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第39話 峰一郎の許嫁(改1125)

 安達峰一郎が度々天童の佐藤伊之吉のもとに使いをする一方、東村山郡役所では郡書記筆頭の留守永秀が状況分析から住民反意を推断して次々と対策を講じます。しかし、それを根底から崩したのは郡役所トップの五條為栄郡長でした。これを打開するため、留守は三島通庸県令を動かすために腹心の和田徹を県庁に派遣する手立てを講じると共に、地元警察の天童分署と連携しての非常事態準備を続けようと部下たちに命じるのでした。そんな中、峰一郎がなんと伊之吉の娘の梅と婚約?

 天童村の佐藤家の座敷では、佐藤伊之吉が、東西両高楯村総代の安達久右衛門からの使いとして来ている安達峰一郎と対面しています。そして、伊之吉の斜め後ろには、娘の梅が控えていました。


「峰一郎、お前さは苦労ば掛げだげんと、そのお陰で、やっとここまで来らっだべ。ありがどさまな。」


「もったいねっす。」


 満面の笑みで礼を言う伊之吉に、峰一郎も恐縮して頭を下げます。


「んだげんと、まだまだこっからが本当の闘いだべ。んだがらて、こっから、もうちぇっとだげ、お前の手ば借りっだい。気張ってけっか。」


「はい。」


 伊之吉の言葉に峰一郎が素直に返事をします。もちろん、峰一郎に否やはありません。


 そして、伊之吉は優しく言葉を続けます。


「んだげんと、お前さだけ、危ねぇ目さ合わせるつもりはねぇ、これがら、お前さは娘の梅ばつけるべ。」


 伊之吉の言葉に従い、梅が畳に手をついて峰一郎に向かい頭を下げました。


「?」


 峰一郎は伊之吉と梅の顔を交互に見て、伊之吉の言葉をはかりかねるように首をかしげました。


「これからはいよいよ監視の目が厳すぐなっべ。役所の奴だも、いっぐら子供相手だがらて、もう容赦すねがもすんね。」


「はい、最初っから覚悟はでぎっでっす!」


 峰一郎は胸をはり、当然に受けて立つと言わんばかりに勇ましく答えました。


 しかし、その峰一郎に対して、唐突に伊之吉が言った言葉に、峰一郎はふいに毒気を抜かれたようになりました。


「ほんでよ、峰一郎、……にさ、おなごば、まだしゃねなが?」


「は?」


 女を知らないかと聞かれて、意味が分からず、峰一郎は一瞬だけぽかんとしてしまいました。峰一郎には母親も妹もいますから、女を知らないわけがありません。そんな峰一郎の様子に、伊之吉はつい苦笑してしまいました。


「いやいや、しぇえべ、おがすげな事(変な事)ば聞いでわれっけな!」


 当時、東北などの地方農村部では夜這いの風習が比較的近年の昭和初期頃まで存在していました。女性は初潮を迎えた12~3歳から夜這いの対象となり、男性も地方により差異はあるものの、早い地域では、おおよそ13歳頃にふんどし祝いをして夜這いに参加するようになります。


 確かに、峰一郎も梅も、早過ぎではありますが、そろそろ適齢期に入りかけた頃と言えなくもありません。


 埒もないことを聞いたと苦笑いする伊之吉に対して、不思議そうに「はあ……」とだけ答えた峰一郎でしたが、更なる伊之吉の突然の言葉に、峰一郎は心臓が止まりそうなほどに驚いてしまいました。


「峰一郎、お前さ、娘の梅ば、けでやる。」


「え!」


 峰一郎のことが気に入っている伊之吉は、驚いた様子の峰一郎の反応を楽しむかのように、イタズラな笑みを浮かべました。いきなり、お前に娘をくれてやると言われて、驚くなと言われても無理でしょう。


 しかし、伊之吉のイタズラな笑みもほんの一瞬のことで、すぐに真顔になって峰一郎の目をひたと見つめながら、話しを続けました。


「どこまで、あいづらさ通用すっか分かがらねげんと。……んだげんと、こっからは峰一郎と梅は許嫁って事さする。梅、峰一郎の隣さ来て並べ。」


「はい。」


 透き通った声で答えた梅は、伊之吉の後ろから立ちあがり、峰一郎の横に静かに移動します。


 そして、峰一郎の傍らで横目で峰一郎を見やり、恥じらいとも喜びともつかぬように、少しだけ頬を朱に染めて、初めてその感情を表に出しました。そうして、峰一郎よりやや後ろにゆっくりと正座をしました。


 その間、伊之吉の真意を感じ取った峰一郎は、身じろぎもせず正面を見据えていました。しかし、緊張であろうか、その頬は紅潮していました。


 そして、並んだ二人を前にして、伊之吉は瞳を潤ませつつ、頬をほころばせました。


「うむ、どっから見でも、似合いの二人だべ。」


 そこには、まだ12~3歳の幼い少年少女が並んでいました。


 その伊之吉の声は、やや震えているようにも聞こえました。彼らは自分でも気付いていないでしょうが、富国強兵に狂奔している明治日本という国家に対して、幼き身で挑もうとしているのです。


 列強に伍するだけの国力を増強するための産業の興隆と物資の流通、そして、北辺防備のための兵員の移動と展開の迅速化、それらのためにも必要不可欠とされる交通網の整備、それが明治日本が描く国家的事業のグランドデザインでした。それに抗い立ち向かう幼くも無垢な少年と少女の健気な姿に、伊之吉は思わす感涙したのでしょうか。


 それとも、そんな子供たちの力さえ請わねばならぬ自分たち大人の不甲斐なさへの自責の念に駆られたのでしょうか。更には父として愛しい娘への憐愍の情もあったかもしれません。


 いずれにせよ、伊之吉は言葉を改め、力強く、峰一郎に説き語ります。


「しぇえが、峰一郎、もし万一の場合、役人や巡査がら取り囲まっでも、お前だは手向がい無用。お前だは親が認めだ許嫁同士だべ。誰さ恥じる事ねぐ逢引きしっただけだ。堂々どしてればしぇえ。もし、捕縛さっでも必ず俺が助けさ行ぐ。」


「わがたっす。」


 峰一郎は、いよいよ厳しい事態になりつつあることを伊之吉の言葉からひしひしと感じ取りました。


「梅も、しぇえな。」


 続く梅の返事は伊之吉をも驚かせました。


「お父ちゃん、大丈夫だ。おら、ひとりじゃねぇもん。」


 そう言って梅は峰一郎を見やり、次いで父に向かい力強く頷いて見せました。そこには決意を秘めた少女の健気にも美しい姿がありました。


 伊之吉は、はからずも驚きを隠せませんでした。いつまでも子供だ子供だと思っていた娘が、いつのまに、こんな力強い眼差しをするようになったものか?


 伊之吉は心の中で、この幼き者たちに手を合わせずにはおれませんでした。


 **********


 峰一郎は再び天童から高楯村へ復命の帰途につきました。東村山郡全体が一枚岩の一丸となって行動しなければ彼らにとっての勝利は望めません。


 彼らが相手にするのは、傍目からは一地方の郡役所のように見えながら、実は郡役所ではありません。その背後にいる山形県令・三島通庸であり、国策としてそれを推進している明治藩閥政府なのですから。そのためにも、峰一郎の行動は、より重要性を増しているのです。


「おうめちゃん、ごめんな。おなごのお前さまで、巻ぎ込んでしまったべ。」


 峰一郎は歩きながら梅に言葉をかけます。それに対し、梅は屈託のない笑顔で明るく答えます。


「ううん、おら、お父ちゃんや峰一郎さんのお手伝いが出来るんなら、こっだな嬉しい事はねぇべ。」


 しかし、そんな梅の言葉を聞いても、峰一郎は梅を危険な目に遭わせたくないと、ひとり、責任の重さを感じています。


「んだげんと、そっだなさ、形だげでも、俺なんかの許嫁にさせらっで、ほんてん、梅ちゃん、ごめんしてけろな。」


 しかし、そんな峰一郎に対して、梅はちょっと戸惑ったように答えます。


「ほだな、……おらの方こそ、……峰一郎さんには、おらなんかが許嫁だなんて、迷惑でないべがて……。」


 そんな梅の言葉に、今度は峰一郎の方が狼狽えてしまいます。


「いや、……ほだな、……俺は、別に……、ほして、こいづだば、村のみんなのためだべがら……。」


 その峰一郎の言葉は、真実、その通りであったことでしょう。しかし、峰一郎自身も気付かぬうちに、次第に梅に惹かれていく心を押さえられなくなっていたのでした。


 峰一郎は、今でも村のため、村総代をしている本家のおじさんのため、自分の危険を顧みるつもりなぞありはしません。


 一方で、梅との時間の共有を、いつしか好ましいものと感じ始めていたのも事実です。しかし、峰一郎としては、それがなんとなく気恥ずかしいものに思えて、梅の前で素直に言葉にするのは憚られました。


「あっ!峰一郎さん、見で見で!綺麗なお花!」


 梅は無邪気に路傍に咲いている小さな花にも喜びを表しています。


 梅も普通の女の子として、花を愛でる心は持っています。しかし、峰一郎と二人で歩くこの瞬間、梅は普段以上にその浮き立つ心を押さえずにはおられませんでした。


 梅は楽しそうに路傍に駆け寄ると、摘んだ花弁に鼻を寄せ、その香りを気持ちよさそうにして楽しんでいます。梅のその笑顔に、ひととき、心の安らぎを感じる峰一郎でした。


 **********


 一方、山形県庁では、東村山郡役所の和田徹郡書記が、郡役所の実質的トップたる留守永秀から預かってきた書面を高木秀明土木課長と鬼塚綱正一等警部に手渡していました。


 ひととおり書面に目を通した高木課長と鬼塚警部は、書面を卓上に置いて和田に向き直ります。


「留守郡書記のお申し越しはよく理解いたしました。恐らく、留守殿の見立てに間違いはないでありましょう。」


「まっこて、留守どんの言わるる通りじゃっで。」


 高木は、留守の動向予測に対して、全面的な賛意を現しました。その隣の鬼塚警部も大きく頷き、同感の意を示しました。その素早い反応は和田の予想を上回るものであり、あらためて自分の認識の甘さとともに、留守や県庁高官らの危機判断への迅速さに驚くのでした。


「では、すぐにでも郡長に使者を使わしていただき、巡査隊の派遣をお願いいたします。」


 和田は、ここぞとばかりに椅子を立ち上がり、体を前のめりにして高木課長と鬼塚警部に詰め寄ったのでした。


 いよいよ山形県庁が動きだして、東村山郡内に官憲の手が入っていくことになるのでしょうか……。思いも新たに村のための任務に就く峰一郎と梅は、これから一体、どうなってしまうのか……。

 安達峰一郎は、佐藤伊之吉から、娘の梅との婚約を決められました。しかし、それは山野辺地区と天童地区との連絡使の任務をくらますための仮の方便で、東村山郡役所の監視の目を逸らすためのものでした。若い二人は危険を顧みず村のために大人たちから託された任務に就きます。その一方、留守永秀に次ぐ次席郡書記の和田徹が山形県庁を訪れ、高木秀明土木課長と鬼塚綱正一等警部に面会して郡の状況を伝えます。いよいよ、山形県庁が動き出そうというのでしょうか。

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