第7話 殿、風雲急でござる
1584年(天正12年) 6月 近江国滋賀郡比良山中
「ぬっふっふっふ」
能見山は嫌な予感しかしなかった
勘三郎が妙にうれしそうに鞍を抱えて山へ帰ってきたからである
「殿、そんなもの何に使うんです」
「馬の鞍?アンタ馬なんて飼ってないでしょうに」
「とうちゃ、うま、かってないでちょ」
「おお、よしよし。嘉太郎はかわゆいのう」
「…ねぇ、話聞いてる?」
そう
英雄織田信長の死をどんどで済ませる我らが頭領勘三郎は、騎馬武者にあこがれるアラサー男子だった
未だ信長の死を知らぬ彼ら(三人だけ)は『織田の追撃』を振り切るために騎馬隊を組織することを狙っていた
「馬も四つ足、鹿も四つ足、馬に出来て鹿に出来ぬ道理があるか?」
「どこかで聞いたような話ですが、それ多分逆ですよ。殿」
「まあ、見ておれい。 鹿太郎~~鹿太郎~~」
鹿太郎とは彼がことのほかかわいがっている五歳の鹿であった
嫌がる鹿太郎に無理矢理鞍を乗せ、銜を噛ませ、ひらりと華麗に跨ると
次の瞬間
勘三郎はひらりと華麗に宙を舞っていた
尻を跳ね上げた鹿太郎に豪快に跳ね飛ばされたのだ
「まあ、そうなりますわな」
「はぁ~…アレが夫でよかったのかしら…」
「根はイイ人なんですよ。お方様」
「まあ、それは知ってるけど…」
遠く勘三郎の”ぬおぉぉぉぉぉ”という声を聞きながら、今日も小舟木村は平和だった
1586年(天正14年) 10月 近江国滋賀郡比良山中
「タケノコが…」
真野がこの世の終わりのような顔をして体育座りでたそがれていた
出入りの行商人・西川甚左衛門に相談した竹の使い道が見つかったとかで、潰した竹藪だけでは足りずに周辺に5つあるうちの3つまで潰してしまっていた
そのせいで真野の春の楽しみ タケノコ祭りが、来年の開催を危ぶまれていた
「ええい、メソメソするでない!真野も鹿三郎の世話をせんか!」
勘三郎は初代鹿太郎の騎乗に失敗し、鹿太郎はそのまま比良の山中へ走り去っていた
今の鹿三郎は三代目である
「そういう呑気なことを言ってる場合じゃないかもよ」
いつになく真剣な顔で鈴が勘三郎に話しかける
「んん?どうした深刻な顔をして。」
「ちょっといい?真野ちゃんも」
「うむ」
「はあ…」
鈴は小舟木村の主だった者を集めた
「昨日高島の市に行ってきたんだけど、そこでちょっと不穏な噂を聞いてきたものだから」
「不穏な噂?」
「ええ…」
鈴は昨年から産物の交易に参加していた
一時は武田と甲賀の追手の影に怯えて出歩くことを控えていたが、武田が滅んで3年経った今でも追手の『お』の字も見えない現状に鑑み、徐々に人里に出歩いていた
甲賀は追手を出す気ならさらに早く出してきていただろう
襲撃を受けて10年経った今、鈴を追っている者はいないと判断していた
「この辺が比良山中で、山3つくらい超えた先が朽木領だって話は以前にしたよね?」
「うむ。まさかに織田が討たれておったとは衝撃じゃったな」
「高島の市でも、小舟木村の存在が徐々に噂になってるらしいの」
「むぅ?今頃になってか?」
「この前西川さんに竹を売ったでしょ?そのせいでずいぶん見晴らしが良くなったと思わない?」
「うむ。湖からのご来光を自宅から拝めるとは思うてもおらなんだ」
鈴が険しい顔で眉間に手を置いた
「…話を続けるわね。つまり、逆に街道からもこっちが拝めてしまうってことなの」
「それじゃあ…」
「そ。今まで誰も知らない隠れ里だった小舟木村が、近在のご領主様たちの知るところとなってきたってわけ」
ざわざわざわ…
「で、ここからが本題。噂では朽木のお殿様が、山に盤踞する山賊どもを成敗するって息巻いてるらしいわ」
「なんじゃと~~!!」
「それはいくら何でも…」
「んだ、横暴だべや」
「我らがいつ山賊働きをしたと申すのだ!一方的に山賊扱いとは聞き捨てならんぞ!そうではないか!能見山!」
「…ええ、まあ…」
能見山の言葉が妙に歯切れが悪い
「ん~~じゃあ、一つ確認ね。あの牛だけど、どこで手に入れたの?」
小舟木村の耕作奉行、牛の花子を指さす
「…!! あ、あれはとある親切な商人から譲り受けたものであってだな!」
「そ、そうですよ!御仏にも通ずる尊い行いなわけで…」
「まあ、要するに、カクカクシカジカなわけです」
「「能見山!」さん!」
鈴が盛大にため息をつく
「じゃあ、実際に被害も出てるって話もあながち嘘でもないわけね。しっかしセコい話ね」
「…?どういうことじゃ?」
「10年以上も前の話で、それも被害は1件だけ。明らかにイチャモンつけて領地分捕ろうってことよ」
「ぬぅぅぅぅぅ」
「ココはアンタのおかげでそれなりに産物が揃ってるし、米が取れない以外はまあまあオイシイ村に見えるんじゃないのかな」
「ぬぅぅぅぅぅぅ!許せん!わしが丹精込めた猪次郎(猪)たちの居場所を奪わんとするとは!」
「まず村人の心配をしてください…」
「まあ、ちょっと久々に情報集めてみるわ。すえさん、しばらく嘉太郎をお願いね」
「はい。鈴さん」