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雨とまぼろし④


【目次】


1.痕跡

2.再会

3.糸口


1.痕跡


「これはすごいね」


部屋いっぱいに立ち込める死臭と血の臭いに、チャーリーは思わず鼻を覆った。

死体は既に運び出されていたが、壁も床も、天井まで血まみれだ。


剥がしきれなかった肉片がまだ天井の端にこびりついていた。


「大変でしたよもう。部屋一面に飛び散っちゃって・・・」


先発の隊員がげんなりした顔でいった。


死体を見飽きている古参の隊員でも、やはりこういう仕事は嫌なものだろう。


「通報したのは近所の住人です。隣の家から黒い煙が出ていて、火事じゃないかと」


「ついでに、煙みたいに消えた犯人も目撃しておいて欲しかったね」


役立たずの情報ほど頭に来るものはないが、ここで怒っても仕方ない。


(仕事しよう)


鼻に穴が空きそうな死臭に包まれながら、チャーリーは自分に言い聞かせた。


「被害者は・・・切られたのかな?」


「監察医の先生ががおっしゃられるには、ものすごい力でねじ切られたみたいだと。背骨が、まるで絞った後のタオルみたいな形になってたと聞きました」


そこまで自分で言って、思い出して気持ち悪くなったのか、顔色を悪くした。


「ねじ切る・・・ね。それにしても、監察医先生がわざわざ臨場とは」


そんなことをしそうなのは、一人しかいない。いや、こんな事件に関われそうなのはと言うべきか。


チャーリーはゆっくりと庭に出た。


2.再会


「臨時研究室」と書かれた木のプレートが下げられた緑のテントの中で、赤髪で長髪の女が一人、夢中で顕微鏡を覗き込んでいた。


アリサ・スカーレット。


かつては50年に一人と言われた天才医学生だったが、戦争に魔術的損傷、つまり魔術による攻撃により負傷した兵士を治療するための専門の軍医として従軍して以来その道にどっぷり浸かり、ついに普通の医者としての人生を諦めた変わり者だ。


戦争が終わってからは、ついに生きている人間を治療することも止め、もっぱら魔術的損傷専門監察医としての稼業に精を出している。


一見、戦争に人生を狂わされたようにも見えるが、チャーリーにはこいつがたとえ戦争に行かなかったとしても、まともな医者になったとは思えなかった。


警察に協力する条件として、余った死体を好きに解剖してもいいという条件を求めたとか、解剖できる死体があると聞けば国の端から端まで飛んでいくと豪語していたとか、死体の写真を眺めながらワインを飲むのが趣味で、至福の時間だと語っていたとか、その手の噂はいくらでもある。


天才であることには違いはないのだが。特に、些細な変化を見逃さない観察力は間違いなく一流だ。

だが天才だから世の中の役に立つとは限らず、むしろその生まれ持った才能でかえって世の中に害をなす人間もいる。


チャーリーに言わせれば、アリサという人物は後者の典型だった。


「チャーリー!」


アリサはチャーリーの姿を見ると、顕微鏡から顔をあげて嬉しそうに言った。


少し身動きするだけで、全身から血の臭いがした。


「久しぶり。警察に残ったって話は聞いてたけど、会うのはいつ以来だい?前の戦争以来かな?」


「去年の夏にアラビアの砂漠で見かけましたが」


「おっあんたもいたのか。警察の特殊部隊がわざわざ参加したって風の噂に聞いてまさかって思ってたけど、あんた達か。あれは酷い仕事だったよ。ユダヤ人の奴ら、頼む事だけ頼んどいて、いざとなったら散々出し渋りしやがって」


「それにしても」


陽気な声でひとしきり喋った後、アリサは急にチャーリーの目を覗き込んで言った。


「あんたもクリスも変わり者だよ。あれだけ散々な目にあって、ようやく生きて戻ったっていうのに、何でまたこっちに戻ってきたかね」


「ええ、まあ。色々ありまして」


チャーリーは曖昧に答えた。


アリサがまたチャーリーの目を覗き込んだ。表情は変わらなかったが、その視線は一変して鋭かった。


僅かな隙も見逃すまいとしていた。


チャーリーは靴の泥を払うふりをして、その視線をかわした。


「チャーリー」


アリサは別人のような低い声で言った。先程までの陽気さは欠片もなかった。


「目的は何だ?何が理由だ」


チャーリーは自分の靴を見たまま、何も答えない。


「金か?」


「・・・」


「軍を諦めて、警察で出世したいのか」


「・・・」


「あいつらが憎い?個人的な復讐か」


「そんな訳ないですよ」


「じゃあなんなんだ」


「・・・」


アリサはさすがに苛立ったのか、足元の砂を靴の踵でグリグリと踏んだ。そして、ふと思い付いたように、何気なく言った。


「まさかね・・・償いのつもりか」


その言葉に反応して、チャーリーの瞼がピクリと動いた。アリサはそれを見逃さなかった。


「嘘だろ・・・」


チャーリーは黙ったまま下を向いていたが、固く握りしめた両手が微かに震えていた。


「馬鹿なことを・・・。せっかく生きて戻ったのに」


アリサは怒りと呆れの混じった顔でチャーリーを見た。


「いいか。死んだ奴らはあんたのせいじゃない。あんたの姉さんも。時代が悪かったんだ、全部。なぜあんたが償う必要があるんだ?」


「違うんです」


チャーリーは顔を上げ、アリサの方をまっすぐ見て言った。


「死ねなかったんです、私だけ。戻ってきてしまった。仲間を置き去りにして、私だけ。」


チャーリーは淡々と続けた。


「声が・・・聞こえるんです。お前だけどうしてっていう声が。自分たちを見殺しにして、そのせいで助かったくせにって。夜眠る前、歩いている時。いつでも、どこでも、何をしていても。」


「ここに来たら、死ぬまで抜けられない。むしろ一思いに死ねた奴はまだ幸せな方だ。ここはそういう場所だ」


「分かってます」チャーリーは静かに言った。


「私だけが、生きてはいられないんです。戦って戦って戦って、それで最期は・・・。そうでないと、皆に何て言えばいいのか分からないんです」


チャーリーはそこまでを一気に喋って、言葉を切った。


「だから、私の道はここにしかないんです」


アリサは苦い顔をして黙ったままだった。


沈黙が二人の間に流れた。


「それでは・・・私は用事がありますから」


チャーリーは自分から重い空気を絶ちきり、素早く踵を返すと、足早に建物の中に戻っていった。

アリサはその背中を見つめることしかできなかった。


3.糸口


その夜、チャーリーはエリカを自室に招いていた。


「何か進展は?」とチャーリー。


「無し。成果ゼロ。まだ何もわからない」


エリカは相変わらずの寝起きのような声で答えた。


「困ったなぁ」


これだけ被害者が出ているのに、未だに敵がどんな相手なのかもわからない。

完全に行き詰まりだ。


何か手がかりはないのか。ヒントは、糸口はどこにあるのだろう。


「ねぇ、本当に何もないの」


「ないよ。基地にはなんの情報もない。現場に出てるあなたたちの方がよく知ってるでしょう?」


「知らないよ。下らない情報ばっかりで」


チャーリーは苛立っていた。


「誰も彼も・・・。ありもしない火事を見たとか」


「火事?」


「そう。黒い煙を見たとか」


「煙・・・」


エリカは何かを考え込んだ。


その時、空中に一筋の青い光が輝き、手紙が一通虚空から現れ、バサッと音を立てて床に落ちた。


エリカは落ちた手紙を拾い上げ、ゆっくりと開き、しばらくじっとその手紙を眺めていたが、やがて小さく呟いた。


「クリスが戻ってくる」










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