第15話 郡長布告奉呈の先に(改1005)
関山新道開削の計画を巡り、東村山郡役所では郡書記筆頭の留守永秀以下、粛々と計画実現に邁進していました。一方、東村山郡住民の頼みの綱である別段建議書は、一人の郡書記の手によって歴史の闇に葬られてしまいました。そして、山形県庁では、県令三島通庸のもとへ村山四郡の各郡長が郡長布告を持参して報告に来て、四郡首脳が県庁に一堂に会しました。郡長からの報告を受けた三島県令は上機嫌で自らの所信をおおいに披歴し、各郡長もまた県令の政策をおおいに称賛したのでした。
三島通庸県令への「郡長布告」の奉呈はつつがなく終了し、その内容は県庁からも官報としてすぐに公表されることとなります。住民ひとりひとりが自らの意志で県の事業に積極的に協力する、うるわしい「美談」として。
かくして、三島県令ご機嫌の内に何の問題もなく、予定通りに小1時間で会議は散会となりました。
直立不動で三島県令の退席を見送った後、4郡の郡長と筆頭郡書記はそれぞれ席を離れます。
東村山郡郡書記の留守永秀は、一旦、着席して自らの鞄の中の書類を整理しました。そして、おもむろに席を立とうとした留守に、県土木課長の高木秀明が音もなく近づいてきます。
「留守殿、この度はお手柄でした。」
ふいに声をかけられた留守が驚いて振り返ると、そこに無表情に立っている高木秀明がいました。いえ、無表情ではなく、僅かに口の端が上がっていましたから、本人としては精一杯に微笑んでいるつもりだったかも知れません。少なくとも留守に対する好意的な態度を表しているようでした。
「これは高木課長、……わたくしに、何か?」
驚いた留守は席を立ちあがり、正対した高木課長にうやうやしく答礼をします。同じ地方官僚とはいえ、一方は一等属、留守は12等、かつての武家社会の感覚では家老と下級武士ほどの違いがあり、留守としては激しい緊張を感じざるをえません。しかし、高木の方は頓着もないように、無表情のままに話を続けます。
「貴殿の働きにより、本日の会議もつつがなく終了しました。礼を申し上げます。」
留守は、まず、その高木の挙動に新鮮な軽い驚きを感じました。留守が驚いたのはその無表情さではありません。一般に薩摩人は自らの薩摩弁を直す意識に欠ける者がほとんどですが、驚いたことにこの高木は薩摩人でありながら、その言葉はまったく薩摩人であることを感じさせませんでした。
しかし、その疑問は高木にはまったく無意味でした。土木課長として、各地の現地の者や様々な技術者、中央や地方の官僚との折衝、果ては御雇い外国人まで、コミュニケーションを取らねばならない相手は様々です。
実務官僚として意思の疎通が初歩的な絶対条件である以上、任務を阻害するものは生まれ育った故郷の言葉でも、不要なら躊躇なく切り捨てることは、彼にとり至極当たり前のことでした。
しかも、諸事大雑把なイメージの薩摩人にしては、高木課長は物事に几帳面な性格でもあったようで、彼が明治9年にしたためた『公務日記』は一級の地方史資料でもあります。中でも『栗子隧道始末記』は、栗子隧道および万世大路の建設の史実を調査する基本的な一次史料であります。
「恐れいります。……しかし、一体、何のことでしょう?わたしには課長からお褒めいただくほどの誇れることは何もありませんが……。」
留守は、本当に解しかねるような戸惑いを隠すでもなく答えました。すると、高木は改めてふとしたことに気づいたかのように、かすかに口許を綻ばせます。
「……ああ、そうでした、はなから存在しないものを、存在しないようにしただけでしたね。それは、こちらが失礼いたしました。」
高木は涼しい顔で言いました。
高木のその言葉を聞いた瞬間、留守はその意味するところが理解できました。同時に、留守の背中に冷たいものが流れていくのを感じざるを得ませんでした。
彼は、東村山郡から提出された別段建議書を秘密裏に処分したことを指しているのです。しかし、それは会議に出席した柴恒玄郡書記が直ちに焼却しました。そして、それを知るものは自分以外には当事者の柴郡書記と、報告を受けた和田徹郡書記の二人だけです。
会議最終日の6月28日、各郡役所に行って会議報告をした連合会議長の西川耕作議長と細谷巌太郎副議長も、その処分までのことは知りません。しかし、県庁隣の南村山郡役所にその二人を出迎えたのは、南村山郡の郡長だけではなく、そこに高木秀明課長もいたことを留守は知りませんでした。
「今後は、連絡を密にして、何かとご協力しなければならなくなると思います。どうぞよろしくお願いいたします。」
そう言って、高木は留守の手を取り握手すると、笑顔を顔に出しました。今度はそれと分かる程に口角を上げて。
そして、そんな留守の驚きを見透かしているのかどうか、高木が握手を終えると、すぐに今度は鬼塚綱正警部が手を差し出してきました。鬼塚もまた地位の違いに頓着なく、気さくで陽気な薩摩人の気性を全身にかもしだしていました。
「なんでん、面倒がありもしたなら、すぐ知らせてくいやんせ。いつでん、飛んでまいりもすで、大船に乗ったつもりで、ご安堵くだされ。」
そういった鬼塚警部の笑顔は、ただでさえ、いかつい迫力ある面相が、一層、凄みのある顔になっていました。
(……いつの間に、わたしの郡内に。……こいつら、化けもんか!)
留守は、県内の薩摩閥の見えないネットワークに、そら恐ろしいものを感じざるを得ませんでした。そして、下手な小細工も何も、恐らく、彼らには一切通用しないであろうことも。
しかし、高木や鬼塚にとって、関山新道開削に対しての阻害要件は、唯一、東南村山郡住民の動向でした。南村山郡は県庁の御膝元で容易に対処が可能であり、県庁の隣にある南村山郡役所とは意思の疎通にも問題はありません。勢い彼らの関心事は東村山郡住民の動向となります。
そういう意味で、留守郡書記以下の東村山郡の初動対応は、高木や鬼塚にとって十分に満足できる働きであったと言えます。あとは予想される今後の住民対策で留守郡書記と県庁との連携をしっかりとやるだけでした。
(……わたしはわたしの仕事に精励するのみ。余計なことは考えんようにしよう。)
留守は心の中の動揺をさとられまいと努めて平静を装いつつ、高木と鬼塚の両者に笑顔で会釈をして、会議室を後にしました。
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県庁から出た一行は、馬見ヶ崎川を下り、合流する最上川に出てから更に少し下って、天童村の隣、蔵増村で舟を降ります。
「留守くん、……留守くん、どうかしましたか?」
その舟の中、五條為栄郡長から何度も声を掛けられた留守は、不覚にも物思いにふけって、郡長の問いかけにすぐには応えられませんでした。
「あ、……あぁ、郡長閣下、申し訳ありません。いかがいたしましたか?」
「いえ、県庁を出てから、ずっと、何か、考えているようでしたからね。大事ありませんか?」
五條郡長はそれと分かるような心配気な言葉遣いで丁寧な口調ではありましたが、本心ではそれほど留守に対して気にも留めていないのは、舟からの景色を眺めるのを楽しんでいる様子からも分かります。
郡長は、久しぶりの舟遊びのように、楽しく景色を愛でている自分の問いかけへの返事もない留守の態度に、些細な不満を感じていただけのことでした。
「ご心配をお掛けして申し訳ありません。大任を果たして、つい、ほっとしてしまいました。」
「そうですね。よく分かります。まったく、わたくしもこれで肩の荷が降りました。」
そう言って五條は嬉しそうに話します。留守にはその声が、とても遠いところから聞こえてきたように感じられました。
留守としては、これからが実務者として大変な仕事が待っているのです。実際に賦課金を徴収する作業はこれからですし、人夫の手配など実地の工事実施にかかる事務は盛り沢山です。
肩の荷が降りたとは言いますが、今までも何もしてこなかった五條郡長が、これからも何もすることはないでしょう。
それに構わず、留守はまずは目先の賦課金徴収の実施手順と、予想される住民の抵抗、特にお膝元である天童および周辺村落への監視の強化をはからねばなりません。
(もっとも、あの様子では、既に県庁ではとうに内偵を進めているんだろうがな。……だからと言って、われわれが何もしないで良いわけではない。)
留守は既に頭の中で、次なる作業の構想を検討していました。
(われわれは、やるべきことを淡々とするのみ。)
留守は自分の務めを再確認し、決意を新たにしたのでした。
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その頃、高楯村では、村の大人たちがいつ来るか分からない郡役人をやきもきしながら待っていました。もはや、居ても立ってもいられない、安達久や、その友人の石川理右衛門や三浦浅吉たちは、安達久右衛門宅の居間を飛び出し、「櫻池園」と皆が呼び慣わす安達本家の庭園をウロウロとしています。
ここはかつての高楯城主・武田信安公が、家老の安達縫之助の役宅に造ってくれたと伝わる安達家代々自慢の庭です。背後に躑躅山を配した久右衛門自慢の池の前にしゃがんで、久はじっと水面を見つめていました。
「郡役所の人だば、いづ頃、来るんだべ。」
水面を見つめた視線をそのままに、峰一郎の父、安達久が本家の安達久右衛門に尋ねます。
「昼前に大寺村のもんが知らせに来て、おしぇでけだ。大寺の戸長のどごで、昼餉ば済ませでだべがら、もうちえっと後だべな。」
高楯村の戸長は山野辺村との兼任戸長を務める渡辺庄右衛門でしたが、その彼の孫でもある久右衛門は、父の先代久右衛門から戸長を代々引き継いでいた前戸長でもあり、先代久右衛門と同じく、村の住人達からは戸長同様の礼をもって迎えられていました。
言うなれば、祖父の庄右衛門が後見として戸長を務めてはいても、実質的な戸長の実務は久右衛門が任されて村の住人の世話をしているものでした。現に名目上の戸長である庄右衛門自身が、実務を久右衛門に任せることを了解しており、自身は近い将来に県会に立候補する地固めにいそしんでいました。
つまり、久右衛門が実質的な戸長であり、村人もまた久右衛門を「戸長さん」もしくは「総代さん」と、親しみと敬意を以って呼びならわしているのでした。そして、その久右衛門は高楯村の代表として裃に袴を着けた正装姿で、郡の役人を迎える準備を万端に整えていたのでした。
(……んだげんと、さっき来た大寺のもんの話しの通りだば、役所から来んのは、あいづだって言ってだっけな。あいづば寄越すなんて、お上も何ば考えっだんだが。)
久右衛門は「ふうっ」と溜め息をつき、久と同じく池の水面を見つめています。澄み切った池の水とは裏腹に、なんとなく一抹の嫌な予感を感じざるを得ない久右衛門でした。
一方の久も、久右衛門から焦りをなだめられながらも、つと顔を上げると、北隣の大寺村の方角の空を、眺めずにはおられませんでした。
理右衛門と浅吉は、池の畔に立つ一本桜の木に寄り添って、そんな二人の姿を見つめていました。理右衛門と浅吉の二人とも、久が自ら楯岡村まで行って話し合って来た連合会委員としての責任を痛感していることをよく知っていました。だからこそ、そんな久にかける言葉もありませんでした。
二人が寄って立つこの桜の木は、安達久右衛門の家を象徴する桜の木でした。ここにある桜の木が一本だけなのには謂れがあります。そして、すぐそばの、主君筋である武田家後胤が住職を勤める了広寺には桜の木が三本並んであります。
玉虫沼の水元である久右衛門は、毎年の春の一番水を引くに当たって、了広寺の三櫻園と、久右衛門の一櫻園のそれぞれの池に、一旦、入水してから灌漑するしきたりとなっていました。通常、村人たちが呼び慣わしている「櫻池園」の正式な名称は、灌漑の儀式における、その「一櫻園」でした。そして、桜の木の本数がその謂れでもありました。家来筋である安達家は、主君筋に対して憚るように桜の木を一本だけにとどめていたのです。
その澄み切った灌漑水を湛えた櫻池園は、うららかな柔らかい日差しの中、村の男衆の懸念をよそに、静かな時を刻んでいるのでした。
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同じ頃、小鶴沢川では……。
「物見が戻って来たぞ!」
小鶴沢川の南の高楯側にいる峰一郎たちのもとへ、大寺村の戸長宅に偵察に出ていた少年が駆け込んできました。
「役人が大寺の戸長の家ば出だ!」
その第一報を聞くやいなや、三浦定之助が、その物見から帰ってきた少年に尋ねます。
「何人で来った?」
「洋服が1人、荷物持ぢが2人、巡査が2人だべ!」
この在所の村で、洋服を着ているのは巡査くらいしかおりません。洋服を着ている者がいるとすれば、それは役人であることは一目瞭然でした。
その物見の報告を聞いた峰一郎が答えます。
「巡査も入れで5人だが……。巡査のおっちゃんには悪いども、やらんなねな。」
その峰一郎の言葉に、山野辺村の垂石太郎吉が言います。
「きっと、おらほの村の駐在だべ。始めの打ち合わせの通り、みんなで洋服の奴ば狙て、駐在が追っかけで来たら逃げる、てな按配ですれば良いべ。」
石川確治もそれに応じます。
「んだ。それで行ぐべ。」
「よし、みんな、持ち場さ着ぐべ!」
最後に峰一郎が下知を下します。
「やっぞ!」「やっべ!」「よっしゃ!」「うおぉぉ!」
喚声を挙げて少年たちが明るく元気に持ち場に散りました。村を守る正義の戦いに少年たちは興奮していました。
いよいよ、峰一郎たちの戦いが始まるのでした。
県庁での郡長布告奉呈を無事に終えた郡書記筆頭の留守永秀は、三島通庸県令の両輪とも言える高木秀明課長および鬼塚綱正警部の底知れぬ力を実感しつつも、淡々と自らの任務に邁進する決意を新たにします。一方の高楯村の安達久右衛門宅では、大人たちが不安を抱えながら郡役所の使者の到着を待ちわびていました。そして、大寺村との境目にある小鶴沢川では、義憤に燃えた少年たちが郡役所からの使者の到来を迎え撃つべく、準備万端、手ぐすねを引いて待ち構えているのでした。




