最終話 山賊大名記
1600年(慶長5年) 9月16日 近江国滋賀郡堅崎郷
「我らが駆け下った後、京極様一行は反対側より山を迂回して高島へ!」
「心得た!」
勘三郎と赤尾伊豆守が言葉を交わすと、勘三郎以下100名の兵は山を下りて立花陣を攪乱に向かった
忍び兵の生き残り30名は鈴と共に徒歩で駆け下った
「煙玉を!」
「ハッ!」
山麓付近で煙玉を投げて視界を遮った小舟木勢は、そのまま刀を振りかざして街道へ向かって突撃した。
そして、そのまま気がつけば
湖に落ちていた
ボチャーーーーーン
「ぬぉぉぉぉぉぉ!敵はどこじゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
立花勢は夜のうちに忽然と姿を消していた
関ヶ原の合戦に西軍石田三成が敗北したと報せが入り、夜のうちに大坂へ向けて退却していた
こうして、関ヶ原の合戦の同日、堅崎郷を舞台に行われた『白髭坂の合戦』は幕を閉じた
1600年(慶長5年) 10月 摂津国東成郡大坂城西の丸
「面をあげよ」
京極高次は東軍総大将の徳川家康と対面していた
傍らには小舟木勘三郎を伴っていた
「そのままでお目通りは、ちと…」
高次にそう言われ、風呂に入って衣服を改め、髪と髭を整えていた
元々が端正な顔立ちであった勘三郎は、身なりを整えると、日焼けした顔も相まって一廉の武将として堂々たる風情だった
「大津侍従殿(京極高次のこと)。此度の働き真に見事であった」
「はっ!有難きお言葉。恐悦至極に存じまする」
上座の家康が鷹揚にうなずく
「毛利・立花勢2万8千を大津に釘付けにし、決戦に参加させなかった功は絶大である。
よって、侍従殿に若狭国小浜及び近江国高島郡にて9万2千石を与える」
「有難き幸せ。なれど、立花勢1万5千を最後まで引き付けたは、ここに居る小舟木勘三郎殿の功にございます」
「うむ。小舟木勘三郎は侍従殿のご家中の者と聞いておるが?」
「さて。主従の契りを結んだ記憶はございませぬが」
「京極様!」
高次が手で勘三郎を制止する
「此度を機会に、内府様にお仕えできれば幸いと本人も申しておりまする」
「ふっふっふ。侍従殿もなかなかの狸ですなぁ」
「ははぁ」
高次が平伏する
勘三郎はあっけに取られていた
「小舟木勘三郎」
家康が勘三郎に視線を向ける
「ハッ!」
「此度関ヶ原の合戦にて立花勢1万5千を堅崎郷へ引き付け、決戦に参加させなかった功は絶大である。
よってその方に堅崎郷他数か郷を与え、2万石を知行させるものとする。
…異存はあるかな?」
「あ、有難き幸せに存じまする!」
感極まった勘三郎は涙を流して平伏した
「ふっふっふ。民を撫育し、よく領内を治めるが良い」
「ははぁ!」
---後記---
こうして、小舟木勘三郎能隆公は堅崎藩初代藩主となり、近江西部にその基を開いた
領民を愛した能隆公は、産業を育成し、その治世は二代能継公に至ってますます栄えたという
その後、堅崎藩の領内を治める中で、公私に渡って共に戦い続けた糟糠の妻・鈴の方様は、慶長15年(1610年)この世を去った
生涯尻に敷かれ… 一途に愛した能隆公は、遂に側室を持つことがなかったという
享年60ウン歳だったと伝わる
元和元年(1615年)の大坂の陣においては、能隆公自ら息能継公と共に出陣
大御所家康公の配下にて戦った
夏の陣において、大御所家康公の本陣を目指した真田勢に対し挑発を仕掛け、家康公の退却を可ならしめたと伝わる
しかし、その詳細においては不明であり
「アレで救われたとは知られとうないのう」
という家康公の一言により、諸記録から抹消されたとの逸話がある
そのためかどうか、参陣していた各大名の日記等から、真田勢が『顔の芯から赤備え』となって進路を転じたという記録だけが残る
真田の猛追を受ける中で能隆公は息能継公の退却を助け、自身は反転して真田勢に突撃し、討死した
従う者は観音寺城落城以来の股肱の臣
能見山景幸
真野正伸
の2名のみであったという
彼らの最期の言葉は
「鹿太郎!あのツノは紛れもなく鹿太郎!生きておったか鹿太郎~~~~!」
「ちょっ、殿!そっちは敵…」
「2人共待ってくださいよ~」
だったと伝わる
大坂の陣の逸話が真実かどうかは不明である
しかし、戦後二代能継公に1万石が加増され、現在の近江堅崎藩三万石が成立したのは事実である
近江堅崎藩を開いた能隆公は、その風貌も相まって
『山賊大名』
『比良の山猿』
等と渾名された
柳川藩祖立花公とは最後まで和解が叶わず、ご先代能定公の代になってようやくに誼を通じることとなった
記 天保元年 能見山市兵衛景正
「さて、藩祖の記録として殿に献上せねばのぅ」
注:この物語はフィクションであり、登場する人物・団体等の名称は史実と一切関係ありません
また、近江に堅崎藩という藩も存在いたしません
近江堅崎藩三万石の誕生秘話でした
純粋にノリだけで書いたらこんな風に仕上がってしまいました
ライトなギャグ物として軽く笑って頂ければ幸いです
最後に
立花宗茂ファンの皆様 本当に申し訳ありませんでした