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輪廻(番外編1-2)

 セントラルパーク陸軍病院の地下の一室では、ソニア・ホワイトの葬儀が、ひっそりと執り行われていた。コンクリートがむき出しの狭い 地下室一杯に正装した隊員が居並び、幼くして旅立った仲間に、最後の別れを告げていた。


 白いバラが一本、また一本と、白い花に囲まれて横たわるソニアの棺に入れられていく。何人かの隊員が顔を押さえ、部屋から出て行ってしまった。


 クリスは棺に横たわるソニアの顔を見つめた。真っ白な肌には、まだ痛々しい傷跡が残ったままだった。指先でその傷跡をそっと撫でた。身震いするほど冷たかった。


 こんな場では、どんな言葉をかければいいのか迷ったが、真っ先に心で思った事を言った。


「いい剣筋だった。傷を見ればわかる。見事だ」


 いったい何を言うのかと自分でも思った。今更ながら気の効いた言葉の一つも出てこない自分が不甲斐なかった。


―所詮私は、人を斬るしか能がないのさ―


 やがてブザーが鳴り、棺の後ろの壁が観音開きに開き、夜の冷気が流れ込んできた。棺を乗せた台がくるりと回転し、白いガウンに防毒マスクを着けた葬儀業者が慌ただしく棺を横付けにされた霊柩車に押し込んだ。


 壁が再びバタンと閉じて、すべてはあっけなく終わった。


 隊員たちはぞろぞろと部屋を後にした。一応責任者という立場のクリスは全員が退出したのを確認してから、一番最後に部屋を出た。明かりの消えた暗い廊下を足早に玄関に向かった。


 冷える夜だった。星もずいぶん高く見える。もうすぐ冬が来る季節だ。


 玄関に着くと、非常灯だけが灯された薄暗い壁際のソファーに誰かが座っているのが見えた。癖で腰に手が伸びる。

 よく見ると、十歳ぐらいの少女のようだった。


 顔はよく見えないが、銀色の長い髪をツインテールに結んでいる。クリスが近づくと、少女はすっと立ち上がった。

「あなたがハーディング軍曹ですか」

「そうだが、君は?」

 クリスがそう言うやいなや、少女は突然掴みかかってきた。が、戦闘マシーンのようなクリスに敵うはずもない。 

 襟元を掴むと腰車に乗せ、あっという間に背中から床に組み伏せた。

「何のつもりだ」


 既に、柄に手を掛けている。


 床に組み伏せられた少女は、脱出しようと叫びながら、必死に手足をばたつかせている。

「正直に言わないと、このまま締め落とすぞ」

「人殺し、お姉ちゃんを返して」少女がそう叫ぶのが聞こえた。

 お姉ちゃん?

 改めて顔をよく見ると、髪型や体型はだいぶ違うが、顔はソニアとルビーを足して二で割ったような顔に見えた。声も似ていないこともない。

 クリスは床に組み伏せていた手を緩めた。

「もしかして君はソニアの」

「妹です」

 少女は床に倒れたまま埃だらけの顔だけを上げていた。クリスはようやくこの少女の言わんとしていることを理解した。

「人殺しとは人聞きが悪いな」

 この少女にしてみれば、自分がソニアをけしかけ、死に追いやったとでも思っているのだろう。誤解だが、全く間違っている気もしないので、怒る気にはなれない。


 クリスは服の埃を払うと、少女に背を向けて行こうとした。その時、少女が涙を浮かべていることに気がついた。


「どうした」


 組んだだけで弱いとわかったので手加減したはずだが、どこが怪我でもさせたかと心配になった。

 少女は黙ったままだ。

 お互い黙ったまま時間だけが流れた。

 夜の冷気は、上気した身体もあっという間に冷やしていく。

 もう夜もだいぶ遅い時間だ。

 クリスはさすがに焦れてきた。それに寒くてたまらない。

「このままだと風邪をひく。言いたいことがあれば基地に来るか、あとで手紙をよこしてくれ」

 クリスは自分の所属部隊を告げ、そこに宛てて手紙を書くように言った。

「じゃあな」

「あの」少女が初めて口を開いた。

「なんだ」

「私も、死んじゃうんでしょうか」

「どういう意味だ」

 クリスは首をかしげた。少女はようやくぽつりぽつりと話し始めた。


「この前」

 震える唇から、白い息が漏れた。


「パパとママが夜中こっそり話してたんです」

 少女はそこで一度言葉を切ってから、決心したように言った。


「次はあの子の番だなって」


 クリスは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。口が乾いて、言葉が出てこなかった。


 少女は嗚咽した。

「私怖くて・・・・・・どうしたら これからどうなるのかって・・・・・・」

 すすり泣きだけが、暗い廊下に反響した。


 ソニアの顔と少女の顔が、オーバーラップして見えた。

 自分を見ているソニアの幻の、恨めしそうな眼。やはり自分のことを恨んでいるのだろうか?


 クリスはその顔を振り払うように 顔の前で手を振った。


「・・・・・・入隊には試験がある。お前の実力で合格するとは思えない。だから安心しろ」


 そう言うのが精一杯だった。逃げるようにその場を後にした


 その後何日かして、チャーリーはソニアの部屋、いや、ソニアの部屋だった部屋を訪れていた。彼女の遺品を整理するためだった。気の重い仕事だったが、この仕事だけは他の人に譲りたくなかった。


 部屋は亡くなったその日のままだった。考えてみれば、彼女が亡くなってからはまだ10日ほどしか経っていない。


 乱れたままのベッド、床に脱ぎ捨てられた服、読みかけのまま伏せられた本。時間が止まったままのそれら一つ一つが生々しく、この部屋が帰ってくるべき主を失った現実を突きつけられるようだった。


 チャーリーはできるだけ感情を圧し殺し、淡々と荷物を実家に送り返すための木箱に詰めていった。


 ベッドシーツの下に隠してあった、ソニアの日記も見つけた。青い表紙の日記で、丸い少し大きめの字で日々の出来事や訓練の様子がつづられていた。

 特に訓練に関する事項は、日によっては何ページにもわたって書き込まれていることもあり、彼女がいかに熱心に取り組んでいたのかが忍ばれた。

 

 窓際にある小さな机。あの机に座って夜遅くまで一生懸命書いていたのだろうか。


 所々、転々とインクの滲んだ跡のあるページもあった。チャーリーは胸にこみ上げてくるものがあった。 


 しばらくパラパラと日記を捲っていると、ある一行に目が留まった。亡くなる数日前の日付だった。


 「●からお姉ちゃんの日記をもらう」


 日記はそこで終わっていて、次のページからは白紙だった。

 名前が入るらしい箇所は、焦げあとのような穴になっていて読めなかった。


 ルビーの日記、そんなものがあるのか。長い付き合いだが、ルビーが日記をつけていた事は初めて聞いた。


 そのあと、あらかたの荷物を引き出してしまっても、ルビーの日記らしきものは見当たらなかった。


 見当たらないな。


 どこかにしまいこんでしまったのだろうか。チャーリーは気にしながら、黙々と作業を進めた。もともと入隊して日が浅いソニアの私物はそんなに多くはなく、日が傾く頃には全ての荷物が箱の中に収まった。がらんとした部屋の中いっぱいに目が痛くなるほど真っ赤な夕日が差し込んでいた。


 結局、ルビーの日記は見つからなかった。


 チャーリーは手の中の日記を見つめた。


「日記」

 クリスにも初耳だった。

「見つからないんだな」

 クリスは無理に見つけなくてもいいんじゃないか、と言いたそうだ。


 それはわかる。


 最後に手にしたのはソニアだから、処分したのだとすれば、それもソニアだろう。大事な姉の形見に違いないのに処分したとすれば、何かよほどソニアにとっては耐え難いことが書いてあったのかもしれない。


 あるいは、ルビー自身の個人的な秘密か。姉の気持ちを汲んだソニアが処分したということも考えられる。クリスはもしそうだとしたら、それを暴くべきではないと言いたいのだ。


 だが、チャーリーはやはりそれでもソニアの秘密が知りたいのだ。自分にだけは教えてくれてもいいのではないか、という気持ちがある。


「やめとけよ、死人に恥をかかせてどうする」

 誰にでも人に知られたくない秘密ぐらいあるだろう。クリスは秘密を暴き立てることには賛成できない。


 が、クリスは別の理由で、消えたルビーの日記に興味を持っている。消えたルビーの日記に何が書かれているのかということだ。

 隊の秘密に関わることが書いてあるかもしれない。個人的な日記で、ルビーが他人に見せるつもりがなかったなら、あり得ないことではない。

 もしそれが外部に流出すれば、大事になる。早々に見つけて回収しなければならない。

 クリスはもう一つ、誰がその日記をソニアに渡したのかも気になる。

 そいつは自分やチャーリーも知らなかった日記の存在をどうやって知ったのだろうか。少なくともルビーは妹にすら秘密にするほど、徹底的に秘匿していたように見える。ルビーがその人物にだけは日記の存在を明かしたとすれば、それはなぜなのか。


 ふたりの思惑は、方向は全く違うにもかかわらず、奇妙にも一致した。


「橋の下の」二人の言葉が重なった。

「だが、金はどうする?あいつはただでは動いてくれない、大金が要るぞ」

「私に考えがあるんです。いや、そうしたいと思うんですけども」

 チャーリーは自分の考えを話して聞かせた。


 ボロボロの赤錆だらけの橋の下に、これもボロボロで今にも崩れそうな掘っ立て小屋が立っていた。中は空っぽで、どうやって立っているのかが不思議な傾いた柱の間を風が吹き抜けていく。

 柱の足元には、錆びすぎて土に還りかけている鍋と、白い何かの動物の骨らしきものが転がっていた。


 チャーリーは骨を踏み砕きながら小屋の中に入って行った。


「すいませーん!」誰もいない空間に向かって呼び掛けた。何の応答もない。耳鳴りがするほど、辺りは静まり返っている。


 風が、また、音をたてて柱の間を 吹き抜けていった。

そのとき、


「これはまだ珍しい客だ」

風に混じって、背後の虚空から突然声がした。今まで誰も、何もなかったはずの場所に、椅子に座った中年の女が現れた。

「何時ぶりかね、あんたが警察に入ったとき以来じゃないか?」

 チャーリーは答えず、ソニアの 日記を取り出して行った。

「これの記憶を読み取ってもらいたいんです」

 女は黙って、日記を見ながらにやにや笑っている。

「サイコメトリストとして、直々のご指名とは」

「事情の詳細は勘弁してもらいたいです」

「あのチビちゃんのロシア娘には、頼まないのかい」

「個人の秘密に関わることもあるので、あまり隊のなかでは・・・・・・あなたの方が秘密を守れると思いまして」


 それだけが理由ではない。根拠はないが、チャーリーの中でなぜかこの件だけは、エリカには話さない方がいいような気がしていた。

 クリスは単純に隊内の誰にも知られずにこの件を解決し、自分ひとりの手柄にしたいだけのようだが・・・・・・。

「ワケなんてなんでもいいけど、人を雇うには、要は金だよ。金があるのか。なきゃ帰んな」

 チャーリーは黙って、ポケットから何かを取り出し、それをテーブルの上に置いた。女の目つきが変わった。

「勲章かい」「ソニアのです。彼女の最後の働きに・・・・・・クリスに頼み込んでもらって、こっそり予定よりもだいぶ早く貰ってきました」

 女はじっと金細工に宝石をあしらった、その勲章を見つめた。薄暗い小屋の中に光が差し込んだように、まばゆい輝きを放っている。


「これだけはどうしても、あの子の親には渡したくなくてですね。こういう使い方の方が、あの子も喜ぶと思いまして」

「あの子の親は、結局姿を見せなかったって?」

「あの子の仕事は、まだ終わっていません」

「奇妙な巡り合わせだね」女はつぶやいた。

「ルビー、ソニア、あんた、クリス、私・・・・・・一人一人はとても繋がりそうにないのに、思いは巡りめぐって、今は私の所にある・・・・・・」

チャーリーは何も答えなかった。


「置いていきな。ひと月ほどしたらまだ来な」


 チャーリーは例を言って、小屋を後にした。その時、二人の頭上を一匹の蝶がひらひらと舞っている事には、二人とも気がつかなかった。


 それから数日後、基地にいたクリスは来客の知らせを受けた。ロビーに出ると、銀髪でツインテールの 少女が立っていた。


「お前か、何の用だ」

 クリスはいいながら、少女が思いつめたような、それでいてどこか開き直ったような顔をしていることに気がついた。


 嫌な予感がした。


 少女は突然の来訪を詫びてから、最初に会った時と同じようなぼそぼそ声で話を始めた。

「実は・・・・・・入隊試験を受けまして」

 クリスは頭を殴られたような衝撃を感じた。地震のように足元がよろめいた。

 なんだと、今何と言った。試験だと?

「馬鹿な、親に受けろと言われたのか」

「・・・・・・お姉ちゃん達の 敵を討てと。テロリストを殺せと・・・・・・姉を殺されて平然としているのは家族ではないと・・・・・・」

「それで結果は」

「今日結果が届きまして」

クリスはごくりと唾を飲み込んだ。

「合格だと」

めまいがしそうになった。

馬鹿野郎、自分から志願して入ってきたのか。わざわざこんなところに。

「配属ももう決まりまして、あなたと同じ、機動1班だと」

―最前線だ

「歴史と栄光のある、誉れ高い部隊だと」

―使い捨ての鉄砲玉と変わらんのだぞ。

「国を守り正義を守る、立派な仕事だと」

―正義だと?そんな幻想を、誰がこの子に吹き込んだ。


「あ・・・・・・」

 また何かを言おうとして口を開きかけた瞬間、クリスの剣がキラリと煌めいた。

 首筋にあててピタリと止めた。目にも留まらぬ早業だった。


 少女は突然の出来事に呆然としていた。何が起きたのか、理解できないようだった。


「まだまだあまい、精進するんだな」

 クリスがかけられる、精一杯の優しさだった。


 これからこの少女が生きていくのは、こういう世界である。


油断すれば、明日どころか、10分後の命すらない世界。


 敵が、常に目の前にいる。無慈悲で残忍な、本物の悪が。


「まだ、名前を聞いていなかったな」

「リンジーです」

「リンジー、生き残れよ。希望を捨てるな」

 希望を持つのは自由さ。持つだけならな・・・・・・。


 窓の外だけは、穏やかな青空が広がっていた。



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