過去からの使者
1.
チャーリ・テイラーは、汽車に揺られていた。
クリスがアリサの研究室を訪れていた、ちょうどそのころである。
墨を流したように一面真っ黒な窓に、雪が飛んでいる。
雪の他には、何も見えない。
ため息をすると、白い煙になって、しばらく宙に漂っていた。
乗客は、チャーリーの他、誰もいない。
暖房のない客車は、骨まで沁みるように寒く、チャーリーは安物のコートを体に巻き付け、膝を抱え込むようにして、できるだけ体を小さくしようと努めた。
硬い座り心地の悪い座席の上で、身動きするたび、体がきしむ音がした。
貧乏が、骨の髄まで沁みている性質である。
金を惜しみさえしなければ、もっと上等の客室を選ぶこともできただろうが、生まれてこのかたの気質は、そうそう変わるものではない。
(地べたで寝るよりはましだ)
満足ではないとはいえ、まともな着るものもあり、汽車で移動もできる。昔を考えれば夢みたいな事なのかもしれない。
がたん!と不意に体が揺れた。
ぱっと目が開くと同時に、割れるような汽笛が頭に鳴り響き、チャーリーの意識は、強引に現実に引き戻された。
いつの間にか眠っていたらしい。
寝起きの痛む頭をさすりながら窓の外を見ると、雪はやんでいて、日が昇っていた。
しばらくすると、汽車は、空転する車輪を軋ませながら、線路に積もった雪を蹴散らし、乗客を窓から放り出さんばかりの勢いで荒々しく山あいの小さな駅に停車した。
空は、青空。
駅の周りは、雪原がどこまでも広がっていた。
チャーリーは、その雪をかき分けながら、山あいの道を順調に進んでいった。膝上まで雪があっても平地と変わらない速度で歩く術は、子供の頃から学んだものである。
休みなく2時間ほど歩き続けた。
ふと、足元の雪が踏み荒らされている場所で、チャーリーは立ち止まった。
前を向いたままの姿勢で、その場に立ち尽くした。
不意に、背後の繁みが、がさがさと揺れ、男が2人、転がるように飛び出してきた。
チャーリーは無視して先に行こうとした。
こういった場面には、慣れている。
「マテ」
手が伸びてきて、チャーリーの肩をがっとつかんだ。
「カネ」
とだけ、酷い訛りの男の声が言った。
香水をたっぷり混ぜた油のような異臭が襲ってきた。
男の手が、チャーリーの脚の付け根あたりをまさぐった。
金だけならやろうかとも考えたが、どうやらそれだけでは済みそうにない。
チャーリーは振り向き、男の腕をつかみ返すと、ぎゅっと力を込めた。
ぱん!と、乾いた破裂音がして、火花が散った。
男は悲鳴をあげて飛び下がった。
腕から白い煙があがっていた。
破れた服の間から除く腕が、炭のように黒ずんでいた。
やろうと思えば、頭ごと吹き飛ばすこともできたが、そこまではしなかった。
相手が普通の人間だったからだ。
もし、多少でも魔力を感じていたら手加減はしなかった。
男たちは雪を蹴散らし、転がるように逃げ去った。
「ふん」
チャーリーは逃げる男達の背中に向けていた右手をおろすと、また歩き出した。
胸までの雪に浸かりながら、さらに2時間ほど歩くと、小さな小屋の前についた。
人の気配はないが、家の周りの雪は片付けられていた。
樫の木のドアを、決められた回数、決められた順序でたたいた。
知っている者同士だけで通じる合図だった。
中で物音がして、ドアが軋みながら開き、中年の女性が顔を除かせた。
女の名は、リリー・ガーランド。
「チャーリー・・・」
リリーの声はやや震えているように見えた。
「本当にあなたなのね」
リリーは、驚きとも困惑とも取れる声で言った。
「先生、お久しぶりです」
2.
「手紙をもらったときは驚いたわ。よくここがわかったわね」
「私もいろいろ、方々につてがありますので」
「話はだいたいわかったわ」
チャーリーから今までのいきさつを一通り聞き、リリーは言った。
そして、あらためて、チャーリーの顔をまじまじと見た。
顔つきには、かすかに昔の面影を残していたが、
(眼がだいぶ変わったわね)
眼に表情がない。
賢いのともまた異なる、何を考えているか読み取れない、油断のならない眼になった。
5年の歳月は、かつての教え子を確かに変えていた。
「それで」
チャーリーはずいと身を乗り出した。
「確か、物の記憶を読み取る方法があったと記憶しています。昔、先生が私達にやって見せてくれたことがあったことを覚えていました。ところが、いくら調べても分からない。誰に聞いてもそんな術のやり方は知らない、聞いた事もないと言われました。それで、先生ならご存じではないかと、こうして訪ねてきたのです」
「なるほど」
確かに、そういった術は存在する。
もはや現代ではリリーの家系にしか伝わっていない、旧い旧い術である。
世の中からは廃れて久しい。
極めて使い勝手が悪いことから、現代では、後から発達した写真や映像記録に取って代わられた。
誰も知らなくても不思議ではない。
一応使うことはできるリリーですら、今後二度と使う場面はないであろうと考えていたほどである。
今更、それを教えて欲しいという人間が現れようとは思っていなかった。
それはそれで興味深いし、代々受け継いできた術が自分の代で滅びるだろうと思っていたリリーにとっては、喜ぶべきことなのかもしれない。
だが。
「取り繕っても仕方ないから、端的に言うわ。お断りよ。一切、協力はできない」
(冗談じゃない)
魔術は、かかわった人間を不幸にする。
身に余る力におぼれて我が身を滅ぼした者、否応なしに争いに巻き込まれて命を落とした者、愛するものを失ったり不幸にした者、いずれも枚挙に暇がない、
リリー自身も、あれのせいで、戦争が終わって5年もたつにも関わらず、こんな山奥で隠遁生活を送らなければならない、と思っている。
あの頃は、成り行き上、ほかの選択肢はなかったとはいえ、あれにさえかかわることのない人生であればと何度後悔したことかしれない。
戦争が終わってもう5年も経つのに、まだ血なまぐさい闘争を続けているなど、とても正気とは思えない。
(狂っている)
魔術も、それにかかわる人間も、これ以上自分の生活を侵食しないでほしかった。
「もう一度言うわ。お断りよ」
リリーは強く拒絶した。
「そうですか」
チャーリーは、いったん手元のカップを口に運んだ。
(おや?)
食い下がるかと思いきや、不審なほどあっさりしている。
どこか余裕まで感じる態度である。
「わたしはもう魔術とは距離を置いたの。もちろん、あなたたちともね」
リリーは、更に畳み掛けるように言った。
「確かに」
とチャーリー。
「先生は戦争が終わった後,姿を隠されました。」
「そうよ。そうしなければならなかった。わかるでしょう」
「ただ」
とチャーリーは言った。
「あの頃、先生は色々なことをなされました。実に、それはもういろいろなことを。覚えていることも、そうでないこともおありでしょう」
「ところで、最近」
チャーリーは顔をぐっと近づけて言った。
「私はある男を捕まえました。その男から大層興味深い話を聞きました。もちろん、先生に関係する事です」
リリーの背中に、すっと氷が触れたような感覚がした。
「どんな話」
「さあ、それは言えません。ただ、先生には、大事な用事があるそうです。それに、この山奥の一軒家に関わる情報があったとだけ、お伝えします」
(露見したのか。ここが)
末端まで情報が浸透しているとすれば、敵の動きは速い。
ここでチャーリーを黙って帰せば、その瞬間、リリーの命脈は絶たれるかもしれない。
(しかし、上手な嘘ということも)
リリーは、頭の中で呪文を・・・
「やめてください」
チャーリーがぴしゃりと言った。
「嘘なんかついていません」
長い沈黙が続いた。
「それで」
窓の外がすっかり暗くなった頃、遂にリリーが先に口を開いた。
「あなた、いや、あなた達は、私に何をしてくれるの」
妥協の言葉だった。
チャーリーの口許が緩んだ、様に見えた。
「協力していただけるのなら、私もできるだけの協力をします」
「万一の場合は、あなたに私の護衛をしてもらうと。そういうことかしら」
「私だけでは、もちろんありません。仲間も一緒です」
(ハーディングか)
リリーは納得した。
(あの二本足の虎みたいな奴か)
彼女の強さは噂に聞いている。
正直、チャーリーだけでは心もとないが、彼女がいれば安心できる。
[分かったわ」
チャーリーは、頷いて、鞄に手を伸ばした。
「待った」
リリーはすかさず制止した。
「言ったでしょう。私は協力できない、する気もないわ。でも、あなたが自分でやり方を学んでやることまでは止めない」
「とういうと」
「やり方、呪文だけ教えるわ。後はあなたが勝手にやりなさい」
チャーリーは、「話が違うのでは」と不満げな顔をした。
「大丈夫。コツさえ覚えれば、難しい術じゃないの。」
リリーの言葉が熱を帯びてきた。
戦争が終わってこの方、全てを失い抜け殻のように生きてきたが、「魔術を教えている自分」というのは、自身の輝いていた時代の記憶と重なり、ある種の恍惚を引き起こすのかもしれなかった。
「呪文にこだわらないこと。伸び悩む人は、決まって、呪文を一言一句正確に唱えることだけに必死になる。それだと、いつまでたっても上達しない」
「そう。呪文というものは、あくまで自己暗示に過ぎない。頭の奥に眠っている力にアクセスするための,ただの鍵。本当に大切なのは、イメージよ」
「イメージ」
「そう。術を使っている自分を、具体的にイメージすること。その自己イメージを、呪文という自己暗示でさらに増幅させる。増幅された自己イメージが、頭の回路を組み替え、まだ見ない力を目覚めさせる・・・」
「難しいです」
「大丈夫、やってみれば簡単だから。じゃあ行くわよ。ちょっと長いけど、さっきも言ったように、大事なのは暗記じゃない。」
リリーは大きく息を吸い込んだ。そして、
「喚起せよ、喚起せよ。我は希求者なり。時を巻き戻し、物理を凌駕し、輪廻の理をもって、その奥底に秘められたる秘密に,訴求せしめたる者なり・・・・・・。開示せよ、開示せよ。我は所有者なり。閉ざされた記憶の鍵を保持し、その窓を開放し、因果の流れに逆らい、あらゆる秘匿された時を白日のもとに知らしめす者なり・・・・・・」
繰り返し、練習が続くうち、いつの間にか一夜が過ぎ、窓の外が白くなりはじめていた。
「大部よくなったわ。基礎は身に付いたと思うから、もう少し整備するのは、一人でも何とかなるでしょう」
チャーリーはなぜか浮かない顔をしている。
「どうしたの」
「いえ、ただ、」とチャーリーは言った。
「このまま先に進んでいいものなのかどうか」
リリーは、その顔に、今日初めて、かつての教え子の面影を見た気がして、不意に親心がわいてきた。
長い時を経ても、忌まわしい記憶と結びついていても、リリーにとってチャーリーは、やはり、気になる存在なのかもしれない。
(これが情というものか)
リリーは、口許を少しだけ緩めて言った。
「チャーリー、自分の心が不安定で、弱っていると感じた時は、重大な決断をしてはだめよ。誰がなんと言おうと、じっと頭を低くして、チャンスを待ちなさい」
「チャーリー、あなたはどうしたいの?」
「私は」
チャーリーは束の間口ごもったが、
「ただ、真実が知りたいんです。ルビーがなぜ死ななければならなかったのか。誰が、何のために、彼女を」
3.
2人は家の外に出た。
「送っていかなくて大丈夫?」
「迎えを呼んでますから」
「チャーリー」
「何ですか」
「我々の目的は」
「なつかしいですね」
チャーリーは笑みを浮かべて言った。
「自由のために,ですよね」
チャーリーはリリーの家を出て、森の中に続く裏手の道を登っていった。
(狭き門より入れ、よ。チャーリー。その先にあるものが何であっても、あなた自身が選んだ道という覚悟があれば、その覚悟が、あなたを肯定してくれる)
リリーは、遠ざかっていくチャーリーの背中に、心の中で呟いた。
やがて森の端の開けた丘に出た。もうすっかり陽が昇っている。
チャーリーは耳に手を当て,そのままの姿勢でしばらく待った。




