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私がこの家に来てから三日が経とうとしていた。
使用人たちが忙しく動き回っている中何もせずにいるのも落ち着かなく、私も掃除や料理を手伝わせてもらっている。最初は止められて、特にリリスや公爵はなかなか折れてくれず大変だった。だが何とか説得し、「手伝うだけなら」と条件付きで許可してもらった。
そして今は庭に来ている。ミリーナは庭師のような事もしているらしく、私はそれを手伝おうと思っていたのだ。公爵家の庭としては小さいそこは、しかし色味の抑えられた花々で彩られていた。渋い雰囲気がありエドガーによく合うと思う。
「うーん、やっぱりアリアちゃんには似合わないんだよね」
ミリーナは独り言にしては大きな声で呟いた。私は彼女の背中から声をかける。
「何がです?」
「あぁ、アリアちゃんか!いや、アリアちゃんはもっとバーンって感じの花のが似合うと思うんだよね」
「バーン?それって大きい花って事かしら?」
「そう、それ!色もドンって感じで鮮やかなやつ!絶対そういう方がピタッとくるんだよね」
彼女はそう言うとまた顎に手を当てて考え始めた。ミリーナの考えは分からないが、どうやら私に合わせて庭を変えようとしてくれているらしい。「ラズワルド家にずっといて良い」と言われている気がして、私は嬉しさと同時に安心した。
安心、だなんて。私はため息をつくように呼吸した。
彼らに嫌われても平気だと思っていなくては、本当にそうなった時に耐えられなくなる。レオに裏切られてもまだ学習しない自分に腹が立つ。誰かの愛情を受け入れる事はしてはいけないのに。
それにしても綺麗な庭だ。門から屋敷までの道にかかるアーチも、小さなテラスも、水面がサラサラと揺れる噴水も全てが美しい。しかもそれらを上手く引き立て調和させる花々。均整が取れて整然とした印象ながら、遊び心も感じさせる絶妙なバランスである。
ミリーナはこれだけでも大変だろうに、料理も屋敷のレイアウトもやっているのだ。それなのに有能さを鼻にかけず私にもフレンドリーに接してくれる。彼女は見つめられている事に気付き、私に明るい笑顔を向けた。
「ん?どうした?アリアちゃんに何か考えがある?」
「えぇ、そうね。私は今のこの庭の落ち着いた雰囲気が好きよ。だから白い花をそのまま残して、派手な花を少し植えたらどうかしら?大体は白で統一して…」
「そっか。派手な色を差し色にすると!うん、良い考えだね!それで行こう!」
彼女は言うや否や、すぐに取り掛かる。そして私も手伝う事を告げると簡単な作業を任せてくれた。私がしばらくそれに没頭していると、唐突に大きな声が聞こえる。
「あ、ゼンじゃん!良いところに来たね!」
顔を上げるとそこには赤髪の男がいた。やる気がなさそうに、ゆっくりこちらに歩いて来て彼女の側に立つ。もう庭の図案と睨めっこしていたミリーナは、嬉しそうに彼の腕をバンバン叩く。
「おい、痛いっての!…庭を新しくするのか?」
「そう。アリアちゃんが来たからね!」
ゼンはため息をついて頭を抱えた。何となくミリーナにいつも振り回されている事が伺える。
「お前な、公爵夫人をちゃん付けで呼ぶのは止めなさい?バルトじゃなくても怒られるから」
「私は気にしませんわ。それに親しげに呼んでもらえるなら何でも嬉しいもの」
「ほら!アリアちゃんが構わないって言ってるんだから良いじゃん!大体ゼンには注意されたくない」
「何でだよ?」
「だって駄目人間だもん」
「…花の発注しないからな。後、食材とかも頼まないし流行りのインテリアとかの情報も仕入れないから」
「わー!嘘だよ、嘘!ごめんなさい、ゼンはすごく格好良いです!」
ミリーナはそう言って手を顔の前で合わせると、逃げるように倉庫の方へ向かった。その意外な足の速さに驚き、取り残された私たちは顔を見合わせて吹き出した。
ミリーナの自由なところは心を明るくしてくれる。それに私のために頑張ってくれているのが嬉しい。
ゼンは私から視線を外し、遠い後ろ姿のミリーナを目で追う。その横顔はとても優しくて目が離せない。そんな私に気付いたのか、彼は目を細めながらおどけたように謝る。
「色々すみません。ちゃん付けにしたりタメ口で話したり。でも出来れば見逃してくれませんかね?悪いやつじゃないので」
「見逃すだなんて、とんでもないわ。ミリーナを明るくて優秀な方だと思う事はあっても、無礼だと怒る事はありません。それに、初めてなんです。こんなに親しげに話しかけてくれる人は」
「…俺らも初めてですよ」
「え?」
「人狼以外と仲良くできるなんて、初めてなんすよ。こんな風に楽しく過ごせた事なんてなかったですから」
「それは、前の奥さんたちと上手くいかなかったって事?」
ゼンは困り眉のまま微笑む。その沈黙と表情こそが言葉よりも雄弁に肯定を示している。
「ミリーナなんか嫌われる事も多くて。まぁ、あの態度ですからね。当然と言えば当然なんすけど」
「でも彼女は舐めている訳ではないわ」
「そうなんですけどね。普通はそう考えないんですよ」
「そんな…」
「だから今回も少し心配したんです。公爵の前では優しくても、彼女と二人きりだと暴力を振るう人もいましたから。…でも大丈夫でしたね。疑ってしまってすみませんでした」
「いえ、気にしないで。それよりゼンはミリーナを大切に思っているのね。素敵だわ」
私の言葉に彼は少し驚いた様子だったがすぐに恥ずかしそうに笑う。愛情がこもったそれを見て、ゼンがミリーナを特別に想っている事を悟った。そういえば私もレオにこんな笑顔向けられていたんだ。私は早くも思い出になりつつある彼の事をぼんやり考えた。
そしてゼンは、内緒話をするように唇に人差し指を当てて「秘密ですよ」と囁く。悪戯っぽい仕草と低い声に私は不覚にもドキッとしてしまった。