過去世の記憶(その二)
僕たちは一目で恋に落ちた。
見つめ合った瞬間、僕たちは身動き
出来ないくらいの強い衝撃を受けた
んだ。
不思議とお互いに、相手も同じ気持ち
なのが分かった。
その日は、パーティー会場で主催者
から紹介を受け、お互いに名乗り合
って、握手を交わしただけ。
だけど翌日、僕はクラウディアの使者
から彼女の手紙を受け取ったんだ。
その時代の僕は無教養で、文字もあま
り読めなかったけど、長文の手紙には
最後の方にこう書いてあった。
『マリウス様 昨日、初めてお目にかか
った時から、私はあなたのことが忘れ
られません。是非もう一度お会いした
いのです。』
僕もパーティーの後、彼女の姿が目に
焼き付いて頭から離れなかった。
僕も全く同じ気持ちだった。
僕は矢も盾もたまらず、クラウディア
の屋敷に直ぐに駆けつけたんだ。
そしてパーティーの翌日から、僕たち
の交際はスタートした。
◇◇
クラウディアは心が優しかったから、
これまで剣闘会を一度も観たことが
なかった。
彼女には人が死ぬのを観て楽しむ
人間の心理が全く理解出来なかっ
たんだ。
彼女は当時、古代ローマ最大の娯楽と
された剣闘会には全く関心を示さず、
専ら学問と芸術にいそしんだ。
彼女のそういうところにも僕は惹かれ
たんだ。
僕と付き合い始めてからも、クラウ
ディアは剣闘会場には、ついに一度
も足を踏み入れることはなかった。
試合の日は、いつも僕の無事を願って
神殿でお祈りを捧げてくれたんだ。
オフの日は、庭園を散策しながら
クラウディアがホメーロスの叙事
詩や、ギリシャ神話を僕に話して
聞かせてくれた。
僕は庭園の芝生に寝転がって、
クラウディアの話を聞くのが
大好きだった。
彼女はメチャクチャ長い神話や
叙事詩を、ほぼ完璧に暗唱する
ことが出来たんだ。
無教養な僕はとても驚いたし英雄
オデッセウスの物語や、ゼウスや
アポロンなどギリシャ神話の神々
の物語に夢中になった。
クラウディアのおかげで、僕の荒んだ
心は徐々に癒されて行ったんだ。
やがて僕たちは結ばれて、結婚する
約束を交わした。
だけど、クラウディアの父親の強行な
反対に合ったんだ。
◇◇
「剣闘士風情に私の大事な娘をやる
わけにはいかん。マリウスよ、君が
クラウディアとの結婚を望むなら、
剣闘士を辞めてからにしたまえ」
と言うのが、父ユリウスの言い分
だった。
僕はもっともな意見だと思った。
確かに剣闘士なんて明日をも
知れぬ命だ。
試合に負けることは即、
死を意味する。
いくら腕に覚えがあるからと
言っても、人間、年齢には勝
てない。
僕もその頃は既に二十八歳になって
たし、そろそろ引退の時期が近づい
て来てたんだ。
その頃の剣闘士は普通、四、五年の間
に二十戦くらい戦って、二十代前半か
遅くとも三十代に達する前に引退する
者が多かった。
多かったと言っても、九割くらいは
途中で死ぬんだけど。
運良く生き延びれば、その証明に
ルディスという木剣が与えられ、
元奴隷や捕虜であっても、自由が
確保され、住居も与えられて良い
暮らしが出来た。
たとえ自由民から剣闘士になった
者でも、この掟には逆らえなかっ
たんだ。
だから僕は、クラウディアの父親に
こう聞いたんだ。
「ではユリウス様、私が生き残って
ルディスの木剣を手にしたら、クラ
ウディアとの結婚を認めてもらえま
すか?」
「もちろんだ、約束しよう」
言下に、クラウディアの父親は
答えた。
◇◇
それで僕は、当時円形闘技場が建設
されたばかりで、剣闘会の試合が盛
んだったミラノに移住することにな
ったんだ。
儲かるから興行師も賛成してくれた。
この興行師は顔付きとは裏腹に、
実際は凄く良い人だった。
僕の悩みを親身になって色々と
聞いてくれたんだ。
僕はそれまで、二年間で八戦八勝
してた。
ルディスをもらうためには、あと
十二試合は闘う必要があった。
普通の剣闘士の生涯成績は、大体十勝
二敗八引分くらいで引退するんだ。
負けても、頑張って観客を楽しませ
たと認められれば、観衆が親指を上
に突き上げて助命、親指を下に向け
たら死刑の判断を下す。
だから、僕はかなり良い成績を
挙げてた。
ミラノで年間六試合戦えば二年で
ローマに帰れる計算だ。
ローマに居たら三年はかかるし、
歳をとって反射神経や体力が衰え
る可能性もある。
僕は早く自由の身になって、クラウ
ディアと一緒になりたかった。
僕がミラノに旅立つ前の晩は、クラウ
ディアがお忍びで、街外れにある狭い
石造りの僕の住居まで来てくれた。
僕たちは愛し合い再会を誓い合った。
「マリウス、必ず帰って来てね。私、
毎日神様にお祈りして暮らすわ。もし
あなたが死んだら私も死ぬ。私たち、
永遠に一緒よ」
クラウディアは泣きながら、
僕に言ったんだ。
「クラウディア、心配しないでくれ。
僕は誰にも負けない。必ず帰って来
るよ」
僕は彼女を強く抱きしめて
誓ったんだ。
◇◇
驚いたのは、僕がジェノヴァの街まで
来た時だった。
ローマを発って五日目、ミラノまで
あと少しだった。
僕が剣闘士団の仲間たちと一緒に
ジェノヴァの港でくつろいでると、
どこからかクラウディアの声が聞
こえて来たんだ。
「マリウスさまー!」
声の方を振り向くと、クラウディアが
ローマ服の裾をたくし上げ、手を振り
ながら港町の歩道を僕に向かって駆け
て来るところだった。
僕も嬉しくなって駆け出した。
彼女を抱き留めると、クラウディアは
体を震わせながらこう言ったんだ。
「マリウス、私、あなたを追いかけて
来たの! 私やっぱり、あなたと離れて
暮らせない。もうどうなってもいい。
私、この先あなたの側から絶対に離れ
ない!」
僕は感動して泣いたんだ。
死ぬ覚悟がないとこんなことは
出来ない。
彼女は貴族の地位も名誉も何もかも
捨てて僕のことろに来てくれたんだ。
「ありがとう、クラウディア、
僕も二度と君を離さないよ!」
僕は彼女を強く抱きしめて
誓ったんだ。
僕も実際、クラウディアと二年も
離れて暮らす自信は無かった。
もし試合に負けたらって思うと、
焦燥感で夜も眠れなくなる時が
あったんだ。
こんな状態で二年も耐えられるか
どうか、とても不安だった。
彼女が来てくれたお陰で、僕は常に
試合に集中することが出来たんだ。
◇◇
僕たちはその後、ミラノの街の郊外に
新居を構えた。
石造りの小さな家だったけど、
小綺麗で住みやすかった。
興行師が僕たちのために用意して
くれたんだ。
不思議だったのはその後クラウディア
の父親が追手を寄越さなかったことな
んだ。
追手が来たら僕はまず話し合うつもり
だった。
でも相手が実力行使で来た場合は、
剣闘士団の仲間たちと戦って、僕は
クラウディアと一緒に国外へ逃げる
つもりだったんだ。
僕の仲間たちは、お互いに明日をも
知れぬ命だし、人一倍勇気があった。
みんな気の良い奴らばかりなんだ。
僕はみんなから尊敬を受けてたし、
仲間たちの方から快よく協力を申し
出てくれたんだ。
だけど、追手は一向に来なかった。
たぶん、クラウディアの父親が諦めて
くれたんだろうと僕は思った。
◇◇
そのうちに二年の月日が流れ去った。
僕はミラノでも連勝を重ね生涯通算
成績二十戦全勝の記録を打ち立て、
ルディスの木剣を拝受した。
クラウディアとの間には女児をもうけ
ユーリアと名付けた。
僕とクラウディアは剣闘士団を離れ、
ローマに帰ることになった。
クラウディアの父親に詫びを入れ、
許しを乞うつもりだったんだ。
父親は追手も寄越さなかったし、暗に
僕とクラウディアの結婚を認めてくれ
たものだと僕は思ってた。
「ユーリアを見れば、お父様もきっと
許してくださるわ。だって、お父様の
可愛い初孫なんですもの。あなたも、
木剣を授かったし、約束は果たしたん
だから、安心して」
って、クラウディアも言ってくれた。
ところがローマに着くと、僕たちは
意外な事実に直面してしまうんだ。




