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第75話 教育の四条件

 住民と郡役所との狭間で峰一郎は様々なことを学びますが、その活動は官吏の知る所となり、その身を守るために大人らは峰一郎を学校教師とします。学校では、従兄の貞造が先輩教師として迎え、児童たちも大喜び、一方の郡役所でもこの動向は好意的に受け止められます。教育という仕事に生き甲斐を感じ始める峰一郎でしたが、一方で教育の実情には納得のいかないものも感じていました。学校に来られない子供たち等、様々な問題が目の前にある現実に、戸惑いを隠せない峰一郎でした。

 二人の若い先生たちが話しをしている中、近寄る人影がありました。


「ながなが、おもしゃい話しばしったな……。」


 ふいに、二人の背後から声が聞こえました。それは、峰一郎の勤務初日に、峰一郎に優しく声をかけてくれた学務員の高橋弥四郎でした。


 この高橋弥四郎という人物、実はただの学務員という肩書の教職員ではありませんでした。彼は、山野辺村の南側に隣接する深堀村の元戸長で、深堀学校の世話掛を兼務するほどに教育に熱心に尽力した人物でした。明治12年に深堀学校の運営が行き詰って山野辺学校と合併するに至り、新たに自ら学務員となって山野辺学校に勤務するようになったのです。


「貞造、峰一郎、お前だの気持ちはよぐ分がる。村の子供だ、みんなさ教育ば受げさせっだい、男の子も女の子だも、みんなさ勉強さしぇっだい、わしもそう思う。……んだげんど、そう思う事が絶対に正しいがどうが、……いやいや、ひょっとしたら、本当は正しぐねえんだべが、……正しぐないんだがもすんね。」


 その意外な言葉に、貞造も峰一郎も驚きます。


「ええ!なんで!勉強する事が悪い事になるんだべが!」


 弥四郎は笑って答えます。


「悪い事どは言ってねぇ。今はまだ、それを正しいとは言わんね人だも、いっぱい、いるんだ。」


 峰一郎は目を丸くさせます。


(『今はまだ正しいとは言えない』……まただ、……また、ここにもいろいろな立場での正義がある。)


 峰一郎は弥四郎の言葉に驚きを新たにしました。郡の役人や伊之吉、久右衛門が言っていた「たくさんの正義が世の中にはある」という状況が、この学校という教育の場でも再び聞かされたことに驚いたのです。


 そして、それはどういうことか……峰一郎は、おのが疑問を胸に、弥四郎の言葉に耳を傾けます。


「子供さ教育ば受げさせる、これは正しい事だべ。誰もがそう思う。……んだども、子供ば学校さ行がせる事が正しぐない家もある。……田植えは?稲刈りは?蚕の世話は?子守は?仕事は山ほどあんのさ、働き手ば取らっだ上に学費も払えて言てくる。俺だの暮らしはどうすんのや、勉強して飢え死にしたらどうすんのや、とな。」


 自らも親の一人であり、戸長として地主として、村民や小作人の生活を知悉している弥四郎には、その親たちの気持ちがよく理解できました。


「親さは生活ば守り家族ば育でる責任がある。親さは生活ば守る事が、一番の親にとっての正義なんじゃ。……たどえ、それが娘ば奉公さ出す口減らすだどしても、親だは泣きながら、その正義を貫いっだんだべ。」


 最後の言葉に、弥四郎は遠い目をしてつぶやきました。戸長として、たくさんの人生を見てきた中には、どんなにか悲しく辛い境遇もあったことでしょう。峰一郎の瞼にもまた、あの梅の哀しい顔が蘇ってきます。


 弥四郎は貞造と峰一郎の顔を順に眺めます。ふたりとも弥四郎の話しを頷いて真剣に聞いています。


 真面目で純粋な澄んだ瞳をした青年と少年でした。弥四郎は、村の子供たちの教育に真剣に悩む目の前の二人に対して、心からの共感と喜びを感じています。


 やや重くなった雰囲気を変えるかのように、弥四郎はおどけるように話します。


「……それにな、この寺さ、いっぺんに400人も500人も子供が来たら、なじょする?わしゃ賑やがで嬉すいげんど、学校は狭いべし、先生は足らねし、机も筆も足らねし、芋の子洗いみだぐわしゃわしゃして、貞造先生も峰一郎先生も、大変だべ。勉強すっだくても勉強さんねなあ。」


 ちょっとニコッと笑った貞造と峰一郎が、再び大きく頷きます。


「しぇえが、貞造、峰一郎。物事ば為すには、時期・場所・人材ど、それに法律の四つの条件があんだ。」


 峰一郎は初めて聞く話しに興味をそそられます。四つの条件……それは何か?峰一郎は一層耳を傾けます。


「自分の意見が正しいがらどで、無理に我ばり通しても、ほれは決して正しい結果さはならね。……皆が納得するい法律があって、ちょうど良い時期、ちょうど良い場所があって、他にも諸々の材料・人材がちょうど良い具合にそろたら、無理にジタバタすねくても、物事は自然に良いようになんだ。……そういうもんだべ。」


 弥四郎は、頭をひねりながら必死に理解しようとしている峰一郎の姿を見て、楽しそうに話しを続けます。


「んだな……分がりやすいどごで、まず学校ば作らねどな。寺の間借りでねぐ、大きな学校ばな。今みでな『かいもづかます』でねぐ、子供の歳毎で勉強ば教えるぐ、教室ば幾づがある学校ば、ちゃんとした器ばこさえねど、子供ばは無闇に集められんね。簡単に言うどほれが『場所』だな。」

(かいもづかます=掻い餅かまし、転じて、なんでもごちゃごちゃに混ぜること。)

(こさえねど=作らないと、こさえる=作る)


 峰一郎は弥四郎の話しに頷きます。学校に子供たちを集めるにも場所が必要だというのはよく分かります。それに色んな年齢の子供たちは勉強の深度がまちまちですし、「読み書き」をしている隣で「算盤」をしている子供もおり、それは効率という点ではまだ工夫の余地があると思っていました。


「ほして、読み書きでぎねど困るなぁ、算盤でぎねど商売さんねなぁ、勉強すねどなんね、勉強して色々おぼえっだ方が役に立つべ、みんなが思うような『時期』が来て、んだら勉強する場所もこさえらんなねべ、て思う『時期』が来る。そうすっど、今は反対しった親だも、今度は俺の子供さも勉強させでけろ、て言てくる『時期』が来っべ。」


「でも、そんでざ、長ぐかがるんねべが。」


 年長の貞造が聞き返します。


「いや、それは意外に早いんでねぇが。……お国も教育さ力入れらんなねて、御一新してすぐさ『学制』ば作たのは、ほの気持ちがあっさげだべ。ほんで、ほの『学制』も、してみだら色々具合のわれどごが色々出ださげ、やり直しで『教育令』ばこさえだ。最初から全部うまぐはいがねべがら、まだまだ手直しさんなねべげんと、『法律』も追々どしぇえぐなてくっべ。」

(しぇえぐなて=良くなって)


「……出来ればな、国どが県どがが学校さも教育さも、もっと予算ば出してけるぐなっど良いんだげんどな。貧しい家も忙しい家も、誰も取りこぼしすねで、平等に子供ば学校さ出してけるいぐなる。そごまでしてこその『法律』だべ。」


 当時は、明治6年に制定された現状にそぐわない「学制」に代えて、1年前の明治12年に制定された「教育令」というものがありました。しかし、これも地方の実情に合わないのは学制と同じで、教育令は制定当初から不評でした。


 この教育令はアメリカの教育制度を取り入れ、地方の実情に合わせた教育の自由裁量を定めていました。国から地方への権限委譲と言えば聞こえは良いでしょう。しかし、地方が経済的財政的基盤もないままに国から丸投げされれば、それまでも学校経営負担にあえぐ地方住民は、国からの財政支援が大幅に削られた挙げ句、更なる負担増に自身の生活基盤さえ揺るがされかねません。


 その結果、政府の急な方針転換により、ただでさえ児童の集まりが悪い中、弥四郎のいた深堀学校のように学校経営が立ち行かなくなった学校が閉校したり、よそでは建築資金が続かなくなった校舎が建築途中で放棄されるといった事態まで現れるようになりました。


 弥四郎の言う「法律」「時間」「場所」という条件も、それが十分に整うには、まだまだ時間がかかりそうでした。しかし、一方で、安達貞造や安達峰一郎のような志を持つ若い「人材」も着実に増えつつあり、日本の教育制度は確実に前へと歩み始めているのでした。


**********


(史実解説)


 当初、「学制」は「徴兵制」「地租改正令」に並ぶ明治新政府の三大重要政策でした。その序文には「一般の人民・華士族・農工商および婦女子かならず村に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん事を期す」とあり、国民皆学・男女平等教育がうたわれました。しかし、前回の史実解説でも触れましたが、法律をいくら整備しても、地方の現実にそぐわないというのが教育現場での現実でした。


 現代では、教育について「教育を受ける権利」と当たり前のように捉えられていますが、まだ教育制度が確立していない暗中模索のこの時期、教育は「権利」ではなく「受けねばならぬ義務」、お上から押し付けられた負担の多い兵役義務的なものでした。ですので「兵役逃れ」ならぬ「教育逃れ」が当たり前に横行していたのです。


 明治16年に山野辺学校新築の議が取り沙汰された時、大塚村・三河尻村・深堀村の三村が、山野辺村の学校新築に反発し、学校分離を唱える運動が起こりました。この時、今回の話しに登場した高橋弥四郎が反対運動の家々を説諭して廻り、和解に大きな役割を果たしました。その間、弥四郎を評して「学校気狂い」「学校馬鹿」と噂されて四面皆敵のごとくであったと伝わります。家族親戚は皆、学校勤務を辞めてほしいと勧めたものの、弥四郎は毅然として学事に尽力邁進し、校舎新築工事では病身を押して工事現場に立ち、先頭で指図して早期完工に貢献しました。その後、生徒児童が喜び勇んで登校するを見るのを大きな生き甲斐としていたと伝わります。実際の地方教育現場では、この高橋弥四郎のような名もなき市井の篤志家による大きな貢献があってこそ、ようやく現在に至る国民皆学制度が確立されたものと言えます。


 なお、今回の教育の四条件と題しましたものは、作者のまったくの創作であることをお断りしておきます。悪しからず。

 峰一郎と貞造の前に現れた学務員の高橋弥四郎は、二人の若い教師に教育の現状を話します。そして、この教育を広く普及させるためには、時期・場所・人材・法律のよっつの条件がそろわなければならない事を説き、物事を焦るべきではない事、そして、二人の使命感を持った先生たちが不断の努力を重ねる事で必ずや問題は解決する事を話すのでした。

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