第34話 世界への旅たち
旅に出るまでの日々は普段と何も変わらなかった、いつものように穏やかで賑やかに過ごしているだけ。
あの時、集落に着いた途端にクレスは抱き着いてきてわんわんと泣き続けていて困り果てたものだ。エイジェには犬神ではないことを誤魔化そうとしたが信じてくれない。後でクレスから聞いて知ったことだが、ルロはおれとオルトロス戦が始まる直前までシャウゼさんに強く願い出て、偵察を続けていたらしい。
そのためにおれが会敵したのは左首が一つ耳の犬神と無数に群がるレッサーウルフであることは集落の人たちが周知しているみたい。うん、バレテラ。いいさ、最後までとぼけてみせるぜ、チクショーめ!
数百頭のレッサーウルフの素材はかなり喜ばれた。ファージンさんは全部おれが狩った獲物だし、旅には金が要るから所有権はおれだと言い張って譲らなかったが、そんなの知るかよと解体を手伝わせた上でファージンさんの家にレッサーウルフの魔石に牙と爪とともに放り込んでやった。ざまあみろってんだ。
レッサーウルフの毛皮は光魔法の射撃でに傷が少なく、しかもここ一帯ではあまり生息していないため、それを見た行商人がエイジェと押し問答の末に一枚の毛皮で銀貨15枚の売値が付いた。これからは少しずつ売っていくことにすると集落のみんなで決めたみたい。
牡のレッサーウルフの爪は加工すればいい短剣になるということでアウレゼスさんが作成して集落の名産にすることが決定された。チョコ兄弟の弟のルロがアウレゼスさんの所で弟子入りして腕を磨き、皮なめしの技術はシャウゼさんに学んでいくみたいだ。どうやら本人は集落で一番の物作りになりたい願望があるらしく、最初にできた作品はクレスにプレゼントするとおれの前で息巻いていた。
頑張れよ、若造。おっさんは心から応援しているが、その気持ちに応えるかどうかはしっかりとクレスを落とすことだよ。
レッサーウルフの牙は装飾品の価値が高く、こちらも集落の名産でテンクスの町で販売していくとアリエンテさんがやる気満々。シャウゼさんに聞いたところ、アリエンテさんは若い時に装飾品の店を開くのが夢だそうだ。
集落で狩ったシカの牙では安値しかつかず、アリエンテさんが頑張って小遣い程度には稼いでいたがレッサーウルフの牙が入ったということで夢が膨らんだみたい。最初はクレスが母親の手伝いするかと思いきや、なんとマリエール嬢ちゃんが毎日通い詰めて装飾品作りの腕を上げているだそうだ。
チロも当初は弟子入りを志願したが、いかんせん目的の欲望が分かり易すぎたため、数日後にはアリエンテさんに箒で家から叩き出されて出入り禁止令まで出たらしい。
チロよ、お前は頑張るな。お前が頑張れば頑張るほど変な方向へ突っ走ているぞ。
「早く帰ってきてね? アキラ。それでお嫁はクレスかあたしかをはっきり決めてよ? 二人をもらうのでもいいわ。クレスが正妻ならあたしは第二婦人で構わないわよ。それと! 旅で浮気は許さないわよ!」
マリエール嬢がなにを言いやがる、笑わせるぜ。あっ、やめて、そのふくよかな胸を押し付けないでお願い! 旅に出る決意が鈍ってしまうじゃないか。
クレスはシャウゼさんと森での狩りを続けるということを教えてくれた。会話の礼儀上、なぜかなと聞いてみた。
「あなたが森で現れてわたしを助けてくれたから、森に居続けていればきっとあなたに再び出会えると信じているわ」
あう、めっきり女っぷりが上がってきて色気まで帯びている素敵な女性から告白されるのは素直に喜ばしい。でもね、クレスさんや、あなた近頃直球過ぎませんか? おっさんはときどきドキドキして困り果てるんだよ。だからおれを困らせて君が含みのある微笑みをするのはやめてください。
エイジェは犬神が実在したということで幼女信仰、もといアルス神教の教えに日々の深い敬虔なお祈りを捧げるようになってきたが、ちょっと狂信者じみたところが怖い。それに聞いてびっくりしたが、イ・コルゼー神官の最初の弟子となったらしい。
あの神官さんならいままでにたくさんの弟子を取ってもおかしくないはずだが、わからん。
アルス様のお導きかどうかはしらないが、エイジェは魔法術師としての才能が開花しつつ、ついには光魔法と神聖魔法が使用可能のLv1となっていた。神聖魔法はおれも使えないのに、グスン
「アキラ様、一緒にアルス様にお祈りしましょう。アキラ様の旅先でのご祝福が賜りますよ」
そうだよな、なぜかかエイジェはこの頃おれの名に様付けするんだよ。
「ソウデスネ、ゴシュクフククダサイ、アルスサマ」
幼女様のご祝福ならもう持ってるんだよ! でも言えない。言ったらが最後、こいつならおれのことを神格化しかねない。恐ろしい子だよ、この子は。
「なんでしたらイ・コルゼー様の一番弟子はお譲りしますよ、僕はアキラ様の弟弟子でともにアルス様に身心を捧げましょうよ! 犬神様をご退治なさったアキラ様ならアルス様は必ずご加護をくださることと信じてます」
やめろ! 幼女様のご加護が下れば精霊化か死亡かだぞ?おれは人間をやめる気はない! それとエイジェ、犬神様をご退治のことは口にチャックな? 頼んだよ。
カッスラークは集落の畑大将となっていた。以前に植物の接ぎ木のことをチラッと教えたことがあったが、なんと、その後でカッスラークは知識がないまま自分で暗中模索して成功させてしまったのでおじさんもびっくりだよ。
その後は森で自生している果物の木を集落の畑に移植して、より美味しくて実りが良い果実の木を改良させてしまいました。この子は何を目指しているのだろうか。
森の中で集落から遠くない所で探索した結果、新しい水源を発見することができた。カッスラークが提案し、ファージンさんが草案を起こしてからエイジェが本格的に立案させたプロジェクト・ザ・引水はいま、集落で最大の公共工事として進められようとしている。
おれに内政チートがなくてもこの世界の人たちは自分たちの力だけで街を開発することだってできる、人間が持つ底力とは世界が違えどみんな逞しいものさ。
集落の広場でシャランスさんが作ったシカ肉の串焼きを美味しく頂きながら陽射しを楽しんでいるおれ、前方より宿敵とその参謀が現れました。さて、一丁おちょっくてやりますか!
「おい、出ていくなら早く出ていけよ!」
「にいちゃん、ダメだよ。アキラさんに出て行ってほしくないくせに」
来たぞ、チョコ兄弟。チョコ食うか?
「だからそのチョコ兄弟はやめろ!」
「アキラさんこんにちは。チョコをくれるならもらいますよ」
しまった、口に出ていたか。まぁいいや、チロは相変わらずうぜーし、ルロはいつもと変わらない可愛いし。
「この野郎、お前のほうがうぜーよ!」
「アキラさん、男に可愛いは少し悲しいよ」
「オッホン。チロ坊や、飯はちゃんと食ってるか?身長がルロに負けているぞ?おじさんは心配で心配で旅に出にくいじゃないか?」
「あー、人が気にしてることを! 早く旅でもどこでも行っちまえよ」
「にいちゃん、だから好き嫌いは良くないって母さんがいつも言ってるじゃないか」
「そうそう、お前の場合はあせるなや。たとえみんなが進む道を見つけて頑張っているとしても、お前の場合はまずその体格を成長させてからゆっくり選べばいい。おじさんはチロの味方だよ?」
「お前は……人が頑張ろうとしているのに」
「にいちゃん、まず何がしたいのかを決めようよ」
「そうそう、焦るな焦るな。体格が伴わないとマリエールの垂れ尻に潰されるよ?」
「くっ! マリエールは……垂れ尻じゃない! ちょっとだけ肉付きがいいだけだ!」
「にいちゃん、アキラさん、あんまりそういうことをここで言っちゃダメと思うよ」
「ちょっとどころか、肉付きが良すぎるからお前の体格が釣り合わないじゃないか!」
「そ、それはだな、そうだ! マリエールが痩せればいいんだ!」
「あっ……」
「アホかお前、あのでぶマリエールが痩せれるかってんだ。お前が太れよ」
「マリエールはデブじゃない! 肉が多すぎる女は俺は好きなんだ!」
「……」
「デブ専かよ。良かったじゃん、身近にお前好みのデブの肉が多すぎる女が居てよ」
「デブセンってなにか知らんけど、マリエールはあのボヨボヨとした感じがいいんだ。えへへっ」
「……」
「なんだよルロ、先から黙ってて。いつものようににいちゃんってこいつを諫めてやらないのか?」
「そうだよルロ、変だぞお前?」
「……」
「悪かったわね! 垂れ尻で肉付きが良すぎて肉が多すぎるボヨボヨとした感じの痩せれないデブで、しかもデブセンとかで!」
あっ、やば! 知らぬ間に牝虎の尻尾踏んじまったぞ。
マリエールとクレスが集落の広場にある大木の陰から出てきた。マリエールは今、まさに恐ろしい般若と化している。こらクレス、そこは笑ってないで助けろ。
「ち、違うんだマリエール、俺は思ってないよ!」
チロはマリエールに言い訳をしようとしたが相変わらずのバカっぷりだぜ、こういうときは言い訳を言えば言うほど話がこじれていくだけ。
「うっさいわね、チビ介。あんたこそそのガリガリ感をどうにかできないわけ? あ、ごめーん無理か。なにを食べさせても栄養不足だよね、あんたがまずどうにかしてほしいのはその足りない知能だもんね」
「お、おれは能足りんか……うわーん!」
畜生、なに泣きながら逃げてやがるんだよこのチビ介が。そういうところがマジで能足りんだよ。
「で、アキラはなにか言い残すことでもあるわけ?」
消えたアホなチビ介のおかげで矛先がこっちに来たじゃないか!
「あ、オホン。マリエール、お前は思いっきり勘違いしているぞ?」
「ふーん、あたくしはなにを勘違いしているかしら? アキラさま」
「おれは君がブタで太り過ぎて歩くたびに肉が揺れまくっているやつなんて思っていないし、このまま肉だけが成長して脂肪だけで魔法や攻撃を跳ね返せる伝説になれる女と微塵も考えたことがないから安心しろ!」
マリエールのほうへ左手の親指をグッと立てて、ニカッと太陽の光すら負けないくらいの爽やかな笑顔を作って微笑みを彼女に送る。右手はまだシカ肉の串焼きを掴んでいるから動かせないんだ。
「こ、このロクでなしが!」
バシッ!
あるぇ? おっかしいねぇ。なにか言い間違えたのかな? なぜ頬にマリエールの渾身の一撃で叩かれたのかな、フシギダネ。火炎がごとく怒気を身に宿してしてマリエールはドカドカと去っていく。すごいね! 関取さんじゃないのに歩行の擬音がドカドカって。
うん、このあとでファージンさんの家に行ってシャランスさんから串焼きのお代わりしようと思ったが、無理だなこりゃ。
「にいちゃんもアキラさんもバカだね」
「本当にそうね」
ありゃ? ルロとクレスや、仲いいのね君たち。おじさんは君たちを祝福しちゃうよ? ユニークスキルにはならないけどね。
バカな日々をバカのままで過ごした。ファージンさんの家ではち切れんばかりズを交えて飲み会、シャウゼさんの家では美男美女に囲まれての食事会。
じっちゃんはエールをおれと酒杯を片手に呷り続けるし、イ・コルゼーさんはおれをどうにかアルス神教に引き込もうと画策しているし、子供たちとは下らないことをして遊んで、集落でのひとときが目まぐるしく過去へと変わりゆく。
ファージンさんはおれに路銀の金貨を渡そうとしたがそれはおれが断固拒否した。二人で押し付け合いの果てに危うく殴り合いケンカに発展しそうなところを、シャランスさんとアリエンテさんの機転でなめしたレッサーウルフの皮革とアリエンテさんが作成した牙の装飾品をおれが受け取ることでケンカは回避された。
アリエンテさんから町で販売した時の感触を見てほしいと頼まれたらおれも我意を通すまで断れない、こういう時は女性の知恵が賢く回るもの。お二方がクレスとマリエールに小屋へ持ってこさせたレッサーウルフの皮革60枚と牙のネックレス35点を今はアイテムボックスに入れてある。
ダンジョンで取れた装備は先日に子供たちが盗賊の襲撃に着させたものも含めて、集落の人数に合わせて置いて行く。ファージンさんは拒んでいたがクレセントアックスを見たときは目の色が変わった、管理神謹製の一品は市場では中々出回らないよ? 最終的に集落が預かるということでファージンさんが辛うじて受け取ってくれた。
ミスリルの双剣である火炎の交差をひそかにシャランスさんに渡したのはみんなに内緒、神器とみんなが思っている武器はいざとなった時に集落の守り神となってくれればいい。どのみち今のおれに双剣なんてただのコレクションに過ぎないからね。
でも本音で言うと、火炎の交差を両手で持った時のシャランスさんの目が蕩けたように陶然として、まるでこの世を見ていないような目付きがとても怖かった。この人、ひょっとして戦い大好きなのかもしれない。戦闘狂って、怖いね。
出立の陽の日の朝陽がやけに眩しい。陰の日にファージンさんからモビス1頭を連れていけと言ってくれたがおれには愛車がある。生き物は餌とか手入れとかの世話が大変そうだし、モビスを旅の供にするとおれの場合は必ずそいつに情が湧くのでやんわりと謝絶した。
集落の御婦人たちが作ってくれた大量の郷土料理とこの世界で使われている天幕や野営用寝具などの必要な道具をアイテムボックスに収納済み。長旅の準備が完了した俺は集落の広場でみんなと別れを惜しみつつ、今から集落を出て旅路の一歩目を踏み出そうとしている。
「じゃな! 行ってくる」
語るべき言葉が出し尽くした。住み慣れていたこの集落には未練を残しているが、それがあるからこそ戻って来ようとするのだ。全員が見送りに来てくれて、開拓して以来初めてという送別会は陰の日の終わりに済ませた。
「ああ、この流浪人め、ちゃんとここに帰ってこいよ」
ファージンさんがみんなを代表して送り言葉をくれた。住めば都というがここはもうおれの心の都だよ。集落の門の所で右手をあげて、広場にいるみんなに向かって大きく振って見せた。それからテンクスの町のほうへ向かって草原の中を歩き出す、振り向きなんてしない。
きっとまたここへ帰るのだから。
これでファージン集落編が終わりです。
拙作を楽しんで頂けている方々には大変感謝しています。
ありがとうございました。




