その先にあるもの(番外編3)
「国民の皆さん」
ラジオから演説者の呼び掛けに答える歓声と拍手が聴こえた。
「私は今日、私達の目の前にある職務に対して謙虚な気持ちを抱き、皆さんからの信頼に感謝し、先人が支払った犠牲を心に刻んで、この場所に立っています」
「先人の国家に対する貢献、そして協力に感謝します」
演説者の声が一段大きくなり、一際大きな歓声があがった。
「今や」
興奮で上ずる声を押さえるように、演説者は一度言葉を切った。
「今や、私達が危機のさなかにあることは十分理解されています。我が国は戦時にあります。無法な集団、国民の団結を妨害し、憎悪と暴力の連鎖を産み出そうとする、大規模な企てとの戦争です」
車は音もなく、建物の裏手に停車した。
運転席のルビー・ホワイトのうつろな目に、白い針のような雨が映り込んでいる。
解放戦線の何人かが出入しているという情報を掴んでいる。
急襲して殲滅する手はずになっていた。
逮捕してもしかがない。どうせ末端のメンバーであり、大した情報は得られないであろうから。
かといって、生きて解放すれば、何をしでかすかわからない。
(殺す以外にない)
表向きの目的は、関係者の逮捕ということになっている。
「今日、私は皆さんにこう申し上げます」
そろそろ終わりにに差し掛かるらしい。
「今日この日、私達がここに集まったのは、恐怖ではなく希望を。対立と不和ではなく、我々の未来を一つにすることを、我々は選択したからです」
「すげぇ」
エリザは指先で手のひらを引っ掻きながら言った。
このリビア出身の少女は、機嫌がよくないとき,よくその仕草をする。
気がたっている。
元からして、勇猛だが、猟犬のように荒い気性であるが、こういう仕草をする時は、特に苛立ちが一際大きくなっているときである。
「下らん」
ルビーは、バチンと乱暴にラジオのスイッチを切った。
これ以上聞かせると、仕事に差しさわりが出るかもしれない。
機嫌の悪い時のエリザを宥めることは、百戦練磨のルビーにすら、なかなか骨の折れる仕事なのである。
ラジオが切れると、辺りが急に静かになった。小雨が窓を打つ音が微かに聞こえた。
空はどんよりとした灰色だった。その空から滴る雨が、針のように細く白く光って見える。
いつの間にか車がもう一台、今二人が乗っている車に横付けされていた。運転席のルビーが、もう一台の車に何事か,身振り手振りで指示を出していたが、やがて終わったらしく、
「雨がやむまでに終わらせるぞ」
それだけ言うと、助手席の方を見ることもなく、ドアを開けると、さっさと外に出ていってしまった。
古びたアパートの外階段を、二人のぼってゆく。
磨り減った階段は、雨に濡れてさらに滑りやすくなっているはずだが、二人の足取りは淀みなく、まるで猫が歩くようにしなやかで、足音一つ立てることがない。
何度目かの踊り場から、のぼりきったさきの廊下を進み、目的の部屋の前まで来た。
ルビーがドアに手を翳し、すっと上下させると、中で鍵の外れる音がした。
ルビーがドアに手を掛け、ばっと開け放つのと同時に、銃声がして、暗い廊下に火花が散った。
既に抜刀している。
銃声が再び廊下に響き、キーン!と音がして、銃弾がルビーの剣に弾き返された。
黒い影がうごめき、もう一度撃とうとする仕草を見せたが、それよりもルビーの打ち込みの方がはやかった。
半身から片足を踏み込むと同時に、人影に。向かって頭上から片手で斬りつけた。
骨の砕ける音がして、頭を叩き割られた死体が膝から床に崩れ落ちた。
顔がほとんど真っ二つになっていた。
ルビーは飛ぶように部屋の奥に突入すると、敵の目の前に飛び出した。
敵が慌てて構えた銃を腕ごと叩き落とし、さらに反す剣先で頚筋を跳ね斬った。
暗闇に血しぶきが黒い糸になって飛んだ。その血が床に落ちるより早く、ルビーの体は早く横っ飛びに飛んでいた。
閃光と銃声がして、こめかみの真横を銃弾がすり抜けていった。
瞬きひとつしない。
片目の端だけで残りの人数を数えていた。
(あと2匹)
這いつくばるような低い姿勢のまま前方の敵に突進すると、その姿勢のまま摺りあげて、胴をなぎ払ったが、血で手が滑ったのか打撃がややずれ、敵は背中から床に叩きつけられたが、なおも這いずって逃げようとした。
ルビーは行きかけるその背に足をかけると、振りかぶって頭蓋を打ち砕いた。
ぐしゃりと鈍い音がした。
もう1人の方を振り向くと、その男は窓枠に手をかけ、今まさに窓の外に身を踊らせるところだった。
(行かさん)
滑るように背中に飛び付いて片手突きを見舞った。背筋を掠めたが、男の身体は窓の外に消えて行った。
窓の外でエンジンの音がして、すぐに遠ざかっていった。
ルビーは落ち着いている。息を一つ吐くと、ドアを出て、階下に降りた。
雨に濡れた地面に細いタイヤの後が残っている。
エリザは既に下に降りていた。
「まあ待て」
ルビーは煙草に火をつけた。白い煙が、気だるく、灰色の空に上っていく。
(未来か・・・)
不意に、先刻のラジオが頭をよぎった。
(妄想だ···)
先刻の演説の事なのか、それとも。
(恐怖と対立ではなく・・・)
(・・・下らん)
奴らは見ていない。見ようともしない。見ても,見えない振りをしている。
歴史を見よ、とルビーは思う。議論が何かを解決した事例はあるだろうか。
アメリカ、ソ連、ヨーロッパ、そして中国・・・世の中を変えようとしているのは、結局、戦のちからなのである。
(だから、とことん対立したら、あとは戦争しかない)
そこで生きるも、死ぬも、それはただの宿命だと、ルビーはそう考える。
雨はまた強くなり出した。
(頃合いか)
ルビーは、まだ半分以上残った煙草を地面に落とすと、足でグリグリと踏み潰した。
エリザは上目使いにこちらを見ている。
ルビーは息を吸い込んだ。
「行け!」
エリザはロケットのように走り出した。
部屋から逃亡した男はその頃,バイクを走らせていた。まだ時間がそれほど経っていない事もあるが、全身の震えが止まらなかった。
刃が風を切る音と,身体を掠める風の感触が、まだ背中に残っていた。
(あれが武装警察か)
暗闇に白く光る刃が,眼の奥にまだちらついている。
人でなしの集まり、と噂に聞いたとおりかもしれない。
その時、ふと覗いたミラーに何かの影が見えた。
(まさかそんな)
(人間・・・)
思わず目を疑ったが、まぎれもなく、剣を抱えた人間の姿だった。
それも、信じがたいスピードでこちらに追いすがってくる。
黒い影はみるみる大きくなっていく。もう顔がはっきり見える場所まで近づいてきていた。
黒い影が,剣を八双に構え直した。
その時、道路の端から何かが飛び出してきた。
影は車道の上で踊るように飛び上がると、剣を振りかざして斬りかかってきた。
とっさにハンドルを切ってよけようとしたが、間に合わず、背中に熱い衝撃が走った。
斬られた、と気が付いた時には、すでに体がバイクから離れて宙を飛び、背中から地面にたたきつけられていた。
まだ意識はあったが、指先ひとつ動かせない。自分の血が地面に広がっていくのが見えた。
目の端に、誰かの靴の先が見えた。
「いいところにいた。クリス」
声がした。
「連絡をいただいたので。間に合ってよかったです」
クリスが答えた。声は少女そのもののあどけない声だったが、なぜか背筋が寒くなるような冷たさがあった。
「逮捕しますか」
クリスが尋ねた。
「無駄だ、どうせ助からんだろう。楽にしてやれ」
「では」
ブン、と風を切る音と、首筋に冷たい刃物の感触がして、視界が暗転した。
集会が終わったのか、建物から人がぞろぞろ出てきた。
今まで建物の中にいて、雨が降っていることに気がつかなかったのか、建物から出てきた人々は、慌てて次々に傘を開いた。赤、黄色、青。灰色の紙に絵の具をばら蒔いたように通り一面に華やかな傘の華が咲いた。
大声で議論の続きをする人や口々に感想を言い合う人の賑やかな話し声、上気した顔が見えた。
通りの向こう側からその様子を見ている3人の少女達に、誰も気が付く者はいなかった。




