五百年まえ
また永い時を彷徨った。ハームの墓へも行って来た。もうそれとはわからなくなっていたが。ともかくこのあたりだろうという場所に花を供え、あまりはっきりとは覚えてはいないが、ハームが使っていたいくつかの古い言葉でも祈った。神にも彼にも。そして教えてくれとも。どの言葉が彼にふさわしいのかはわからなかったが。だが、神からも彼からも応えはない。
そうしてビオスと大陸に居を移したころに過した街へと戻って来た。そこでどれほどの時間を過ごしただろう。巨大な劇場がゆっくりと人の手で崩れていくのも見た。ハームとビオスが言っていたのであろう未来も見た。だが、それでも私の体に異変はない。
道端で人々に古い言葉や幾何学、論理学を教え、時間を過していた。こんなにも簡単に失なわれるものかとも思っていた。
そんな生業から、大きな商家と知り合いになった。古い言葉が役に立った。その商家のつてで、古い言葉で書かれた文書を読みもした。古い言葉であるにもかかわらず、今も特別なものとして使われてはいる。だが、私が知っているその古い言葉そのものからすると、幾分手を抜いた使い方のようにも思えた。そういう文書を読みながら思った。もしかしたらビオスは急いでしまったのかもしれない。ビオスの言った未来を、私は通り抜けたのかもしれない。新しい時代が始まろうとしているように思えた。
奇妙な道具もいくつか見せてもらった。木で作った長い坂にボールを転がす。そうすると坂の上にいくつか付けられたベルが一定の間隔でチリンチリンと鳴った。あるいは穴のあいた板が付いた妙な棒も。遠い星が見えた。
昔、ビオスと会った島やその周辺で行なわれ、眺め、そして参加した議論ほどに、どれほどこれが役に立つのかはわからない。ただ、無関係ではないと思う。おそらく車の両輪のようなものかもしれない。私の理解はうまく追い付かなかったけれど、確かになにかが新しく始まろうとしているのだとはわかった。
しばらく見なかった本も見かけるようになった。手で書くのではなく、道具が書くのだという。それに古い本も見かけるようになった。僻地から古い本を何冊も持ち帰ってくる人たちがいた。これも商家との付き合いのおかげだが、古い本を読む機会にも恵まれ、たまには翻訳のようなこともした。本を書いた人の名前や、本の中に登場する人の名前には、懐しいものもある。そう言えばこんなことを言っていたなという場合もあれば、書いた人はなにか誤解しているのか、そうでなければ意図的にねじ曲げているのではないかと思える場合もあった。
いろいろと興味を惹かれる事柄があった。新しい道具を見たり、あるいは古い本を読んだことで、すこし気持が浮かれてきたのかもしれない。その商家との繋りも保ちつつ、またすこし旅をすることにした。ハームとビオスがいたのだから、他にもいるのではないかと思ったからだ。希望も寂しさも一度はなくしたと思っていた。だが、そうではなかったのかもしれない。どこかで燻り続けていて、道具や本に私が触れたことで再び火がついたのかもしれない。燻ぶっている間は、まだ死ねないのだろうか。だが、燻ぶっているのか、それとも消えたのかを自分では判断できないように思った。永くハームとビオスの言葉を考え続けていたが、やはり私にはうまく理解できなかった。
これまで行ったことのないくらい北へも行った。西では海を渡って島へも行ってみた。確かに私だけではなかった。私とハームとビオスだけではなかった。北ではドーグラスと出会い、西の島ではコナーと出会った。どちらも少なくとも最初はあまり穏かな出会いではなかったが。
ドーグラスと出会って、奇妙な話を聞いた。「同類と出会ったら殺せ」と伝えられているという。そして「選ばれた者は望みが叶う」とも。
西の島へはドーグラスと一緒に行ったのだが、そこでコナーと出会った時は傑作だった。コナーは私たちのことに気づくと、剣を手にとり、「俺の望みこそを!」と叫んで突進してきた。ドーグラスも彼の言葉で同じ意味のことを叫び、コナーの剣を受けた。だが、力量の差は明らかだった。コナーはドーグラスに殴り倒された。ドーグラスはコナーの剣を受ける時にしか彼の剣を使わなかった。
コナーと出会った時にも、ドーグラスと会った時と同じことを言っていた。
伝えられているということは、彼らの地方にも稀に現れていたのだろう。しかし、私はそういう話は聞いたことがなかった。ドーグラスとコナーが使う言葉はどことなく似ている。それが関係しているのだろうか?
「確かに殺すというのは試したことがないな」
ドーグラスもコナーも、私がそう言うとふんと鼻で笑った。だが、どちらもせいぜい一回、そういう経験があっただけだった。
「それでなにか起こったか?」
二人とも期待外れだったと答えた。
「そうだろうな。頭が粉々になったはずの者に会ったことがある。だがすぐに生き返っていた。まぁ、確実に殺したわけではないが」
「では、プライズとはなにだ?」
私はハームとビオスを思い出した。
「プライズ。そう呼べるなら、そうだな。私たちにとってはプライズだろう」
二人ともさらに問い詰めてきた。
「いや、プライズを受け取った者を見たことはある。だが、私にはなにがプライズなのかはわからないんだ。ただ二人とも救いだと言っていた」
ドーグラスとコナーとは、たまには会うという約束をして、別れた。