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地底の星空

作者: 矢口ひかげ
掲載日:2018/09/08

「おーい、ごめん。遅くなった!」


 校門の傍には既に友人Kの姿があった。僕は待ち合わせに遅れて来たことを謝ったが、Kはそんなこと気にも留めず、「はやく行こうぜ」と自転車のサドルに跨って僕を急かした。彼も早く出発したくて仕方がないのだろう。


 まだ背徳感がなくなったわけではないが、僕も彼の計画に興味がなかったわけでもない。何よりも、僕は星空が見たくて見たくてたまらなかった。


 自転車のペダルを力いっぱい踏みしめる。僕たちは北のトンネルへと一直線に向かった。




 こうして僕たちの一夜限りの短い旅が始まった。




  ***




 物心がつく前から自然が大好きだった僕が特に好んでいたのは、天文だった。


 数年前に初めて町の科学館のプラネタリウムで見た人口の星空は、天井が無数の斑点で描かれているだけなのに、僕は片時も目を離すことができなかった。ただ、ただ、その無数の光点に心を奪われ、星に関係するものには特段反応して関心を抱き、気が付けば部屋の本棚には天文学関係の書籍で埋め尽くされていた。


 どの本にも記述されていることに、空には一際輝くものから目に見えないもの、青白いものから赤茶けたもの、連星を成しているものから星団を作っているものまで、様々な星が散りばめられているそうだ。昔の人は分かりやすく目に見える恒星と恒星を直線で結んで「星座」というのを作り出して、どこに何の星が見えるのか、農耕や航海に用いて人と星は生活を共にしてきたらしい。銀河やブラックホールといった遠く理論的なものよりも、僕はそういうことについて非常に興味があった。


 僕は生まれてこのかた、本当の星空を見たことがない。見ることができない。


それは僕に限らず皆見たことがないはずだ。




 見上げたら、そこには補強された白い天井。


 本物の太陽を模した大きな人工太陽が一つ。半径五キロほどの地下ドームにあるこの町を照らしている。


 人工太陽は午後五時から明かりは弱まり、午後七時にかけて漸移的に天井にぶら下がっている太陽は明かりを失っていく。夜には太陽は消え、明朝に備えて太陽内でエネルギーを蓄積する。一晩中待っていても、太陽に代わる月や、ましてや無数の星なんて現れることはなかった。まるで昼しか映さない巨大なプラネタリウムだ。


 僕らは地面の中で生きている。この町だけじゃない。こういったドームがトンネルを介してアリの巣のように地中に分布している。


 小学二年生の国語の教科書に書いてある確かな事実だ。いつからこの街が形成されて、何で僕たちが地下で生活をしているのか。僕は知らない。歴史はまだ平安時代までしか学んでいないから。もしかしたら教科書に記されていたかもしれないし、どこかで聞いたことがあるかもしれないけど、あまり興味が湧かなくほとんど内容を忘れてしまった。


 ただ、覚えていることは二つ。




 昔の人々は地上で文明を築き上げていた、ということ。


 そして、今は地上の世界へ出てはいけない、ということだ。




 そうして小学五年生の八月。僕は今日まで本物の星空を見ないまま月日を過ごしていた。


 そういった中、帰宅の最中に友達からこんな提案があった。


「なあ、地上にでてみないか?」


「え?」


 僕は驚いた。それは今までずっと禁止されていた。大人に聞かれたらものすごい剣幕で叱られる、いわばタブーだからだ。


「でも、先生からもお父さんお母さんからもダメだって言われているし……。大体どうやっていくのさ?」


「学校から北に数キロ行ったところに、A町に通じる古びたトンネルがあるだろ? あそこのトンネルの中に途中に旧坑道が通っていたらしいんだ。どうもそこから地上へでられるらしい」


「……それって学校の七不思議とか何かでしょ? 本当のことかどうか分からないじゃないか」


「それがこの前遊び半分に確認しにいったら、本当にあったんだ。ただ真っ暗で足元が見えないし、ライトなしで奥まで進むのは危険だったから奥までは行ってないけど。前から興味はあったけど、いざ行けると思うとなんだかいてもたってもいられなくて。もし本当に外の世界へと通じる道だとしたら、俺は外がどんな世界なのか気になるんだ。お前だってそうだろう?」


「うっ……」


 彼の問いかけに僕は否定できなかった。実は僕も興味があったし、何度も夢見ていた。いつか自分が地上へでるその時を。本物の星を目にするその時を。


「言い返してこないなら決まりだな。じゃあ明日の午後十一時に、学校集合で」


 そういってKは僕の返事を待たずして、手を振りながら分かれ道を右に行った。僕は茫然とその場に立ちすくんでしまう。


 僕のからだに好奇心と罪悪感が渦巻く。地面が揺れているような感覚に陥る。


 午後五時の町内アナウンスが鳴り響く。少しだけ町が薄暗くなった気がした。




――当日。僕は必要な道具だけを鞄にまとめた。


 赤色フィルターで光源を覆った懐中電灯と、坑道を照らすための懐中電灯の二つ。もしものための水と食料。バンドエイドと消毒液。重たくなると坑道で身動きが取れないと予想し、持っていくのは必要最低限に留めた。


 外は呼吸ができるのか? そう不安に駆られては酸素の詰まったスプレーとチューブを鞄に詰める。外は天井がないから熱が大気に放出されて寒くなるかもしれない。そう懸念して上着を数着羽織る。地上の世界がどのような環境なのか、頭の中で想像しては必要そうなものを適宜詰め込んだ。


 親には言うと絶対に止められるので件は話さなかった。親が寝付く時を伺い、二階の窓からロープを垂らしてこっそりと家を抜け出した。自転車に跨りいつもの通学路で学校へと向かった。




  ***




 A町へ続くトンネル道は橙色の一筋のライトで照らされているが、隅まで光は届かず暗い。暗闇から怪物が出てこないかとかそういった不安はあったが、足元に十分注意しながら旧坑道の入口を探していた。


「確か前来たときはここらへんにあったはずだが……お、あった」


 単調に舗装されたトンネルにぽっかりとだけ開いた穴があった。入口は金網と南京錠で封鎖されている。そこから先は舗装されず岩肌がむき出しになっている。


 友人がポケットからクリップを取り出し、それを伸ばして鍵穴に差し込んだ。舌打ちをしながら慣れない手つきで弄っていたが、そこまで時間もかからずにこじ開けた。


 ここから先は明かりの明の字もない。懐中電灯を持ってきたのは正解だった。暗いのは別段怖くない。この先は踏み入れたことのない世界が広がっているんだ。その気持ちが勝っていた。一歩一歩足元が安定しているかどうか踏みしめながら進んでいく。踏みしめる度に身体の中から恐怖心や背徳感といった負の感情は抜け落ちていき、頭の中は純粋な好奇心と探求心で満たされていた。


 時々立ち止まってみては落石の心配はないか、坑道の上を照らしていた。ある地点では洞穴は四角い結晶の白金色の鉱物――黄鉄鉱だ――が反射してまるで星空のように煌いていた。


「綺麗だな……」


 Kも僕と一緒に立ち止まって見入っていた。でも見てみたいものはもっと先にある。それは黄鉄鉱よりもどれくらい綺麗なのだろう。


 体力が削れて苦しいながらも、次第に吸いこむ空気が冷たく透き通っていくのを感じた。そして、岩の割れ目から微かな光が見えた。


「あ。外! 外だ!」揃ってそう叫んだ。僕とKは急に元気になって慎重にけど、ペースを上げて出口に突き進んだ。


 出口はコンクリートの扉があったようだが、亀裂が生じて子ども一人がようやく通れるほどの穴ができていた。


 長く入り組んだ坑道を通り抜けるとそこは森林だった。


 僕は地上で初めての一歩を踏みしめた。足元の草木は露で湿っていた。地下にある植物にはこんなことないのに。洞穴からでたらすぐに星が見えるわけではなかった。頭上では風に揺らぐ木の葉がざわめく。何処からか水の流れる音も聞こえてくる。


 いつもとは違う、体温を奪うような寒さに思わず鞄からもう一着上着を取り出し羽織った。


「冷えるな……。身体が冷えきる前に早く森を抜けようぜ。蛍光塗料を持ってきた。これで歩いた道にしるしをつけながら北進しよう」


「うん」


 今までの懐中電灯から赤色電灯へ交換して、僕を先頭に森林がなくなるその場所まで前進した。先が見えない大木から踝までしかない雑草。ごつごつとした岩肌に張り付く湿った苔。目に映るもの全てが新鮮だった。


 やがて、木々は一本、一本と次第に数を減らしていき、木の隙間から真っ暗な、底のない深い空間が姿を現す。




 やがて崖に到達し、僕らは歩を止めた。




 耽美秀麗明媚美麗艶美。この感動を形容する文字がありすぎて、どれから口に溢せばいいのか分からなかった。


 満天の星空。瞬く恒星で空は埋め尽くされていた。前も後ろも右も左も。もう頭上には僕と星を遮る壁は何もない。


 呆気に取られ立ちすくむ僕たち。強い風が耳の裏を通り抜ける。


 星がたくさんありすぎてどれが何て名前なのか分からない。


 星夜を闊歩する灰色の煙の塊はなんだろうか。


 あれだけ本を読み込んだのに、いざ実物に直面した途端に、知識だけの世界は崩落して、そこには目にした真実が充填される。




「俺たちみたいに、昔の人はこの星空を見て宇宙へ行きたいとか思っていたのかもなぁ」


 Kが思わず溢した言葉に僕はハッとさせられた。


「……そうなのかもね」


 僕らはその場に座り込んで、脳裏に焼き付けるように上を見上げていた。


 あ、今日は下弦の月だ。白いもやが天の川だろうから、その中に輝くあれは白鳥座だろうか。ということは近くにベガとアルタイルがあるはず。


 ようやく目が慣れてきたという頃合いで、山際が朝焼けで少し明るくなり、帰らないといけない時間になった。


「そろそろ帰るか」とKが呟いて目線を下したとき、「おい、あれ……」と彼は遠くの盆地を指さした。僕は指の示す辺りを眺めた。一見ただの広い盆地に見えたが、視界に映り込むある物に気づき僕は思わず息を呑んだ。




 それは荒廃した建造物だった。細長い建物に数多の四角い節穴。先端は折れたように崩れていて、遠くからでもなお薄暗い中主張する。人工物の面影はわずかだった。そこだけではない目を凝らせばポツ、ポツ、と建造物らしき影がみられる。グニャリと湾曲した鉄塔が、列をなしていたりもした。その殆どが鉄の骨だけだった。盆地は都市の遺跡だったのだ。


 何故ここまで大きな街が滅びる運命を辿ったのか。一体何が起きたのか。




――そうだ。


 ふと忘れていた記憶が蘇る。それは小学二年生のときの、国語の教科書のお話だ。描写が残酷で恐ろしく、当時思わず泣きべそをかく子どももいた。




 ちきゅうのあちこちで、げんばくが、おとされました。


 げんばくで、ひとがたくさんしんで、まちはすべてきえてしまいました。


 くうきもよごれてすめなくなったので、いきのこったひとたちはみんな、ちかにあるぼうくうごうへ、ひなんしました。




 灰色で背景が塗りつぶされた、どんよりとした絵。それは地球規模の大きな戦争を表していた。空中を浮く鳥のような機械が魚のような黒い爆弾を落としている。爆弾が破裂し、熱と爆風が放出され、人は影だけを残して姿を消す。黒い煙と放射性物質が地球の空一面を覆いつくし空気を汚した。とても生活を営めない環境から逃げるように行き着いた先が、僕たちの住む地下ドームだったという。




 家に帰るまで僕たちは無言だった。僕とKはいけないことをして、いけないものを見てしまった。その罪悪感に押しつぶされる寸前だった。Kと僕は別れ際にこのことを他言しないという約束をして、次の日から何事もなかったフリをして、誰にもバレないように生活した。




 しかし、僕はどうしても伝えたかった。あの日みた満天の星空を。あの身体が身震いするような感動を、伝えたかった。




  ***




 あれから三十余年が経過した。僕は本物の星空を観測したことがきっかけとなり、あの日を境に必死になって天文学の知識を蓄えた。二十代に科学館の学芸員として働きはじめた。


 仕事に慣れてから、あの日にみた黄鉄鉱から着想を得て、地下ドームに星を投影するプロジェクトを始動させた。


 同僚も役所もこの企画に好意的で昨年、巨大光学式プラネタリウムを町の中心に近く背の高い建物――偶然にも自分の母校がそれ該当した――に設置し、無機質な天井に約四〇〇〇万もの星を投影させた。約二〇〇〇の町民には大盛況。来月ではA町での投影予定も決まってA町の住民は心待ちにしている。




 だが、恒星原板を通した光は、僕一人の心を揺さぶることができなかった。僕は、あの時の感動は二度と味わえないでいた。




 小学六年生の十一月。歴史の授業で地上の世界の真実を学んだ。


 今から三五〇年程前、世界大戦が勃発した。某諸国が敵国同士に原子爆弾を投下しあった。大気は放射線で汚染され、とても地上で生活を営めないと判断した人々は地下深くにドームを建設し、そこに一部の生物と人間を避難させた。


 あたかもノアの方舟のように。ただ異なるのは人類を滅ぼしたのは人類自らの手だった。人は安全な地下へ逃げ込み、放射線濃度が低下するその時を待っていたのだ。




 そしてまだ安全とはいえないうちに地上に出た僕たちは、残留した放射線を浴びたことで二次被爆者となったらしい。それは美しいものを目にした対価の呪い。Kは去年の暮れに亡くなった。僕ももう長くはないだろう。




 だけどまだまだ僕は死ぬわけにはいかない。


 あんな光景を目にしたなら次は宇宙へ飛び発たなければ。

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