対する回答には何らの進展も見られませんでした。また、この回答と同じくして、天童村に天童警察分署の落成式が挙行されます。式典には祝いに駆けつける住民代表たちだけでなく、県庁・郡役所・警察の官吏たちも出席し、まさに呉越同舟の趣で落成が祝われました。一方で、官側はこの分署落成を機に、今後の住民運動弾圧の方策を話し合うのでした。

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