第8話 殿、出陣でござる
1587年(天正15年) 6月 近江国高島郡朽木谷館
朽木谷館では朽木谷2万石の領主 朽木信濃守元網はじめ、主だった者が評定を開いていた
「九州征伐が終わった今こそ、山賊どもを成敗する好機ですぞ!」
岩瀬又十郎信明が声高に叫ぶ
「しかし、畿内は関白様の惣無事令が出ておる。私的闘争はお家取り潰しの口実となろう」
全てにおいて慎重派の野尻平八益元が、勇み足をたしなめるように意見する
「野尻殿!そのような弱気で如何する!
此度は闘争ではない!山賊どもの成敗じゃ!関白様の意に背くわけではござらんぞ!」
「岩瀬殿はそう言われるが、兵を催すのならば、まずは関白様にお伺いを立てるのが筋というものではないのかな?」
「領内の仕置きの問題をいちいちお伺いを立てていては、それこそ領内を治める資格なし などとあらぬ風聞を呼ぶことになろう!」
評定は主に岩瀬と野尻の言い合いに終始していた
屋根裏に潜む鈴にも状況は理解できた
(なるほど、要するにあの岩瀬ってのの暴走というか領地欲から出てるわけね…)
その証拠に、当主朽木信濃守は明らかに気乗りしていない様子だった
「又十郎。被害と言っても10年以上前の事だし、今は彼らの持ち込む産物で高島も多少は潤っておるのだ。そこまで目くじら立てることでもないのではないか?」
野尻がうんうんとうなずく
「甘いですぞ!きゃつらは鯖街道と西近江路を扼しておりまする!今は実害はないとはいえ、飢えればどのような行いに出るか分かったものではありませぬぞ!」
「う~ん…しかし…」
「産物にて高島が潤うというのなら、きゃつらを成敗した後、我らの手で交易を行えばよろしい!」
(それが岩瀬とかいうのの本音ね…)
「そこまで言うのなら、兵70鉄砲20を貸し与える故お主が率いて行うが良い」
「殿!」
「平八。一度やらせねば又十郎の収まりがつくまい」
「必ずやご期待に応えて見せまする!」
(見えてきたわね。ということはこちらの取るべき手は…)
鈴は朽木谷館を後にしながら、戦略を練っていた
1587年(天正15年) 8月 近江国滋賀郡比良山中
周辺山地の絵図面を前に、小舟木館で軍議が開かれていた
軍議と言っても、ほぼ一方的に鈴が作戦を伝えていた
「………という事でよろしく」
「よし!任せろ、鈴!」
「ほんとにお願いね。あ、あと太兵衛を借りていくからね」
「うむ。好きにするが良い」
「……最後にもう一度言うけど、くれぐれも殺しちゃだめよ。手負いはいいけど、死人が出ては朽木も引くに引けなくなるからね。いい?」
「ぬっふっふ。任せておけい!皆の者行くぞぉ!」
「「「おー!」」」
小舟木一統30名
意気天を衝くばかりであった
先頭の勘三郎が鹿三郎にひらりと跨る
ア〇タカーーーーー!
「ん?誰じゃそれは?」
いえ、なんとなく…
その後、頭領に続いて小舟木騎馬(鹿?)弓隊10名が後に続く
その後ろに半弓を携えた総勢20名の弓足軽隊が続く
堂々たる軍列だった
ただ一つ、頭領以下全員がおなじみの山賊スタイルでさえなければ…
「お頭!準備整いました!」
孫六が勘三郎に宣言する
「ぬっふっふ。殿と呼べぃ。
では!出陣じゃ~~~!」
一方その頃
山2つ超えた鯖街道には岩瀬又十郎率いる朽木勢70名が整列していた
もちろん、本来の意味での、堂々たる軍列だった
「良いか!今から山に入り、不埒な山賊どもを成敗いたす!これは我が朽木領の安全を確保する重要な戦と心得よ!
かかれぇ~~~!」
岩瀬の号令一下70名の足軽たちが山を登る
鉄砲兵20名は足軽隊に守られながら中央付近を進軍した
お互いに申し合わせたように、共に山一つ越え、谷を越えてまた一つ山を登った所で、両軍が正面から激突した
先に敵を発見したのは小舟木勢だった
「頭ぁ!朽木兵が反対側を登ってきますぜ!」
「鈴の読み通りじゃのう。では、各々、抜かりなくな」
「「「へい!」」」
「…あ、殿と呼べ!」
言うが早いか、小舟木騎馬(鹿?)弓隊は勘三郎を中心に散会し、勘三郎は一人で山頂へ向かった
騎馬(鹿?)にまたがる勘三郎の堂々たる姿は、嫌でも朽木勢の目に入った
「見つけたぞ!かかれぇ~!」
「あの兜首が岩瀬とやらか。ふん!」
勘三郎が弓を引き絞った
岩瀬までの距離は約1町(100m)
…っヒュン! カツン!
見事岩瀬の兜の前立てに命中し、岩瀬が思わずのけぞった
「殿!殺してはならぬと鈴殿から…」
「わかっておる!それ故兜に当てたまでよ!」
「うぬぬぬぬ!おのれぇ!山賊風情が!貸せ!」
岩瀬が鉄砲兵から火縄銃をもぎ取る
ダーーーン!
チュインッ!
通常は鉄砲の有効射程外だが、岩瀬の放った銃弾が奇跡的に勘三郎の頬を掠めた
「あああああ危ないではないか!!!」
「たわけ!貴様らを成敗しに来ておるのだ!者共!かかれー!」
「ヒソヒソ(山登ってんのに一気にかかれるわけないよなぁ)」
「ヒソヒソ(元気なのは岩瀬様だけだよな)」
「やかましい!鉄砲構え!」
朽木鉄砲兵20名が山頂に向けて鉄砲を構える
「これはたまらぬ。一旦退くぞ」
「逃がすな!追え~~~!」
ワァァァァァァァ!
山頂まで登り切った所で異変が起きた
四方から飛来する矢が正確に鉄砲兵の肩や腿に突き刺さった
ぐあっ!
ひいっ!
山中での鹿狩りに慣れた精鋭の騎馬(鹿?)弓兵からの正確な一撃だった
一人二射 動きののろい人間の末端部を狙うことは決して難しくはなかった
「ぬぅぅぅ!奴らの獲物は弓だけだ!おそれず前進しろ!」
鉄砲兵を残し、足軽隊50名を率いて前進する
10歩歩いた瞬間、岩瀬の立つ地面が急に上空へ跳ね上がった
「ぬぁぁぁぁぁぁ!」
「ワハハハハ!どうじゃ!蚊帳は丈夫であろう!」
「身を以て知りましたからなぁ」
「おのれ!おのれ!」
蚊帳生地に包まれ、身動きできない岩瀬を尻目に、50名の歩兵たちも次々と
ある者は落とし穴(竹槍無バージョン)に落ち、ある者は蚊帳に吊られ、
ある者は地面と水平に襲い来る竹にスネを強打されてうずくまった
ぎゃあ!
ひぃ!
痛ぇぇぇぇぇぇ!
もはや阿鼻叫喚の地獄絵図と化した朽木勢を尻目に、小舟木勢は悠々と引き上げていった
戦場になる地点を予測し、丸三日かけた鈴と有志10名による壮大な要塞化工作の結果だった
「わはははは!今日のところはこれで勘弁してやる!」
「おのれぇぇぇ!山賊どもぉぉぉぉぉ!」
「口惜しかったら明日また来るのだな!」
散々に打ちのめされた朽木勢は、一旦鯖街道上に引き上げ、翌日の攻撃を期して傷の手当てをしていた
不思議なことに死者は出ていなかった
一方その頃
鈴と太兵衛は小ぎれいな小袖を着込み、一見するとれっきとした武家の奥方とその護衛の体をなして高島郡大溝城を訪ねていた