第65話 銀龍の二番目のお弟子は兎人
のどかだね、なんもありません。売店もなければ屋台もない、宿屋もなければ酒場もない。兎人さんたちはなにを楽しみに生きているのだろうね。畑は痩せた葉っぱみたいなのが栽培されて、ニンジンのそれには見えないけど、エティリアに聞いてみたが兎人の好物はニンジンじゃないみたい。
「なんもない所でしょうけど、みんなが仲良く分け合って生きているんです。あたいらには自慢の村なんですよ」
ゾシスリアが誇らしげに道に歩くおれとニールの前を行きながら村を案内してくれている。
「そうだな、のんびりしてておれは好きだ」
これは上辺だけに褒めているわけではない、こういうなんもない所だけど、道で出会う人たちが親しげに挨拶してくる田舎町は本当に気に入っている。争いもなく、ただ日々を楽しく生きようとしている人々って、ギスギスした雰囲気がなくて和やかに接してくるから心を穏やかにさせてくれる。
「おう、俺もだぜ。ガオーっ!」
これこれ、ニールや。懐いて足元にうろちょろしている兎人の子供たちを脅すんじゃありません。今にも泣きそうじゃないか? どれ、連れのお詫びに飴でも上げようか。
「食べる?」
恐る恐るとおれが手にひらで見せた飴を子供たちは一つずつ手にしてから、どうやって食べてらいいかわからずにおれに困ったような視線を送って来る。
「こうして……袋を開けてから食べるんだよ」
手本を見せるように包みを破ってから飴を口に放り込んで見せた。子供たちもおれに見習って飴を食べては嬉しそうに笑みを顔に浮かべさせている。
「破った包みは捨てるから返してくれていいよ」
「うめえなこれ。てめえ、こんな美味しいものを俺に隠しやがったな!」
兎人の子供たちが次々とプラスティック製の包みを返してくれる傍らにニールがおれに怒声をあげている。あれ? 食べさせたことがなかったっけ?
「いや、別に隠すほどのものじゃないけどな。ゾシスちゃんもいる?」
「ありがとうございます!」
ゾシスリアが欲しそうな顔をしていたから、彼女にもおすそ分けしようと飴を渡すことにした。
「俺のは? 俺の分は!」
「はいはい、どうぞー」
この世界の神話にまつわる者たちは食べ物に卑しい、精霊王しかり風の精霊しかりだ。その上に銀龍まで加わって来るからおれの中では彼女らに対する評価が際限なく下がりっぱなしだよ。
「「「おじさんありがとう!」」」
子供たちがおれにお礼を言ってからこの場から離れる。おれも手を振って子供たちを見送るが心の中ではお兄さんって言ってくれたら嬉しいのにと厚かましいことを考えていた。
「ところでゾシスちゃん」
「なんでしょう?」
微笑みで一緒に子供を見送ったゾシスリアがおれのほうに顔を向けてくる。
「アラリアの森は村の奥に見える大森林のことかな」
「え? う、うん。そうだけど」
どうにも歯切れが悪く、陽気な彼女に似合わない仕草だ。どうしたのでしょうか。
「なにか都合が悪いことでもあるの?」
「別にそういうわけでは……ただ、森へ行くのは村長の許可がいるんで」
そう言えばアラリアの森は村の秘密とエティもそれらしきのことを言った。ここは分別のある大人として若い娘を困らせるわけにはいかない。
「許可なんてどうだっていいんだよ、今から俺らを連れて行け」
太古より生きてきた分別の付かない悪い大人の例が困惑そうにしているゾシスリアに無茶ぶりしているので、いい大人としてお助けしましょうか。
「ニール。飴、もういらないのだな?」
「くっ。てめえ、俺がいつもいつも食い物で釣られると思うなよ……」
うそつけ、迷いまくっているではないか。こういう時はすかさず容赦のない追い打ちをかけることをおれはオルトロス戦で学習済みだ。
「ほう。そうかそうか、それなら飴よりおいしいチョコレートはゾシスちゃんだけに差し上げよう」
「くっ……」
チョコレートを包みから出して、右手の人差し指と親指でつまんでからゾシスリアの口元に運んでいく。それを見ていたニールが悔しそうに歯を食いしばっているので、これ以上はやり過ぎないように引くのが賢明だろう。
「嘘だよ、ちゃんとニールにも渡すから泣くなよ。そんなことよりあんたを慕っているゾシスちゃんを困らせるんじゃありません」
「んなこったで泣かんわ!」
はいはい。
「ゾシスちゃん、せめて森の入口が見えるところまでは連れて行ってくるれないか?」
「うん。それなら村の中だからいいですよ」
ゾシスリアを先頭におれたちはアラリアの森のほうへゆったりした歩みで兎人の村の見物を、すれ違う村人と挨拶を交わしながら続けることにした。
なんと言いましょうか、森の中から幾つもある監視の目で見られていますね。そりゃもヒシヒシとした視線でおれたちのことをしっかりと覗き込んでおられる。
「ちっ。ちょい行ってくらあ」
素早くおれは森のほうへ飛び込もうとしているニールの襟を掴んで離さない。
「何しやがる!」
「それはおれが言いたいわ。いきなり問題を起こすんじゃないよ」
「覗き見しているやつらを炙り出してやるだけだ、離しやがれ!」
「炙るな! 村の人に迷惑を掛けてやるな! おれたちはお客だ、ここは大人しくしろよ」
スッとニールは抵抗する力を抜いて、右手で襟を掴んでいるおれの手を叩き落とす。痛いな。手加減しろよ。
「ったくよ。多種族領は面倒くせえなあ」
「そう言ってやるなよ、弱い者は用心深いんだよ」
ゾシスリアは目と口を大きく開いて、おれとニールの会話が理解できないような顔をしている。
このアラリアの森は樹海といっていいほど広大な森林だ。その規模はアルスの森に及ばないとしても、世界各地を回っているおれからすれば有数な森であることは断言できる。なんと言っても原生林そのものの森と言っていい。ツタが高木から垂れ下がって、森から時々三つ角のシカなどの動物がこちらの様子を伺って顔を覗かせている。
上手に隠れているつもりであろうの森の民、エルフたちはジッと息を潜めて今でも太い木の枝にしがみ付いて、茂っている木の葉の間からおれたちの行動を見極めようとしているのだろう。
「もう行こうか、ゾシスちゃん」
「もういいですか?」
どことなくホっとした顔をみせるゾシスリア、彼女にとって村の掟は逆らえない決まり事なのかもしれない。これ以上は彼女に重圧をかけてはいけないように思えてきた。
「ああ。ピキシー村長に相談してみるよ、今日はありがとうな」
「いいえ。大したことはできなかったですが、ニールさんに案内ができて嬉しかったです。アキラさんからもらった飴とちょこれーとは美味しかったです」
「こんなでよければまたあげるよ」
「ありがとうございますっ!」
「おい、俺は? 俺にもくれんだろうな」
「あいよ。心配しなくともあげるよ」
管理神からの無限供給付きの食品だ、別に量には気を配らなくてもいい。飴もチョコレートも今やちょっとしたお土産代わりに重宝している。この世界の干し肉は案外美味しいもので、ビーフジャーキーは受けたり受けなかったりしている。
そういえばエティリアがスポーツドリングを飲んだ時に、微妙な顔をしたのはいまでも覚えている。異世界のものだからと言っても全てこっちで受けるというわけではない。
それはさておき、エルフ様の住まいがアラリアの森にあることが確認できたので、あとはピキシー村長に渡りを付けてもらうことだが、ここは村と良好な友好関係を築くことが大切なのでしょう。
戻ろうとしたときにゾシスリアが意を決した顔でニールに頭を下げてお願いを申し出る。
「ニール様、あたいに武術を教えて下さいっ!」
「おう、いいぜ」
迷いもせずにニールはゾシスリアの申し入れを受け入れた。男前な姿勢ではあるがおれとしてはちょっとした諫言をせざるを得ない。
「ちょっと来てね、ニール」
「ああ? なんだ?」
ニールを引っ張ってゾシスリアから距離を取って、心配そうに見てくるゾシスリアはおれがニールに断れとでも言われるのかとハラハラしていることがわかる。そうじゃないからね、ゾシスちゃん。
「ニール、弟子を取ることは別に構わないが良過ぎる防具は渡すな」
「んだよ、なんでそんなことお前にいわれにゃならんのだ」
おれのひそひそとした声にニールも声のトーンを下げたのはありがたい。
「あのな、ニールは人族のことを舐めてるよ。そんな神話級の防具がこの世に存在していることが知られてみろ、お前のお弟子さんが付け狙われて、ヘタすると防具を奪うために殺されるぞ?」
「そんなことしてみろ! 人族を滅ぼしてやるぞ」
いきり立て大声を出すニールの様子を見たゾシスリアはこっちに来ることは遠慮しているが、声が通るように少し高い声でこっちに向かって話しかけてきた。
「いいんです、出来たらいいなあと思ってお願いしただけです。無理なら構いませんから」
「違うんですよ、ゾシスちゃん。今ニールとお話ししているのはきみのことじゃないからね」
うそだけど、嘘も方便というからね。
「いいか、ゾシスちゃんを強く鍛えてあげるのはいい。だけど人族は欲に生きて欲で死ぬことも多々とあるんだ。あんたも銀龍メリジーと呼ばれる存在なら少しは弟子の未来に気を使えよ」
「ちっ。面倒だ。人族はロクな存在じゃねえな」
ニールの言葉を否定する気にはならないが、人間というのはか弱くて欲深いから他の種族より成長する早いし、多方面において進化する可能性を秘めていることはおれが一番知っているつもり。
「ここでニールと種族の話を討論するつもりはない。ただ、身に余るものを持つと時としては滅びる原因となることもある。銀龍メリジーのものにはそれだけ価値のあることを知っておいてほしい」
「……わかったよ。俺はお前の見守り役だ、建言があんなら聞くだけ聞いといてやるよ」
「ありがとう。こんなことで人族がここの獣人族を付け狙う羽目になったら寝覚めが悪くなるぞ」
「俺は寝なくても生きていけんだよ」
そう言うことをいっているわけではありません。まあ、銀龍メリジーは頭がいいことはともに旅してきて理解ができている。だからおれはこれ以上ニールにとやかく言うつもりはない。
「ほらよ、お弟子さんが待っているよ?」
ゾシスリアが唇を噛みしめて、今にも泣きだしそうな顔している。ニールが承諾すると確信できればそれも嬉しい涙に変わることだろう。
銀龍メリジーは多種族と関わっていくことで彼女になんの変化をもたらすかはわからないが、爺さんが彼女におれと同行させたのは何らかの理由があるはず。
おれとしてはそれを後押しするだけが役割であることを理解しているつもりだ。
ありがとうございました。




