第6話 殿、我らは山民族でござる
1578年(天正6年) 9月 近江国滋賀郡比良山中
「困ったことになったのぉ…」
「殿が誰でも彼でも受け入れるからですよ」
「織田を共通の敵とする同志たちなのだ。見捨てることはできぬであろう」
「とはいえ、こう大人数になってくると殿一人では厳しくなってきましょう」
「…まあな」
我らが小舟木村では村人の数が既に30人を超えていた
空き家は5軒 各家に可能な限り詰め込んでいたがもう限界だった
浅井・朝倉の元雑兵達
越前一向一揆の生き残り
若狭から逃げてきた農民たち
などなど
孫六が差配をして耕作地は振り分けられたが、狩猟の手と住居地が圧倒的に不足していた
米が作れない山地の集落なので、売れるものは何でも売って米に変える
栃餅・栗・山菜・キノコ類・炭・鹿・猪・熊などの肉と皮・椀・箸などの木工品・鈴の作る薬・果ては竹を切って竹細工をするなど
人が増えれば作れるものも増えたが、それらを全て売っても村人の口を賄うのが精いっぱいであった
しかし、不思議と餓死者が出るような事態になることはなく、食い詰めた百姓兵などは今までで一番楽だと言っていた
勘三郎は彼らからすれば良い頭領だった
「おかしら、やっぱり住居が足りない。山を開いて家を建てるしかないっすよ」
「…殿と呼べ。春になれば総出で住居を広げるか」
「にぎやかになってきましたねぇ」
真野が妙にうれしそうに話していた
「獲物も少なくなってきたのぅ」
「若狭や丹波の方へも足を延ばしますか」
「うむ。それと男どもは弓の訓練をさせよ。わし一人ではいくら狩ってもキリがないわ」
「弓一張作るのにどれだけ手間がかかると思ってるんです」
「そこはそれ、弓一張につき酒一升を褒美として遣わすことにしよう」
「………約束ですぞ」
勘三郎が視線を逸らした
こうして、10名の小舟木弓隊が組織された
彼らは勢子ではなく、一人一人が優秀な狙撃手として訓練されてゆく
…おお、軍記物っぽくなってきた
1580年(天正8年) 4月 近江国滋賀郡比良山中
「かわゆいのぅ」
目尻を下げて勘三郎が5匹の瓜坊を可愛がる
狩りの途中、山からちょろちょろと出てきたので捕まえて持って帰ってきていた
住居用に開いた土地が余っていたので、柵を作って飼育することにした
「まあ、非常食と思えば…」
「丸々太ってくれれば燻製のし甲斐があるわね」
「いかぬぞ!この子らは運命の子!わしが立派に育てて見せる!」
「…既に情が移っていますな」
猪と鹿の子供たちを飼育する牧草地を整備し、小舟木一統はいよいよ本格的な山民族へと変貌を遂げていた
1582年(天正10年) 5月 近江国滋賀郡比良山中
「この竹を…ですか?」
「うむ。何か売り物に出来ぬかと思ってのう」
西川甚左衛門は、今では行商の途中に小舟木村に立ち寄るほどに親密な間柄となっていた
「竹細工ではいかんので?」
「竹藪を一か所潰したので大量に余ってしまっておるのだ。竹のかごにしてもそんなにほいほい売れる物でもないしのぅ」
「鳥居本の葛籠町あたりでは良い材料ならば引き取ってくれましょう。持って行かれては?」
葛籠町はその名の通り、葛籠や行李が名産品となっていた
「むぅ…しかし我らは織田に追われておる身。軽々に里に出るわけにもいかぬ」
(はて、織田家の敵がまだ近江に残っているとも思えぬが…)
西川は怪訝な顔をしたが、聞き流して話を続けた
「まあ、一旦預かっていきましょう。何か良い工夫があればまたお伺いした時にでも」
「よろしく頼む」
1582年(天正10年) 6月 近江国滋賀郡比良山中
比良山の向こう、京の方角の夜空がかすかに赤く染まっていた
勘三郎は嫌がる能見山を無理矢理付き合わせて、夜目の訓練と称して木刀で打ち合い稽古をしていた
「何事でしょうか?」
「なあに、どんどでも焼いておるのであろう」
どんどとは別名左義長という火祭りだ
こうして稀代の英雄織田信長は『どんど』の炎の中に消えた
時代のうねりは戦乱の終息へと向かう中で、燃え尽きる前の蝋燭のように一段と激しい戦の気配を濃厚に残していた
「さすが京は派手に燃やすものじゃのぅ」
「あんた達!いつまでやってんのよ!嘉太郎が興奮しちゃって寝ないじゃないの!」
二年前に鈴は勘三郎の子を産んでいた
能見山も真野もそれぞれ妻を娶り、のどかな家庭を築きつつあった
時代のうねりは戦乱の終息へと向かう中で、未だ一部の行商人からしか認知されていない小舟木村は、鈴に尻に敷かれる頭領を微笑ましく思いつつも明日の山菜狩りの準備を着々と整えつつあった