死命⑧(完)
【目次】
1.顛末
2.偶然に非ず
3.邂逅
1.顛末
「・・・」
遠くで、誰かの声が聞こえる。
辺りは、一面の荒野だった。
干乾びた赤茶色の地面に、黄色く痩せた草が疎らに生えている。
黒い人影が遠くでこちらに手を振っている。
「・・・」
よく聞き取れなかったが、エリカは、なぜか自分の名前を呼ばれているように感じた。
近寄ろうとすると、その影は、その途端に小さくなり、遠ざかり始めた。
(待って!待って!)
もう人影は、豆粒ぐらいの大きさにしか見えない。
エリカは何かを叫び、一歩踏み出そうとしたーところで、夢から覚めた。
目を開けると、誰かが自分の顔を覗き込んでいた。
やや雑に切りそろえた黒髪が、頭上で揺れている。
一度瞬きすると、ぼやけていた顔の輪郭が、少し鮮明に見えた。
「チャーリー・・・」
「目が覚めた?」
チャーリーは、大きなエメラルド色の両目を瞬かせながら問いかけた。
エリカは仰向けのまま、目だけを動かして辺りを見回した。
皴一つない真っ白なシーツから、かすかに薬品のような、あの病院特有の臭いがした。どうやら、どこかの病室にいるらしかった。
足や頭には、真新しい包帯が巻かれていた。
「私はどうしたの?」
頭が追い付かない。煙の中で、意識を失う寸前だったところまでは覚えがあるが、その後の記憶は全くない。一体あの後、どうやってここに来たのだろうか。
「誰かが連れてきてくれたの?」
エリカは再度尋ねた。
「何も覚えてないの?」
「うん」
「本当に?」
チャーリーは、少し困った顔をした。どこから説明したものか、と考えているようだった。
「えーと、あのね。倒れてたんだって」
「倒れてた?」
「うん」
エリカには、なんの事か全く分からない。
チャーリーは、(私もよくわからないんだけど)という顔で、話を続けた。
「街外れに、例の廃墟があるだろ。ほら、昔、軍の何かの工場があったとか言われているあの場所。そこで、一昨日の夜中、火事があったんだよ」
「火事・・・」
「うん。皆びっくりしちゃったよ。突然、急に煙が上がって。それで、駆け付けた人が、その脇に倒れてたところを見つけてくれたんだって」
「???」
やはり全く訳がわからない。
その場所は、基地から自動車でも数時間以上かかるはずだ。とても歩いていける距離ではない。もちろん、そんなところに行った記憶はないし、第一、自分はあの地下の倉庫のような場所にいたはずではなかったか。
「私はどうしたの?」
エリカは、さっきと同じ質問を、また繰り返した。
「こっちが聞きたいよ」とチャーリー。
「ねえ、何があったの?なんだってあんな遠い所に。しかも、そんなに、体中、火傷と痣だらけになって。一体、あそこで何してたの」
エリカは、瞑目した。
自分自身ですら、あれが夢だったのか、それとも現実だったのか、確信が持てなかった。
果たして、話したとして、信じてもらえるのだろうか。しかし・・・。
「ねえチャーリー」
「何?」
「今から私が話すこと、信じてくれる?」
「話してみてよ」
チャーリーの声は柔らかかった。
エリカは、頷いて、そして、ぽつりぽつりと、いままでのいきさつを話した。
チャーリーは、はじめは真剣だったが、途中からは呆気にとられたような表情で聞いていた。
エリカが話終わると、チャーリーはおずおずと聞いた。
「あ、あのさ、エリカ。一ついいかな」
「何?」
「あ、あの辺りにさ、そんなトンネルなんて、なかったと思うんだけどな」
「えっ」
「いや、だって、私たちもあの辺は何度も調べたし・・・。そんなトンネルがあそこにあったら、真っ先に調べてると思うんだけどな・・・」
そういえば、そのとおりかもしれない。
が、エリカは不思議だとは思わなかった。
(騙られたんだ)
あいつは、自分だけを標的にしていた。
最初から、誘われていたのだろう。
(しかし、何故・・・?)
エリカには、その理由がわからなかった。
いや、敢えて、わかるまいとしていたのかもしれない。
とりあえず意識が戻ったことを報告に行くと言って、チャーリーが立ち去った後、クリスも訪ねて来た。
彼女の報告を聞く中で、エリカは、あの廃墟が全焼したことを知った。
武装警察も一応隊員を派遣しているが、めぼしい報告は今のところないということだった。
街から遠く離れていて、消火活動が遅れたこともあるが、消火活動そのものもかなり難航したらしかった。
いくら水や消火剤をかけても、一向に火勢が衰えず、結局、何もかも燃えて灰になってしまうまで、消し止められなかったのだという。
「魔力の気配は一切なかったが。不思議だと思わないか」とクリス。
「・・・」
エリカは沈黙したままだった。
その後も、何人かの隊員が入れ替わり立ち代わり、病室を訪れてきた。
多くは仕事として、事務的な事情聴取や報告を行うだけであったが、中には(社交辞令としてであれ)気遣う言葉を掛けてくれる隊員もいて、エリカはいままであまり他の隊員と関わろうとせず、自分から距離を置くような態度を取っていたいたことを、少し申し訳なく思った。
2.偶然に非ず
その夜の真夜中。
エリカが頭の中でぐるぐると、色々なことに考えを巡らせていて眠れないでいると、不意に、カーテンが風もなく揺れ、ベッドのそばに誰かが立った気配がした。
エリカは、気配だけでその人物が誰であるかを察した。
「長官・・・」
エリカは体を起こそうとした。途端に、全身に鋭い痛みが走った。
「そのままでいい」
長官は制して言った。
「話は概ね聞いた」
いつもより、少しだけ柔らかい声に感じられた。
「今なら、この仕事はお前にしかできないと言った意味が解るだろう」
「ええ」
エリカは、長官の眼をまっすぐ見つめて言った。
「あいつは、霊能力者ですね」
「そうだ」
「霊能力者が、なぜこの国に」
「理由はわからん。だが、そうだとすれば、色々なことに説明が付く」
「例えば・・・」
「例えば、例の人形のような奴のことだ。あれが霊能力者の仕業ならば、我々が発見できなかった理由も理解できる」
「屍鬼」
「そうだ。霊能力者が使役する魔物。彼の国では、「式神」などと呼ぶそうだが」
「何のために・・・」
「目的がわかるか」
エリカには、わからない。
屍鬼を呼び出すのは、高度な術である。
それに、呼び出したものを維持しておくには、生餌が欠かせない。
なぜわざわざ、そんな手の込んだ方法を使うのだろうか。
「目的は、お前だ」
「えっ」
「お前を隊から引き剥がし、誘い出し、そして殺す為に、屍鬼を操って騒動を起こした。無論、霊能力者の仕業だと察すれば、私がお前を動かすことも想定した上で」
「しかし」
(誰がそんな事を)
嫌な予感がした。
いつの間にか、じっとりと冷や汗をかき、心臓の鼓動が早まっていた。
まるで、「それ以上、知ってはいけない」と警告しているかのようだった。
「あの女は、呪文を遣っていなかったか」
「確か・・・はい」
「思い出せ」
エリカは、一つ一つ、糸を手繰るように記憶を辿っていった。
(あいつ、そういえば、何か唱えていたな。あれは・・・)
そこまで来て、エリカは背筋がさっと冷たくなって、思わず身震いした。
吐き気がした。
「宇羅不動真言・・・」
「そうだ」
「・・・ありえません」
「なぜそう思う」
「彼らは、皆、死んだと聞いています。一族は、滅びたはずです。例の、沖縄の戦いの時に」
エリカの身体は小刻みに震えていた。
(まさか、本当に奴らがこの国に?・・・。馬鹿な・・・。ありえない・・・。安心しきっていたのに、何故、今更になって・・・?)
「生き残りがいないとは限らん。長い間の怠惰で、かなり力が落ちていたことは事実のようだが、全員がそうとは限らない」
エリカは思わず目を逸らした。
(嫌だ・・・聞きたくない・・・それ以上言わないで・・・)
「例えば、頭首の家系など」
エリカは、その言葉を聞いた途端、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
受け入れられない。
いや、脳が、受け入れまいとしていた。
本当は、心のどこかでは予感していたこと。そうではないかと疑い、同時に、そうであってほしくないと願っていたこと。
なぜあの女は、わざわざ自分だけを標的にしていたのか。それは・・・。
「これ以上は言わない。おまえ自身、よく分かっているだろう」
「証拠は・・・何かあるのでしょうか」
その言葉を絞り出すのが精一杯の、ささやかな抵抗かもしれなかった。
「証拠か、ない」
長官は言い切った。
「全て灰になった。何もかも。今言った全ては、憶測に過ぎない」
(憶測などではない)
とエリカは感じたが、その言葉を飲み込んだ。認めてしまったら、自分の心を支えている何かが崩れてしまいそうな恐怖を感じた。
その代わり、別の質問をした。
「最終的には、全てあいつの思い通りになってしまった、ということでしょうか」
「数日前から、事件の発生は収まっている。親玉が死ねば、屍鬼は自分一人では何もできない」
お前の手柄だ、と長官は言った。
エリカは素直に喜べなかった。もう一つ、どうしても気になることがあったからである。
「あいつは、あの女は、確かに死んだのでしょうか。死体は見つかったのですか」
長官は、それには何も答えなかった。
質問の返事の代わりに、「今日はもう休め」とだけ答えた。
エリカがなおも食い下がろうとすると、長官は、事も無げに、すっと腕をエリカの頭上に翳すと、パチン、と指を鳴らした。
その途端、エリカの意識は闇に引きずり込まれた。
3.邂逅
長官は、薄暗い廊下を歩いていた。
不意に、足を止めた。
目にも止まらぬ迅さで、剣を抜いた。
抜き打った。
白い光が筋になって、空気をすっぱり切り裂いた。
その切先が左に流れて、窓の前でぴたりと止まった。
廊下の外側の窓に、蝶が一羽止まって、しきりに羽を羽ばたかせていた。
切先は、その蝶を突き刺そうとするように、まっすぐ向けられている。
その姿勢のまま、微動だにしなかった。
四半刻、判刻。
じわじわ、時間だけが流れた。
雲間から差し込む月明かりが、幾たびか切先に当たり、その都度、銀色の光を散らした。
結局、一刻程も、切先を窓に向けていたが、やがてぱちんと剣を鞘に納めると、歩き出した。
その姿が完全に見えなくなってから、漸くロックハートは、顔を紅潮させ、肩で息をしながら、廊下に人間の姿を現した。
(恐ろしい女よ)
そう心の中で呟くと、長官が去ったのとは反対方向に歩き出した。
季節はもう初夏だというのに、やけに肌寒く感じる夜だった。
(禍美宇柘俐の一族、か)
血とは因果なものだな、と思った。
エリカ・スズキ。
本名ではない。
別にある真の名前は、棄てた。
齢13歳弱にして、「我国に二者なし」と賞される、天才的技術者であり、科学者。
その正体は、沖縄を一大拠点とする、高名な霊能力者の、その頭首の娘であり、そして、
不義の子。
生まれてくる事を、望まれなかった命。
呪われた血。
魔力と霊能力の両方を併せ持つ、非常に稀有な、「混合能力者」。
その独り過酷な途は、まだようやく門を開いたばかりであった。




