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第18話 郡書記を撃て(改1019)

 関山新道計画は着々と進められ、三島通庸県令の両輪たる高木秀明土木課長と鬼塚綱正警部のもとでいよいよ新道開削事業が始動します。一方、小鶴沢川に差し掛かった渡辺吉雄郡書記一行に対して、安達峰一郎を始めとする少年たちがしつらえた罠が次々に展開されます。郡書記は川の中に放り込まれてずぶ濡れになってしまい、郡書記の先導護衛を務める巡査は、最初に罠をしつらえた三浦定之助が囮となって引き付けます。そこへ石川確治が現れてずぶぬれの郡書記を土手の上から挑発します。

 高楯村の地主、安達久右衛門宅北側の庭・桜池園では、峰一郎の父、安達久がやきもきしながら郡役人の到着を待っています。


「久、おめぇのむがさり(結婚)でねぇんだがら、嫁こ来るみだいにソワソワしても始まらねべ。」


 久右衛門にからかわれるようにさとされる久でしたが、友人の石川理右衛門が、久の気持ちをおもんばかって応えます。


「仕方ねぇべ、郡の代表で楯岡の連合会さ行ってきたがらて、気になんのや。久は責任感、強ぇがらなぁ。」


「んだぁ。久さ気にすんなって言ても駄目だべ。んだから俺だも久ば頼りにしったんだべした。」


 理右衛門の言葉を継ぐように、これもまた友人の三浦浅吉が言いました。


 その様子を高楯村総代の久右衛門は目を細めて眺めていました。


「久はしぇなぁ。しえぇ仲間さ居で。……お前だもガギん時がらつるんで、悪さばりしったっけがらなぁ。お前ださ比べっど、まだ、峰一郎だの方がおどなすぐ可愛いぐ見えっべ。」


「おらだ、ほだなわれごど(悪い事)すねっけべ。」


 久右衛門の言葉に、浅吉が口を尖らせます。


「高力様の陣屋さ勝手にはいて、代官の部屋さ、肥え(人糞)ば、ぶち撒げだのは誰だっけや。」


 久右衛門がにやにやしながら浅吉と理兵衛を見ながら話します。


「久左衛門さんどが、おめだの親爺だが往生したっけべ。おめだのおっかさんだが、部屋ん中の、肥えどがダラどがば綺麗にしてけだんだっけべ。ちぇっと前だば、首はねらっでも文句やんねっけべ。」


 現在の山形県山辺町は明治維新当時、15の村に分かれていました。そして、更にその村々を6つの幕府領・諸藩領が入り乱れるようにして分割統治されていました。


 高楯村は、ひとつの村の中に複数の領主が分けあって存在する相給地あいきゅうちで、幕府旗本高力家と天童織田家の所領が存在し、安達家や石川理右衛門・三浦浅吉の家、了広寺・天満神社のある地域は前者の幕府領でした。


 その時の幕府代官への悪さを、久右衛門は言っているのでした。理兵衛が、まずいことを言われたかのように、頭を掻きながら言います。


「久右衛門さん、勘弁すてけろ。あれだば代官の方がわれっけがらだべした。頼むがらて、ほいず、確治の前では、やねでけらっしゃい。」


 浅吉も理右衛門もバツの悪そうな顔をしていましたが、久右衛門にしても、別に責めて言ったわけではなく、これからの村を託す久たちの世代を微笑ましく眺めているだけでした。


(子供だの声だが? ……随分と元気に遊んでだなぁ……。)


 時折、小鶴沢川の方角から、風に乗って子供たちの楽しそうに遊ぶ歓声のようなものが聞こえます。しかし、久は、相も変わらず、大寺村がある方角、北の空をやきもきしながら眺めているのでした。


**********


……ところ変わって、久右衛門宅からさほどに離れてはいない小鶴沢川です。


 子供たちから屁をかまされて、どこまでもコケにされた東村山郡の郡書記渡辺吉雄は、怒り心頭に発し、イノシシのごとく突進していきます。


「こおの、クソガキどもがぁ!も~容赦すねがらなあ!ぶち殺しでける~~~~!」


 真っ赤に顔を腫らした吉雄が、確治たちがいる方向へ駆け出した途端、吉雄は地面の感触を失ってたたらを踏んで前につんのめります。


「なっ!」


 落とし穴です。しかし、それは思ったほどには深くなく、膝くらいの浅さでした。しかし、……。


(びちゃ~!)


「ぐあぁぁぁぁ~~~~!」


(びっちゃ~~ん!)


 そこには、石川確治たちが用意した屎尿と人糞がたっぷりと注ぎこまれていたのです。そこへ膝をつき、半身を倒してしまったものですから、もう吉雄は糞尿まみれになってしまいました。


「やった!やった!」「ひっかがっだ!バ~カ!」


 会心の仕上げに、確治たちは両手を上げて大喜びをしていました。


「ん……んがぁ!く、くっせぇ~!」


 吉雄は汚物にまみれながら、そのとんでもない匂いに悶絶してしまいました。


「あ~くせぇ、くせぇ、くせぇ、天童さ帰って、早ぐ着替えてこい!」


「着替えでもダメだぁ、風呂さ入てこ!」


「ダメだぁこいづ!腹ん中まで真っ黒ぐ腐ったがら、風呂ぐらいで治らね!」


「んだ、んだ。腐れ役人だべ。わぁっはっはっはっはっ!」


 吉雄は完全にプツンと切れてしまいました。もはや怒りではありません。狂気です。


「勘弁ならねぇ~!ぶち殺す~!」


 怒りに震えた吉雄は、糞尿まみれも構わず走り出します……が、その途端、すぐそこの2つ目の溝にはまりました。


(びちゃっ!)


「んがぁ!」


 今度は倒れずに足を踏ん張った吉雄でしたが、またまたグッチャリと糞尿に足を突っ込んでしまいました。


「やったやった!引っ掛がった~!」


「ば~か!続けて引っ掛かるどは、すげえマヌケ!」


「汚ねぇ奴は村さ入いて来んな!くさいべぇ!」


 確治たちは、ここぞとばかりに吉雄を挑発します。


 しかし、吉雄はもはや「狂」になっています。糞尿にまみれた足を引き抜くと、一歩一歩、踏みしめるように土手に向かいます。


「わ、渡辺様~!」「書記様~!」


 異変に気づいた二人の従者が駆け戻ってきましたが、そこに見えた吉雄のあまりの姿と猛烈な汚物臭に鼻を摘まんで立ち止まってしまいました。


「お~!まだ来っか!往生際の悪い奴だべ。」


 確治の声を聞いて、満を持して待ち構えていた峰一郎たちが出てきました。そこには、峰一郎についてきた清十郎もいました。


 峰一郎は二人一組で、竹で組んだ蚕の床にする丸いワラダを両脇で持っています。しかし、そのワラダの上には何か丸く黒い大きなオハギのようなものが5~6個、乗っかっていました。


「おう、おう、まだ逃げねなが、ながながしぶどいなぁ。」


 峰一郎が吉雄の様子を見て、ニヤッと笑いました。


「よおし、んだば、次はこれでも食らえ~!」


 ワラダの両端をつかんだ峰一郎とその相方の少年は、ワラダをつかんだまま土手に向かって走りだし、ワラダを縦に立たせます。


「そ~れっ!」


 峰一郎の号令で土手ギリギリで足を止め、ワラダも立てたままでストップさせました。


 すると、慣性の掛かったワラダの上にあるオハギのような物体が、ワラダの静止に伴う反動で、一斉に吉雄に向かって飛んでいきます。


(ビダッ!)(ボダッ!)(ベジャ!)


「ぐわっ!」


 吉雄は、その衝撃に思わずのけ反り倒れてしまいました。しかし、それはそんなに硬いものではなく、衝撃の度合いは、むしろオハギよりももう少し柔らかいものでした。


「な、なんだ?……なんだ、こいづ?」


 吉雄は自分の体に当たった正体不明のその物体をマジマジと見つめ、それが何か分かると驚きのあまりに目を大きく見開きました。


「こ、こいづ!……ま、馬糞でねぇが!」


 吉雄の驚きに、峰一郎は鼻の下を人差し指でこすり、得意気に話しました。


「俺だからのご馳走はどうだ?こだな饅頭、ながなが食わんねぞ!」


「まだまだあっからな、遠慮すねで、けぇ!わっはっはっはっ!」


 峰一郎の隣で確治が大喜びしています。


「わ、渡辺様、大丈夫ですか。」


 従者のふたりは成す術もなく、オロオロしています。もっとも、その従者自身、あまりの臭さのために、吉雄に近づこうとする気さえ、ないように見えました。


「お役人様、美味いど!お代わり、出してやれ!」


「いぐぞ~!そ~れっ!」


 ワラダ馬糞大砲の第二射が、清十郎たちの手で発射されました。昨日、ひとしきり訓練しましたから、清十郎の第二射も見事に吉雄を直撃しました。


「あがっ!……うううっ」


 第二次大戦でのソ連軍のカチューシャか、英戦艦プリンス・オブ・ウェールズのボムポム砲のような、といえば大袈裟ですが、即席の多連装砲の攻撃に、狂モードに入った吉雄といえどもかないません。


 砲撃射手?の後ろには弾込め?の担当になった確治たちが、ワラダに馬糞をどんどん乗せて、セットアップしています。


 ワラダは竹で編んでいますから、程よいしなりと弾力、それに瞬間的な反発力に優れていて、単純ながらも、60年は時代を先取りした見事な手作り多連装兵器を産み出したのです。子供の柔軟な発想力の成果でした。


 しかし、このように身近な農作業生活用具に馬糞を乗っけて竹の反発力を使って投げ飛ばすような罰当たりな行為は、さすがに聞いたこともありません。


「ほれ~!次々いぐぞ~!」


 明るい確治の声がみんなを鼓舞していきます。……蛙の子は蛙。彼らもまた、あの親たちの子供でした。


**********


 処かわって安達家本家では、痺れを切らしたのか、石川理兵衛と三浦浅吉が、櫻池園から久右衛門宅の門前にまで出てきました。理兵衛は正面玄関にしつらえてある石灯籠に手を掛けて、大寺村に続く細道の先を眺めています。


「どれ、浅吉。どごまで来ったが、見でくっべ。」


 理兵衛が、石燈籠の土台石に腰を掛けている浅吉に声をかけました。


「んだな。いづまでも、久も落ぢ着がねべがら、俺だで物見してくっべ。」


 そう言った浅吉は、土台石から腰を上げて尻についた砂をはたきます。その石灯籠もまた、玉虫沼の水元としての安達家を象徴とする石灯籠でした。


 それは、石灯籠としては珍しく、土台石に砂岩を使っていました。その石は玉虫沼改修の折に出て来た石で、当時の当主がそれを奇禍として記念に石灯籠にしたものでした。


 それを子供の頃から知っている浅吉は、立ち上がった時に尻をはたきながら久に声を掛けます。


「……んだらな、久よ。」「おらだで行ってくっさげ、ゆっくり待ってろ。」


 二人は声を掛けながら久の両肩にポンと手を置き、久右衛門宅の門前を出ていきました。


 嗚呼……。

 何も知らない高楯村の大人たちは安達久右衛門宅で渡辺吉雄郡書記一行の到着を待っていました。その頃、小鶴沢川で郡書記一行を迎え撃った少年たちは子供ならではの創意工夫を凝らした罠や飛び道具で散々に郡書記を翻弄します。まずは土手の前で汚物を注ぎ込まれた穴に郡書記を誘い込み、糞尿まみれにしました。次いで、養蚕道具を使って竹のしなりの反動を利用したお手製の飛び道具で、郡書記に次々と馬糞をお見舞いしたのでした。少年たちの作戦はまだまだ続きます。

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