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雨とまぼろし③

エリカ・スズキが、予定時間から30分程遅刻して、のそっと取調室の中に入ってきた。チャーリーと一瞬目が合ったが、特にそれだけだった。


チャーリーは、正面の椅子に座った男に尋ねた。

「もう一度聞くけど、名前は?」

「……」

男は黙ったまま、落ち着きなく体を前後に揺すっているだけで、チャーリーの方を見ようともしなかった。


「事件に気がついた時の事を教えてください」

「……」

「私の声は聞こえてますか?」

「……」

「聞こえてたら、返事だけでもしてくれませんか?」

「……」


「この人は例の事件の奥さんの夫で、第一発見者なんだけどね、ずっとこんな感じだよ。話にならない。」

チャーリーが乾いた声で言った。


「みんな困り果ててる。今のところ、他に手掛かりらしい手掛かりもなくてね」


「それで一つ、エリカの得意な開心術を使ってね、情報を引き出せないかと。この人の見たものがわかれば、何かヒントがあるかもしれない。それで来てもらったんだ。もう許可も取ってあるし」


チャーリーは、ぺらりとした紙を1枚、エリカの目の前に差し出した。


「チャーリー、ちょっと」


そこまで聞いて、エリカはチャーリーを部屋の隅に呼び、二人はひそひそ話した。


「あの人は普通の人でしょ?魔力の全然ない」

「そうだよ」

「まさか知っててやるの?それで許可されたの?」

「だ・か・ら」

チャーリーはさっきの紙をもう一度エリカに見せた。そこには確かに、捜査対象者に開心術を使用する事を許可する文言と、特別警察部隊長官の印が押してあった。


「他に何か?」


「…信じられない…あれを…一般人に使うなんて…」


「私だって本当はやりたくないけどね、もっと上から「指導」されたからね。もっとこういう風にやったらどうなのってさ」


「……どうなっても知らないよ」


「私たちの責任じゃないさ」


「チャーリー!」


エリカはチャーリーを睨み付けたが、チャーリーは表情を変えなかった。


「さぁ…早くやってよ…」


指導とはいうが、実際には命令も同然だ。エリカはしぶしぶ決心したようだった。


「暴れると思う…しっかり押さえて…」


そう言うと、人差し指を立てて、それを唇に当て、小声で呪文を唱えた。

指先が青白く輝いた。


エリカは光る指先を男の額に近づけ、ぎゅっと押し当てた。


暫くは何も起こらなかった。男は相変わらず、体を前後に揺すっていた。


数十秒後、突然男に異変が起きた。


前後に揺らしていた体をびくっと硬直させたかと思うと、

「あああああああああ!」

鼓膜が破れそうな奇声をあげ、その場から逃げ出そうとした。

「押さえて!」

「こら、大人しくしろ!!」

隊員が数人がかりで、椅子に押し付けるように押さえつけた。男はなおもそれをはね除けようとする。


隊員達の怒号と男の奇声と、椅子をガタガタ揺らす音が、狭い取調室に充満した。


エリカが男の額から指を離した。


男は途端に糸が切れた人形のように、がっくりと前のめりに崩れ落ちた。肩がまだピクピクと小刻みに痙攣していた。


「どう?」

チャーリーは肩で息をしながら聞いた。


エリカは黙って、自分の人差し指をチャーリーの額に押し付けた。


古い映画のフィルムそっくりの、不鮮明で白い閃光の混じった映像が、チャーリーの頭の中に流れ込んできた。


どこかの玄関らしく、暗闇の中にパチッと明かりをつける音がして周りが明るくなり、コンクリートのたたきとそこに並べられた靴が一瞬だけ見えて、すぐにまた真っ暗になり、そこで映像は途切れた。


「これだけ?」

チャーリーは不満げに言った。


「失敗した」とエリカ。


「だいぶ思い出したくない気持ちが強いのかも」


「もう1回やって」

チャーリーの声は冷たかった。


再び取調室に男の悲鳴と、怒号が充満した。


今度は、靴の後に、玄関先に丸いボールのような物が2つ並べて置いてあるのが見えたが、それだけだった。


男はもはや自分の姿勢を維持することもできず、椅子からずるずるずり落ちそうになっている。

目線があさっての方を向いて、口元が何かぶつぶつ動いていた。


「まだやるの?」


「もう1回やって。出力が足りない。もっと頭に流す魔力量を増やして」

チャーリーは表情を変えず言った。


エリカはやれやれという顔で、再び夫の額に指先を近づけた。


「ひっ・・・嫌・・・いやだ・・・」

「こら!嫌じゃない嫌じゃないだろ!」

「足持て足!」


逃げようと暴れる男の体が椅子から床に転がり落ち、その上に数人の隊員がが覆いかぶさるようにして押さえつけた。

男はなおも手足をばたつかせている。


エリカは床にしゃがみ込み、ゆっくりと指先を男の額に押し当てた。


それまでよりも大きな悲鳴が上がった。体が陸に上がった魚のように2回、3回と大きく飛び跳ねた。


エリカが指を離し、男の頭が床にゴンと音を立てて落下した。


「どう?」

「あんまり変わらない」

エリカはそう言いながら、自分の指先をチャーリーの額に押し当てた。


二度目より鮮明になった気がするが、見えているのはさっきと同じ映像のようだ。


チャーリーはうーん、と唸った。

どうしたものか。もう一度やってみるしかないか?


男は床にあおむけに倒れたままだった。

舌を出してよだれをたらし、眼球は両目とも別々の方向を向いていた。

かすかに尿のにおいがした。


「おい、しゃきっとしろ!」別の隊員が肩をつかんで揺さぶったが、返事はなかった。


エリカがナイフを取り出し、手の甲を軽くつついてみたが、やはり反応はなかった。


「もう無理そう」とエリカ。


「仕方ない。今日はこれぐらいにしましょう。お帰りいただいてもらってください。明日の朝8時から、またお願いします」


「終わったぞ。さあ行こうか。早く立つんだ」

放心状態の男は2人の隊員に両脇を抱えられて立ち上がると、そのまま担がれるように取調室から出て行った。


チャーリーは何となく嫌な予感がした。ここで帰してしまうと、二度と彼の声を聞くことはできないような、そんな気が。


しかし、今日はどうみてもこれ以上の取り調べは無理そうだし、ただでさえ人手不足の中、根拠もなく隊員に捜査を命じることはできない。


逃げたり敵に襲われたりしないか、よく見張っておくように、と部下に言うのが精いっぱいだった。


チャーリーの悪い予感は、早くも翌朝的中した。


翌朝早く、チャーリーのもとに,部下の隊員が意気消沈した顔で報告に訪れた。


「今朝、夫の方が死にました。護衛についてた連中から報告が・・・」

「もしかして敵に?」

「いやです。・・・ちょっと目を離した隙にガラス窓に頭から突っ込んで、それで動脈を・・・。ほんの一瞬だったんですが・・・すみません。おそらく衝動的に・・・」


チャーリーはそうなんだ、とだけ答えた。


もともと進んでいなかった捜査が、さらに後退することになってしまった。

もともとあまり手がかりがないのに、これで長期化は避けられそうにない。


その日の午後、チャーリーは病院に向かった。


エレベーターに乗り込むと、「7」と書かれたボタンの上のなにもない空間を、しばらくぎゅっと押し続けた。

しばらくすると、エレベーターが音もなく動き出した。4階、5階、6階・・・ぐんぐん上昇していく。

最上階の7階を過ぎてもしばらく動いていたが、ようやく止まって、ドアが開いた。


ドアの向こうには、ただ真っ暗な空間が広がっているだけだった。


チャーリーは構わずにその空間に向かって進んでいった。


暗闇の中をしばらく歩くと、突然目の前が明るくなり、どこかの病棟の廊下に出た。


そこは奇妙なフロアだった。


壁の両側にずらりと並んだ病室のドアには、プレートも何もなかった。


ただただ、取っ手もない真っ白なドアと、真っ白なタイルの床が、遥か廊下の奥まで続いていた。


チャーリーは迷いもせず、廊下の端にあるその内の一つに歩いていった。


チャーリーが近づくと、ドアが音も立てず勝手に開いた。


教室のように広い部屋の窓際に、ベッドが一つだけぽつんと置かれ、その上に少女が横たわっていた。


チャーリーと同じ黒髪で、真っ白な陶器のような肌が、日の光を浴びて輝いている。

整ったその顔の、緑の両目はしかし、まるで硝子でできた人形の目のように、虚空を見つめたまま微動だにしていなかった。


「ただいま、お姉ちゃん。元気してた?」


「いやー、最近は色々忙しくてさー。なかなかこれなくてごめん」

チャーリーはそう言いながら、鞄からチョコレートの箱を取り出した。


「これこれ。買ったんだよ。前から欲しかった奴。大分高かったんだけどねー。ほら、私もさ、最近ちょっと活躍したから」



「え?またそうやって無駄遣いするって?いいじゃんたまにはさぁ。私もいろいろ頑張ってるんだし」


「お姉ちゃんも食べてみたい?」



「またそんなこと言って。本当は食べてみたいんでしょ。」



「太るからいいって?嘘だー。顔に書いてあるよ。食べてみたいって」



「そう?要らない?本当に?あ、そう。素直じゃないといろいろ損すると思うけどなー」


チャーリーは箱を破き、チョコレートを頬張った。

苦味と、僅かな甘味が口の中に広がった。


もぐもぐと口を動かしながら、外に目を向けた。

窓の外は抜けるような青空だ。


「ほら、お姉ちゃん、いい天気」

チャーリーはそう言いながら窓を開けた。


開け放たれた窓から、少し冷たい風が吹き込み、し長い睫毛をそっと揺らした。止まったままの彼女の時間が、ほんの一瞬だけ動いたようだった。


「今日はいい風だよねぇ」


「あ、そう言えば、この前ラジオでさ…」


「…それで、その時エリカが…」


広い部屋の中に、時折チャーリーの笑い声が響いた。


心の底から楽しそうに、笑顔で話すチャーリーの話題は尽きることもなく、それから2時間も続いた。


2件目の被害者が出たとの知らせが届いたのは、その日の真夜中だった。


続く


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