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雨とまぼろし⑥(完)


【目次】


1.目撃者

2.交戦

3.闇に紛れて


1.目撃者


 灰色の空から霧のような小雨が降 りしきる中、赤い回転灯がいくつも、路肩から半分はみ出して停まったバスの側面に、赤と黒の影を投げ掛けていた。


 雨にぬかるんだ通りを埋め尽くす救急車と、警察車両の間を縫うようにして、ズボンも上着も泥だらけにし、顔まで泥の飛沫を飛び散らせた救急隊員や警察官たちが忙しく動き回っていた。


 彼らの吐息と体から立ち上る熱気でその一角だけが遠くからでも白く霞んで見えた。


 チャーリーは、少し離れた車の中から、その様子をぼんやり眺めていた。


 雨で、バスの黄色い車体も、真っ赤な字で大きく書かれた「Only」の文字も、白く霞んで見える。


 その残骸から続々と運び出される白い担架とその列に時おり混じる黒色が、まるで規則正しく配列され進行する音符のように感じられた。


 もう何回目かもわからない、腕時計を見た。


 現場に到着してから既に2時間近く経過していた。


 飛び出して行きたいのはやまやまだが、そのまま待機せよとの命令を受けては、勝手に出歩くこともできない。


 遅れてきた自分達が今さら出ていったところで、何かの役に立つとは思えないが、それでも他人が忙しくしているのをただ眺めているだけでは辛いものだ。


 ただもどかしいだけではなく、別の理由で自分達が疎外されているのではないかと、そちらの方が気になってしまう。


 この武装警察部隊は、名前こそ警察とついているが、およそ警察の本来の仕事とは言い難い、血生臭い戦闘に明け暮れている集団であり、あらゆる意味で警察の主流からは遠かった。


 「死体にたかる蠅」だの、「餓狼の群れ」だの、他の警察の人間が、自分達の事を影でそう呼んでいる事は、チャーリーならずとも知っている。表面上は自分たちの事を恐れ、近づく事も避けているようにえるが、その実、心の中では人間以下の存在と見ているのだ。


 蝿か。


チャーリーは薄笑いした。

行く先々で死体の山となる自分達には、相応しいかもしれない。


コンコンと、窓を叩く音がした。


見ると窓のそばに制服の警察官が 立っていた。終わったのでどうぞと言われ、チャーリーは車から出てバスの残骸に近づいた。車体に近づくだけで雨に混じって血の匂いがした。


 車内は、一面血の海だった。


「死体は見たかい」


後ろからアリサが話しかけてきた。


「すごかった。まるで紙細工みたいだ。頭も胸もぺしゃんこだ」


興奮を隠しきれないのか、声が上ずっている。


「面白くはないでしょう」


犠牲者の中には子供もいるかもしれない。

子を失くした親の気持ちを考えると、やりきれなかった。


「生存者はいるんですか?」


チャーリーは制服の警察官に尋ねた。


「いますよ。話ができそうな軽傷者は、あちらに集めておきました」


警察官は、安物のレインコートの襟から雨が染み込むのを気にしながら答えた。


 軽傷者は、バスから少し離れた場所にシートを引き、野戦テントを張っただけの場所に固まって座っていた。

 チャーリーは、そちらに近寄った。


 いずれも額や頬に赤い血の滲んだガーゼを貼り付けられ、あるものは三角巾で腕を吊り、一様に虚ろな目で降りしきる雨を見つめていた。


 ただ黒いだけの生気のない眼に、雨が写りこんでいた。


 身振り手振りを交えながら、大声で何事かを質問していた制服の警察官が、近づいてきたチャーリーに気がつくと、困りきった顔を向けてきた。


「訛りが酷くて」


 警察官は、軽傷者のひとりを指差して言った。


「何を言ってるのかさっぱり分かりません」


 チャーリーは警察官が指差している男を見た。


 年齢は、顔の日焼けや皺の具合から見ると50前後ぐらいだろうか。やはりこの男も、頬に血の滲んだガーゼを張り付けていた。

 自分の父親がもし生きていたら、これぐらいの年齢かも知れない、と思った。


「代わります」


 チャーリーがそう言うと、制服警官は一瞬意外そうな顔をしたが、よろしくお願いしますと言って、雨の中に駆け出していった。


 さて。


「何を見たか教えてもらえますか」

チャーリーは努めてゆっくりと尋ねた。


 男の話は要領を得なかった。


 おまけに、なるほど、酷い東部鈍りだった。これには、東部出身のチャーリーも辟易した。何を言っているのか、半分も理解できないのである。

 それでも辛抱強く言い回しを変え、口調を変え、同じ質問を何度も繰り返し、小一時間ばかりを費やして、ようやく幾つかの断片的な情報を聞き出した。


 男の名はハリソンというらしかった。事件があった時は、バスの一番後ろに座っていた。


 仕事帰りで疲れていて、うたた寝をしていた。それで騒ぎが起きて目を覚ました時、


「黒い影が見えたんです」


それが座席をなぎ倒しながら、自分の方に向かって来たのだという。


「影、ですか」


それが何なのかは、チャーリーにもまだよく分からない。


「それでその影は、そのあとどうしたんです」


「わかりません。 いつのまにか消えていたんです」

ハリソンはぼそぼそとそう答えた。


「そうですか」


「急に消えたなら、テレポートかもしれない。それなら空間に残留している痕跡から座表を割り出せるかも」


エリカが急に後から話かけてきた。


こいつは何時から話を聞いていたのだろう。いや、それ以前に、いつから後ろにいたのか・・・。


「割り出せるのなら早く・・・」


「もう割り出した」


エリかはあっさり答えた。まるでチャーリーの問いを予想していたかのようだった。


「早いね」


「痕跡がね。大分残ってたし」

エリカはそう答えると、さっさと向こうに行ってしまった。


チャーリーは鋭い眼差しで、エリカの背中を見つめた。



2.交戦


 降りしきる雨の中、隊員達は、エリカが割り出した座標付近にあるアパート付近に集まった。


 近隣住民からの情報によると、そのアパートは大分前から廃墟と化していたが、最近になってある一部屋の窓に人影が映るのを見た住民がいる。


 第一目標は決まった。

 もしここが敵の巣だとすると、狭い場所での乱戦が予想された。

 それも街中である。

 銃は使いにくい。


 剣にしよう、ということになった。


 狭い場所で、しかも乱戦となると、人数が多いと邪魔になる。腕のたつ者だけを選抜し、残りは逃がさないよう周囲の警備に充てた。


 選抜者は、全部で6人。

 いずれも錬磨の巧者である。

 それを2人ずつ3組に分けた。


 チャーリーは、少し離れた、建物全体が見渡せるビルの屋上に陣取った。ここからは、三つの入り口がよく見える。


 クリスが真ん中の入り口に向かっていくのが見えた。やはり体調が良くないのか、足取りが重いように見える。


 全員が配置についた。音もなく開始の合図が出て、戦闘の火蓋が切られた。

 3組の隊員が猛然と入り口に突進し、階段をかけ上っていく、その無駄のない動作がよく見えた。


 チャーリーは隊員達の動きをじっと見つめていた。その時、急に視界の端に黒い影が見えた。


「来たぞ! 」


  全員に呼び掛けた。


 最初に「それ」と遭遇したのは、右端の階段を登っていた、エリザ・ドゥーゼとニコラ・リンチの2人組立った。


 エリザ。リビア出身。


 小柄だが、猟犬のように足が速い。

 性格は、勇猛だが、極めて好戦的。粗暴そのものである。

 

 恐怖や慈悲、哀れみといった言葉は、彼女の生きている世界にはない。


 まず先を行っていた彼女が、残りの3段程を一気に踏み越えた。


 廊下に飛び出すや否や、片足を踏み込み、火を吹くような胴切りを見舞った。


 確かに、まともに捉えたように見えた。

 が、剣が通らない。まるで分厚い鉄板を叩いたように跳ね返されてしまった。


 さらに、袈裟斬りを連続で見舞ったが、これも通らない。


 足を踏ん張り、胴に渾身の一撃を見舞った。

 が、この胴への一撃は手応えがさらに固かったのか、たたらを踏んで身体がバランスを崩した。


 さらに追撃しようと、慌てて無理に体を立て直そうとした。

 これがよくなかった。相手との距離を詰めすぎていた。


 そのせいで、凪払うように伸びてくる腕のような影への反応が遅れた。


 エリザ身体が宙を飛び、そのまま柵を乗り越えて、地面に落下した。


 リンチはエリザの転落を見ても、構わず突進した。


 負傷者の救助よりも、戦闘で敵を倒すことを優先する事。

 絶対として、隊規で決められている。


 破れば、死。

 

 クリスはその時、真ん中の階段半ば辺りにいたが、戦闘が始まったのを察知し、残りの段を一気に踏み越えて廊下に飛び出した。


 そこで初めて、その黒い塊と対面した。


 しかし、いったん戦闘になると異常なほど迸り出るアドレナリンが、全ての恐怖心を凌駕した。アドレナリンが、彼女の思考をより鋭敏にした。


 狭い廊下だった。


 クリスは肘が地面につくほど姿勢を下げると、そのまま敵に向かって突進した。


疾走する耳元で、風が唸りを上げた。靴が小石を噛み、火花が散った。


 瞬く間に間合いに入った。左肘を引き、剣を目一杯身体に引きつけると、摩擦で発火しそうな高速袈裟斬りが、黒い影を斜めに切り裂いた。


 黒い影は左斜め上から二つに分かれた。


 いやな手応えがした。生き物の体を斬ったときの手応えではない。まるで俎板に置いた野菜を両手で押し切ったときのような、「ごっとん」という重鈍い感触だった。


 しかし、尚も右から影を腕のように伸ばして、クリスを打ち据えようとしてきた。


 クリスは素早く飛び退いてかわした。腕がコンクリートの床にぶつかり、拳大に穿った。衝撃で、古い建物全体がぐらりと軋んだ。


 影の腕がうねり、追撃がさらにクリスを襲ってきた。


 後ろに飛び下がって避けながら、体制を立て直し、身体を沈めると、真下から擦り上げる剣で反撃に転じた。閃光が腕を一周した。


 が、今度は、さらに奇妙な手応え だった。まるで空気を切ったように 剣は影をすり抜け、空中を泳いだ。

「え?」


 さらに追撃が襲ってきた。

 クリスはこれをかわすと、踏み込んで伸びてきた腕を斜めに切り下げた。

が、切れない。剣先は相手を捉えているにもかかわらず、まるで素振りをしているように手応えがない。


 リンチが反対側から駆け寄ってきて、袈裟斬りを見舞った。


 東部出身のこの少女もエリザと同じ16歳。足は遅いが、長身で剛力。力押しなら右に出る者はない。

 が、やはり手応えはないようだ。


「頭を下げてください!」


 左端の階段を登っていた2人がようやく追い付いてきた。


 クリスが頭を下げると同時に、魔力砲が尾を引いて頭上をすり抜けていった。銃を撃つな、と言ったのに、とクリスはちらりと思った。


 しかし、影にはあたることなく、虚しく身体をすり抜けて空中に消えていった。

 さらに2発。しかし効き目はない。


 クリスはさらに連続で攻撃を見舞った。しかし、そのどれも、虚しく虚空を斬った。


 腕がまたクリスの方に伸びてきた。今度の攻撃は、一段早かった。間一髪、頭を下げてこれをかわしたが、後ろの2人は壁際で逃げ場を失っていた。


 薄暗く、視界が悪く、反応が遅れた。1人が地面に転落し、1人が壁にめり込むほど叩きつけられた。


 さらに、クリスの後ろに続いていた一人も、撥ね飛ばされて頭を強打し、昏倒した。


 既に戦力の大半を失った。もはや、勝敗は明らかだった。


「退却だ・・・退却する。負傷者を回収しろ、急げ」


3.闇に紛れて


 重症3名。戦果なし。


 死者こそ出さなかったものの、隊の主力を投入したにも関わらずほとんど惨敗に終わったことは、隊員たちに少なからぬ動揺を与えた。


 長官は、全部隊員を集めて、会議を開いた。


 たが、正体も分からず、攻撃も当たらない敵相手に妙案があるはずもない。

 皆沈黙してしまった。


 重苦しい空気が流れる。誰も何かを言わなければならないとしているが、何を言えばいいのか分からないようだった。


 この長官は、とにかく無駄な時間を嫌う。


「もういい。今日は終わりだ」


 長官は短く言い、隊員たちはぞろぞろと退出していった。


 長官は、全体の会合が終わった後、エリカだけを私室に呼んだ。


 そして、「お前の仕事だ」とそれだけ告げて、後はじっと黙っていた。


 エリカも察しはいい。


 わずかに一言だけで、長官の意を汲み取り、


「分かりました」とだけ返事をした。


「どうする」


「あれは・・・変身術の一種だと思います。体をガス状に変形させる・・・。しかも強度・硬軟の変形も自由らしい。本体をやるしかありません」


「目星は」


「既に」


エリカの口調は淡々としている。


「逃げられたら、どうする」


「追いかけられます」


 長官は横を向いてまだ何かを考えていたが、納得したのか、そうかと答えた。


「いつ」


「明日」


 エリカは、即答した。


 古びたアパートの一室で、ミシェルは机に突っ伏したまま、退屈をもて余していた。


 机の上には書きかけの絵があった。さすがに一日中絵ばかり書いていれば、そのうち飽きてしまう。


 外へ出かけようにも、ひどい雨のようだった。


 何時もならばやって来て退屈をまぎらわしてくれるはずのサムも、今日は忙しいのか、来る気配がない。


 雨のせいで、部屋の中の湿気が酷かった。


 ミシェルは我慢できず、窓に近づき、雨が入らないよう気を付けながら、窓をほんの少しだけ開けた。


 冷えた風が、雨に混じって吹き込んだ。


 (今日はサム、こないのかな。この前は、雨の日でも来てくれたのに)


 そう思って、開いた窓を閉じ、またテーブルに戻ろうとした時、ぴしゃっと、急に背後で水の滴るような音がした。


 ミシェルはさっと振り返ったが、そこには何もなかった。


 ミシェルは顔をテーブルの方に戻した。そのまま、彼女は凍りついた。


 テーブルと彼女の間、つい先程までは、確かに誰もいなかったはずの空間に、人が立っていた。


 全身ずぶ濡れで、前髪からも上着の端からも、ぽたぽたと水滴が滴っていた。


「誰?」

突然の出来に、彼女はまだ自分の置かれた状況を十分把握できていなかった。


「ミシェル?」

 その人物は、質問には答えず、逆に聞き返してきた。


「そうだけど・・・あなたは?」


 答えはなかった。代わりに、手元がきらりと光った。


「おやすみ」


 ミシェルは、そう呟く声を聞いた気がした。


 ミシェルの理性はこの期に及んでもまだ状況を理解できていなかったが、彼女の本能は危険を察知していた。


 じわじわと上半身を霧状に変形させようとしたが、攻撃が、変身速度を上回っていた。


 ナイフが音もなくミシェルの首筋に突き刺さり、頸動脈を切断した。


 刃と皮膚の間から、真っ赤な血が二つに別れて噴出した。


 床に倒れた彼女が完全に絶命したのを確認すると、エリカ・スズキは一つ大きく息を吐いた。


 きわどい勝負だったと思った。完全に変身されていたら勝ち目はなかった。


 今更に、人違いでないか確認した一手間を後悔した。


 雨と返り血でずぶ濡れの衣服を、素早く用意の着替えに着替えると、それまで着ていた衣服を魔術の炎で焼却した。


 血まみれのナイフを手に持ったままであることに気がつき、これをどうしようかと考えていたその時、階下から誰かが上がってくる気配を感じて、エリカはさっと上着の裾を翻した。


 その日の深夜、ゴミが散乱する薄汚れた路地裏を、一羽の蝶が飛んでいた。

 ブルーの羽に月明かりを浴びて、ゆらゆらと羽ばたく様は、まるで亡者の人魂が飛んでいるようだった。


 周囲に人の気配がないことを確認すると、エリカは変身を解いて、蝶から人間の姿に戻った。


 変身術。


 エリカがこの術が使える事を知っているのは、自分自身の他は、長官しかいない。

 古い付き合いのチャーリーやクリスも、彼女のこの術については知らない。


 今夜、彼女が行った任務についても、彼女自身とそれを命じた長官以外には、おそらく誰も知るものはないだろう。


 それでいい、とエリカは思う。


 もし誰が本物であるか分からないとなったら、隊内に憶測を呼び、疑心暗鬼のもとになるだろう。

 何も起こっていない。そう信じている間が、誰にとっても一番幸せなのだ。

 

 例え、それが幻想に過ぎなかったとしても。


 何となく夜空を見上げた。


 生きている人を手にかけたことにについて、特に何の感情も湧いてこない自分が不思議で、また不気味でもあった。


 まるで心の大事な部分にぽっかり穴が空いてしまったように、エリカの気持ちは平坦だった。


 雨が上がったばかりの夜は冷えた。


 虚ろな心の内を見透かした様に、どこからか冷めた風が吹いてきて、エリカの身体を震わせた。


 突然、エリカは平坦だった心がざわつき出すのを感じた。


 こんな日は、早く帰るに限る。


 そう思うと、彼女は足早に、夜の闇に溶け込むように姿を消した。


 容疑者死亡。捜査終了。


 数日後、チャーリーとクリスに与えられた連絡は、ただそれだけだった。


 二人がどれだけ抗議し、説明を求めて食い下ろうと、ついにそれ以上の子細が知らされることはなかった。

























まだ続きます。

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