ある日の戦闘
遠い昔、神が世界を創った時。
神は先ず、天を二つに割き、昼と夜を創った。
昼からは、幸福と人間が生まれ、夜からは、あらゆる堕落と災い、そして魔女が生まれた。
神は昼を祝福して自分の庭に住まわせ、夜は茨の鞭で打った上で、呪いを与え、遠く離れた場所に住まわせることにした。
-昔話から-
【目次】
1.序章
2.指令
3.会敵
4.遭遇戦
1.序章
クリス・ハーディングは、1946年の秋頃、武装特別警察部隊に所属した。
この話の時点では、隊に所属して、もうすぐ丸3年になる頃だった。
この年の春から階級が上がって、「武装特別警察部隊軍曹」の身分となり、晴れて分隊の指揮官を任されるようになった。
強者揃いのこの部隊の中では、出色の早さの立身といえた。
クリスは、否、この部隊にいる全員が、いわゆる超能力者と言われる人間だった。
「魔女」(この言葉はこの国では差別用語とされていて、公の場で使われることはない)と陰で呼ぶ者もいた。
思春期前の少女だけに、遺伝的にごく稀に発生する特別な能力―魔力と呼ばれている力―の持ち主を集めた部隊、それがこの武装特別警察部隊だった。
今、時刻はちょうど昼下がりで、春の弱い日差しが、クリスの鋭く切りそろえた金髪を照らし、基地全体に彼女の瞳に満ちているのと同じ、気だるい空気が充満していた。
クリスは腰に下げた剣の柄をもてあそびながら、ぶらぶら歩いた。それから腕時計をちらりと見て、「滑走路 No.18」と書かれた立札の支柱にもたれながら、空を見上げてため息をついた。
彼女は、そのままの姿勢でしばらくじっとしていたが、やがて、ゆっくりと肩と両足だけで支えていた上半身を起こし、遠くを見やった。
100メートルほど向こうから、黒髪の少女が、何かを叫びながらこちらに走って来る。
もう表情が確認できる距離まで来ている。
満面の笑みだ。
後40メートル・・・25・・・15・・・
(あっ・・・)
突然、少女の両足が地面から離れ、体が宙に舞った。
「バカか」
クリスは、地面に倒れている黒髪の少女に言い放った。
倒れている少女は、顔を両手で押さえたまま、言語にならない唸り声をあげていた。
鼻を打ったのか、指の隙間から、赤い液体が指の隙間から染みだして来て、ズボンに滴った。
「早く止めろ」
「普通,大丈夫かとかじゃないですか」
「鼻血を出している人間に、大丈夫かどうか聞くのはおかしいだろう」
「わかりましたよ。あなたはそういう人ですよね。それで、ちょうか・・・・・・」
「長官が呼んでるんだろ。行くぞ」
「ん?なぜ分かったんですか?盗聴とか、それともテレパシーとかですか?あなたはそういう類はあんまり得意じゃなかったはずですが」
まだ倒れたままの少女は、急に饒舌になった。
少女の名は、チャーリー・テイラー。
彼女とクリスとの、長くて数奇な関係は、また後で説明したいと思う。
「ふざけるな」
分かっているくせに、とクリスは思った。
しかし、今はそれどころではないのだ。長官が、あの長官が、よりにもよって自分を名指しで呼んでいるのだ。
ただ事ではない。普通の会社であれば、一介の社員が今すぐ社長室に来いと言われているに等しい。
よく考えなくても、何か自分にとって不幸な事態が発生したに違いない。もしかして、こいつのニヤニヤ笑いは、そこまで想像してなのか?
「チャーリー。お前の声なんかいくら離れていても聞こえる。バカな奴に限って声だけは大きいからな」
そう、本当は、こんな奴など置いてきぼりにしてもいいぐらいだ、とクリスは思った。
(こいつを待ったのは仕方ないことだ)
断じて、長官が自分を呼んでいることを知って,一瞬、目眩を起こしたりなどはしていない。断じてだ。
2.指令
2人は、早足で、滑走路の端の倉庫や事務所が建ち並ぶエリアを抜け、道路を渡って、反対側の司令部がある棟に向かった。
外は春の陽気に満ちているのに、司令部がある棟に入ると、どことなく肌寒い。
昼間のこの時間は、廊下の電灯も落とされていて薄暗い。
優に100人は超える人間がこの建物の中で働いているはずなのに、ひっそりとして、物音ひとつしない。
クリスはこの場所が好きではなかった。まるで暗く深い海の底に沈んでいくような息苦しさを感じてしまうのである。
もちろん、息苦しいのは、これから自分に降りかかるかもしれない出来事とも、無関係ではない。
そんなことを考えているうちに、件の長官室の前に着いてしまった。
長官室は、玄関から入ってほぼ一直線上にあるため、途中で曲がったりしてためらう余裕もなかった。
逃げることはできない。
ドア越しに、強烈な視線を感じた。
自分がドアの前に来ていることなど、とっくに察しているだろう。
クリスはドアをノックしようとして、手が震えていることに気がついた。汗の粒が、手首にびっしりと浮き、振動で床に滴った。
ええい、しっかりしろ。
手首をズボンに擦り付け、自分に気合いを入れた。
怯えてどうする。それでは、できる筈のこともできなくなる。
意を決して、硬い木のドアをノックした。
「入れ」と声が飛ぶと同時に、クリスは条件反射的に両足を前に踏み出し、デスクの前まで歩いていっていた。
チャーリーは、滑るような動きで、遅滞なくその後に続いた。
この長官は、こういうところのぐずつきを酷く嫌う事を、2人は知っている。
「お呼びと伺いました」
2人、示し合わせたように言った。
初めではない、どころか、さすがに見飽きている自分の長官の顔である。
毎回思うが、色白で整った顔には違いない。しかし、無表情、鋭い目線、全身から発せられる近寄りがたい雰囲気・・・・・・とても寄り付く男がいるとは思えない。
(なお、「長官」というのは、あくまでも隊内での非公式の呼称であり、正しい階級は「武装特別警察部隊上級大将」という)
「頼み事をしたい」
長官は、開口一番、表情を一歳変えずに言った。
「どのような事でしょうか」
クリスは、あれ、想像してたのと雰囲気が違うな。いや、これからが本番なのかも知れない、と思いつつ、答えた。両足に、ようやく地面の感触が戻ってきた。
「パトロールに行ってもらいたい。お前たち2人でだ。」
一瞬、よく意味がわからなかった。
「あの、パトロール、ですか?」
「そうだ」
クリスはよく意図が呑み込めない。
「あの、理解力不足で申し訳ありません。なぜ、パトロールでわざわざ。それなら何も言われなくとも、今までも行って」
「欠員が出た」
「?」
機嫌の悪いときの特徴で、長官の口元がほんのわずか痙攣した。数秒、間があって、長官は口を開いた。
「4日前だ。パトロール中の小隊が襲撃を受けた。詳しい状況についてはまだ不明だが、欠員が出て、パトロールのルート維持が困難になった」
やっと言わんとしている事が少し伝わってきた。
「すみません・・・・・・襲撃とは・・・・・・」
「銃や爆弾によるものではない。それ以上は調査中だ」
言わなくても分かるだろう、と言いたそうだ。
「あの」と今度はチャーリー。
長官は、「まだ何かあるのか」という目で、2人を見た。
「大丈夫でしょうか。つまり」
「安全とされていたルートで,事前に問題はなかった。今回の襲撃は想定外かつ突発的で、反復される可能性は低いと考えている」
長官は発言を途中で遮った。
沈黙が流れた。
ただの思い付きに等しい無謀な「作戦」は,これまでにも度々あったが、そんなに急に言われたくはない。なんの準備もしていない。
(行きたくない、悪い予感しかない)
2人は心の中で思った。
しかし、「行ってほしい」というのは、依頼ではない。
命令である。断る余地などない。
「分かりました」
2人、ほぼ同時に、威勢よく答えた。
3.会敵
「お前と一緒とはな」
クリスは、その日の深夜、用意された車両の中でぼやいた。
時刻は、もうすぐ日付が変わろうとしていた。
春先でも、さすがにこの時間になると冷え込む。
クリスのぼやきは、白い塊になって漂った。
「楽しいじゃないですか、こんな時間にドライブなんて、滅多にない」
浮かない顔のクリスとは対照的に、チャーリーは嬉しそうだ。
「遊びじゃないんだぞ」
長官はパトロールだと言っていたが、本当のところは。
「また襲ってきそうだから、逆手に取ってこいということでしょう。つまり、囮だ」
「まあ、そういうことだ」
襲ってきた奴の情報すら全く教えてもらえないのは、もしかして生きて帰ってきた者はいなかったのかも知れない。
「いつも通りだ。何の変わりもない。我々は、パトロール中に「偶然」襲われた」
「やっぱり不安なんじゃないですか?」
(いちいち感づくな。腹が立つ)とクリスは思った。
「仲がよろしいようで」
運転席から、若い女が声を掛けた。
名前は知らないが、こいつも何度か一緒になった事がある。対した戦闘力はなかったと記憶しているが、時間が時間なので人手不足だったのか。
(それとも、こいつも囮か)
「早く出してくれ」
クリスはこれ以上話をするのが面倒になったので、もういいから、という感じで遮り、出発を促した。
「承知」
エンジン音が春の夜の冷え込んだ空気を切り裂き、車はゆっくりとライトの先の闇に吸い寄せられるように発進した。
車は次第に速度を上げ、繁華街を抜け、橋を渡り、住宅街を抜け、田畑の広がるエリアに差し掛かった。
この辺りには人家も少なく、明かりもほとんどない。ライトを消して歩けと言われたら、たちまち自分が前後左右どこを向いているのかもわからなくなるだろう。
(疲れた)
延々と流れていく窓の外の景色を眺めながら、クリスはそう思った。
昨日の夜も夜更かししてしまい、今朝は寝不足のまま朝から訓練に出て、それで、今。
(襲撃されたというのはどこなんだろう。長官に聞いたら教えてくれただろうか)
(もし、今日自分たちが死んだりしたら、長官はなんて説明するんだろうな)
――――?
ここはどこだ。
暑い・・・
日射しが、肌を焼く。
猛烈な砂埃が舞い、口中に砂の味が広がる。
立ち上る煙
揺らめく建物
鼻をつく異臭
煙幕のように真っ黒な無数の蝿
遠くで聞こえる砲撃の音
そこかしこに散らばる、人の身体の一部。
ここは・・・覚えがある・・昔・・・
その時、ビューと笛を吹くような音がして、真っ白な閃光と地鳴りがし,腹を巨大なバットで力いっぱい殴打されたような感触がした。
クリスは、自分の体が、手が、足が、首が、ばらばらになるのを感じた。
(死ぬ・・・のか?)
首がもぎ取られていく。
その感触がやけにゆっくりと感じた。
「・・・きてください、起きてください!」
突如、両耳に吹き込まれた怒鳴り声とともに、クリスの意識は現実に引き戻された。
とっさに首筋を触ってみた。何ともない。
「寝るなんて信じられない。仕事中ですよ」
チャーリーは怒っている。
「余裕ですね」
「すまん。気が緩んだ」
それにしても、嫌な夢だった。
昔の夢を見るのは久々だった。最近は、すっかりなかったのに。
「顔色が悪いですよ」
チャーリーはクリスの顔を覗き込んだ。
「何でもない」
「何でもないことはないでしょう?そんな顔色で」
「本当に何でもない」
「正直に言わないと、居眠りした事を報告しますよ?」
本当に腹のが立つ奴だ。
「昔の夢を見てた。それだけだ」
それを聞くと、チャーリーは急に静かになった。
居眠りなんてするからですよ、とか、ごにょごにょ言うのが聞こえたが、クリスは無視した。
「そろそろ終わりですから」
運転手が、声を掛けてきた。
車はいつの間にか折り返し地点を過ぎ、最初に渡った橋の付近まで戻って来ていた。
ここから基地までは、15分とかからない。
クリスは時計を見た。夜明けまでまだ暫くある。
なんとかそれなりの睡眠時間は確保できそうだ、と安堵した。
その時、車は、土手の道から、橋につながる道路に出ようとしていた。
急に、車が停車した。
運転手が窓を開けて外を覗いた。
何をしているんだ、と聞こうとしたその時、頭に電撃のような衝撃が走った。
目の前が真っ赤になり、口の中に鉛の味が広がった。
魔力・・・。
攻撃される、と思う間もなく、脇腹の辺りに激しい衝撃を受けて、クリスの体は座席から宙に舞った。
4.遭遇戦
視界が2転3転して、ようやく停止した。
クリスはすばやく大破した車から這い出し、剣を抜くと、車体を盾にしながら、周りの様子を伺った。
運転席には、黒焦げの胴体しか残っていなかった。
再び周りの様子を伺おうとするが、慌てているのかよく見えない。
今のは,魔力を砲弾のように打ち出す魔力砲とかエネルギー砲とか呼ばれる類の攻撃だろう。
(落ち着け、落ち着け)
すぐ追撃して来ないのは、敵もこちらを見失ったのかも知れない。
あるいは、さっきの一撃で仕留めたと思ったのか。
冷静になり、余裕が出てきた。
再び視界を巡らせた。
(さあ)
息を詰めた。
(どこからでも来い)
踏み込みの早さには絶対の自信を持っている。先手を取りさえすれば負けない。
ねっとりと夜の湿気をはらんだ空気が、緩やかに流れていった。
クリスの目が、正面の茂みを凝視した。
風もなく、空気だけがわずかに揺れた瞬間、クリスの体は前に跳んでいた。
姿勢を目一杯低くし、一直線に目的地点へ間合いを詰めていく。
10メートル、5メートル…。
人影を、視界に捉えた。
振りかぶった。
刃が身体に食い込む、確かな手応えがあった。
素早く片足を踏み込み、体を反回転させた。間一髪で、魔力砲が肩の脇をすり抜けていった。
(隙を見せたな)
今度は撃ってきた距離も方向も、はっきり分かる。
姿勢を低く戻し、正面へ猛然と突進した次の瞬間、魔力の気配を感じて、急遽進路を左に変えた。
すぐ真後ろで爆発音がした。
素早く足でブレーキをかけ、左に流れた体を立て直し,再び右に進路を取った。魔力砲が,今度は左ひじの脇をすり抜けていった。
右、左、また右。
進路を変えるたび,魔力砲が頭上や体の脇をすり抜けていく。
敵の 狙いが正確なため、なかなか前進できない。かといって、このままずるずると長引くと、いずれ体力が尽き、勝機は失われる。その前に仕留めなければならない。
勝つためには、どこかで前に出なければならない。練磨のクリスの五感は、そのタイミングだけを全力で探っている。
連続した攻撃が、わずか間延びした。
クリスは意を決した。
そのまま真正面に、一直線に、突っ込んでいった。
(もし,正面で待たれていたら?)
(そのときはその時だ。仕方ない。運が悪かったと思うしかない)
魔力砲が、顔面に迫ってきた。
クリスは、体を目一杯捻った。魔力砲が顔のすぐ脇をかすめ、熱と閃光が眼に沁みた。
すぐ左後ろで爆発音がした。
(かい潜った)
完全に視界に捉えた。
敵が慌ててエネルギーの充填を開始し、片手が白く輝き始めた。カウントダウンが頭の中で聞こえる。発射まであと0.5秒・・・0.3・・・0.05・・・。
速く―――もっと速く―――。
「0」
ドスンという重い手応えがして目の前が暗くなり、クリスは思わず目を閉じた。
恐る恐る目を開けると、敵の胸に自分の剣が深々と突き刺さっていた。
胴を払って,右か左に抜けようと思ったのに,距離が近すぎたためそのまま体当たりする形になってしまった。
剣を胸から引き抜いた。
死体は仰向けに地面に倒れた。
念のため、もう一度心臓を突いた。
敵が動かないのを見て、クリスはそこでようやく息を吐いた。
空が、既に薄紫色に変わり始めていた。
敵は一晩で2人も失った。今日はもうこれ以上はないだろう。
腕が麻痺したように重かった。
肩で息をしながら、車のところまでの道を引き返した。
途中でもう一人の死体を見つけた。
(終わったか)
死体の傍らに座り込んだ。
徐々に上がり切った体温が下がってきた。
血の染みた服が急に冷たく感じた。
「さすがですね」
声のした方を見ると、チャーリーがうつ伏せに地面に伏したまま、頭だけをあげてこちらを見ていた。
片足がおかしな方向に曲がっていて、服や顔が泥まみれだ。車から、ここまで這ってきたらしい。
「遅いぞ」とクリス。
「私が頭を吹き飛ばされそうになっていても、高見の見物か」
「来たらもう終わってたんですよ」
言い返す気にもなれず、クリスはぼんやりと空を見上げた。眠い。戻ったら早く寝よう。
「あいつら、「結社」の奴らですかね」
チャーリーがぽつりと言った。
「分からん」
クリスは答えた。
一体、自分は、何と戦ったのか。
倒したのは、どこの誰なのか。
この戦いはいつまで続くのか。
自分はいつまで生き延びて、いつ死ぬのか。明日なのか。来月なのか。来年なのか。
何もわからない
たった一つだけ、確かなことは、今日生き残った。
それだけが確かで、それ以上に確かなことはない。
(死ぬべき時が来れば、死ぬ。だたそれだけのことさ)
クリスはそれ以上何も考える気になれず、血まみれの顔のまま、草の上に仰向けになり、目を閉じて、自然と意識が遠のいて行くのに任せた。




