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雨とまぼろし⑤


深夜の街角に、黒塗りの軍用車が1台、ひっそりと停車していた。


この時間になっても人通りが全くない場所ではないが,暗闇に溶け込む車体の色に加えて、魔術により視覚・触覚を奪う偽装が完璧に施されている。


普通の人間はたとえ顔がくっつくほど近付いたとしてもこの車両を目視することはできないし、触れたとしても触れていることには気がつかないだろう。


中には4人の人間が乗っていた。


そのうちの一人、運転席に座っているチャーリー・テイラーは、襲い来る睡魔と闘っていた。


固く狭く、普段なら座っているだけで苦痛なはずの座席の上でも、彼女の頭は左右に傾ぎ、何度か窓ガラスに側頭部を衝突させた。

顔が冷たい窓ガラスに触れる度、彼女は電気に撃たれたように跳ね起きるが、すぐまた眠りの中に引き戻された。


彼女はこの5日間ほど、夜間は車内で仮眠して朝方に基地に戻り、簡単に身支度をしてまた出動するという生活を繰り返していた。


最初の事件から相当な時間が経過しているもかかわらず、全く何の手がかりもない警察は、ついに最後の-最も原始的な-手段に打って出た。

すなわち、人海戦術-街という街、通りという通りにあらかじめ人員を配置し、徹底した検問・監視と情報収集を行う方法-である。


武装警察部隊とてその例外ではなかった。

いや、むしろ、事の初めに、この事件は自分達の領分だ、手出しは不要と言い切った経緯がある手前、何としても自分達で事件を解決しなければならないというのが、隊員逹の本音であった。


そうでなければ、警察の中ですら、何かと軋轢の多いこの部隊の立ち位置が、より一層微妙な物になってしまう。


部隊上層部が、内部からの少なからぬ抵抗を押し切って、他の協力を仰いだ事は、もはや事態がそこまで切迫しつつあることを示すと同時に、これまでの部隊の活動が何らの成果も上げていないことを自ら認めるものであり、隊員達の忸怩たる思いは強かった。


もっとも、こんな大雑把なやり方で犯人が捕まると大真面目に考えている者は隊員の中にも少なかった。

これだけ監視の目がある中にのこのこ出てきてもらって捕まえられるのであれば、よほど間抜けな相手ということになる。

それはさすがに相手を見くびりすぎであろう。


隊員達の本音はむしろ、これだけ多人数を投入した監視の目があれば、次の事件は起きないのではないかと言うことにあった。

それは多分に希望的観測を含むものであったが、その程度の期待値であっても、効果が多少なりとも見込まれる以上はこれをやらねばならぬという判断に、部隊としての焦燥の深さが現れていた。


細く、頼りない解決の糸口を求め、文字通り藁をも掴む思いであった。


ともあれ、武装警察部隊としては、初動の失敗により既に捜査の主導権を失いつつあり、事の成り行き上としても、事件の解決に繋がる可能性のある捜査には協力を拒めない立場であった。


そうであるからこそ、隊員達は一切の不満を封殺し、不足気味の人員を何とか遣り繰りして、連日、方々に出動を繰り返していた。

しかしながら、昼夜分かたぬ連日の出動は隊員達の心身を深く蝕みつつあり、作戦開始から2週間以上経っても目立った成果がないことも相まって、既に消耗も限界に近づきつつあった。


チャーリーとて例外ではなく、この時間に至っては意識を保っている事も困難で、まともに監視の役割を果たしていなかった


他の隊員も似たり寄ったりで、特に、後部座席の2人、エリカ・スズキとアリサ・スカーレットは、1時間ほど前からシートに寄りかかったまま身動きひとつしない。完全に眠っているようだった。


ただ唯一、助手席に座っているクリス・ハーディングだけが、真っ暗な車外をじっと見つめ続けていた。


彼女はそれまで、以前の戦闘で負った重傷のため入院していたがこの作戦が始まる直前に病院から退院してきた。


それが彼女自身の希望によるものなのか誰か他人の指示によるものかは分からないが、少なくとも彼女の体調が良くないと言うことは確かなようだった。

僅かな時間でも横になっていることが多く、顔色も悪かった。

腕が痛いのか、しょっちゅう顔を歪めたり、腕を気にするような仕草をしていた。


今も疲れた顔をしているのに、眠りに落ちる気配がないのはそのためかもしれないと、チャーリーは思っていた。


クリスがまた苦しそうに顔を歪めた。

「その鞄を取ってくれないか」

クリスはチャーリーが渡した鞄の中の茶色の箱を取り出し、中に入っていた注射器を自分の右腕に突き刺した。

ピストンを一度くと、筒の中に赤黒い血が充満した。

それを再び血管に押し込み、ふっと荒い息をついた。

目の下に黒々とした隈ができていた。


「何ですかそれ」

「お前が知る必要はない」

クリスは切り捨てるように言った。

「今何を打ったんだ」

いつの間に起きていたのか、今度は後部座席からアリサが聞いた。

「いつから起きてたんですか。寝たふりとは人が悪い」

クリスは顔を背け、あからさまに話を反らした。

「クリス」

「・・・」

「医者としては見過ごせないな」

「お医者様でしたか。それは存じ上げず、申し訳ありません」

「説明できない物か。しかるべき所に報告してもいいのか」

「・・・シャーロック・ホームズが使っているのと同じですよ・・・。心配して頂かなくてもちゃんと医者に処方してもらったものです」

クリスは生気のない声で答えた。

「処方箋を見せてみろ」

クリスは折り畳んだ紙を胸ポケットから出して渡した。

「これはお前の字だろ」

アリサはそれを一瞥するなり言った。そして呆れたようなため息をついた。半分は予想していたような顔だった。


「クリス・・・・・・合法かどうかじゃないだろ。そういう物を使うのは感心しない」


「必要な物です・・・。後がどうなろうと、今だけでも何かの役に立つのであれば、それだけで価値はあります」


それは、或いは彼女自身の事か。


「クリス」

アリサは責めるような口調をやや和らげて言った。

「もっと自分のことを大事にした方がいい。いや、すべきだよ。確かに昔はいろいろあったけど、お前はこの国に十分尽くしてきただろ」

クリスは何も答えなかった。

会話についていけていないチャーリーはぽかんとした顔をしていた。



サマンサ・ロックハートはとあるアパートの一室に入った。


7、8歳ぐらいの金髪の少女が、床に座り込んで一心不乱に絵を書いていた。

絵には4人ほどの人物らしきものが描かれ、そのうち2人は赤いクレヨンのようなもので塗りたくられていた。


「こんにちはミシェル」

「サム!こんにちは」

ミシェルは嬉しそうに言った。


「絵を書いてたの?」

「そう。弟のルーク」

「上手だね。こっちは何かな?」

「リンジー」

「妹?」

「そう」

「そうなんだ。じゃあ・・・こっちは?」

サムは真っ赤に塗りたくられている人物を指差して言った。

「パパとママ」

ミシェルは抑揚のない声で言った。


「パパとママは、どこに行ったのかな?」

サムの声は、大好きなデザートが来るのを待っている子供のように上ずっていた。


「死んだわ」

ミシェルは即答した。


「誰かに殺されたのかな」

「そうよ」

「誰に?」

「兵隊」

サムは満足げに頷いた。


「兵隊をやっつけたい?」

「ええ」


サムは再び満足げに頷いた。

「きっとたくさんの兵隊をやっつけられるよ。今度はね」

そう言って、彼女に笑って見せた。


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