第47話 雌の竜人は俺様だ
空の上から見るアルス・マーゼ大陸は実に壮大である。至る所に自然がその美景を見せており、深緑の森林にどこまでも流れる河川、太陽に照らされて煌めく湖にどこまでも連なる山々だ。本当にここへ来れてよかった、まだまだ目に焼き付くべき風景がおれを呼んでいると思えてくる。
人の世は悲しくも短い。地球にいた頃のおれだって、世界はテレビやパソコンの画面の中にしか存在しない。一生をかけても行くことのできない場所のほうが圧倒的に多い。金と時間とやる気がないから。
でも、この世界なら、おれはどこまでも行けそうだ。幼女様が移動手段を与えて下さったから、これならどこでも飛んで行けるはず。
しかし、それでは冒険譚にはならない。自分の足で歩行、目の前に迫って来る危険、暗闇の先に開ける光明、見たことのない光景に感動。そういうことをおれは望んでいるし、そのために管理神に問われたときにこの世界に生きることを決意した。
それにしてもこの鷹はとんでもない速さだ、さすがに精霊王が指名しただけのことはあって、風の精霊とほぼ同等のスピードだ。戦闘能力はまだわからないが仮にも精霊と呼ばれる存在、おれなんかの力が叶うはずもないとは思う。
『空からの風景でも楽しんでくれでござる、到着までまだ時がかかるでござる』
「はいよ」
ローインのお言葉に甘えて、おれは地上の風景を見ながら空中の旅を楽しんでいた。
『てめえぇぇぇ、のこのこと現れやがったな!』
あ、ヤバい。おれの前に仁王立ちしているこの巨乳さんのことをすっかり忘れてしまっていた。先までは目の前に走って来る二つの凶器が上下に激しく揺れるに揺れ動き、おれの行動はすでに稼働不能の状態に陥ってしまっている。
これが魔眼にならざる魔乳という伝説の封印の技か。チクショー、やられたぜ!
「くっ、殺せ……」
くっころ異世界人になったおれの首を巨乳さんが大きな手のひらで後ろからガッチリと掴むと、神殿のほうへズルズルとおれを身体ごと引きずっていく。
まずい! このままではやられてしまう。こんな時はお助け衛門にお願いをしよう。
「来たれ、風鷹の精霊よ! 其の力で我を危機より救い出せ!」
苦し紛れにこの場で唯一味方になれそうな精霊に助けを求めてみた。
『やはり貴様はバカでござるな、銀龍メリジーの拳で治してもらえでござるよ』
やはりこうなるとは思ったよ。呆れを通り越えて無表情な無情者は寄ってきてじゃれついてるドラゴンをうざったそうな目をして、その翼で払い避けながらおれのことを断罪した。その言葉に銀龍メリジーという固有名詞が出ていることをおれは聞き逃さなかった。
『わりいな、ローイン、恩に着んよ。俺はこいつとはちょっとばかし因縁があんから落とし前を付けてもらわんと困んぜ』
『いいってことでござるよ。できれば生かしてくれると精霊王様を悲しませずに済むでござる』
ええっと、風鷹の精霊さん? 見捨てるつもりなのね? このチキショー、動物の形した精霊はやはりただの畜生なんだな、こんなことなら風の精霊にお願いをしておくべきだった。それにしてもこいつらは会話が弾んでいるところを見ると、昔からの知り合いということか。
『ああ。殺しはしねえぜ、親父からのお願いもあんでな。しゃーないから半殺しで済ませてやんよ』
やはり殺しが入ってるよ、半分だけど。
「助けてえ! 神龍の爺さん!」
恥も外聞もかなぐり捨てて、神殿に向かって真心を込めて救助を願う。
『はんっ! 今から親父のところへ連れて行ってやんよ、そこまではたっぷりと可愛がってやんぜ。生きてたどり着けるかどうかはてめえの身体の頑丈さとなけなしの運次第だな』
『アキラという人族、用があればまた呼ぶといいでござる。拙者は久しぶりにアルス連山の風となってドラゴンどもと遊んでくるでござる』
ズルズルと身動きの取れないおれは神殿へ激怒の竜人とともに向かいながら、薄情の精霊は上昇気流となって、空へ舞っているドラゴンたちをさらに上空へと押し上げていた。
『ほっほ。久々におぬしに会うがのぅ、これはまたくたびれたものよのぅ』
旅人の装備が一着、完全にダメになってしまった。手加減はされていると思うが銀龍メリジーのパワーは半端なものじゃなかった。急所への直撃だけは避けたけれど、どうもそれが気に食わなかったようで銀龍メリジーは切れてしまった。攻撃は単打から連打に切り替えて、パンチにキックと身体中が痣だらけになり、着ていた皮革の鎧は原形を留めないほどボロボロにされた。
「いててて。マジで死ぬかと思ったよ、こんな化け物だって知ってりゃ見たりしなかったのに。くそっ! 色気もないし……」
『なんだとてめえ! 本気で死にてえのか?ああ?』
この雌型竜人はどこのマフィアですか、キレやすいにもほどがある。見た目は麗しくて胸もおれ好みで大きいけど色気がないのはムリ、自分のことを俺の一人称を使う時点で気が抜けた。もっともおれはここへ来る以外、こいつと会うこともないのでどうでもいい話だ。
『これこれ、メリジーや。もうそのくらいにしておくが良いぞよ。わしはこやつと話したいことがあるでのぅ、外で待つが良いぞ』
不貞腐れた顔でメリジーと呼ばれるドラゴニュートは神殿の外へ向かって歩き出した。中指を立てて送ってやりたい願望をどうにか抑え込んで、彼女がいなくなるのを確認した。
「爺さん、久しぶりだな。あんたのいう主様、管理神とお会いできてここアルス・マーゼに住むことができたよ。ありがとうな」
管理神の話によると爺さんがおれのことを話してくれたから気付くことができた。感謝はちゃんと言葉にしないといけません。
『ほっほ、おぬしも念願が叶ってよかったのぅ。ところでのぅ、精霊が付いておることは精霊王の所へ先に行ったようだのぅ。あいつからは何か脅されたと思うがのぅ、わしのほうはもうなにもすまいぞ』
「助かります。あんたたちはおれにとって脅威が過ぎて、敵対する気すら起こりもしない。友でいてくれてよかったよ」
『アキラよ、精霊王の試練を経た異界のもの。おぬしはこの大地になにをもたらすかはわしは知らぬ。願わくばこの大地に生き、幸の多い人生があることを。わが主様の客人としておぬしを歓迎しようぞ』
神龍の試練は言葉で諭されるだけで終わった。その前にあの怪力女に散々と蹴り殴られたことが前座であったかもしれない。
ドラゴニュートに遊ばれてわかったことがある。その配下の足下にも及ばないおれに、この守護の二柱は絶対に越えることのできない壁としておれの前で存在している。
そのことが枷となってこれからのおれの行動に、おれとしてはいい方向で制限として働いてくれると思う。オルトロス戦の後、レッサーウルフを倒しまくって、レッサーウルフの洞窟での出来事が自分自身を振り返ることができた。
レッサーウルフやゴブリン相手にちょっとした無双して、おれは知らずにいい気になっていた。
おれはこの世界を観光して文字でしかなかった異世界を自分の五感で感じたいだけ、無双チートや内政チートがしたいわけじゃない。幼女や爺さんは出だしにそれぞれのやり方で思い出させてくれる、いい友人を持つことができるおれはとても幸せだ。
「はい、神龍様と精霊王様の祝福でこの世で長生きができそうです。これからも温かく見守ってくれるとうれしいです」
『ほっほ。殊勝なことをいうのぅ。おぬしはこの世の理より外れるものであったがのぅ、すでに主様の計らいでこの世の理にも適する者になっておるぞい。少々妙な技もありそうがのぅ、なに、わしらに比べれば児戯に等しいぞい。ゆえにおぬしは思うままに存分に生きてみるが良いぞ』
それはそうだ、どの世にも自分より強大なものがいる。人生の積み重ねは怖いもの、自覚のないままに自分というものを縛り付ける。一介の小市民として生きてきたおれには、自分の実力に目を背けてわがままに傍若無人の振舞いをするのも一興だが、小心者のおれには到底そんな生き方はそぐわない。
「この世界に来て友と呼べる親愛する人たちにも出会えたし、生きることに怯えないだけの強さを鍛えることもできる。だから以前に話したようにこの世界を見回っていく」
幼女と同様、この爺さんにもうそはつけないおれがいる。
「だから心配してくれてありがとう。そして忠告してくれたことに感謝するよ、爺さん」
『ほっほ。どうやらアルス・マーゼを楽しんでくれておるぞい。なに、異界の者とは言え、おぬしが世の人と縁ができるのはわしも喜んでおるぞ』
この爺さんが食い気に走ってなくてチョコレートで釣れないのが残念だ。
『メリジーや。何時ぞや言ったであろうぞ、こやつを見守ってやるが良いぞよ。しかとこやつのことを頼むぞよ』
いつの間にか銀龍メリジーがおれと爺さんの近くにいる。そんな気配は全然感じることができなかった。それより爺さんは今なんて言った? この怖いドラゴニュートがおれを見守るとか言わなかったか?
『おうよ、親父の言いつけなら仕方がねえ。こいつが悪さをしないようにしっかりと見張らせてもらうぜ!』
言葉が置き換えられているよね? 見守る→見張る。意味全然ちがうじゃん!
「いえいえ、それには及ばないって。自分でなんとかするから勘弁して」
おれからの嘆願は銀龍メリジーを憤怒させることになるだけだ。
『んだとてめえ、俺じゃ役不足ってのか? ああああ? 親父の言いつけを断るってんならぶっ殺すぞてめえ』
ああああって勇者様ですかあなたは。役不足じゃなくてあなたそのものがおれは怖いのです。
「い、いや。ほら。そのドラゴニュートのままだと多種族領ではお困りでしょう? 人族とかが大混乱になるんですよ。はは、はははは……」
『そんなこった簡単だぜ。ほらよ!』
銀龍メリジーの全身の鱗装備が消えたかと思ったら、身長が人族と変わらないくらいの人離れした妖艶な美女は巨乳のまま、ロングチュニックにスカートの恰好でおれの傍にいる。もうね、こういうのを見ると久々にファンタジーだと叫び声をあげたくなる。。
『これなら文句はねえだろ?』
「しかしですね……」
『ほっほ。おぬしにもメリジーのことを頼むぞよ? 長い間に魔族領のことを任せておったがのぅ。少しは多種族のことを知ってもよいとわしも思うゆえにのぅ』
爺さん、あんたがおれに託すのはまたもや子守り役ですか? ダメです、こんなのが付いていたらヤりたいことがヤレません。頑張れおれ、妥協に流されてはいけません!
結局どうにか銀龍メリジーが距離を置いての同行に手打ちしたことをおれは踏ん張りました。
言い訳その1、
いくら人族に変化できるとは言え、メリジーは見た目があんまりにも目立ち過ぎておれがこっそりと生きるのに大きな妨げとなる。
言い訳その2、
多種族のことを知りたいのならは一人でやってみるのもいい経験になる。
言い訳その3、
おれの見守り役なら直接的に関与するのではなく、間接的に係ることが役割に適合している。
言い訳その4、
精霊王から付けられているローインも用事がある時に呼ぶだけ、できればメリジーのほうにもそのようにしてほしい。
『わかった、多種族がどういう風に生を営むのか俺も興味はあんぜ。てめえの知り合いということで役割を果たしてやんよ』
言い終えると銀色に光っている小さな笛みたいなものをメリジーは懐から取り出して、おれのほうに突き出してくる。
『これは銀龍の笛だ、俺にしか聞こえねえから用があん時は呼べや』
銀龍メリジーはその魅惑的な巨乳が飛び出すばかりに胸を張って、おれに警告を告げてくる。
『それと言っとくが人型がするような交尾を俺はしねえぞ。俺らみたいな上位の竜は繁殖なんてしねえからな!』
そうですか、上位の竜は繁殖で子孫を残さないのか。そう言われてもあなたみたいな恐ろしい存在と愛の営みなんて望んでないよ? おれがしたいのは交尾なんかじゃなくて愛を確かめ合うことだからね。負け惜しみなんかじゃないからね。
そうか、メリジーさんはイタしませんのか。そこはかとなく残念で無念です。
ありがとうございました。




