第9話 少年たちの正義(改0920)
山形県東村山郡の西高楯村で石合戦に興じていた安達峰治郎の幼少期、恩師の石川尚伯は峰治郎の父親・安達久に峰一郎への改名を勧め、ここに『安達峰一郎』が誕生しました。峰一郎少年が山野辺学校を卒業した頃、西高楯村にいわゆる関山新道建設の問題が起こります。三島通庸県令のゴリ押しと共に、住民の様々な思いが交錯しますが、国家の命題や大人の事情など知る術もない少年たちにとって、その仕打ちに対する憤りは押さえようもありませんでした。
少年たちの怒りは頂点に達しようとしています。
勝手に懐具合を裕福だろうからと探られた上に、頭ごなしに負担を余計に増額させられた農民たちもたまったものではありません。
「あっだまさくっべ!」
「んだず、ごしゃげでくっず!」
「黙って、ゆうごど聞がんなねんだが!」
「ほだな、馬鹿くさいべ!やってらんねべず!」
少年たちは次第に激昂して、気勢をあげ始めました。そして、このような場合のお決まりのように、その内に興奮した中のひとりが、遂に実力行使を訴え始めるものです。
「やってやっべ。やるしかねえべ!」
「んだ、んだ!」
「やっべ、やっべ!」
果たして彼らはいったい何をやろうと言うのでしょうか。少年たちは、何をやるべきかも分かりませんでしたが、彼らなりの正義感を発露する先を探していたのです。
そんな仲間の激昂ぶりを見計らったかのように、垂石太郎吉が新たな情報を披瀝します。
「明後日、郡役所の奴だが、あちこちの村の戸長さんだの家さ来んだど。大寺村の方がら高楯村さ来て、次に山野辺村さ来るて、親爺が言ってだっけ」
太郎吉が言う戸長とは、彼らの住む山野辺村や高楯村を含む山野辺地区の村々の戸長を指します。その村々の戸長宅を役人が訪問して、月例の戸長会議に先駆けて根回しをしようというのです。
しばらくの沈黙のあと、ひとりが叫び上げます。
「んだば、ほいづば追っ払ってやっべ!」
「んだ、んだ!」
「やっべ、やっべ!」
「追っ払って、役人ださ、おらだがごしゃいっだのば、おしぇでけらんなね!」
村に来た役人を追い払って、自分たちの怒りを郡の役所に教えてやらなければならないと、子供たちの気勢が盛り上がっていきます。少年たちの単純で純粋な正義感の帰結するところはもはや既定路線なのです。
この日、四郡連合会の会議4日目の6月28日は、共同建議が採択される最終日でした。しかし、最初から結果が決まっていて、細部の調整しか許されていない会議であるという実態は、既に初日で東村山郡の代表として出席していた安達久にも判明していました。
28日に四郡共同建議採択、翌日から各村戸長への内報伝達が実施され、1週間以内に郡長名で正式布告がなされます。それらのスケジュールはすべて、採択前に既に既定路線で定まっていたのです。それは事細かく、高楯村や山野辺村の内報に何日に行くかまで、決められていたのでした。
会議に出席していた久は、天童地区から来ていた委員と協力して、それこそ夜も寝ずに話し合いを繰り返し、既にシナリオ通りに出来上がった官製建議書とは別に、急遽、水面下でオリジナルの建議書を作成するという慌ただしい動きをみせました。
同時に委員の中から健脚の者を選んで、最上川の早舟を使い、このことを大急ぎで山野辺村や天童村の主要な戸長にも報知すると共に、安達久右衛門や渡辺庄右衛門ら地元の留守戸長たちも時間の限られた慌ただしい中で、夜も眠らず自分たち独自の建議書作成のために知恵を絞りあい、楯岡村で行われている連合会の会議で奮闘する代表委員たちへの支援を惜しみませんでした。
その東村山郡独自の建議書とは、新道ルートの一部変更と賦課金の平等性を訴えるものでした。同時に会議に出席していた久たちも、自分たちと主張の近い南村山郡を自分たちに同調させるための多数派工作を密かに行っていました。
東村山郡の大人たちは、この東村山郡独自に行う建議の提出に一縷の望みを賭けていたのでした。
しかし、そのような大人たちの苦労を知らない少年たちは、今、この吉祥天宮の境内で、若く純粋な正義感で義憤をたぎらせていたのです。
「やっか?」
「んだ、やっべ!」
「やっべ、やっべ!」
「んだんだ、おらだも黙てばがりでいねって、思い知らせでやらんなね!」
住民がいつまでも黙って言うことを聞いてばかりいるだけではないことを、役所の者たちに思い知らせてやらなければならないと、最初は慎重派に見えていた年長の三浦定之助までもが、遂には感情を高ぶらせて吠えたてています。
学校を出たとは言え、まだ10歳を僅かに越えたばかりの血気盛ん、意気軒昂な子供たちです。官憲に逆らうことがどれほど重大なことか、十分には理解もしていない時でした。
「んだば、峰ちゃん、手筈ば決めでけねが!」
「んだ、んだ。峰ちゃん、おらだば差配してけろ!」
少年たちは石合戦で無敗を誇った峰一郎の智謀を期待して、自分たちへの采配を託したのでした。
「わがた。いっちょやってやっか。郡の役人ださ、目にモノ見せでやっべ!」
「おおー!」「おーっ!」
郡の役人に一泡吹かせてやろうと、仲間から祭り上げられて調子に乗った峰一郎の言葉に、少年たちはまたまた興奮の度を増していきます。もはや、やる前から勝ったような騒ぎでした。
「ほしたら、郡の奴らだば、どっから来んなや?」
郡役人の来る道筋についての峰一郎の問いかけに、定之助もかぶせるように聞いてきます。
「志戸田村がらが?それども、吉野宿村の方がらが?どっちさ来ても須川ば渡るなは、渡し場のある鮨洗村からだべ」
志戸田村・吉野宿村・鮨洗村も、須川を挟んで山野辺村の東側に隣接する村です。県庁のある旅籠町は、山野辺村の東南の方角にありますから、そこから山野辺に向かう場合は鮨洗村まで来て須川を渡るルートとなります。
鮨洗村の渡しから来るのではないかとの定之助の推測に対して、訳知り顔に垂石太郎吉が答えます。
「県庁からの役人だばそっちだべげんと、郡役所は天童村さあっがら、長崎村の方がら金沢村ば通って大寺村がら来っべ。」
「んだば、須川でねくて、すぐほごの小鶴沢川で迎え討ってやるいべ。」
村山盆地の西側を南北に流れる須川は最上川の支流で、山形地区と山野辺地区を東西に隔てています。須川西岸の山野辺村・高楯村へ来るためには、山形方面の県庁を起点とするなら須川東岸の鮨洗村で川を渡ります。
しかし、山形より北にある天童村の東村山郡役所から来る場合、山野辺村の更に北東で須川を越えるか、もしくは最上川の舟運で一気に長崎村に入り、寒河江街道から山際の部落を伝って南下し、大寺村から小鶴沢川を渡って来ると思われました。
つまり、少年たちにとっては地理を熟知した場所での、有利な条件での迎撃作戦が可能なのでした。
「よし、みんな、こっちゃ来て陣立てすっべ。仕掛げもこさえらんなねがら、みんなで準備の割り当でもさんなね。」
役所の使者を小鶴沢川で迎え撃つとなれば、様々な仕掛けも作らなければならないし、そのための準備作業の割り振りもしなければならいないと、峰一郎が子供たちを呼び集めました。
「おお!」「よっしゃ!」
少年たちは掛け声も高らかに峰一郎を囲んで、さっそくの健気な軍議を始めようとしました。峰一郎の陣立てと策ならば必ず勝てると少年たちは信じていましたから、たとえ大人相手だとしてもまったく負ける気がしません。
みんな、久しぶりの石合戦に興奮し燃えたぎっていました。ましてや、村のために立ち上がる正義の戦いという興奮の余韻に浸っていたのです。
峰一郎は振り返り、西の山の稜線に突き出した大杉を遥かに臨みます。そして、大杉に向かい頷きます。
(よし、やってやる。筋の通らないことは通らんと言わなきゃいけない。今も親父は楯岡で頑張っている。本家のおじさんや村のみんなも何とかしようと話し合いを重ねている。でも、大人たちには言いたくても言えないこと、やりたくてもやれないことがある。だから、俺たちがやるんだ。村のみんなのためにやってやるんだ。)
大杉は子供たちの愛すべき稚戯を励ますかのように、今も天を指して屹立しています。
役所の結論ありきでのゴリ押しによる土木工事の決定とその負担金の徴収という事実に憤りをおぼえた少年達の怒りは沸点に達します。そこへ、郡からの使者が各村に告知に来る事を知った少年達は、その役人を追っ払うことに怒りの矛先を向けようと決めます。そして、その采配を振る指導者として、石合戦不敗の峰一郎にそれを託します。仲間から担ぎ出された峰一郎は、自らの正義を主張する決意をしたのでした。




