第16話 郡書記渡辺吉雄(改1005)
関山新道計画は三島通庸県令の思惑に従って着々と進められ、新道開削に修正を求める東村山郡住民の別段建議書も、住民の知らぬ間に密かに闇に葬られました。そして新道開削工事実施のガイドラインは住民賛同の建前で三島県令のもとまで上がります。県庁では、三島県令の両輪たる高木秀明課長および鬼塚綱正警部のもとにいよいよ事業が始動することとなります。一方、高楯村では大人も少年もそれぞれの思いをもって、それぞれの準備に余念なく、郡の使者の到来を待ち構えていました。
大寺村の細い道を5人の男が南に向けて歩いています。前を先導するように、巡査の制服姿の年配の者が2人、その後ろに同じく年配の洋服姿の者が1人、更にその後ろに、白シャツに着物を袷せて野袴を履いたやや若い者が2人、それぞれに荷物を背中に背負って付き従っていました。
年の頃は四十過ぎ、ややでっぷりとした体格の洋服姿の壮年の男性は、特に急ぐ風でもなく、扇子片手に、ぶらぶらと歩いています。
前を歩く同年輩ほどの巡査や、後ろを歩く若い従者は、チラチラとその洋装の男に視線を送っています。どうやら、その男の歩く速度の遅さに、ややイライラしているようにも見えました。
「あどは、高楯と山野辺さ行ったら、うっつぁ(家に)帰って終わりだな。」
たらたらと歩く洋装の男がそう言うと、従者の1人が不思議そうに尋ねました。
「山奥の作谷沢村や大蕨村はともがく、全部は回らんねくども、山野辺の先の根際村ど要害村さは行がねんだがっす?」
根際村は山野辺村のすぐ南隣、要害村はその根際村の南隣です。どれも高楯村や山野辺村と同じく、村山盆地の西側、盆地の裾に成り立つ山際集落です。山野辺の戸長宅からなら30分もかからず根際村に行けますし、根際村から要害村は更にその半分の距離です。
「こっちは俺の地元だがらしぇえ。周りのこまかい村は山野辺の戸長から通達してもらえばしぇえべ。きんな(昨日)も今日も歩きづめで、くたびっだず(疲れた)。」
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この男は東村山郡役所に勤務する郡書記の渡辺吉雄。しかし、郡書記とはいえ、地元採用の最下級の郡書記で、郡書記になる前は旗本高力家代官所の下級被官に養嗣子として入っていました。そのため、戸籍上は平民ではなく士族になっていたものです。しかし、元をただせば山野辺村の大地主である渡辺庄右衛門の末子ですから、れっきとした平民でした。
いわば今回のような問題に際しての地元住民懐柔対策で採用したようなものですが、どうやら、人品人柄はその採用基準にはなかったもののようです。
今回の彼の役目は郡長布告の正式通告ではありませんし、また、そのような大役を任せられる立場でもありません。今回は主だった村の戸長に内々で連合会決議を通知し、7月9日に予定している郡長布告・連合会決議正式通告に各村代表を郡役所に参集せしめるためのものです。
郡役所参集通知だけなら役所下僕による連絡飛脚だけで済む筈でしたが、それが今回の内報派遣となったのには、実はあの東村山郡が独自に行った別段建議書の提案が大きく影響していました。
つまり、今回の渡辺の任務の真意は、各村の慰撫と不穏な空気がないかどうかを探るためのものでした。しかし、どうやら彼には自分に与えられた任務の真意が理解できていなかったようです。未成熟な組織にありがちな悲劇です。
今も渡辺は、前夜の長崎村戸長宅での饗応ぶりを思い出して、どうやらひとりで悦に入っているようでした。
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「ゆんべな(夕べ)は長崎の戸長で、ごっつお(ご馳走)してけだがら、おもしゃいっけなあ(楽しかったなあ)。今日も早ぐ終わして一杯やっべぇ。」
渡辺が昨日訪れた長崎村は、東村山郡の中でも唯一、今回の新道建設での恩恵が見込まれる村でした。そのため、郡書記へのおもてなしにも力が入ったもののようです。
長崎村の戸長は、隣の小塩村の戸長をも兼任する小関良兵衛という地元の名士でした。長崎・小塩両村は最上川の渡し場をその村境に持っており、産業・生活ともすべてに密接に関連し合っているために、役場そのものも同一の連合役場を形成している特殊な村でした。それだけ、最上川の渡し場による恩恵の大きな地域でありました。
関山新道は峠道を下りて村山盆地に出たあと、まっすぐ南下して山形に向かうのではなく、一旦、西に向かい最上川を渡り、紅花商人で栄える西村山郡の谷地郷に向かいます。新道建設の目的としては、物流による経済振興が表向きの第一理由ですから、紅花産地の商品経済圏を繋ぐ意味でも、迂回ルートの選択は無理からぬものがあります。谷地郷は複数の村からなっている地域の呼称で、現在の河北町谷地にあたります。
そして、谷地郷から南下して寒河江村を通りすぎた新道は、再び最上川を越えて東村山郡長崎村に入ります。そこから更に、最上川の支流である須川を過ぎれば、もう南村山郡の船町村へと入り、あとは真っ直ぐ山形中心地へと向かいます。つまり、関山新道は長崎村のど真ん中を突っ切ることになるのです。
このように、今回の関山新道路線が長崎村を通過するため、反対派が主流となっている東村山郡にあっては、珍しい新道路線推進派の村でした。もっとも、大多数の反対派の意見を慮って、あからさまな賛成意見は、郡内では憚られています。
「長崎の戸長は百姓でねくて商人だがら、酒も美味いっけなぁ。」
長崎村戸長の小関良兵衛は、茶屋を営む傍ら、旅籠も兼ねた船問屋を経営しているため、数人の女中も抱える商家でした。更に、交通ネットワークの一端の担い手として、舟運のみならず、国家の郵便網整備事業にも理解を示して、長崎郵便取扱所の初代所長を務めるなど、開明的な人物でもありました。
その他にも、この小関戸長は教育にも熱心で、維新前後から私塾を開いて子供たちに漢学を教え、後に長崎学校新築願いを三島県令に上申するなど、様々な形で地元の発展に寄与している土地の名士でした。
長崎村には山形の玄関口として最上川の船着き場があり、日本海航路で酒田に着いた物資は最上川を遡り、この長崎村で陸揚げされます。
三島県令は道路だけでなく、この最上川の河川舟運の航路整備にも尽力し、明治12年8月に山形で「回漕会社」を民間会社として設立させ、酒田・大石田とともに、この長崎村に出張所を開設させました。酒田は日本海側の起点、大石田は中間地点、そして、長崎村は内陸側の起点となります。
当時はまだ舟帯船という四人乗り二百五拾俵積みの小舟と、小鵜飼船という五拾俵積みの更に小さい舟のみでしたが、物流の増加が期待される水上陸上の交通網整備は、物流拠点たる長崎村にとっては喜ばしいことでした。
そのような背景があればこそ、長崎村では今回の郡役人の下向を、下にも置かぬおもてなしで歓待したのでした。
「あ~、今日の仕事、早ぐ終わすびゃあ、足がくたびっできた(疲れてきた)。」
その渡辺の大きなひとり言を、巡査は聞こえないように舌打ちをし、従者は無表情で聞こえないふりをしていました。
(……夕べ、酒を飲み過ぎたから疲れただけだろうに。それに深酒し過ぎで寝坊して、まったく、癖の悪い酒だ。)
(……女中の胸とか尻とか触っていれば、誰だって面白いに決まっている。あの娘も気の毒に。まだ子供じゃなかったか?泣いていたよな。)
郡役所の従者は、日頃、役所で他の郡書記に対して這いつくばっているがごときの渡辺の姿を知っているだけに、住民には尊大に権力を振りかざしている渡辺の姿を見るのは、毎度のことながらウンザリしていました。
「山野辺村の戸長さは丁寧に言わんなねって、和田様が言ってだっけねがっす?」
「ほれさ、文句言うような奴がいねが、よぐ、見でこいどが、なんとか、言ったんねっけべが?」
2人の従者が恐る恐る渡辺に尋ねました。昨日の朝、出発にあたり、留守の次席である和田徹郡書記から言い含められたことを、渡辺の後で控えていた彼らも聞いていたのでした。
「問題ねぇ。俺のあんつぁま(兄様)は山野辺ど高楯の戸長だべ、俺が言ったら山野辺の衆も高楯の衆もみんな言う事聞ぐがら、さすかいね(問題ない)。」
渡辺は現実的な根拠もなしに、どこ吹く風のていで自信たっぷりに言い放ちます。やはり、彼には和田郡書記の思いは正しく伝わっていないようでした。
(……こんなので、よく役人が勤まるな。)
前を歩く案内兼護衛役の巡査は、任務中とて、そんな心の裡はおくびにも出さず、横口も挟みません。しかし、この日の予定に関わることだけは、さすがに確認せざるを得ません。
「吉雄さんよ、根際さ行がねなら、山野辺の戸長どごさ根際の駐在、待ってだげんとな。ほれに、山野辺で終わりだごんたら、まだ明るいべがら、天童の郡役所さも戻るいんねが?」
ふたりの巡査は、それぞれ大寺村と山野辺村の駐在で、もちろん、地元の人間ですから、渡辺のこともその従者以上に良く知っていました。
それに、山野辺の戸長宅には、大寺の駐在と任務を交代する予定で、引継ぎの根際の駐在も来ている筈です。更に、山野辺村で旅程を終わらせるなら、まだ日も明るいので、天童の郡役所へ復命に戻ることもできます。
しかし、渡辺の返事は、その巡査も呆れ返るものでした。
「いいびゃあ、要害ど根際さも行った事にして、遅くなたがら、ほのまま家さ帰た事にしてでけろな。」
そう言うと、顔を振り返らせ、後ろを歩くふたりの従者にも、口裏を合わせるよう、念押しでもするかのようにひと睨みしました。
なんと、渡辺は、相模村にも要害村にも、行きもしないのに行ったことにしてくれと、そして、各村での説諭で夜も遅くなったために、郡役所に戻られなくなり、そのまま自宅に帰ったことにしてくれ……と言うのでした。
駐在はもちろん、従者のふたりも、顔に出さないだけで、呆れ返ってしまいました。
(どこまでいい加減な奴なのか?酒癖と女癖が悪い上に、これで郡の仕事が勤まるのか?……先代の庄右衛門さんも兄様も立派だったが、こいつの育で方だけは間違えてしまったようだな。)
巡査は、もう今日で何度目になるかも分からない舌打ちを、また、してしまいました。
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小鶴沢川の浅い川面を、ビシャビシャと水面を弾いて、少年が高楯側の岸に駆けてきます。
「来た来た来た~!洋服着ったがらまづがいねぇ、あいづだ!」
それを受けて三浦定之助が少年たちに声を掛けました。
「来たぞ!みんな、茂みさ隠れろ!」
「隠れろ!」「早ぐ、早ぐ!」
少年たちが声を掛け合い、茂みに隠れてスタンバイをします。少年たちは、目の周りや額、頬に泥を塗りたくっていました。
川岸での仲間の配置が出来たことを確認すると、それを見計らった定之助が、高楯側の岸に向けて手を振りました。
すると、高楯側の土手の上の3ヵ所から、同じように手が振られてきます。それぞれの持ち場を任された安達峰一郎、石川確治、垂石太郎吉の3人です。
峰一郎たちが郡書記を迎え討つ歓迎の準備は万全でした。
高楯村の住人でもある郡書記渡辺吉雄は、郡長布告の通告に山野辺地区へやってきました。渡辺は、長崎地区から各村々を回って饗応を受け、本来の任務を忘れて放蕩三昧の旅を楽しんでいました。その郡書記の有様は従者や先導を務める巡査たちにも呆れ果てられているようでした。そんなことは知らない安達峰一郎ら村の少年たちは、郡役人を迎え撃つ用意を整えて、準備万端、今か今かとその到着を待ち構えています。そして、遂に、その小鶴沢川の河畔に近づく郡書記一行が姿を現しました。




