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第22話 和解(改1119)

 関山新道開削工事はいよいよ始動し始めます。一方、高楯村に行く渡辺吉雄郡書記一行を安達峰一郎たち村の少年たちが襲撃した件について、高楯村の総代としての安達久右衛門は、郡庁の使者である渡辺吉雄に、子供たちの不始末に対して誠意をもって許しを請います。しかし、忿懣やる方ない吉雄はなかなか首を縦には振りませんでした。それを堪えながら見ていなければならない峰一郎たちやその親たちは、憤懣やるかたありませんでした。

 怒りのおさまらない東村山郡役所郡書記の渡辺吉雄でした。彼は、とうとう苛立ちを押さえきれず、立ち上がり、戸長の安達久右衛門を見下ろして大声で吠え立てました。


「もう、しぇえは!せっかぐ、俺が、目ぇ、つぶてやるて言ってんなさ、駄目だなこの村は!郡庁さ、いっくど報告して、ガキべらだば、お上への反逆で、警察さ、しぇめでもらうべ。俺だげならしぇえげんと、いっぐらガキでも、天皇陛下様さまで、侮辱したのは見過ごさんね!」


 吉雄は宣言しました。事の次第を郡庁に報告した上で、公務中の官吏への不敬暴行という反逆の罪で、子供達を逮捕すると言うのです。


 しかし、その渡辺吉雄の言葉に被せるように、久右衛門の大きな声が再び響きます。


「これから将来のある若者たちです。なにとぞ、なにとぞ、郡庁のお情けをもちまして、平に、平に、ご容赦を願い上げ奉ります!」


 大きな声で久右衛門が言うや、もはや辛抱しきれなくなった峰一郎が立ち上がろうとします。しかし、それを父親の安達久が両腕でしっかりとつかみ、力づくで押しとどめます。そして、抱き締めたまま峰一郎に言い聞かせます。


(峰一郎、総代さんば、久右衛門さんば、いっくど見でおげ。本家の久右衛門さんのあの背中ば、いっくど目さ焼きづげどげ。しぇえが、お前は、そいづば見でおがんなねんだ!)


(んだて……んだて……、本家のおんつぁまが……。)


 親子の視線が激しく交錯します。


(峰一郎、いっくど見どげ……。)


 父・久の有無を言わせない言葉でした。しかし、峰一郎は悔しさに涙が溢れてきてどうしようもありませんでした。


(……ふふん、)


 久右衛門の背後に見えるその様子を視野の中にとどめた吉雄でしたが、ジロリとひとめ見て鼻で笑い、再び久右衛門を睨みつけるのでした


**********


 その時、峰一郎たちのすぐ後ろ、土間に入る玄関の引き戸を、勢いよく開けて、家の中へ入ってきた人物がいました。峰一郎の祖父、安達久左衛門です。


 久左衛門は、裃とまではいきませんが、着物の上に黒の紋付き羽織を重ね、礼を取った出で立ちでした。


(じっちゃん……!)


 最近は寄る年波で、めっきり野良仕事もしなくなった久左衛門でしたが、かくしゃくとした足取りで框に上がり、板の間をずんずん過ぎて、二間ぶち抜きの畳部屋に入ります。


 そして、部屋の者、皆が呆然とする中、誰も制止する者もないまま、ゆっくりと畳の部屋に入り、久右衛門の前に立ち上がっていた渡辺吉雄にずんずんと近づいてきます。


「なっ!」


 気圧された観の吉雄は、思わず後ろに尻餅をついてしまいました。そして、久左衛門は、そのまま、上座の吉雄と下座に平伏する久右衛門の横合いに立ちました。


 吉雄はあっけにとられて久左衛門の姿に目を見張り、口をパクパクさせて何かを言おうとしていましたが、久左衛門の静かな威圧感に、何も声をあげられぬまま、ただただ見つめるだけでした。


 一方の久右衛門は、まるで何事もないかのように微動だにせず、吉雄に向かって平伏したままです。


 久左衛門は、その久右衛門の平伏した姿を一瞥し、軽く一礼すると、次に吉雄の方に身体を向けます。


「な……、なんだよ……、じじい……、」


 気圧される渡辺吉雄、そして、それを見守る少年たち、親たち、吉雄の従者と巡査たち……、そこにいる者たち全員がヒソとも言わず、突然、現れた久左衛門に固唾を飲んで注目していました。


(ばち~ん!)


 すると、久左衛門はおもむろに吉雄の頭をひっぱたきます。


「な、なにすんだ!この、くそじじい!」


 しかし、久左衛門はそれに答えず、続けざまに吉雄の頭を張り、頬を張ります。


(びしっ!ばしっ!ごんっ!ぼごっ!)


「や、やめろ!やめろ!お、俺は郡庁の使者だぞ!……俺さ逆らうど、お国さ楯突くごどになっぞ!としょり(年寄り)だがらて、容赦さんねぞ!」


 それを聞いた久左衛門は、ますます手を止めません。


「まだ、分がらねが!吉雄!」


(びしびし!バシバシ!ぼごぼご!)


 とても老人とは思えぬ剣幕で、なおも吉雄を殴り続けます。しかし、吉雄の従者も護衛役の巡査も、誰もその老人を止めようとはしませんでした。鬼気迫るその雰囲気に誰も手が出せないのです。


 その時、その場にいた誰にも気づかれませんでしたが、高楯村総代・安達久右衛門の、畳についた右手の甲に、ひとしずくの涙が落ちたのでした。


(おんつぁま、われなぁ。……ほいで、ありがどなぁ。いづもいづも、世話ばりかげる……。)


 分家のおじに、いつも心配をかけて悪かったなぁと、心の中で手を合わせる久右衛門でした。


 吉雄は、畳に這いつくばって逃げようとしますが、久左衛門の手は容赦なく吉雄の後頭部を捉えています。


「ひぃ!だ、誰が、助けでけろ!……お前だ、俺ば助けさ来い!助けろ!……俺の命令ば、聞かんねなが!」


 ふたりの従者は、とてものこと、間に割り込むことも出来ず、ただただ固まっていました。


「まぁだ、分がらねが!」


(びしばし!びしばし!ぼごぼご!ばしんばしん!)


 久左衛門の手は休むことなく、吉雄の頭を捉えて離しません。次々と久左衛門の拳が吉雄の頭に炸裂します。


「分がた!分がたがら、勘弁してけろ!許してけろ!」


 根負けをした吉雄が、とうとう泣きを入れてきました。


「ほんてんだが!ほんてん分がたが!何が分がた!」


(ぼごぼご!びしばし!)


 久左衛門は、それでも殴るのをやめずに聞き返します。


「分がたず!も、もう、ガギべらだの事はしぇえず!もう、しぇえがら!」


 吉雄は両腕で頭を抱えながら絶叫しました。しかし、……。


「バガやろ!つがうべな(違うだろ)!」


 そう吐き捨てると、久左衛門はようやく手を休めました。しかし、怒りの形相はそのままです。


(俺、あだい、おっかないじっちゃんの顔ば見だの初めでだ……。)


 常に厳しい祖父ではありましたが、それは教育上や日々の躾でのことでした。このように怒りの感情を表に出している祖父を見るのは、峰一郎も初めてのことでした。


 峰一郎を始め、4人の子供たちはただただ呆気に取られてしまいました。しかし、それは子供たちだけではありませんでした。


(久左衛門さん、こだい、ごしゃいっだのば見だの、初めでだ。おっかね~!)


(俺だが代官所さ暴れでいった時も、おかないっけげんど、それ以上だべ!)


 子供たちの親たちさえも、呆気に取られる勢いでした。


 久左衛門の怒りは、子供たちのことではありませんでした。そもそも、子供たちのことなら怒りを向ける先が違いますし、久左衛門とて、実の父親をすっ飛ばして、祖父の立場で子供のことにしゃしゃり出るつもりは毛頭ありません。


 そして、いよいよ久左衛門が吉雄を叱り飛ばします。


「総代さんがどごまでも、にさ(お前)さ、頭さげっだの、なしてだが、分がっか!子供だのごどでねぇ!にさの為だべ!」


「はぁ?」


 何を言われているのか分からない吉雄が寝惚けたような声を上げます。


「事ばでかぐしたら、にさな、郡庁さな居らんねぐなるだげでね、養子先さも居らんね!戸長ばしった兄様の顔ばも潰した挙げ句、子供だの親だがら恨まっで、にさな、村さも居らんね!んだがら総代さん、こごだげで終わすいぐ、ただただ謝ってだんだべ!」


 村の総代としては、子供たちを守ろうとしただけではなく、子供のことで恨みを残し、村人達からの反感怨嗟を引き起こさぬようにしたのです。久右衛門としては、日頃、眼をかけて世話をしてくれてきた祖父でもある先代・渡辺庄右衛門の恩に報いるためにも、当代の渡辺庄右衛門の末弟でもある吉雄の顔に泥を塗るわけにはまいりません。


 せっかく先代の庄右衛門が苦労して代官の被官に養子に入らさせていただき、その結果として士族の身分を得て、郡役所の末端に名を連ねることが出来たのです。そんな吉雄のためにも事を穏便に済ませようとしたのです。


 吉雄は村の悪戯坊主どもが郡庁の権威を虚仮にしたと思っているようですが、久右衛門はそうは思いませんでした。吉雄の各村での振る舞いが郡庁の権威を傷つけ、官に対する民意を離間させているという現実を心配していたのです。


 とかく増長慢心が目につく吉雄が郡庁からお払い箱にされ、養子先から三行半を突きつけられないようにと案じていたのです。吉雄には理解できなかったことですが、久右衛門はただただ吉雄のために考えてくれていたのです。


「ほっだなも分がらねで、ガギどおんなづどごでごねで、しぇえ大人がみだくないべ!」


 他の誰でもない、吉雄の立場を考えてひたすら頭を下げている久右衛門の苦衷も知らず、子供と同じレベルでごねまわして、何をしているかと、久左衛門の一喝が部屋に響き渡ります。


「あげぐに、酒、出せってが!……にさが長崎でしてきた事な、全部、聞こえっだ!んだがら総代さん、分がてで聞けねふりしったんだべ!先代の庄右衛門さんの恩ば忘んねで、何もやねで、頭下げっだ久右衛門さんの気持ちもしゃねで、にさ、兄様さだげでね、死んだ親爺の顔さ、泥、塗ったのば、分がらねんだが!」


 久右衛門は、自分を何くれとなく支え教えてくれた先代・渡辺庄右衛門の恩に応え、戸長をしている当代・庄右衛門の願いも汲んで、息子ほどに歳の離れた末弟が郡役所に勤めるように応援もしていたのでした。また、まもなく県会議員に出ようと準備を始めている庄右衛門の顔を潰さないようにとの配慮もあります。


 しかし、何を勘違いしたのか、吉雄は士族になれたのも、村から郡役所に行ったのも、すべて自分の実力であり、自分は住民から頼られるだけの能力に溢れているとの的外れな自信を持っていました。


 ろくに親の愛情も知らずに育った末弟を不憫に思って、まともに躾も出来なかった庄右衛門に代わって、親類筋でもある久右衛門は、折に触れて吉雄への諌言・忠告を惜しみませんでした。しかし、当の吉雄にとっては、時折、言われる久右衛門の忠告など、ありがたいと思うどころか、自分への批判か嫉妬からくる、うるさく煙たいものと感じていたのでした。


「ほんでも分がらねなら、役人さ暴力ばふるたこのじじいば、警察さ突ぎ出せ!」


 最後に久左衛門が叫んだその刹那、とうとう吉雄はその場にへたりこんでしまいました。


「さあ、警察さ、突ぎ出せ!俺さ、縄、打で!」


 もはや、さすがの吉雄も、すっかりおとなしくしょげ返り、俯いたまま、黙って久左衛門の話を聞いていました。すると、その様子を見た久左衛門は、声の調子を幾分か落として、吉雄に語ります。


「にさの親爺だば、にさの事ばずっと心配しったっけ、『俺が息子ば自儘にさしぇだ』『しつけば、まづがた(間違えた)』てな。んだがら、俺は先代から頼まっだんだ。『息子がおがすげな時は、ごしゃいでやってけろ』てな。」


 父親の心残りが自分にあったこと、道を踏み間違えたらしかってやってくれと、父親が久左衛門に思いを託したことを聞かされ、とうとう吉雄は、久左衛門の前に手をついてしまいました。そして、その吉雄に、久左衛門は再び大声で最後の言葉を投げ掛けました。


「ほんでもかまねごんたら、県庁さでも郡庁さでも警察さでも、このじじいば突き出してみせろ!ほごの巡査さ言て、俺さ、縄ば打ださせろ!こだなとっしょり(年寄り)で、生きででもしょうない、俺もあの世で先代の庄右衛門さぁさ、あやまてこらんなね!」


 部屋の末席に控えているふたりの巡査も、どうしようもない困ったような顔をしています。


 それまで平伏していた久右衛門が、さすがにたまりかねて久左衛門を止めにかかります。


「久左衛門殿、そこまで、……もう、そこまでにお願いいたします。……吉雄殿にも、もう十分にお分かりいただいております。」


 すると、それまでは脂ぎった顔にどす黒い嫌みたっぷりな面相をしていた吉雄が、まるで憑物が落ちたように情けない顔をして、久右衛門に対して畳に手を付いて頭を下げたのでした。


「久右衛門さん、……俺が、悪っけ。……どうが、許してけろ。」


 それに対して、久右衛門はどこまでも慇懃に手を付いたままの低姿勢で答えます。


「いえいえ、元を糺せばわが村の者の不始末。お許しいただけるだけでも畏れ多いことです。……しかし、もし、子供たちの無礼をお許しいただけるとあらば、高楯村、山野辺村はもちろん、近隣の村の戸長・地主に声をお掛けして、郡役所の吉雄殿を一層盛り立て、兄様の庄右衛門殿を県会に送り出させていただくお手伝いをすることを、お許し願いとうございます。」


 久右衛門は、低姿勢でお願いする姿勢は崩さぬままながら、兄の立場を持ち出して末弟としての振る舞いに釘を刺すのを忘れはしませんでした。そして、吉雄に巧妙に恩を着せることで一件の落着を図ろうとしました。しかも、一番、状況の整ったこの場面で。


 久右衛門もなかなかにしたたかでありました。


「久右衛門さぁ、しぇえんだが?俺みだいな半端者で、郡役所さ居でで、しぇえんだが?」


 吉雄のこの殊勝な問いかけは、久右衛門からの提案を受諾したものと同義となりました。


 久右衛門は、久左衛門の闖入というアクシデントもあって、村の子供たちを守ることに成功しただけでなく、結果的に吉雄に対しても恩を売ることになったのです。


「何を申されます。ぜひ、これからも村のため、郡のため、おおいにお働きいただかねば、われわれが困ります。どうか、これからもよろしくお願い申し上げます」


 吉雄は目に涙を浮かべ、まるで、数刻前とは別人のように、久右衛門の手をとって哀願しました。


「俺こそ、……俺こそ、われっけっす。久右衛門さぁ、許してけろ。……真面目に、頑張っからっす。……どうが、どうが、許してけろ。」


 吉雄は久右衛門の手を取ったまま、その場で泣き伏しました。そのふたりの様子を見ると、久左衛門翁はまるで何事もなかったかのように、飄々とその場を離れて行ってしまいました。


**********


……こうして、子供たちによる郡庁への反逆事件は、本家の安達久右衛門、分家の安達久左衛門のふたりの赤誠と巧みな交渉術にて、最初からなかったものとされたのでした。


 その後、吉雄の長兄であり、久右衛門の叔父でもある渡辺庄右衛門は、新道問題が終息した明治14年2月の県会議員の補欠選挙に出馬し、得票数1341票で初当選します。更には、翌15年7月の通常選挙でも再選を果たします。


 ちなみに、当時の県会議員選挙の有権者は、地租を5円以上納入し、郡内に本籍を有する満20歳以上の男子という制限選挙でした。また、立候補するための被選挙権は、地租10円以上納入している者となっています。山野辺地区でもっとも大きい地主でもある渡辺庄右衛門は、当然ながら10円以上の税金を納めている高額納税者です。

 平伏する高楯村総代の安達久右衛門に対して増長を重ねる東村山郡役所郡書記の渡辺吉雄でしたが、突如あらわれた安達峰一郎の祖父、安達久左衛門が思い切り渡辺吉雄に対して折檻を始めます。先代の渡辺庄右衛門から息子のことを託されていた久左衛門のストレートな諌めの言葉に、いかな傲岸不遜な渡辺吉雄であっても遂に反省し、久右衛門に詫びを入れる結果となりました。こうして、少年たちの起こした郡書記一行に対する襲撃事件は、始めからなかったものとして不問に付されたのでした。

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