淑女の塔④
「障壁だって?」
ケリーは、顔をゆがめて足をさすりながら、吐き捨てるように言った。
もともと痛めていたところに無理をしたため、悪化させたらしい。
「何かの見間違いだろう」
「そうかもしれません」
サーシャは何気なく言ったつもりだったが、ケリーには酷く気に障った様子で、
「どうするつもりだ。下には降りられんぞ。どうやって帰る」
鬼のような形相で、声を荒げて言った。
(私のせいだと言いたいのか)
不満が、表情に浮かんだ。
ケリーは、目ざとくそれを咎め、「そうだ。君のせいだ。私は早く先に行きたかった。だのに、君が後ろのほうでぐずぐずしているから、化け物に追いつかれた。どう責任を取る」
サーシャは、顔を伏せたまま黙っていた。
罵詈雑言が口をついて出ようとするのを、必死に押しととどめていた。
口に出せは、諍いになる。
火事場での仲間割れほど、命取りはない。
「君のせいだ。責任を取れ」
ケリーの甲高い喚き声が、はるか高い天井まで響き渡った。
「声が大きいですよ」
ケリーはぐっと次の言葉を飲み込み、その代わり、「憤懣やるかたない」という目でサーシャを見た。
「すみませんでした」
顔を上げた。
ケリーと目が合った。
怒りに満ちた目。
だが、その奥に、わずか動揺があるのを、サーシャは見逃さなかった。
お互いに見つめ合ったまま会話が途切れ、静寂が訪れた。
静まり返っていて、物音ひとつしない。
サーシャは、音を立てないよう立ち上がり、周囲を見回してみた。
そこは、階段の踊り場のような場所らしかった。
埃まみれの箱や、汚い布、古い家具らしきものが、周囲に乱雑に積み重ねられていた。
目を凝らすと、さらに奥に空間が広がっていた。
「ここで待っていてください」
「どこへ行くつもりだ。まさか、自分一人で逃げるつもりじゃないだろうな」
「逃げやしませんよ」
サーシャは、曲がった抜身を見せた。
「これじゃ戦えません。何か武器になりそうなものがないか、探してきます」
「よかろう、君独りで行くがいい。そもそも君のせいだからな」
ケリーは、居丈高に言った。
身体が、かすかに震えている。
(どこまでも、虚勢を張らなければ済まない性格なのだ)
サーシャは、その様子を見て、腹が立つより、むしろ憐れみの気持ちが湧いてきた。
どこまでも、人を疑うことを知らない性格なのである。
「すぐ戻りますよ」
2.
(昏い)
こんな奥までは、月明かりさえ届かない。
腐った床は脆く、ところどころ床板が波打っている。
魔力のおかげで夜目が効くが、それがなければ足元もまともに見えないだろう。
よほど用心しないと、足を取られるかもしれなかった。
足を動かすたび雪のように舞い上がる埃のなかを潜りなから、そろそろと進んでいった。
途中、窓があったので、顔をくっつけて外を覗いてみた。
すきま風から、潮の強い臭いがした。
眼下は、直に海面らしかった。明かりもないただ真っ黒な海面と、時折その上でうねって白く輝く波が見えた。
窓から離れてしばらく移動すると、今度は階段に出た。
上に上る階段と、その脇には下に下る階段もある。
サーシャが立っているのは、ちょうどその踊り場らしかった。
(上るべきか、それとも下るべきか)
サーシャが逡巡していると、不意に、
「かたん・・・かたん・・・」
階段の上の方から、床板を踏むような音が聞こえて来た。
(誰かが降りて来る!)
サーシャは、慌てて階段脇の暗がりに身を潜めた。そして、首だけを覗かせて、様子を伺った。
音が、次第に近づいてきて、やがて視界の端から、にゅっと裸足の足が出現した。
その足は階段をおり、小柄な背中全体がサーシャの目の前に現れた。
背格好からすると、どうやら女のようだった。
とても戦いなれているとは思えない、華奢な背中だった。
敵を見た目で判断してはならない、ということは、新人でも知っている。まして相手が能力者である場合は、体格などまったく強さの指標にはならない。
クリスあたりであれば、何の迷いもなく後ろから斬り伏せていたかもしれない。
だが、お人好しのサーシャには、どうしてもその女が敵だとは思えなかった。
思い切って、音を立てずその背中に近づくと、声を掛けた。
「君」
女は背をびくりと震わせた。
ぱっと振り返ってサーシャの姿を認めると、猛然と駆けだして逃げようとした。
「待て、待ってくれ!」
サーシャは肩を掴んだ。女は、悲鳴を上げ、身をよじって振りほどこうとした。
サーシャは決して力があるわけではなかったが、女は輪をかけて非力だった。
骨に直接皮膚を張り付けたような足をばたつかせただけで、あっさり床に組み伏せられた。
サーシャは、その時、初めて顔を見た。
若い。
少女といってもいい年齢かもしれない。
痩せていて、目が大きく、顎が尖っており、口の端が吊り上がっていた。
どことなく、小鳥を思わせる風貌だった。
汲み敷かれた下から抜け出そうと、必死にもがいているが、気の毒になるほど力感がなかった。
サーシャは、(気の毒)という気持ちがして、思わず手の力を緩めた。
油断は、いかなる場合も大敵である。
狙いすましたように、女の足が、サーシャの向う脛を、力一杯蹴り上げた。
サーシャは、骨まで響くような痛みに呻き声を上げた。
そのすきに、女は素早く腕の下を搔い潜り、壁際まで飛び下がった。
「待て。待ってくれ。悪かった。敵だと思ったんだ」
女は黙っている。
「ほら、このとおりだ」
空のもろ手を挙げて、武器をもっていないことをアピールした。
「私の質問に答えてくれないか」
「・・・」
「外に出たいんだ。道を知っていたら、教えてくれないか」
「・・・」
「君はここで何をして・・・」
「警察の人なの」
女が急に口を開いた。
「そうだ・・・いや、何故知っている」
そっと腰に手をまわしながら、サーシャは訊いた。
「上で聞いたの」
「上で何をしていだんだ」
「・・・大人の人たちといたわ」
「だから何をし・・・いや、わかった。もういい。すまなかった」
サーシャはそれ以上追及しなかった。
「外に出たいんだ。道を知っていたら、教えてくれないか」
先程の質問をもう一度繰り返した。
女はまたしばらく黙った後、
「ついてきて」
小さな声で一言だけそういった。
3.
「なんだ、それは」
ケリーは少女を見て言った。
「どこで拾ってきた」
「途中で会ったんです。出口を知っていると」
「それで。それだけ信用して連れて来たのか」
「そうです」
さすがのケリーも呆れた。
どこまで人がいいのか。間抜けが過ぎると言うべきでないか。
それでは、命がいくつあっても足りない。
「ちょっと」
ケリーはサーシャを呼んだ。
「本当に大丈夫なのか」
「大丈夫だと思いますが」
二人は声を潜めて話をした。
「道を知っているって?」
サーシャは頷いた。
「地下に行けばいいと」
「地下?」
「地下に、地上に上がる通路があり、そこまで降りてから上がれば、地上に出られるそうです」
ケリーは深く思い悩んだ。
どう考えても、罠で、向かった先に敵が大勢で待ち伏せしているとしか思えなかった。
が、他に妙案があるわけでもない。
この足では、自分一人で何とかする訳にもいかない。
(決断するしかない)
「わかった」
ケリーは頷いた。
「君を信じよう。だが、どうやって地下まで潜る?下には降りられんぞ」
「この塔の頂上に」
サーシャは、頭上を指さした。
「地下まで通じている通路があるそうです。そこまで上がってから、降ります」




