第30話 郡長布告(改1120)
関山新道開削工事が本格的に始動する中、高楯村総代の安達久右衛門は、安達峰一郎ら村の少年達を集めて関山新道問題について説明をします。様々な紆余曲折はありましたが、現実には新道開削は始めからすべてが決められていました。村山四郡連合会は、住民が賛成し自ら協力する建前を繕うためだけに開催されたのです。その現実を前に少年達は驚愕します。彼ら東村山郡の住民には、これから長く辛い孤独な戦いが控えているのでした。
まだ梅雨明けには早い時期ながら、珍しく晴れ渡った明治13年7月9日、安達峰一郎は、本家のおじでもある安達久右衛門と共に天童村の東村山郡役所にやってきました。
「おんつぁま、すっげぇ建物だなぁ!」
峰一郎が、初めて目にする洋風建築を目の前にして、顔を見上げさせながら感嘆の声を上げます。
「んだが、峰一郎は、こさ来んのは初めてだっけが?」
二人の前には、壮麗に美しい洋風建築が聳えていました。これこそ昨年10月に竣功し、11月16日に開庁したばかりの東村山郡役所であります。三階に塔屋を持つ瓦葺、漆喰塗の瀟洒な白亜の洋風建築です。2階には峰一郎が初めて見るベランダ、1階のエントランスには見たこともない鮮やかに美しい色とりどりのガラスで作られたステンドグラス……
「すげぇ……、綺麗だなぁ……。」
峰一郎は、口をあんぐりと開けて、2階のバルコニーや3階の塔屋を見上げていました。
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総工費6297円、現在の価格で1億2600万円ですが、これの7割を越える5千円弱、およそ1億円近くが東村山郡住民の寄付金という名の臨時徴収金で作られたものと見られます。
つまり、この建物もまた、東村山郡の住人たちの血で作り上げられたものです。それ故にこそ、この壮麗な白亜の美しい建物は、久右衛門たちに複雑な思いを呼び起こさせます。
この郡役所建設に先立って、天童地区数ヶ村の住民が自らの発案で「我々住民が1000円を献納するので、どうか郡役所を建設してください……」と請願した、と記録にはあります。関山新道建設にあたり、北村山郡にある村々の住民たちが、県や伊藤博文内務卿に請願したのと同じ構図がここにも見て取れます。私たちも寄付しますから作ってください、……と。県はその東村山郡住民の請願を受けた形で建設を許可します。
しかし、実際の寄付は請願された金額からどんどん膨らんでいき、郡内各村々で激しい収奪が行われました。
正確な金額は資料に残っていませんが、三島県政土木事業費の7割以上が民費であることから、少なくとも4~5000円、現在の価値で9000万円前後が住民から収奪されたと推定されます。
更に、寄付金のみならず、整地工事には延べ4000人の東村山郡住民が人夫として徴発されました。田圃の収穫を終えた11月から12月の降雪前まで、休む間もなく奉仕作業として働かされたのです。
しかも、驚くべきことに、この建物の建築工事以前、この郡役所の地所自体が表向きには天童村の地主から進んで献納を申し出られた地所であるということです。まさに、そこには県庁造営とまったく同じ構図が見えたのです。
その地主こそが天童村の佐藤家であり、その当主は、この後、安達久右衛門や峰一郎とともに、これからの住民運動で中核的存在として運動を展開することになります。郡役所のために土地を進んで献納したはずの地主一族が郡役所の施策に対して住民運動を展開したのですから、その「献納」が真実はどのようなものであったかは推して知るべしです。
文字通り、この白亜の美しい郡役所は、住民の血と汗であがなわれて作られたの建物なのでした。
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峰一郎が東村山郡役所の壮麗さに見とれている中、多くの人々が次々に郡役所の中へと入っていきます。この日は、毎月一回開催される東村山郡戸長会議の日でした。この日、東村山郡内にある98ヶ村の全戸長が、この郡役所に一同に会します。
通常であれば、郡役所から遠い山野辺地区の戸長たちは、天童村の郡役所までは来ず、山野辺村に設置されている会所に集まり、郡役所から派遣される郡書記の下で寄合いを行います。
しかし、今回は郡書記をわざわざ先触れまでして山野辺地区に派遣し、郡内全戸長をこの天童村の郡役所まで召集したのでした。目的は、もちろん、村山四郡連合会で共同採択された内容に基づき、関山新道開削の工事費用を、住民が「自らの意思で」県に拠出することにあります。
「自らの意思」て決めたものでありながら、なぜか郡長の布告で命ぜられなければならないと言う所に、真実を糊塗した地方政治のパラドックスがあります。そして、その殊勝なる「住民の願い」を聞き届け、郡長として郡内住民に向けて、自発的に申し込まれた住民の拠出金の内容を布告するということなのです。
「こんちは、久右衛門さん。」
ふいに2人へ声をかけてきた人がいました。振り向いて声の主を確認した久右衛門は、相好を崩して答えます。
「これはこれは、伊之吉さん。」
そこには、がっしりした筋肉質の力強そうな壮年の男性が立っていました。
「今回は高楯村の総代さんも戸長会議さ出はるんだが?」
「んだのよ、庄右衛門さんだば兼任戸長だがらって、高楯村の戸長代理でにさも出ろってやっでなぁ。そういう伊之吉さんもが?」
「んだ、親爺が腰痛持ちだがらて、にさ、出でこいってな。なんちゃない、郡庁さごしゃげで(怒って)仮病しったなだ、あっはっはっはっ!」
「直正さんがごしゃげんのも無理ないべした。郡役所ば建でるて土地ば取らっだ挙げ句、天童村さ新道ば通らせるがらって約束して協力したなさ、全部、反故にさっだもんなぁ。」
二人とも正式な戸長ではありませんでした。安達久右衛門は山野辺村戸長の渡辺庄右衛門が戸長兼任する高楯村の代表として出席するように言われたのです。また、佐藤伊之吉は天童村戸長の佐藤直正の息子でした。
佐藤直正は天童村の地主で、郡役所建設の際には、寄付という名目で地所を取り上げられていました。彼らが今、立っている土地は、元を質せばすべて佐藤家の土地だったのです。それどころか、今回の新道建設では、天童村が仙台と直結し、野蒜港を介して全国全世界へ天童村の作物を高く売れるからと、天童地区の戸長たちを説得して連合会に参加してみれば、西郡と北郡が議長たちと結託して勝手にルートを変更してしまった。
天童地区にも紅花を始めとする商品作物は様々あります。直正としては、郡役所建設のために結果的に土地を寄付したことで郡役所に恩を売り、見返りに、西村山郡谷地郷の紅花に劣らぬ天童の紅花を全国に売り出し、紅花商人として天童が谷地に取って代わる野望を目論んでいました。
しかし、今回は郡役所の方が一枚も二枚も上手でした。郡役所は、はなから土地献納の恩など感じるものではありませんでした。そして、あてにもならぬ将来の紅花商人などではなく、現時点で有力な谷地郷の紅花商人と手を組んで計画を進めたのです。
直正が夢に見て期待した関山新道天童ルートは、最初から幻のルートだったのです。直正がふてくされるのも無理からぬことでした。
「今回は久右衛門さんのお知恵ば色々ど拝借して難儀かげだっけなぁ。」
「なんも、結局はぜんぶ無駄んなったみだいだべがらなぁ。」
「まったくなぁ……。」
ふたりは天を仰ぐような仕草で無念さを表しました。
久右衛門と並び嘆息をついたその人物、天童村の佐藤伊之吉は、天童地区の村々をまとめあげて、山野辺地区の村々をまとめた久右衛門と協力しあい、今回の東村山郡住民による別段建議書を作りあげたのでした。もちろん、郡役所の地所を喜んで「献納」した地主、佐藤家の一族です。
伊之吉の父・直正は、天童村の大地主・佐藤伊兵衛の分家で、自身も天童村の大地主たる分限者でした。直正は7人の妻のもとに男7子・女7子を儲ける子沢山の福満家でもあり、伊之吉は正妻・喜南のもとに生まれた男子三人の三男として生まれました。
直正の長男・弥門は佐藤家当主跡継ぎとしてもっぱら地主の務めを果たしており、次男の恭助は早逝し、天童村戸長を務める直正の政治向きの補佐のほとんどは三男の伊之吉が当たることが多くなっていました。
「とごろで、こっちの若い衆は息子さんだがっす?」
「うぢの隣さ住んでだ分家の伜で、久の息子の峰一郎だ。」
峰一郎がぺこりとお辞儀をします。
「やっちゃねぇ、きかなすだがら、目ぇ離さんねくてな。村の事ばも追々おしぇらんなねべがらて、今日、ちぇで来たんだ。」
落ち着きのないきかん坊だからと言いながらも、村のことを教えるために、連れてきたという久右衛門の言葉には、その少年に対する慈愛が十分に感じられました。
にこやかに頷きながら聞いていた伊之吉は、楽しげに峰一郎に声をかけました。
「おお!久さんの息子がぁ!……ひょっとして、小鶴沢川で役人ば散々に懲らしめだっていう坊主が?」
峰一郎は恥ずかしげに頭をかいています。
「あがすけつかすがら、ほだいやねでけろ。」
調子に乗るからと、言葉では甘やかさないように言いながらも、久右衛門も身内の峰一郎への好意的な言葉には、満更でもなさそうに顔に笑みを浮かべて答えます。
「いやいや、俺だの村でも、ほの話しで持ち切りだ。今や高楯村の坊主だば東村山郡の英雄だべ!久右衛門さん、今日はおらいさ泊まてぐべ?坊主の話すもいっぱい聞ぐだいがらよ!」
久右衛門も嬉しそうに答えます。
「図々しいげんど、ほの積もりで来たんだ。今後の事もあっさげて、伊之きっつぁんだ、天童地区の衆ど話すだくてよ。」
「んだが!ほいづはしぇがった!んだら坊主、……んねな、いっちょ前の男だがらな、峰一郎、今夜はよろすぐな!」
伊之吉は、その大きな手のひらで、峰一郎の頭をグリグリしました。峰一郎は恥ずかしげに、逞しい手のひらに頭をすくめてしまいました。
「んだば、峰一郎、2、3時間もかがらねで終わっさげ、こごで待ってろな。」
そう言うと久右衛門と伊之吉は、二人揃って郡役所の玄関扉の中へと消えていきました。
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この日、戸長会議では、最初に「戸長用掛給料額変更の件」「町村図実測進捗状況の件」「最上川堤防修築の件」等々の継続審議事項を淡々と進めていきます。しかし、今日の本題はここからでした。
最後に連合会で採択された建議書の趣旨が、五條為栄郡長により高らかに述べられ、引き続き留守永秀郡書記が、具体的に住民が決めた新道ルートと寄付金の内訳を説明しました。
郡役所からの説明は、あくまでも東村山郡住民から寄付される金額についての説明のみで、全体の路線の長さに対する東村山郡通過路線の割合などには一切触れませんし、他の郡の寄付金額についての説明ももちろんありません。
しかし、集まった戸長たち全員がおおよその内容を既に知っていました。東村山郡内を通る新道が全体の1割にも満たないことも、東村山郡の出す拠出金額が4郡でもっとも高額であることも。
戸長たちは、住民たちの善意を称える五條郡長の言葉には、しらけきった無表情の無言を以て受け止めました。更に、郡長に続いて具体的内容を語る留守永秀の言葉には、いかに薄々知っていたとは言え、あからさまな落胆のため息が、そちこちで洩れ聞こえてきたのでした。
郡で独自に作成したという別段建議書の件は既に全戸長が知っています。しかも、その建議は郡には一顧だにされなかったようだとの噂も、ほぼ知れ渡っていました。それでも、住民の代表として来ている戸長として、実際に耳にしない内は、ひょっとしたらと言う藁にもすがる思いでいたのでした。そして、その期待は予定通りに裏切られました。
悲嘆に暮れる会議場の雰囲気は郡職員たちにも伝わっているのでしょうが、留守郡書記は眉ひとつ動かさず、椅子に座り瞑目し、進行役の和田徹郡書記も、何事もないかのように淡々と議事を進めているのでした。
安達峰一郎は安達久右衛門に連れられて初めて東村山郡役所に来て、その美しい壮麗な洋風建築に驚愕しました。しかし、その建物は外見の美しさに反して、住民の血と涙で作られた悲しい建物でした。そこで峰一郎は、久右衛門とともに住民のために尽力する天童村の佐藤伊之吉と出会います。一目見て峰一郎を気に入った伊之吉は、久右衛門に天童に泊まっていくことを勧めます。久右衛門もまた、今後の対策を協議するために天童地区の有志たちと語らうために来たのでした。




