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一万年まえ

 ある日、私は村の掟に異を唱えた。それは、積もり積もった苛立ちが溢れ出したものだった。理由は単純なものだった。その根拠がわからないから。ただそれだけだった。

 だが、長老たちは私を追放した。あるいは追放せざるをえなかった。村人は口々に様々なことを言った。呪われろとも呪われているとも。

 村の境界まで付き添って来た一人の長老が、わずかばかりの言葉を口にした。

「言い伝えはあるんだ。呪われた者の。稀にしか現われない」

 そう言うと長老は私の顔をじっと見据えた。

「君が呪われていないことを祈るよ」

 そうして私は村を追放された。


 近くの村々を訪ね、しばらくは滞在することもあった。だが、長く留まることはできなかった。いくつかの村に滞在し、何人かの妻を娶った。そして看取った。いつの頃からか気づいていた。あの長老の祈りは届かなかった。いや、祈りは関係ないのだろう。ただ、私はそうなのだ。

 もう近くにはいられなかった。どの村も私を受け入れてはくれない。私のことは、周辺のどの村でも知られていた。

 私はあてどなく彷徨った。ただ、それでもゆっくりと東へと向かっていた。西で生まれたから、そこから逃れるように東へと。時には村に十年ほど滞在すること——あるいは滞在できること——もあった。それでも結局はすこしずつ東へと逃げて行った。


 何年——それは私にとっても短いとは言えない時間だった——経った頃だろう。ある村に滞在していた時のことだった。既に二、三年滞在しており、住人とも付き合い程度には打ち解けた頃だった。それ以上親しくなることは、この村に限らず避けていた。この村からもそろそろ離れようかと考えていた頃だった。祭の酒宴で山に住む魔法使いの話を聞いた。なんでもそれを話した人の曾祖父の頃から山に住んでいるという。

 日が昇ると、私はその山へと向った。これまでにもこういうことがなかったわけではない。期待はしていなかった。祈ってもいなかった。ただ、伝え聞いた話は聞くことはできるかもしれない。

「言い伝えはあるんだ。呪われた者の。稀にしか現われない」

 私を村の境界まで送り、祈ってくれた長老の言葉を——もう、声は思い出せなかった——思い出していた。

 長老が言った、「稀にしか現われない」という言葉はおそらく本当なのだろう。実際に私がいる。それならば、私だけとは限らないだろう。だとすれば、私のような者がなにも語られていないということもないはずだ。だが、それすらもこれまでは聞くことはできなかった。聞けなかったという範囲をどう考えるかにもよるが。

 確かに、なにも語られていないわけではなかった。だが、それらはあまりに曖昧だった。墓があるという話もあった。その土地に向かい、時間をかけて調べたことも何回かあった。だが墓石が見付かったことはなかった。墓石らしきものを見つけたこともなかった。墓標は木であったのだろうか。既に朽ち、木片へと、粉へと、土へと変わっていたのだろうか。

「言い伝えはあるんだ。呪われた者の。稀にしか現われない」

 そのような時にも、長老の言葉を思い出していた。呪われた者に墓標など——それがなんであれ——、誰が残すだろうか。記念の品があるとして、誰がそれを供えるだろう。なにも見付からず、別の村へ居を移そうと思う時、それが理由となっていた。

 それでもまだ、私は諦めてはいなかった。なにかは見付かるのではないか。私のような者がいたなら、なにかは残っているのではないか。希望でもなく、期待でもなく、ただ私のような者が存在したなら歴史にかすり傷の一つも残しているだろう。ただそう考えて山へと向かった。

 山に入ると、村人が使う道からははずれた、細い道を進みながら声を上げた。向こうから見付けてくれると助かる。そうでないと、見付けるのは手間がかかる。酒宴では、この道を進んだところにある洞窟に住んでいるとのことだったが、私が洞窟を見つけるときにその住人が——いるとしてだが——いてくれるかはわからない。

 山の中腹に来ると、すこし開けた場所に出た。洞窟の入口もある。そこのすこし奥には火が残っていた。柴もすこし離れた所に集められている。ナイフと鍋、それに碗も置かれている。誰かが住んでいることは確かだ。

 ここだろうかと思い、洞窟の中にすこし入り呼びかけてみる。だが応えはない。私は、時々柴を火にくべながら、住人が戻って来るのを待つことにした。


 太陽が充分に傾いた頃、木々の間の下生えのガサゴソという音が聞こえた。その音は次第に近づいてくる。私は洞窟の入口に出ると、そこに立って音のする方向を見ていた。そして一人の男が姿を現わした。

 その男は、髪もヒゲも伸ばし、毛皮で作った服を着ている。驚いた様子で、草むらから一歩出た所で立ち止まり、こちらをじっと見ている。年はわかりにくかったが、おそらくは私と同じ同年代ではないかと思えた。あくまで見た目は、だが。

「なぁんのよおだあ?」

 しばらく互いに観察した後、やっとその男が口を開いた。その言葉にはおかしな訛りがあった。

「用というか。すこしあんたと話をしたいんだ」

 男は私の顔から視線を落し、私より奥にある火へといったん目を移した。

「あんたあが、くべえといてくれたあのか?」

 私も振り返って火を見ると、うなずいた。

「そおかあ。じゃあすこおしはごちそうしてえやろおなああ」

 男はこちらへと近づき、私の横を通っていった。洞窟に入ると、男は腰に巻いてある紐からぶら下げていた兎を引き抜いた。どうやって獲ったのか。腰の紐ででも石を投げたのか。男は狩りの道具を持ってはいなかった。

 洞窟に入ると、男は石のナイフを使って兎を捌きはじめた。

「あんた、ちょっと訛ってるが、どこの出なんだい?」

「訛ってない方が好みなら、そうするよ」

 男は捌く手を止めずにあっさり答えた。

 驚いた。てっきり、ただの山の住人だと思っていた。酒宴での話は、変わり者の山の住人という話に尾ヒレがついた、せいぜいこの十年ほどの話なのだろうと想像していた。だが、もしかしたら話はそう単純ではないのかもしれない。どういう意味であるにせよ。

「あんた、いつごろからここに住んでいるんだ?」

 すこし西の言葉で訊ねてみた。十五年ほど昔に私が住んでいた土地の言葉だった。

「百年てとこかな?」

 すこし訛りがあるものの、男も私と同じ言葉で答えた。

「なにでこんなとこに住んでいるんだ?」

 もっと西の言葉で訊ねた。三十年ほど昔に住んでいた土地の言葉だった。

「人の中では暮し難いからね」

 やはり訛りがあるものの、男も私と同じ言葉で答えた。

「あんた、生まれたのはいつ頃だ?」

 さらに西の言葉で尋ねた。五十年ほど昔に住んでいた土地の言葉だった。

 男は手を止め、こちらを振り向いた。じっと私の顔を見る。それからまた作業に戻った。

「それはわからないな。数えてないから」

 男はダンと包丁を打ち下し、兎の後ろ足の一本を切り落した。

「だけど…… 洞窟の壁に絵を描いたのは覚えてる」

 もう一度ダンと、兎の後ろ足を切り落した。

 男は兎の体と足を持って私の横に座った。脇にある柴から太めのものを選び、兎とその二本の足に突き刺し、それらを火の近くの地面に刺した。柴の山に振り向き、二掴み取り、そして火にくべた。

「お前さんが生まれたのは?」

「私は、三百年くらい前だ」

 男はまたじっと私の顔を見る。

「嘘ってわけじゃなさそうだな」

「なぜわかる?」

「そうだな。目かな」

 男は焼いている兎と二本の足をすこし回した。

「他にもいるのか?」

 男はしばらく火を眺めていた。それとも兎なのかもしれなかった。

「いるとか、いたという噂は聞いたことがある。だが実際に会ったのはお前さんが二人めだ」

 男は、またぼんやりと火を見ている。

「どうやって生きていけばいいんだ? 昔、何人も妻を看取った。これはなにかの呪いなのか?」

 男はこちらを向くと、またじっと私の顔を見た。

「いや、どっちの質問もわからないな。ただ違うんだ」

 男はまた兎を回しながら答えた。

 私はすこし気落ちしたが、さっきの言葉が気になった。

「二人めだって言ったよな。その人はどうなったんだ?」

「死んだよ。年を取ってね。俺よりずっと若かったはずだが」

「年を取って? だけど私たちは……」

「あぁ。だが実際に年を取って死んだ」

 男はまた兎を回した。

「俺も死にたいがね。死は褒美だよ。救いだよ」

「死ねるのか」

「あぁ。どうなればなのかはわからないが」

 死ねる。その答えに、私は希望を感じた。

「これは呪いだと言っていた長老がいたが。これは呪いなのか?」

 男は首を横に振った。

「呪い? 誰が呪ったっていうんだ? 俺より先の連中がか? 俺は先の連中の墓を見つけたこともある。だがな、その連中の祈りはささやかなものだった」

 その男が言っているのは、いつのころのことだろうか。すくなくとも、私のこれまでの人生の何倍かの時間では収まらないように思えた。

「なぁ、私と一緒に旅をしないか?」

 男はまた私をじっと見る。

「まぁ、一人で死ぬのは寂しいかもな」

 そう言って男はもう一口齧り付いた。

「私はヤー」

「俺はハーム」

 男は兎の足の一本を取り、私に差し出した。

 男も兎の足を取り、齧り付いた。

 私も齧り付いた。


 2、3年経ってから、私たちはこの地を離れた。東へ。そして時々南へ。


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