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人狼とは恐ろしい存在である。
彼らは強大な力を持っているのに理性がなく、肉を裂き血を啜る事だけが生き甲斐だ。そして退治しようにも狼に化けないと人間と区別がつかない。また本人に狼になった記憶がないのだから、拷問も意味がない。人間社会に溶け込んだ怪物であり、自分の隣にいるかもしれない悪魔である。
そんな人狼はすごく嫌われていて、魔女に似た私と僅差になるくらいには避けられている。世界を呪いによって滅ぼそうとした魔女も恐ろしいが、いつ何時襲ってくるか分からない人狼も恐ろしい。
「言いたい事は分かるよ。人狼と一緒の生活なんて怖いよね。でも僕たちは人狼について研究しているんだ。その結果二つの要因さえ押さえておけば、人間と共存しても大丈夫だという結論に至った」
「二つの、要因?」
「そう。人狼が狼の姿になるにはトリガーが必要なんだ。それは強い怒りの感情と、自分に決められた何かを視認する事。だから怒りを消す、もしくは抑えれば良い。これが一つ目のポイント」
「怒りを?どうやるのです?」
「単純な話だよ。危ないと思ったら眠くなる薬を摂取するんだ。誰か他の人でも自分でも良い。とにかく強力な眠気で意識をなくす」
なるほど、確かにそれなら狼にはなれないだろう。だがあまり体には良くなさそうだ。過剰な摂取をすれば命に関わるかもしれないし、これは最終手段という事なのだろう。
「では、もう一つは?」
「そもそもトリガーを持たないし、見ないという事だ。例えば僕は満月が引き金になるが、その日は何があっても外に出ない。リリスなんかは家の紋章がトリガーだから、カナン家の紋章が描いてあるものは一切持たせない」
「でも避けられずに見てしまう場合はないのですか?」
「まぁ、最悪見てしまっても大丈夫なんだよね。誰かを殺したいほど怒りが強くないと変身しない訳だし」
「もしその二つが揃ってしまっても薬がある、と…」
「そういう事。不安に思うだろうけど実際この方法は効果を出している。王にも認められていて、人狼と人間が手を取り合える社会作りを目指しているんだよ」
そう語った彼は自信満々、という訳ではなかった。自分の持論と方法について自信はあるのだろうが、それを他人から認めてもらえるかというと話は変わってくる。私だって魔女ではない事に自信があるが、それでも周りの人を説得する事は不可能だと思っている。
それに使用人たちは何でもない顔をしているが、内心は不安なはずだ。拒絶されるのではないか、嫌悪されるのではないか。そんな血が冷たくなるような感覚は誰にとっても恐ろしい。私はもうそれも感じないほど諦めてしまったが、その境地に達するまでかなり苦しかった。
私はできるだけ優しく微笑んだ。彼らの苦しみはよく分かるし、それを理解できる私が拒絶してはいけない気がする。というより彼らを拒みたくはない。その先に死が待ち受けていたとしても、私はきっと後悔しない。むしろここで彼らを否定する方が後悔する。
「分かりました。あなたがそう仰るならば私は納得いたします。私も魔女と言われてきた身です。私を受け入れてくださるのでしたら、私もあなた方を受け入れますわ」
「えぇっ!良いの!?もっと確認した方が良いんじゃないかい?」
「今の説明で不足している点がありましたか?」
「いや、ないけども…」
「なら、不必要ですわ。あ、でも私にも皆さんを鎮めさせられる睡眠薬をくださいね。あなた方を疑う訳ではないですが、一応何があるか分からないので」
「それは、そのつもりだったけど…」
エドガーはしどろもどろになって、使用人たちをチラリと見た。私もつられてそちらに目を向けると、皆一様に目を丸くし口を開いて驚いている。バルトたちがそういう表情をするイメージがないから、何だかおかしくなってしまった。私が吹き出すと公爵が怪訝そうに私を見る。
「いえ、驚いている様子が面白くって…。ふふっ」
「うん、そうか。…これはとんでもない変わり者を妻にしてしまったみたいだ」
彼はやれやれといった感じで首を左右に振る。あれ、もしかして何かまずい事をしてしまったのかしら?
私は血の気が引いた。まだこの屋敷に来て一日も経っていないが、ここは私が知るどんな場所よりも楽しい。まだ彼らを信用はできないし、裏切られても大丈夫なように心の準備はしている。
でも「出て行け」と言われて割り切れなくなってしまったのも事実だ。こんな楽園のような場所から追放されたら、私はもうどこでも不幸せに感じてしまう。今までは人並みの幸せなんて知らなかったから、何とかやっていけただけなのだ。
そんな私を見て、エドガーは慌てたように大きな声を出す。
「違う!違うよ?君を妻にした事を後悔してるのではなくて、手放しがたい人だって意味だよ!」
「え?」
「もし君が今までの婚約者たちのようにいなくなってしまったら、僕は耐えられそうにないって言ったんだ」
「私はいなくなったりなどしませんわ。…ずっとここにいたいです。それだけが私の望みです」
私が本音を呟くように言うと公爵は虚を突かれたような顔をする。そして「これは本当に逃がせないかも」と小さく口にした。