第78話 魔物のアラクネ
以前に管理神から教わったことで概念を取り込んだ魔素が肉体を持ち、ほかの生物との競争で生き残った同種が群れを成し、最終的には群れが知恵のある種族へ進化するらしい。それはモンスターにも同じようなことが起こり得ると、最初に踏破したダンジョンに住みついているゴブリンの一族と出会ったことで証明している。
「聞きたいけど、きみたち森人はこんな所まで縄張りを張ってないよな」
先行している斥候役であるエルフの青年はおれの確認に黙って首を数回横に振っただけ。スカウト見習いである兎人の若者サジペグスはおれとエルフの青年のやり取りを緊張した面持ちで見守っている。
「アラリアの森は危険だ。俺らはヌシ様に果実酒を捧げる以外はこんな深部までは入らないし、今回通ってきた道は俺らが作った道からかなり離れている」
「そうか、だとしたらこれはなんだ」
森の中にどう見ても人工物にしか見えない木で組み立てた小屋が木の上に建造されていて、今のところは中から生き物の気配を感じない。獣人たちの先祖がこの森に住んでいたというが、これは新し過ぎるし、しかも見た目は欠かさず手入れしているように思われた。エルフのものではないと言うなら、この森に未知の住民がいるということになる。
「アキラさん……」
不安そうな声を出すサジペグスはおれに縋るような目で見てくるけど、とっくにだれかに覗かれていることは気付いている。ただそこから殺気を感じることはなく、おれたちの行動を窺っているだけで何かしてくるような気配はまるで発してこない。
「一旦引いてみんなと合流しよう」
注がれている視線にを警戒しながらおれたち三人はきた道へ戻るが、そのなにかは覗き見したままで追ってくるような様子はまったく示してこない。
エルフと兎人たちが見つめている中でおれとニールはネシアを交えて、前進するかどうかを相談している。
「気にするこったあねえよ。突っ走って、攻撃して来たら返り討ちしてやんよ」
いつもと変わらず勇ましいこの上なしのニールの意見、に両手を胸の前に組んで考え込んでいたネシアも賛同しているようだ。
「...今から避けても日数が増えるだけだわ。アキラがいいのならそれでいいけれど。...」
未知なる生き物はなにかがわからないけど、おれたちへの敵意を感じることもなかった。ニールがいなければおれはたぶん回避することを選択したのでしょうが、この世界の最強の一角がこのチームにいることでおれも気を大きくした感じは否めない。
「……わかった、このまま進んでみよう。だけど先方のことが明らかになるまで、仕掛けられた以外は戦闘を厳禁する」
「お前がそう言うなら仕方がねえ」
「...ええ。アラリアの森に隣人がいるだなんて、どんな種族が知りたいわ。...」
意見もまとまったことだし、ほかのみんなの緊張をほぐすためにも、この場合は腹を満たすことが一番望ましく、おれはここで食事していくことを伝えることにする。
「おっしゃー、気が利くじゃねえか、ええ? 飯だ飯」
ドカッと地べたに胡坐を組んで豪快に座り込むニールは、腹を空かすこともないのに近頃はご飯の時になれば、戦うときと変わらないくらいの元気になる。
そのニールに釣られて、エルフと兎人たちは見張り役以外のみんなが重装備を外し、食事の当番はおれの調理の手伝いに集まって来る。そうなんだ、おれはこのチームのシェフ、料理でテーブルに花を添えて、険しい旅路の中で一時の安らぎを作り出す。
うん、全然嬉しくない大役だ。
警戒態勢の隊形を組んだまま、おれたちは先の小屋辺りまで進んできた。先頭にニールとおれが立ち、最後尾はエルフの使い手である五人衆がしきりとまわりを見まわしていた。ネシアは15人の若者に囲まれ、あたかも女王様と騎士団がごとくしっかりとした防衛陣で守られている。
さらに進んでみると、先からこちらを警戒するの度合いが増したことにニールの顔色が見る見るうちに険しくなっていく。あ、こいつ、こらえきれずにキレるぞ。
「ニー……」
『降りて来いっ!』
おれが止めるより先にニールは凄絶な怒声を木の上へ放った。その音響兵器のような声で木の上から数体のアラクネと見たことのない蜘蛛のモンスターがバランスを崩して落ちてきた。
「ひ、ひーっ!」
「キッシャー!」
「コワいヒトゾク」
「シャッシャー!」
アラクネと蜘蛛のモンスターの悲鳴の中に言葉が混じっている。どういうこと? アラクネが言葉をしゃべったようだけど、こいつらはどう見ても強者のたぐいではないことはおれにもわかる。
ニールの咆哮と突然の出来事にチームのみんながあっけをとられて立ち止まっていた。そうしているうちに立ち直ったアラクネと蜘蛛のモンスターが森の奥へ素早い動きで逃げ去っていく。
「追うぞ!」
走り出したニールの後を、おれはチラッとみんなに目を配ってから追いかけることにした。アラクネと蜘蛛のモンスターが糸を巧みに使い、木々を伝って逃亡しているけどおれとニールの素早い動きはそれに追いついている。
途中で魔素の塊を踏んでも、出現したモンスターはニールの光魔法でことごとく射殺された。素材の剥ぎ取りは後でもいいので、今はとにかく言葉を話せるアラクネのことが知りたいから足を止めることはない。
木々が立ち並ぶ森から、いきなり木造平屋が立ち並ぶ開けた里の風景に変わっている。その里の広場にはアラクネと蜘蛛のモンスターが数多くいて、全員がこっちを驚いた様子で目を開いて見ている。
ここはモンスターの村か。
「人族か、何の用があってうちらの里に来たっ!」
一際大きい鮮やかな色合いの服を着衣しているアラクネがこちらに大声で誰何しているが、ニールのほうはそれを聞くと凍り付くような冷笑で返した。
「魔物風情が多種族の真似事か? これだけ居ればアラクネの糸の山だ、まとめて死にやがれ!」
ニールは言うが早く、身体の周りに無数の光球を出現させた。光魔法の斉射で目の前にいる全てのアラクネと蜘蛛のモンスターを全滅させる気だこれは。一際大きいアラクネがその光球の数に顔を青ざめ、絶望を湛えた視線をおれとニールに向けてくる。
後ろにいるアラクネが小さな蜘蛛の身体を抱きしめ、これから起ころうとする殺戮に我が子を守ろうととわが身をさし出し、その前にいる蜘蛛のモンスターが自分を犠牲にしても、後ろにいるアラクネと小さな蜘蛛を守り抜こうと身を挺していた。
これに似た光景はどこで見た覚えがある……そうだ、レッサーウルフの最後の群れ、おれが殺しまわった群れの生き残りだ。
「やめろニールっ! 撃つな!」
虐殺を止めようとおれは、まさに光魔法を行使しようとしているニールに抱きついた。
知恵があるなら、感情を持っているのなら、家族を愛せるというのなら、こいつらもこの世界の愛し子だ。むやみに殺していいはずがない。
「……てめえ……人の乳を掴むんじゃねえよ!」
蜘蛛たちを殺すはずの光魔法による乱射はなく、振り返っておれをみるニールは顔を赤く染めて、すかさずおれの脳天にゲンコツを叩きつけてきた。飛んでいく意識の中で、彼女の柔らかい胸の感触はしっかりと手のひらに刻み込むことができたことに、おれは満足して両目を閉じた。
アラクネが作ったお茶はおいしく、製法を聞いてみると仕上げに森から取れた果実を混ぜているという。だからこそのいい香りと甘みのある味わいなのか。
「うちら一族はケモノビトとモリビトが住むよりはるか昔に以前からこの森にいるの」
ダイリーと名乗ったアラクネの女王は、自分たちのことをニールとおれや後から追いついてきたネシアに素直に打ちあげた。モンスターは強さに敏感なため、ニールの正体が銀龍メリジーであることは知られていないはずだが、彼女を見る全てのアラクネと蜘蛛のモンスターの目に不安と恐怖で満ちていた。
その恐ろしいニールはエルフと兎人の若者たちと一緒に、アラクネの一族が差し出している料理に舌鼓を打ち、遠慮もなく運ばれてきている焼いた肉の料理の堪能しつつ皿を平らげていた。
「ダイリーさま、もう出せる食糧がのうでございます……」
侍女の恰好しているわりと綺麗なアラクネがそっとダイリーに近付いて、小声で耳打ちしていることをおれの地獄耳が聞き逃すはずがない。遠慮を知らないニールの後始末はおれがつけるべき、なんだって爺さんに頼まれているからな。
「ウオッホン。ダイリーさま、おれはアキラという人族の者です。アラクネの女王様にお目にかかれて光栄至極に存じます。いささか粗末ではあるが、是非献上品を受け取って頂きたいと存じます」
アイテムボックスから、この森で狩れたオークの肉やら三つ角のシカ肉やら異世界の牛肉やらをどっさりと取り出して、アラクネの女王の前に置いて、わざとらしく跪いてから恭しく頭を下げた。ニールたちが食った分はお返しをしなくちゃね。
ダイリーと侍女のアラクネは山盛りになっている肉の品数に驚愕しているけど、せっかく出したんだからお気遣いすることなくちゃんともらってくれよ。
ありがとうございました。




