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第69話 逆撃!落合の渡し

 住民と郡役所との応酬の中、伊之吉は峰一郎に形だけの法律へ人民の意思を反映させた『魂』を入れてこそ、真の『国民の法律』ができると語る。天童からの帰り、峰一郎は梅に本当の許嫁となりたいと話し、梅もまたそれを望みますが、落合の渡しで、郡役所の捕り方が現れます。役所の捕り方は容赦なく峰一郎と梅に襲い掛かり、見かねた船頭のじいさんが峰一郎に助け船を出すものの、ふたりは絶体絶命の窮地に陥ってしまいます。

 緊迫する睨み合いが続く落合の渡しでは、峰一郎と梅、それに渡し守の船頭の爺さんが、須川を背にして、文字通り、後のない背水の陣です。


 対する郡役所の和田郡書紀と屈強そうな従僕4人が、ジリジリと峰一郎たちに迫ってきます。


 小鳥のさえずるのどかな渡し場には不似合いな睨み合いでしたが、間もなくその緊張の糸が千切れることとなります。


(お梅ちゃん、おじいさん、俺が合図したら、地面さ伏せでけろ。)


 何か考えが閃いたのか、峰一郎が小声で梅と渡し守のおじいさんに話します。


(ほう、坊さ何が考えあんだべ、ほいずはしぇえ!)


(わがった。おら、峰一郎さんば信じっだ!)


 ふたりは峰一郎の指示を無条件で受け入れました。


「なに、こそこそしった!逃げ場はねえぞ、覚悟すろや!」


 にじり寄る従僕のひとりが叫びます。その時、川岸の草むらから、再び、小鳥のさえずりが聞こえてきました。その瞬間、峰一郎が叫びました。


「今だ!みんな伏せろ!」


 峰一郎の指示を受けて、三人が揃って地面に伏せます。


 と同時に、反射的に4人の従僕たちも峰一郎たちに飛びかかろうとしました。


「なにしった!」「観念すろ!」……「ぐえっ!」「ぐはっ!」「げっ!」「あがっ!」


 次の瞬間、飛びかかった筈の従僕たちは次々に地面に突っ伏します。最初に飛びかかったふたりが倒れ、続いて呆然としたふたりが相次いで倒れました。


「泰助!太郎吉!」


 地面に伏せた峰一郎が後ろの対岸を振り返り、叫びます。対岸には北垣村の武田泰助と山野辺村の垂石太郎吉が、片手で河原石をポンポンともてあそびながら、峰一郎に笑顔を向けています。


「よお!峰一郎!随分と楽しそうな事してんじゃねえか!」


「水臭えぞ、ひとりで楽しみやがって!」


 泰助と太郎吉が笑いながら峰一郎をなじります。


「お前ら……。」


 驚いたのは峰一郎でした。聞き覚えのある鳥の鳴き声、それは子供同士の合図に遊びでよく使っていました。小鶴沢川での大寺村との石合戦で、圧倒的な劣勢を挟み撃ちで大逆転をした時も、仲間内の小鳥の鳴き声でタイミングを計っていたのでした。


「最近、腕がなまってっからよ、手加減なんて器用な事、さんねがらな!」


「んだんだ、久しぶりださげ、急所さ当だても知ゃねがらな、覚悟すろや!」


 対岸から、泰助と太郎吉が大声で4人の従僕たちに呼び掛けます。


「な、何だ、このガキども!……ぐわッ!」


 立ち上がろうとした男は、すぐに投げつけられた河原石の直撃を受けます。小鶴沢川以来、4ヶ月ぶりに見る泰助の投げ筋ですが、前と変わらぬその投げ筋は、真っ直ぐに勢いを失わずに男たちの腹をえぐります。


「まだまだ元気みだいだな、おっさん!これでもくらえ!」


「げはっ!」


 従僕たちが河原に倒れ伏したその時、茂みから現れて峰一郎に駆け寄る姿がありました。


「峰一郎、早ぐ舟さ乗れ!」


「定ちゃん!」


 それもまた、峰一郎と同じ村に住む幼馴染みの三浦定之助でした。峰一郎に聞こえた小鳥の鳴き声は、恐らくは、この定之助が吹き鳴らしてくれたものかもしれません。


 ちなみに、子供たちは昔から須川を渡るのに渡し舟なぞ使いません。足の届かぬ深みなぞ一部ですし、安全に泳ぎ渡れるポイントは当然に知っていました。プールなんかのない時代、東村山郡の子供たちは皆、須川で泳ぎを覚えるのです。


 少年たちは対岸に渡る時、畳んだ着物を頭に載せ、腰紐で頭に結びつけます。峰一郎もそれくらいは出来ますが、大事な書状を濡らさぬように、晒に巻いて腹に納め、渡し舟で渡っていたのです。勿論、久右衞門からもそのように言い含められて、船賃も渡されていました。


「爺さん、早ぐ、舟ば出してけろ!」


 定之助の言葉に、櫓を両手で構えていた船頭のおじいさんは、得たりとばかりに櫓を渡し舟に戻します。


「おう!坊の仲間が!よっしゃ、坊、はよ乗れ!」


 しかし、峰一郎は梅の元を離れられません。


「だめだ!お梅ちゃんば残して行がんね!」


 その時、定之助のいた茂みから、もうひとつの小さい影が飛び出して来ました。


「兄ちゃん、俺さ、任せろ!」


「清十郎!」


 何と茂みから飛び出たのは、山野辺村に住む親戚の子で、峰一郎を慕う清十郎でした。清十郎は梅の手を握って声をかけます。


「お姉ちゃん、俺が兄ちゃんの代わりに守てける。行ぐべ!」


「うん!」


 梅は、自分より幼いながらも、健気に峰一郎の代わりを務めようとするこの小さな勇士に、自らを託そうと決めました。そして、振り返って峰一郎を送り出します。


「峰一郎さん、行って!おらは大丈夫だ!」


 そこで倒れていた従僕のひとりが、梅を逃すまいと立ち上がります。


「お前だ、娘が逃ぐっぞ、早ぐ、しぇめろ!……ぐはっ!」


 今度は土手の上から、男に向けて河原石が飛んで来ました。


「余計な事、すんなって。おっさんは、ほごで寝でろ!」


「確治!」


 土手の上にいたのは、定之助と同じ幼馴染みの石川確治でした。笑顔で峰一郎に手を振ると、土手の上から動こうとする男たちに真上から石を投げつけて牽制していました。


 対岸からは猛烈な勢いで石が飛び交い、土手からは真上より正確に狙い打たれて、4人の男たちは身動きが取れません。


「清十郎!今のうぢに、こっちゃ来い!」


 確治が清十郎に声を掛けて呼ばわります。


「わがた!お姉ちゃん、行ぐぞ!」


「うん!」


 梅は峰一郎に振り返り、笑顔で頷くと、清十郎から手を引かれて、確治のいる土手に向けて駆けて行きました。


 ✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽


 峰一郎が、前回の天童からの往還で感じたという謎の視線は、実は彼らのものだったようです。


 当初、確治や定之助は山野辺地区の村々との連絡役を果たしていましたが、10月2日の第1回目の上申までの期間に住民の委任状がほぼ出し尽くされると、確治や定之助の仕事はほぼ終わりました。しかし、役所の回答や西郡議員の仲裁提案もあり、峰一郎による東西連絡の役目はまだまだ重要でした。


 一方の確治や定之助は、山野辺地区内の連絡役をする中で、山野辺村の垂石太郎吉や清十郎、北垣村の武田泰助とも出会い、皆で陰ながら峰一郎を守ろうという話しになりました。そして、須川の渡し場に集まり隠れていたところで、計らずも峰一郎の危難に遭遇してしまったというわけでした。


 ……峰一郎は、呆然と立ちすくみ、清十郎と駆け去る梅の後ろ姿を見つめ続けました。そんな峰一郎に、定之助が声を掛けます。


「ほれ、峰一郎、行ぐぞ!」


 しかし、峰一郎は動きません。


「……んだげんと。」


 峰一郎は立ちすくんだまま、梅の後ろ姿を見送り続けます。せっかく心が通い合ったと思ったばかりで、このような別れを強いられた峰一郎は、まるでこれが梅との永遠の別れになってしまいそうな不吉な予感に包まれていました。


 定之助は峰一郎の肩を揺さぶりつけます。


「確治ば信じらんねんだが!」


 しかし、定之助のそれは的外れであり、杞憂でした。峰一郎が仲間に対して不信感を持つなんてことはありえません。


 そして、定之助は、峰一郎の見つめる先を見て、その原因にすぐ気付きました。いつも決断が早く思い切りの良い峰一郎が、なぜこの時に限って逡巡しているのか、その理由に思い当たります。


「峰一郎!しっかりすろ!今、おめえがさんなねのは何だ!……久右衞門さんどごさ行ぐ事だべ!……おめえの知らせば待ってだ久右衞門さんどごさ行がんなねんだべ!」


 定之助は両手で峰一郎の両肩をつかみ、激しく揺さぶりました。


 その定之助の剣幕に峰一郎は驚き、定之助の顔を見返しました。いつもおだやかでおどけている定之助が、峰一郎に初めて見せる厳しい形相でした。そして、峰一郎を見つめる定之助の瞳が次第にうるんできたのでした。


 ✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽


(史実解説)


 今回のエピソードは、全編、作者の創作となりましたが、峰一郎の得意な石合戦をメインにアレンジさせていただきました。

 絶体絶命の峰一郎の前に、思いがけず、山野辺地区の親友たちがあらわれて、その窮地を救います。垂石太郎吉と武田泰助が対岸から峰一郎を援護する中、三浦定之助が峰一郎を舟に導き、石川確治と清十郎が梅を助けます。

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