空に浮かぶ魂
雲よりも遥か高い青空。
その骨まで凍てつくような冷気の中を、一本の箒が飛んでいた。
箒の後ろに座るチャーリーは、吹き付ける風の寒さに思わず身震いし、風にあおられていた防寒着の裾を、しっかりと体に巻き付けた。
前方に座るクラリスが、くすりと笑った。
2人を乗せているのは、ただの空飛ぶ箒ではない。
戦闘用に改造された、特別仕様の箒。
最高時速は、時速770kmまで出せる。
武装は、機首に30ミリの機関砲と、ロケット弾が12発。
爆弾も、250キロ爆弾2発を搭載している。
(チャーリー、もうすぐ国境だ)
前方の操縦席に座るクラリスが、テレパシーで呼び掛けてきた。
防寒のための分厚い耳当てと、唸りをあげる風のせいで、お互いの声はほとんど聞こえないが、テレパシーがあれば全く問題ない。
(クラリス、だから、今は「国」とは言わないんだって)
チャーリーは、少し咎めるように言った。
(ごめんごめん、今は「国境」はないよな)
クラリスは苦笑いした。
チャーリーとは古い付き合いになるが、本当に、細かいことにうるさくなった。
昔を知っている彼女から見ると、慣れ親しんだ友達が遠くに行ってしまったようで、少し寂しい気持ちになる。
(武装警察か)
自分と一緒になって芋の蔓をかじっていたあの貧農の子が、今や、名前をいうだけで相手を震え上がらせるまでに、登りつめていた。
時は流れる。
世の中も、国も、人も、全て変わっていく。
誰も昔のままではいられない。
クラリスがぼんやりそんなことを思ったそのとき、背後に何かの気配を感じた。
はっとして振り向くと、チャーリーも後ろを見ていた。
クラリスはじっと眼を凝らした。
後方、真っ青な空の彼方やや下方に、染みのような黒い点が見えた。その黒い点がみるみる大きくなり、箒に乗った人の姿になった。
こちらに向かって急上昇してくる。
近くに味方の基地はない。それに、遠目だが、あの箒の型は・・・・・・。
クラリスは心の中で舌打ちした。せっかくの時間を邪魔しやがって。
(チャーリー、「領主」だ。それも2人もいる)
人影がみるみる大きくなり、猛スピードで接近してくる。
機銃が、キラリと陽光に煌めいた。
(20ミリ。不法侵入の礼に、手厚くもてなすそうだ)
(どうする?)
クラリスは考えた。
自分一人だけならいくらでも逃げる方法はある。
だか、今日は後ろにチャーリーを乗せている。
あまり無茶な操縦をすると、箒にあまり慣れていないチャーリーを振り落としてしまうかもしれない。
(仕方ない)
(チャーリー、ちょっと揺れる)
クラリスはぐっと機首を右に向け、旋回を始めた。
(撃ち落としてやる。せっかくの時間を邪魔しやがって)
クラリスは小声で呪文を唱え、左目をそっと手のひらで押さえた。
左目の黒目が消え、代わりに青い十字のガンサイトが目の中に浮かんだ。
機首の機銃の具合を確かめた。
機銃は、当たれば、一撃必殺の30ミリ。
ただ、うまく当てるのは容易ではない。
敵-能力者-は、鋼鉄のような分厚いシールドに守られている。
漫然と撃っても、弾かれる。
不意をつき、防御をさせない工夫が必要である。
機首をたてて急上昇し、雲の中に突っ込んだ。
いったん姿を消してから、背後に回り込む作戦である。
敵は見失ったのか、背後から追ってくる気配はない。
十分に高度を取ると、一転して降下に転じ、再び雲の下に出た。
敵は、見えない。
(見失ったか)
広い大空の下では、箒の一機や二機など、砂粒のように小さい。
クラリスは目を閉じた。
落ち着いている。
練磨のこの少女も、死線を幾たびも潜り抜けてきている。
耳元をすり抜けていく風の流れに、神経を集中させた。
息を潜めるようにして、待った。
風の音と、チャーリーの息遣いだけが聞こえる。
待った。
ほんのわずか、肌を刺すような気の乱れを感じた。
目を開けた。
1時の方向、右下にはっきりと敵の姿を捉えた。
悠然と飛行している。
こちらの存在には、には全く気がついていないようだ。
クラリスは、空気に溶け込んだように密やかな振る舞いで、十分に狙いをつけ、引き金を引いた。
ダッ、と乾いた音がして、敵の背中に、スッと真っ赤な火線が吸い込まれていった。
血飛沫が舞い、身体が箒から離れて落下していくのが見えた。
(もう一匹は)
見失った、と思った時、ヒュッと風を切る音がして、弾丸が頭上を掠めた。
すぐ後ろにいる。
クラリスは素早く反転し、機銃を撃ち込んだ。
しかし、当たったと思った瞬間、火花が散って弾が弾かれた。分厚いシールドを張っているらしい。
さらに連続して機銃を撃ち込んだが、ことごとく弾き返された。
(固い・・・・・・)
らちがあきそうにない。このペースで撃ちまくっていれば、すぐに弾も尽きてしまう。
いつもなら別の方法を考えなければならないが、今日は・・・・・・。
(残念だな。今日はあいにく、大砲を積んでるんだ)
クラリスはチャーリーを振り返った。
右手が青く輝いている。それを身体の影で隠していた。
(用意は?)
(いつでも)
エンジンの回転数を落とし、スピードを緩めた。敵がぐんぐん接近してくる。
(よし・・・・・・今だ!)
チャーリはさっと右手を体の陰から引き抜いた。
魔力砲が青い尾を引いて飛んでいった。
すぐ近くまで接近していた敵は、慌てて旋回して回避動作を取ったが、その逃げていく尾部に魔力砲が直撃した。
爆発音がして、オレンジ色の火球が宙に広がり、白い煙が拡散した。
箒のエンジンは、被弾に弱い。
この至近距離では、たとえ人間は防御できても、エンジンの方は耐えられない。
最初から、それを見越して狙っていた。
うっすらと薄れ始めた白い煙の下方に、黒い煙を吹いて落下していく物体が見えた。
(やったか?)
(墜ちてく)
2人の間に、安堵の空気が流れた。
チャーリーはクラリスの背中をぽんぽんと叩いた。
「チャーリー、滑走路が見えた。あと10分で降りる。」
クラリスがエンジンの回転数を落とし、滑空体制に入った。エンジンの音が小さくなると、急に辺りが静かになった。
2人を乗せた箒は、空中を滑るように滑空した。
やがて、灰色の滑走路が目前に迫ってきた。
「背中、気をつけて」
チャーリーの後ろで、パラシュートがばっと開いた。
箒は緩やかに滑走路の上空に進入し、滑走路の上空1メートルほどの空中にピタリと停止した。
チャーリーは、ぽんと箒から飛び降りた。
「どうもありがとう」
「いいさ、チャーリーの頼みなら何でもしてやるって」
「それ、どういう意味」
(今の変だったかな)とクラリスが思うのと同時に、チャーリーは微妙な含みのある言い回しに、すばやく反応した。
「どうもなにもない、何もないよ」
(本当に勘が良くなったよな)とクラリスは心の中で苦笑いした。
チャーリーは納得のいかない顔をしていたが、わかった、といった。
「また何かあったらお願い」
「いつでも」
後ろめたい気持ちが自然に言葉に出てしまったのかもしれない。しかし、
(チャーリー、ごめん。でも、「あの事」は、まだおまえに言うわけにいかないよな)
クラリスは心の中で呟いた。
去っていくチャーリーの背中を見つめた。その背中が、一瞬だけ、自分の全く知らない人のように見えた。
(わかってくれ。これはお前の、いや、私達みんなのためなんだ)
その夜、爆撃機が一機、昼間2人が降り立ったのと同じ滑走路から、滑るように飛び立った。
最新鋭の、B36戦略爆撃機だった。
空に浮かぶ巨大な棺のようなそれは、夜の冷気を裂いてぐんぐん高度を上げていく。
やがて高度が十分に高くなった頃、胴体下の弾倉が開き、中から箒に乗った人影が一つ現れた。
それは、昼間チャーリーを乗せたものよりも二回り以上大きなものだった。
これだけ大型になると、操縦も相当困難なはずだが、乗り手は巨大な箒を巧みに操り、左にバンクしながら緩やかに降下していく。
月明かりにクラリスの横顔が照らし出された。凍るような夜風が頬をなぶり、クラリスは思わず身震いした。
「指示機から訓練機へ。高度3万5000フィートを維持せよ。ウェイポイント「able」通過後に降下に転じ、予定コースに侵入せよ」
「マザー、了解」
クラリスは応答した。昼間のテレパシーではなく、無線だった。
やがて、降下に転じた。
さらに高度を下げていくと、眼下に、星のように煌めく無数の家々の明かりが見えた。
暖かく、幸せに満ちた光だった。
(私の居場所ではない)
瞼にチャーリーの顔が浮かんだ。
この計画のことを知ったら、チャーリーは驚くだろうか。
それとも、激しく憤るだろうか。
もしかして、悲しむかもしれない。
けれど、「その時」はいつか訪れる。それは、止めようがない、時代のうねりなのだ。
そして、全てが終わった暁には、自分の存在は、この世から抹消されるであろう。
一介の軍人として、その覚悟はできている。
ただ、もし望めるのであれば、
(死ぬときは、雲の上がいい。誰の目にも触れないまま、空の彼方で、永遠に行方知れずになりたい)
クラリスは、心の底からそう願った。




