第70話 アラリアのエルフさん
第四章の始まりです。
アラリアの森というのはこれまでファージン集落からここまで見てきた森林とは少し違って、どちらかと言えば精霊王がいるアルスの森と雰囲気的に類似していると思う。ここも古代林が今までに生き延びてきた感じであった。
頭を上に向けると、天を衝くばかりの巨木が太陽の光を遮るように生えている葉が視野いっぱいに広がり、わずかに漏れてくる光は森の所々にスポットライトのように地面を照らしている。
適当に見上げて目についた木の枝は太くてとてもいい感じがして、テントがそのまま乗りそうだ。ローインにお願いして運んでもらい、その上でのんびりと過ぎしながら森林浴で寝転がるというのもよさそうだ。
三つ角のシカやイノシシがちょこんと顔を出してこっちの様子を伺って、しばらく目を合わしているとこっちに対する興味を失せたようで走り去ってしまう。オオカミの群が子供を連れて、こっちを発見すると威嚇するように唸り声をあげているが、ニールの睨み一発で尻尾を巻いて群れが逃げてしまった。
この幽邃なる森林を獣人族のためとはいえ、悠長な時間を生きた樹木を切り倒していかなければならないことを思うと、なんだかちょっと気が滅入ってきた。
「はあー……」
「うっぜえやつだな、溜息を吐くんじゃねえよ」
「お前にゃわからんよ……」
「んだと? ケンカ売ってんか!」
ニールさんは相変わらず元気だね。とにかくこの森をよく探索することだ、なるべく木を伐採しない方向で開発をかけていこう。
「飯にすっか」
「おう。賛成だ」
先まで気炎を上げていたのにご飯を聞いてにこやかに笑っているニールさん、扱いやすくてよろしい。
「あたいらが料理番をしましょうか?」
兎人の若者でシューター役を担っているシャルミーという子がおれのほうに声をかけてきた。顔はしいて言えば可愛いと言えるくらいでお胸様もそれとわかる程度だが、活発さが目立つ女の子。こんな子を妹に欲しかったなあ、お兄ちゃんはなんでも買ってあげたのに。
「別にいいよ。こういうときはニールに教えを乞ってくるといいからね、あいつは武技全般なんでもござれだから」
「はいっ!」
走り去るシャルミーに目をやってから、おれは食事の用意をすることにした。監視の目もあることだし、火を使うのは最小限にすることにして、テンクスの町で買ってきた煮物料理を人数分だけ出しておく。ニールが文句を言いそうなのでビーフジャーキーを彼女のためにアイテムボックスから取り出す。
地球製のジャーキーは彼女のお気に入り、よく食事の合間におやつ代わりにモグモグとかじっている。
ニールによる訓練は日々兎人の若者たちの体力を根こそぎ奪っている。ただ見ているとその教え方は実に理に適っていて、体で覚えさせることで実戦に役立てるように教えている。おれのときとはまるで違うよね、今度ご飯で脅しをかけてやるから覚えてろよ。
「あ、ありがとうございましたぁぁ元気さが」
「おう。お前らはまだ実際の戦闘をすんなよ、今は教えたことを身体に叩き込めや!」
「はい元気さが」
心なしか若者たちの返事にも元気がないように思え、ここはよく食べてよく寝ることだ。
「おーい、飯にすっぞ」
「おう!」
お前じゃねえよ、お前はその元気をどこかで減らしてこい。
森がざわめく。こちらに降り注いでいる視線の数に兎人の若者たちもしきり辺りを警戒して、持っている武器の柄に手をかけている。
「あきらっち、俺も我慢ならねえよ。こいつらしつこすぎるぜ」
いきり立つニールを見て、おれはその苛立ちが先方も同じであるように思えた。
「ここまでか……おーい、言いたいことがあるなら出てきたらどうなんだ」
森に響き渡るようにおれは声を出来るだけ大きく上げて叫んでみた。その声に応えて森の中から数十人の人影があっちこっちから出てくる。木の上にも隠れているやつらがいるけど、気にすることもないだろう。
「人族! ケモノビトを連れてこの森に何の用かはしらないが、今すぐ帰れば罪は問わん」
一人の男のエルフが高圧的に出て来て、おれに向かって警告を発した。やはりというべきか、顔立ちが凛々しく贅肉が一切ないスリムな美男子っぷり。その男は弓を持っていたが、矢そのものは弦につがえていない。
「えーと……用があってこの森に入ってきた、できれば通してもらえたら嬉しいなあ」
「人族なんかがこの森にロクな用はない。ケモノビトも先祖が人族のせいで森を追われたのになぜ連れてくる? また騙されたとでもいうのか」
人の話も聞かないで非難の目を兎人の若者たちに向ける男のエルフ、記憶通りに尊大でプライドが高いということなのかな。
「兎人さんたちは関係ないよ。おれがお願いしてきてもらったんだ、そういう口を聞くのはやめてもらおうか」
「人族、思い上がったか。ここは我らの森、おまえらの力ではわれらに通用はしない。直ちに去れ! さもないと……」
なんだか雰囲気が穏やかじゃなくなってきた。ちょいとあんたたち、そういうのはやめておいた方がいいよ、でないと。
「さもないとなんだよ」
「力づくで帰ってもらう! 命までは奪わんから安心しろ!」
数人のエルフが魔法陣を起動させ、薄暗い森の中ではそれが輝くばかりに光っている。でもこの場合は悪手でしかないよ。ほら、後ろにいるうちの怖いのが目を吊り上げて激高したじゃないか。
『黙れ! モリビトの分際で!』
あっちゃー、人の声じゃなくて竜の声で叫んできたじゃないか。おれまでもがガクブルになって腰が砕けそうになっている。
この場にいる全ての者がへばり込んでいて、木の上からエルフ様が耐え切れずに落ちてきた。大丈夫かなあ、ケガしてなかったらいいんだけど。
だから言わんこっちゃない、怖いんだようちの銀龍さんは。
「な、なななな……」
先頭に立っていた男のエルフは腰が抜けて座り込み、その口から言葉すら話すことができないでいる。
「悪いね、脅すつもりはないんだけど。本当に用事があるから来たんだ、通してもらえると助かるよ」
「な、ななな何の用だ……」
男のエルフは座ったまま、ようやく絞り出した感じで返事してきた。
「ちょっとね、森のヌシ様地竜ペシティグムスに会いに来たんだ」
ついでにあんたたちともお会いしたかったけど、それは口にしない方がいい。人攫いと勘違いしてもらってはエルフ様と仲良くできなくなる。
「ヌシ様とだと……」
この場にいるエルフたち全員が俺の言葉に慄き出した。地竜とはいえドラゴンだもんな、おれも銀龍メリジーがいなければ風の精霊エデジーさんにご同行を願っていたよ……って、しまった! その手があったんだ。おれのバカヤロ!
でもでも、風の精霊エデジーさんは代理とは言え、多種族の間では女神のアルス様だもんな。その彼女のご同行となれば違う意味で大変なことになると思う。彼女はニールみたいに変身できないかね。
「悪いがヌシ様と会うのならば通すことはできない。ヌシ様は人族が嫌いでお怒りでもしたらわれらもどうなることやら……」
男のエルフは拒否の言葉を口にする。それもその通り、普通ならそう考えるもの。激怒するドラゴンをだれが鎮められるというのか。
だが、しかーし! おれたちには神話にまつわる銀龍さんがいらっしゃるんだ、畏れることはただひとつ、それは銀龍メリジーがこの宏大な森を伝説級の地獄の業火でこの森を焼き払ってしまうことだ!
もちろん、そんなことはさせないけどね。
「大丈夫、そのヌシ様とはお話しをするだけなんだ。それにおれたちには大先生がいる」
「大先生?」
おれの視線はニールのほうに向けてみた。男のエルフはおれの視線を辿り、ニールのほうに目が留まるとまだ身体を震わせ始めた。
「そ、そい……そのお方はいったい……」
「それは聞かないことをお勧めするよ」
おれの言ったことに男のエルフは頭を何度も縦に振る。エルフ様にはバイブ機能が付いているのかな。
「お前たちを通すかどうかはわたしが一存では決められない」
「じゃあ、だれが決めるのよ」
「長老たちの意見を伺ってもらわないと……」
「じゃ、住処に連れて行って?」
「そ、それは……」
首を縦に振らない男のエルフの様子におれはニールのほうに身体を向けた。
「おーい、ニール。こいつがですね……」
「つ、連れて行きますから勘弁してください!」
はっはっは、アルス連山を離れて以来、銀龍メリジーと一緒でよかったと思う初めての瞬間だ。なんだ、ちゃんと役に立つじゃないか。
エルフの住処へ向かう途中、エルフたちは遠巻きにニールを恐れるような目で、兎人の若者たちは神がごとく崇めるような目でニールを眺めていた。当の本人はおれから渡されたチョコレートを機嫌よくむしゃむしゃと食べている。
安上がりな竜の使いですこと、うっひゃっひゃっひゃ。
森の中で柵に囲まれた砦みたいな場所に着くと、おれたちは正門の前で待つようにと男のエルフから言われた。待たされる間にもニールが機嫌を損なわないように、炭酸飲料水やらビーフジャーキーやらと出し続けているおれ。兎人の若者たちにもおすそ分けはしてあげている。
ようやく通された門をくぐると広場みたいな場所に数人の年老いたエルフが待ち構えていて、数百人はいるエルフの目線が全てこっちに向けられている。うん、ちゃんと巨乳エルフ様がいることにおれは心を躍らせていた。
「人族、ヌシ様に会うと申すのか!」
いきなりだがエルフのお爺さんが前置きもなく話しかけてきた。
「ああ、だから森を通してほしい」
「まかりならん!」
いきなり拒絶ですか? どこの世界でもお爺さんは人の話を聞かないのが相場なのかな。
「いや、まかり通すよ。こっちは大事な用事があるんでな、地竜ペシティグムスには話をつけないと困る」
「……その用事とやらはいかに?」
あ、話を聞いてくれそうな気配。その視線をたどるとニールがおれの後ろで睨みを利かせていた。
「獣人族の里を森で作るから地竜ペシティグムスに邪魔をしてもらいたくない」
「なんと、ケモノビトを森へ帰すというのか!」
長老さんたちが口をそろえておれの返事に答えているのでここは頷いて見せた。
「それは……無理であろうに。人族と関わったケモノビトをヌシ様は森から追い払われた、その人族にヌシ様が耳を傾けるとは思えん」
「欲に塗れた人族ならそうだろうね」
「人族よ、お前はそうじゃないと言いたいというのか」
「そだね、論よりも証拠だな」
このまま押し問答になっても一向先へは進められないので、訝し気におれを見ている長老たちにレイも驚いたという手を使おう。ここは森の中、エルフたちと兎人の若者たちしかいない。大袈裟にやっても旅路の邪魔にはならないだろうから、精霊魔術師よ再びだ。
おれは右手を空に向かって突き出す。エルフはおれの行動にただ目を開いて見ているだけで、長老が何かを言い出す前におれはわざとらしく必要のない召喚の呪文を唱えた。
「出でよ、風鷹の精霊。その雄姿を露わにせよ!」
風が森の至るところから吹き荒れてから広場に集まり出し、精霊である大鷹のその姿がエルフたちの前に現れた。
ありがとうございました。




